第168話 迷える羊と復活祭のチーズタルト(4)完
文字数 2,728文字
「お客様! どうされましたか?」
そこにタオルと、水の入った紙コップを持った店員が現れた。なかなかのイケメンだったが、今はそれどころではない。
白いコックコートの胸元には、橋本瑠偉という刺繍がされていた。そんな名前らしい。
「ヒソプ、お前。グッジョブだな。さて、お前はしばらくイートインの方に行ってな」
瑠偉は、芝犬をイートインコーナーの方へ向かわせた。ヒソプという名前らしいが、大人瑠偉に従い、イートインコーナーの方へ向かっていた。
真琴の視線に合わせるように瑠偉はしゃがみ、タオルを渡した。
「どうぞ」
「いいんですか?」
「具合悪い? 病院行く? これは水です」
タオルで顔を拭き、水を口に含んだ。これだけでも、生き返るような気がしていた。
「立てる?」
瑠偉の声は優しく、落ち着いていた。その声を聞くだけで、違う意味で涙が出そうだ。再び、顔をタオルで拭う。
「とりあえず、イートインスペースで休んでく?」
「いいんですか?」
「俺はて、いやクリスチャンだしね。善きサマリア人の例え話に倣って助けます」
「何それ?」
「まあ、気になったら、ネットで調べてみてよ。自分で調べた事は、よく覚えるからね」
そんな事を言いつつ、イートインスペースに向かって座る。思わずホッと息が溢れる。近くにヒソプもいたが、目を細めて再び寝転んでいた。呑気な雰囲気のヒソプを見ていたら、少し気が抜けてきた。
イートインスペースは、パン屋の簡易的なそれとは違いちょっとカフェのような雰囲気があった。テーブルクロスは、花柄で可愛かった。小さなヒヨコやウサギの小物が置いてある。イースターの飾りのようだが、可愛らしくて、ちょっと笑ってしまった。窓からは、春の日差しが差し込み、居心地の良い雰囲気も満ちていた。心は落とし穴に落ちたような
瑠偉は一旦厨房に行っていたが、再びこちらに戻ってきた。水だけでなく、あの可愛いカゴ型のチーズタルトも皿に盛り付けて持ってきた。
「どうぞ、一休みしてくださいよ」
「え、いいんですか?」
「タダでいいですよ。サマリア人の真似して助けてる気分で好きでやってるだけですから、お気になさらず」
そう言われてしまうと、居心地が悪い。サマリア人のことは不明だが、瑠偉はクリスチャンなのだろう。店に入る前は、罪とか罰とか言われそうな悪寒もしたが、そんな雰囲気は全くない。むしろ、優しくされているこの状況は、また泣きたくなってきてしまった。
「お客様、どうされました?」
何故か瑠偉は、真琴の目の前に座り、顔を覗き込んできた。パン職人だけあり、瑠偉からが、甘いバターのような、クッキーのような香りがした。
「いえ、ちょっと落とし穴に落ちちゃったんです……」
さすがに詳しい事情を話す気分にはなれず、そう言うしかなかった。
「というか表の看板何? 聖書?」
「ああ、あれはそうですね。宗教は気持ち悪いですが、私達は救われる為に努力したり、修行したり、良い行いする必要はないですからね。仏教のお坊さんはあんなに一生懸命修行していて、尊敬しますよ。人格的にはクリスチャンより一般の人の方がよっぽど立派なんですよね。ええ、キリスト教の福音は、落とし穴に落ちてしまった人の神様が手を差し伸べてくれた良い知らせですから。罪人の自覚がある人への救いですから」
「えー? 良い行い努力もしなくていいなんて……」
カルチャーショックだった。スピリチュアルでさえも頑張って感謝したり、ありがとうと何回も唱える必要があるのに。
「もちろん、救われたら、それ相応の行いは必要ですが、落とし穴に落ちた人に、お前が悪い、自己責任、自業自得、前世のせいだなんていう教えはないですからね……。前世もないです。聖書では目が見えない人にそんなセリフは神様は言ってないですから」
信じられない。そんな言葉を聞いながら、この人には責められる事は無いだろうという安心感はあった。客観的に見ればスピリチュアルにハマり、金も家も失った真琴に誰もが裁き、責められるだろうが、そんな雰囲気はなかった。気づくと、今までのことは全部瑠偉に話してしまっていた。初対面の瑠偉に距離感も無視してしまったが、今は、ポロポロと本音がこぼれていた。涙も同じように溢れていた。
「そっか。それは大変だったね」
やっぱり瑠偉には、責められず、真琴はもっと泣きたくなってしまった。逆に万引きのような事をしようとしていた事が恥ずかしくなってきて、二度と悪い事はしたくなくなってしまった。北風と太陽という童話も思い出す。人の心を動かすのは、愛? 綺麗事すぎるか。
「だったら、隣の依田さん家に相談してみようかね?」
「え?」
「家政婦さんがもう少し短めで働きたいって言っててさ。どう? 家政婦の仕事とか興味ない?」
「え、でも」
「まあ、依田さん一家もクリスチャンだし大丈夫。ちょっと相談してみるよ」
「でも」
瑠偉は真琴を無視して、どこかの連絡していた。その依田さんという人らしいが、トントン拍子に話が纏まり、しばらく寝泊まりして良い事にもなってしまった。娘の光という子が、後で迎えに来てくれるらしいが。
「ちょっと待ってください。どこの馬の骨かわからない女を助けていいんですか?」
瑠偉も依田という家の人の行動原理は、全くわからない。
「いいんだよ。神様だったら、きっと助けるよ。別に騙されても、その分、天国に宝を積めたわけだし、いいんだよ。好きでやってる事だし。目の前に困ってる人いたら、全員平等に同じ態度でいたいだけだから。神様もそうだったしね」
「でも」
「まあ、とりあえずチーズタルト食べましょう。これは、イタリアのチーズタルトで、復活祭のチーズタルトです。本当の名前は、パルドゥラスっていうんだ。食べたら、真琴さんも復活するかもね?」
「そんな事って」
アリ?
しかし、このチーズタルトはふわふわで、あっという間に一つ食べてしまった。チーズの甘味と酸味が癖になりそうだった。瑠偉によると、羊のチーズを使っており、クリーミーだという。
「でも、本当にいいの?」
やっぱり、こんな優しくされるのは、居心地が悪いのだが。食べたからって復活する事はなかったが、今まで封じていた良心が刺激されている自覚はあった。もう悪い事は出来そうにない。
「聖書にも迷い出た羊の例え話が載ってるしね。一匹でも羊が迷ったら、他の九十九匹の羊を置いて神様は探しに行く方です。大丈夫、真琴さんは大丈夫」
瑠偉の声を聞きがら、真琴は再び泣きそうになった。気づくと、肩の荷はおりていた。もう、無理して頑張る必要はないのかもしれない。
まだ舌にあのチーズタルトの味が残っているようだ。やっぱり、食べたら復活したかもしれない。
そこにタオルと、水の入った紙コップを持った店員が現れた。なかなかのイケメンだったが、今はそれどころではない。
白いコックコートの胸元には、橋本瑠偉という刺繍がされていた。そんな名前らしい。
「ヒソプ、お前。グッジョブだな。さて、お前はしばらくイートインの方に行ってな」
瑠偉は、芝犬をイートインコーナーの方へ向かわせた。ヒソプという名前らしいが、大人瑠偉に従い、イートインコーナーの方へ向かっていた。
真琴の視線に合わせるように瑠偉はしゃがみ、タオルを渡した。
「どうぞ」
「いいんですか?」
「具合悪い? 病院行く? これは水です」
タオルで顔を拭き、水を口に含んだ。これだけでも、生き返るような気がしていた。
「立てる?」
瑠偉の声は優しく、落ち着いていた。その声を聞くだけで、違う意味で涙が出そうだ。再び、顔をタオルで拭う。
「とりあえず、イートインスペースで休んでく?」
「いいんですか?」
「俺はて、いやクリスチャンだしね。善きサマリア人の例え話に倣って助けます」
「何それ?」
「まあ、気になったら、ネットで調べてみてよ。自分で調べた事は、よく覚えるからね」
そんな事を言いつつ、イートインスペースに向かって座る。思わずホッと息が溢れる。近くにヒソプもいたが、目を細めて再び寝転んでいた。呑気な雰囲気のヒソプを見ていたら、少し気が抜けてきた。
イートインスペースは、パン屋の簡易的なそれとは違いちょっとカフェのような雰囲気があった。テーブルクロスは、花柄で可愛かった。小さなヒヨコやウサギの小物が置いてある。イースターの飾りのようだが、可愛らしくて、ちょっと笑ってしまった。窓からは、春の日差しが差し込み、居心地の良い雰囲気も満ちていた。心は落とし穴に落ちたような
瑠偉は一旦厨房に行っていたが、再びこちらに戻ってきた。水だけでなく、あの可愛いカゴ型のチーズタルトも皿に盛り付けて持ってきた。
「どうぞ、一休みしてくださいよ」
「え、いいんですか?」
「タダでいいですよ。サマリア人の真似して助けてる気分で好きでやってるだけですから、お気になさらず」
そう言われてしまうと、居心地が悪い。サマリア人のことは不明だが、瑠偉はクリスチャンなのだろう。店に入る前は、罪とか罰とか言われそうな悪寒もしたが、そんな雰囲気は全くない。むしろ、優しくされているこの状況は、また泣きたくなってきてしまった。
「お客様、どうされました?」
何故か瑠偉は、真琴の目の前に座り、顔を覗き込んできた。パン職人だけあり、瑠偉からが、甘いバターのような、クッキーのような香りがした。
「いえ、ちょっと落とし穴に落ちちゃったんです……」
さすがに詳しい事情を話す気分にはなれず、そう言うしかなかった。
「というか表の看板何? 聖書?」
「ああ、あれはそうですね。宗教は気持ち悪いですが、私達は救われる為に努力したり、修行したり、良い行いする必要はないですからね。仏教のお坊さんはあんなに一生懸命修行していて、尊敬しますよ。人格的にはクリスチャンより一般の人の方がよっぽど立派なんですよね。ええ、キリスト教の福音は、落とし穴に落ちてしまった人の神様が手を差し伸べてくれた良い知らせですから。罪人の自覚がある人への救いですから」
「えー? 良い行い努力もしなくていいなんて……」
カルチャーショックだった。スピリチュアルでさえも頑張って感謝したり、ありがとうと何回も唱える必要があるのに。
「もちろん、救われたら、それ相応の行いは必要ですが、落とし穴に落ちた人に、お前が悪い、自己責任、自業自得、前世のせいだなんていう教えはないですからね……。前世もないです。聖書では目が見えない人にそんなセリフは神様は言ってないですから」
信じられない。そんな言葉を聞いながら、この人には責められる事は無いだろうという安心感はあった。客観的に見ればスピリチュアルにハマり、金も家も失った真琴に誰もが裁き、責められるだろうが、そんな雰囲気はなかった。気づくと、今までのことは全部瑠偉に話してしまっていた。初対面の瑠偉に距離感も無視してしまったが、今は、ポロポロと本音がこぼれていた。涙も同じように溢れていた。
「そっか。それは大変だったね」
やっぱり瑠偉には、責められず、真琴はもっと泣きたくなってしまった。逆に万引きのような事をしようとしていた事が恥ずかしくなってきて、二度と悪い事はしたくなくなってしまった。北風と太陽という童話も思い出す。人の心を動かすのは、愛? 綺麗事すぎるか。
「だったら、隣の依田さん家に相談してみようかね?」
「え?」
「家政婦さんがもう少し短めで働きたいって言っててさ。どう? 家政婦の仕事とか興味ない?」
「え、でも」
「まあ、依田さん一家もクリスチャンだし大丈夫。ちょっと相談してみるよ」
「でも」
瑠偉は真琴を無視して、どこかの連絡していた。その依田さんという人らしいが、トントン拍子に話が纏まり、しばらく寝泊まりして良い事にもなってしまった。娘の光という子が、後で迎えに来てくれるらしいが。
「ちょっと待ってください。どこの馬の骨かわからない女を助けていいんですか?」
瑠偉も依田という家の人の行動原理は、全くわからない。
「いいんだよ。神様だったら、きっと助けるよ。別に騙されても、その分、天国に宝を積めたわけだし、いいんだよ。好きでやってる事だし。目の前に困ってる人いたら、全員平等に同じ態度でいたいだけだから。神様もそうだったしね」
「でも」
「まあ、とりあえずチーズタルト食べましょう。これは、イタリアのチーズタルトで、復活祭のチーズタルトです。本当の名前は、パルドゥラスっていうんだ。食べたら、真琴さんも復活するかもね?」
「そんな事って」
アリ?
しかし、このチーズタルトはふわふわで、あっという間に一つ食べてしまった。チーズの甘味と酸味が癖になりそうだった。瑠偉によると、羊のチーズを使っており、クリーミーだという。
「でも、本当にいいの?」
やっぱり、こんな優しくされるのは、居心地が悪いのだが。食べたからって復活する事はなかったが、今まで封じていた良心が刺激されている自覚はあった。もう悪い事は出来そうにない。
「聖書にも迷い出た羊の例え話が載ってるしね。一匹でも羊が迷ったら、他の九十九匹の羊を置いて神様は探しに行く方です。大丈夫、真琴さんは大丈夫」
瑠偉の声を聞きがら、真琴は再び泣きそうになった。気づくと、肩の荷はおりていた。もう、無理して頑張る必要はないのかもしれない。
まだ舌にあのチーズタルトの味が残っているようだ。やっぱり、食べたら復活したかもしれない。