第119話 妻の為のシュトレン(3)
文字数 2,017文字
「まあ、シュトレン食べてみてよ。食べながら、ゆっくり話そう」
「え、ええ……」
薫子は戸惑いながらも、シュトレンを摘んでみた。食べやすいサイズでスライスされているので、手で食べられそうだ。ホロホロと粉砂糖が崩れ、口いっぱいに洋酒やナッツの味が広がっていく。スパイスも聞いていて、ほんの少しだけピリッとした味もして、甘いだけではないのも不味くはない。家にある夫からのシュトレンは食べたくはないが、ここで食べたシュトレンは、美味しく感じた。
「美味しい?」
「ええ」
「じゃあ、このタイミングで話すのがいいね。旦那さんはね……」
柊が事情を説明してくれた。夫は生前、シュトレンを家に配送するよう予約にきた。しかも最初は二十年分も前払いして予約しようとしていたらしい。
「えー、二十年も? そんな事できるの?」
「できないわけじゃないけど、物価の変動もあるからね。とりあえず今年だけ注文して、気に入ったら来年もという形を提案しましたが」
なぜかここで柊は、苦い表情を浮かべていた。
「でも、旦那さんはこの先長くない事を知ってたみたいだった。自分が死んでも奥さんに毎年シュトレンを届けたいって言ってた」
「そんな、なんで……」
事情は分かったが、意味がますますわからない。なぜ、そんな予約までして、シュトレンを自分に届けようとしたのか。薫子には、全く想像できなかった。
「それは、僕もわからないけれど、自分のことを忘れて欲しくなかったんじゃないかな」
「そういうタイプじゃないよ。無口で、厳しくて頑固な人だった」
そういう感傷的な事を夫がするとは思えない。何か目的があるはずだった。
「だったら、奥さんに福音を伝えたかったんじゃない? クリスマスだったら、宗教が嫌いな人も、ちょっと心を開くじゃん」
「福音って?」
「これは、クリスチャンにとって大事な事だよ。一言で言えば、罪人から神様が救ってくれたって意味。これで、罰せられずに天国に行ける良い知らせ」
柊はキラキラした目で語っていたが、罪人とか言われるとピンとこない。自分はそんな悪い事をしている自覚はなかった。
「こら、柊! お客さんに勧誘みたいな事はやったらダメだよ」
そこにもう一人の店員が、厨房から出てきた。柊と同じぐらいの歳の男だが、背が高く、体格も良かった。コックコートの胸元には、知村紘一とある。どうやら柊とは兄弟のようだ。顔も似ていた。
「勧誘じゃないよ。伝道だよ」
「だめだめ。ごめんなさいね、急に宗教の話題なんかして」
柊は納得いかないように口を尖らせていたが、紘一はすまなそうな態度だった。
「いえ、気にしていないけど……」
想像以上に申し訳なさそうにしている紘一に、慌てて笑顔を作って見せる。
「日本は宗教嫌いだからね。福音を伝えるのも、苦労するね。宣教師の墓場って言われているぐらいの土地だし。あ、旦那さんもそうだったんじゃない? だから、シュトレンで毎年さりげなく匂わせようとしてたんじゃない?」
柊の推理は、当たっている気がした。シュトレンで、さりげなく福音とやらを伝えようとしていたら、筋は通る。ただ、夫はそこまでするのは、違和感もある。もっとストレートに直接伝えたらいいのに。
「男性は意外と繊細ですから。特に自分の奥さんに、自分の信仰心を否定されたりしたら、ショックですしね。他の人には何言われても良いと思うけど、家族は特別」
そう言う紘一の推理もあってる気がした。自分は、夫の信仰心を否定した覚えはないが、今の日本人の宗教観を考えれば、何か臆病になり、シュトレンを送るという方法を思いついても、不自然ではない。
「夫は先日亡くなりました……」
今は、シュトレンの事を考えると、夫が死んだ事を忘れそうになった。一応、二人にも報告した。
こんな悪い知らせだったが、二人ともちっとも驚いていなかった。
「そういえば天界で旦那さん見たよ」
「ああ、話しかけられなかったけど」
「あの、二人とも何を話してるの?」
なぜか小声でヒソヒソと話す二人に、薫子は苦笑しながらツッコミを入れた。
「いえいえ、残念です。シュトレンは、真ん中からナイフを入れると、綺麗に切れます」
「うん。お兄ちゃんのいう通りだよ。シュトレンは、端っこから切ると、ちょっと崩れちゃうから。シュトレン食べながら、クリスマス楽しんでね。何か、困った事があったら、また来てね!」
無邪気な柊の笑顔を見ながら、家にあるシュトレンも食べても良い気がしてきた。夫の意図がわかり、少し心は軽くなっていた。生前、夫と信仰について話せなかった事は残念にも思えたが、これは元々意見が違うので、仕方がない。
さっそく家に帰ったら、シュトレンを真ん中から切り、食べてみた。
味は美味しかったが、一人で食べるシュトレンは、楽しくはなかった。
夫とは仲良くはなかったが、再度、彼の不在を感じてしまった。
口の中で崩れていく粉砂糖を味わいながら、夫の喪失も実感していた。
「え、ええ……」
薫子は戸惑いながらも、シュトレンを摘んでみた。食べやすいサイズでスライスされているので、手で食べられそうだ。ホロホロと粉砂糖が崩れ、口いっぱいに洋酒やナッツの味が広がっていく。スパイスも聞いていて、ほんの少しだけピリッとした味もして、甘いだけではないのも不味くはない。家にある夫からのシュトレンは食べたくはないが、ここで食べたシュトレンは、美味しく感じた。
「美味しい?」
「ええ」
「じゃあ、このタイミングで話すのがいいね。旦那さんはね……」
柊が事情を説明してくれた。夫は生前、シュトレンを家に配送するよう予約にきた。しかも最初は二十年分も前払いして予約しようとしていたらしい。
「えー、二十年も? そんな事できるの?」
「できないわけじゃないけど、物価の変動もあるからね。とりあえず今年だけ注文して、気に入ったら来年もという形を提案しましたが」
なぜかここで柊は、苦い表情を浮かべていた。
「でも、旦那さんはこの先長くない事を知ってたみたいだった。自分が死んでも奥さんに毎年シュトレンを届けたいって言ってた」
「そんな、なんで……」
事情は分かったが、意味がますますわからない。なぜ、そんな予約までして、シュトレンを自分に届けようとしたのか。薫子には、全く想像できなかった。
「それは、僕もわからないけれど、自分のことを忘れて欲しくなかったんじゃないかな」
「そういうタイプじゃないよ。無口で、厳しくて頑固な人だった」
そういう感傷的な事を夫がするとは思えない。何か目的があるはずだった。
「だったら、奥さんに福音を伝えたかったんじゃない? クリスマスだったら、宗教が嫌いな人も、ちょっと心を開くじゃん」
「福音って?」
「これは、クリスチャンにとって大事な事だよ。一言で言えば、罪人から神様が救ってくれたって意味。これで、罰せられずに天国に行ける良い知らせ」
柊はキラキラした目で語っていたが、罪人とか言われるとピンとこない。自分はそんな悪い事をしている自覚はなかった。
「こら、柊! お客さんに勧誘みたいな事はやったらダメだよ」
そこにもう一人の店員が、厨房から出てきた。柊と同じぐらいの歳の男だが、背が高く、体格も良かった。コックコートの胸元には、知村紘一とある。どうやら柊とは兄弟のようだ。顔も似ていた。
「勧誘じゃないよ。伝道だよ」
「だめだめ。ごめんなさいね、急に宗教の話題なんかして」
柊は納得いかないように口を尖らせていたが、紘一はすまなそうな態度だった。
「いえ、気にしていないけど……」
想像以上に申し訳なさそうにしている紘一に、慌てて笑顔を作って見せる。
「日本は宗教嫌いだからね。福音を伝えるのも、苦労するね。宣教師の墓場って言われているぐらいの土地だし。あ、旦那さんもそうだったんじゃない? だから、シュトレンで毎年さりげなく匂わせようとしてたんじゃない?」
柊の推理は、当たっている気がした。シュトレンで、さりげなく福音とやらを伝えようとしていたら、筋は通る。ただ、夫はそこまでするのは、違和感もある。もっとストレートに直接伝えたらいいのに。
「男性は意外と繊細ですから。特に自分の奥さんに、自分の信仰心を否定されたりしたら、ショックですしね。他の人には何言われても良いと思うけど、家族は特別」
そう言う紘一の推理もあってる気がした。自分は、夫の信仰心を否定した覚えはないが、今の日本人の宗教観を考えれば、何か臆病になり、シュトレンを送るという方法を思いついても、不自然ではない。
「夫は先日亡くなりました……」
今は、シュトレンの事を考えると、夫が死んだ事を忘れそうになった。一応、二人にも報告した。
こんな悪い知らせだったが、二人ともちっとも驚いていなかった。
「そういえば天界で旦那さん見たよ」
「ああ、話しかけられなかったけど」
「あの、二人とも何を話してるの?」
なぜか小声でヒソヒソと話す二人に、薫子は苦笑しながらツッコミを入れた。
「いえいえ、残念です。シュトレンは、真ん中からナイフを入れると、綺麗に切れます」
「うん。お兄ちゃんのいう通りだよ。シュトレンは、端っこから切ると、ちょっと崩れちゃうから。シュトレン食べながら、クリスマス楽しんでね。何か、困った事があったら、また来てね!」
無邪気な柊の笑顔を見ながら、家にあるシュトレンも食べても良い気がしてきた。夫の意図がわかり、少し心は軽くなっていた。生前、夫と信仰について話せなかった事は残念にも思えたが、これは元々意見が違うので、仕方がない。
さっそく家に帰ったら、シュトレンを真ん中から切り、食べてみた。
味は美味しかったが、一人で食べるシュトレンは、楽しくはなかった。
夫とは仲良くはなかったが、再度、彼の不在を感じてしまった。
口の中で崩れていく粉砂糖を味わいながら、夫の喪失も実感していた。