庾冰1  終の床の言葉

文字数 852文字

庾冰(ゆひょう) 全2編
 既出:王導9、成帝2、庾亮20


會稽(かいけい)のひと、孔氏の子孫である
孔坦(こうたん)が、危篤の床についた。

庾冰はこのとき、會稽の長官。
なので孔坦のことを心配し、
何度も何度も見舞いに出ては、
そのベットの傍らで大泣きしていた。

ある日、いつものように大泣きしたあと
帰ろうとした庾冰の背に向け、
孔坦が盛大な嘆息とともに、言う。

「こうして一人の士人の命が
 尽き果てようとしておりますのに、
 国の、お家の大事を諮ろうともせず、
 女子供のごとくお泣きでばかりとは!」

そうじゃねえだろ庾冰、
お前のやることは。
持ってくんだよ、俺のノウハウを、
可能な限り。

そう、檄を飛ばしたのだ。

それを聞き、庾冰、涙を拭いた。
不甲斐ない自分を詫びるとともに、
孔坦から政治に関するアドバイスを
引き出すだけ引き出した。



孔君平疾篤,庾司空為會稽,省之,相問訊甚至,為之流涕。庾既下床,孔慨然曰:「大丈夫將終,不問安國甯家之術,迺作兒女子相問!」庾聞,回謝之,請其話言。

孔君平の疾の篤きに、庾司空は會稽為れば、之を省るに、相い問訊せること甚だ至り、之が為に流涕す。庾の既に床に下るに、孔は慨然として曰く:「大丈夫の將に終わりなんとせるに、國を安んじ家を甯んずるの術を問わず、迺ち兒女子が相問を作さんか!」と。庾は聞き,回りて之に謝し、其の話言を請う。

(方正43)


庾冰
いわゆる三庾と呼ばれる東晋前期を代表する兄弟、その真ん中(三庾以外にも兄弟はいたのだが割愛)。宮中で巨大な存在感を得ていた兄、庾亮(ゆりょう)の死後、宰相として中央に立った。のだが、「中央に立ちました」くらいで、何やったか聞かれると「何充(かじゅう)にバトンタッチしました」くらいしか言えなさそうである。まぁ、司馬昱(しばいく)さんもこのへんではだいぶ存在感増してたでしょうけどね。

孔坦
孔群(こうぐん)のいとこの息子とのことです。転々大陸さんさいこう。
http://home.att.ne.jp/iota/ten_tairiku/kakeizu/ka/kou04_05js_1_yu.html
文人として卓越していた、とのみ残されています。
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