簡文15 噛みつきマン

文字数 967文字

簡文さまが殿中をゆく。
後ろには王羲之(おうぎし)孫綽(そんしゃく)

王羲之、前を歩く簡文さまを指さし、
孫綽に言う。

「功名心にあおられ過ぎじゃね?」

それを聞き、簡文さま、振り返る。
「君の牙はずいぶん鋭いのだな」


さて、後年のことだ。

王蘊(おううん)会稽(かいけい)内史に任じられ、
建康(けんこう)から出発することになった。

王蘊と親しかった謝玄(しゃげん)曲阿(きょくあ)まで出向き、
見送りの宴席に出席。
そこには、つい先日秘書丞(ひしょじょう)を罷免された
王恭(おうきょう)がいた。

この宴席での会話の流れで、
簡文さまに対する
王羲之の物言いが話題に上がった。

そこで謝玄、ふと王恭を見る。

「王恭殿の歯も、
 なかなかに鈍からぬようですな?」

皮肉である。
口の悪さで罷免されてりゃ
世話ねえじゃんよ、と。

すると王恭は、朗らかに言う。

「それはもう!
 見事な切れ味ですよ!」



簡文在殿上行右軍與孫興公。在後右軍指簡文語孫曰:「此噉名客。」簡文顧曰:「天下自有利齒兒。」後王光祿作會稽謝車騎出曲阿、祖之。王孝伯罷秘書丞在坐。謝言及此事、因視孝伯曰:「王丞齒似不鈍。」王曰:「不鈍頗亦驗。」

簡文の殿上に在りて右軍と孫興公と行けるに、後ろに在る右軍は簡文を指して孫に語りて曰く「此れ噉名の客なり」と。簡文は顧みて曰く「天下に自ら齒の利き兒有り」と。後に王光祿の會稽を作せるに、謝車騎は曲阿に出で、之を祖す。王孝伯は秘書丞を罷られ坐に在り。謝が言は此の事に及び、因りては孝伯を視て曰く「王丞の齒も鈍からざるに似たり」と。王は曰く「鈍からざること、頗る亦た驗なり」と。

(排調54)



王羲之
二十一世紀に到るまで「書聖」として書道界のレジェンドたる地位を確保しているひとである。琅耶王氏である。割と政治には興味がなく、隠遁生活を送っていたりする。この人を見ていると、つくづく文化とは余剰と保護と安穏の先に産み出される退廃の副産物であるな、と思わずにおれぬ。一方では文化とは平和の副産物であるとも言えるので、簡単には弾劾し切れぬところはあるのだが。ただし琅耶王氏の平和は間違いなく民庶の流す血涙の上にある。王羲之の筆が神がかっていることに異論を差し挟む余地はないが「ところで筆は矛より強いんですか?」とは詰問してみたくもある。

王蘊
太原王氏。王恭の父親。清廉なる人事の達人なのだが、息子がいろいろアレ。つーか、いるよね、ただの口の悪さを「直言は耳に毒なんだよ」とばっかり言って憚らない人。
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