第9話 温かいイングリッシュマフィン(4)完
文字数 3,226文字
良子は、イートインスペースでイケメン店員と向き合って座っていた。イケメンは天野蒼という名前らしい。コックコートの胸元にそう刺繍してある。小さいパン屋ながら、イートインスペースがあり、テーブルには花柄のクロスがかけられ、一輪挿しもあり、居心地の良い雰囲気だった。
目の前にはソーセージとチーズ入りのイングリッシュマフィン、ハッシュポテト、コーヒーがあった。どれも温かく、蒼が厨房で作ってくれたものだった。
「店員さん、私と話して大丈夫? 仕事あるんじゃないの?」
「大丈夫。実はここは副業でやっていてね、暇でしょうがないんだよ」
「副業? 本業?」
どうやら相当ワケありっぽい。副業でパン屋なんて出来るのかと疑問だったが、この話は「深く突っ込まないで」という空気も出ていて、それを読む事にした。
「本当に奢ってもらっていいんですか?」
「大丈夫、大丈夫。ここは本当に利益無視してるから」
相当変なパン屋のようだった。お金持ちが道楽でやってるのかもしれない。蒼が御曹司というのはちょっと違和感はあるが。どちらといば御曹司の秘書とか子守りとかが似合いそう。
「それに後で、良子さんからサイン貰うからいいよ」
「サイン書くの実は超めんどいんだよね」
「いいじゃん。さ、美味しいイングリッシュを召し上がれ」
蒼に促され、イングリッシュマフィンにかぶりつく。サクサクとした生地だったが、とろとろチーズやハムと相性ピッタリだった。それにイングリッシュマフィンはまだ温かく、指先もホッコリしてきた。
「マフィンの語源ってマフなんだ。手を温める防寒具がそう言われていたらしい。で、このイングリッシュマフィンも手に持って指先を温めていたらしいから、そう呼ばれていたらしいね」
どうでも良い豆知識を聞きながら、イートインコーナーの側に小さな本棚があるのに気づいた。本棚には、よりによって聖書が入っていた。せっかくイングリッシュマフィンは美味しく、指先も温まっていたのに、茉莉花の事を思い出して、気分が悪くなってしまった。
「あれ? 良子さん、どうした?」
蒼はすぐに良子の異変に気づいた。
「あなたも、何かの信者?」
「信者っていうか社畜っていうか。それが仕事っていうか。神様の命令で仕事してるというか」
「は?」
イマイチ話が噛み合わないが、蒼はニコニコと笑いながらこちらを見てきた。琥珀色の透き通った目を見ていると、なぜか茉莉花の事を愚痴ってしまった。
「そっか……。お友達がそうなんだね」
意外な事に蒼は、良子の話をよく聞いてくれた。
「本当はどう接したらいいかわからないんです。でも、彼女の言う変な事に論破しちゃうのも実はちょっと楽しくて」
「論破はやめた方がいいよ」
とっても優しい声で諭され、少し泣きたくなってしまった。
「そうなると、お友達はもっと社会から孤立するよ。もっと教祖しか居ないって思うようになるよ。カルトの変な行いは、信者を孤立させる為にわざとやってんだよね」
「やっぱりそうなのね……。だとすれば、私も知らずに教祖の片棒担いでたかも」
「うん、陰謀論やスピリチュアルも表面的に叩いて論破する人が多いけど、あれも逆効果だね。私の知り合いの子も、友達や家族に優しくされて陰謀論やスピリチュアルを辞められたりしてたよ。要は、そういったものより楽しかったり癒されるものを提供した方が良いって事。うん、論破はやめた方がいいよね」
「そ、そうか。楽しいものの方がいいよねー」
「聖書で書かれてる使徒パウロも、他所の土地に宣教に行く時は、その土地の宗教をまず認めてた。そういう態度って重要かもね。私も世の中にあるアニメを見て、向こう側の事を勉強したりしてる」
言われてみれば、自分がいくら茉莉花に偉そうにしても、彼女がカルトを辞める事はなかった。
「だったら、どうすれば」
「聖書に答えが載ってるよ」
「冗談? 茉莉花みたいな事言わないで。正直、宗教の本とかって気持ち悪い」
ついついキツい言葉を言ってしまったが、蒼は聖書のイエス・キリストは、どんな人でも差別せずに平等に接していたと淡々と語った。重い皮膚病を持った人や売春婦に「あなたには重い罪があります!罪があるから呪われて病気なんです!」などと言って裁く事はなかったらしい。それどころか、積極的に罪深い人とも交流し、病を治してあげ、敬虔ぶった宗教人には否定的だった。もちろん罪にはとっても厳しい神様で、特に現代のクリスチャンが婚前交渉など何でもやりたい放題やって良いわけでは無いらしいが。
「確かにお友達も悪い所があるけど、良子さんだって神社行って、重版できますようにとか祈っているでしょ。家には神棚か仏壇もあるんじゃない? クリスマスやイースターも全部祝ってるし、本当に宗教に寛容だったら、お友達のカルトも差別しないで全部認めなきゃ。それに日本人って案外、無神論者って少ないよ。お墓を雑にできなかったり、死人の悪口とか言えない人多いよね。日本人は形はそれぞれだけど、何らかの神様は信じてる」
そう言われてしまうと、茉莉花を批判できる資格は無い気がした。シリーズ立ち上げ前は、必ず神社に行き、担当編集者と一緒に切々と祈願していた。この行為を茉莉花に突っ込まれたら、反論はできない。それに神のように差別しなかったかと言われたら、全くそうでは無い。自分勝手な基準で茉莉花の言うことを裁いていた。正しくない者同士で論破し合うのは、きりがないとも思う。この負のループはどこかで断ち切らないとならないだろう。
「私は、茉莉花に酷い事しちゃったかな。どうしたら良いんだろう」
「愛だよ、愛。愛があれば全部解決する。聖書のⅠペテロ4:8には、『何よりも、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は、多くの欠けた点を補うからです。』って書いてあるんだよね。人に拒絶されると、中毒や依存の悪霊も入りやすいし。良子さんにはちょっと気持ち悪い話題かもしれないけどさ」
そんな綺麗事と反発しそうになったが、確かに「友達」として茉莉花にできそうな事があるような気がした。愛はよくわからないし、聖書もワケがわからないけれど、「論破」は違う気がした。蒼の優しい声を聞いていたら、自分のやり方が間違っていた事だけは確かだろうと思った。
「そういえば、この店。茉莉花が好きそうなメルヘンな感じ。今度連れてきていい?」
「オッケーだよ。良子さん達には特別に奢ってあげるから」
随分と気前がいいなとも思ったが、温かいイングリッシュマフィンを持っていると、心も冷たくなくなっていた。
後日、茉莉花を連れて福音ベーカリーに向かった。
案の定、茉莉花は福音ベーカリーを気に入り、蒼にもイケメンだと大興奮して写真を撮っていた。久々にはしゃぎ声をあげる茉莉花とイングリッシュマフィンとスコーンをイートインスペースで食べた。
「美味しい。なんか、私、ずっと孤独だと思ってたけど、違ったのかも」
驚いた事に、茉莉花はイングリッシュマフィンを食べながらボロボロと涙をこぼしていた。旦那が浮気性で悩んでいたところ、カルトに勧誘されてズブズブになったと告白した。
「そんな、悩んでたら言ってくれればいいじゃん。水臭いよ」
ついつい口を尖らせて文句を言ってしまう。幸せな結婚をしたシンデレラも楽では無いようだった。自分は茉莉花の事は一面しか見えてなかった。
「そうだよ、茉莉花さんは一人じゃないよ。また、このパン屋来てよ。美味しいパンいっぱい作って待ってるよ。食べても太らない天使のパンだから大丈夫。看板犬のヒソプも待ってるからさ」
蒼は、そう言って茉莉花の目元をタオルで拭ってやっていた。
「うぅ、ごめんなさい。私、単に寂しかっただけなのかも。きっと心が傷ついてたんだ……。良子にも夫にも仕事忙しいのかなって勝手に壁作ってた……」
泣きながら語る茉莉花を見ながら、光が見えてきた。そう思うと、この場は、春のお花畑にいるみたいに暖かい。
目の前にはソーセージとチーズ入りのイングリッシュマフィン、ハッシュポテト、コーヒーがあった。どれも温かく、蒼が厨房で作ってくれたものだった。
「店員さん、私と話して大丈夫? 仕事あるんじゃないの?」
「大丈夫。実はここは副業でやっていてね、暇でしょうがないんだよ」
「副業? 本業?」
どうやら相当ワケありっぽい。副業でパン屋なんて出来るのかと疑問だったが、この話は「深く突っ込まないで」という空気も出ていて、それを読む事にした。
「本当に奢ってもらっていいんですか?」
「大丈夫、大丈夫。ここは本当に利益無視してるから」
相当変なパン屋のようだった。お金持ちが道楽でやってるのかもしれない。蒼が御曹司というのはちょっと違和感はあるが。どちらといば御曹司の秘書とか子守りとかが似合いそう。
「それに後で、良子さんからサイン貰うからいいよ」
「サイン書くの実は超めんどいんだよね」
「いいじゃん。さ、美味しいイングリッシュを召し上がれ」
蒼に促され、イングリッシュマフィンにかぶりつく。サクサクとした生地だったが、とろとろチーズやハムと相性ピッタリだった。それにイングリッシュマフィンはまだ温かく、指先もホッコリしてきた。
「マフィンの語源ってマフなんだ。手を温める防寒具がそう言われていたらしい。で、このイングリッシュマフィンも手に持って指先を温めていたらしいから、そう呼ばれていたらしいね」
どうでも良い豆知識を聞きながら、イートインコーナーの側に小さな本棚があるのに気づいた。本棚には、よりによって聖書が入っていた。せっかくイングリッシュマフィンは美味しく、指先も温まっていたのに、茉莉花の事を思い出して、気分が悪くなってしまった。
「あれ? 良子さん、どうした?」
蒼はすぐに良子の異変に気づいた。
「あなたも、何かの信者?」
「信者っていうか社畜っていうか。それが仕事っていうか。神様の命令で仕事してるというか」
「は?」
イマイチ話が噛み合わないが、蒼はニコニコと笑いながらこちらを見てきた。琥珀色の透き通った目を見ていると、なぜか茉莉花の事を愚痴ってしまった。
「そっか……。お友達がそうなんだね」
意外な事に蒼は、良子の話をよく聞いてくれた。
「本当はどう接したらいいかわからないんです。でも、彼女の言う変な事に論破しちゃうのも実はちょっと楽しくて」
「論破はやめた方がいいよ」
とっても優しい声で諭され、少し泣きたくなってしまった。
「そうなると、お友達はもっと社会から孤立するよ。もっと教祖しか居ないって思うようになるよ。カルトの変な行いは、信者を孤立させる為にわざとやってんだよね」
「やっぱりそうなのね……。だとすれば、私も知らずに教祖の片棒担いでたかも」
「うん、陰謀論やスピリチュアルも表面的に叩いて論破する人が多いけど、あれも逆効果だね。私の知り合いの子も、友達や家族に優しくされて陰謀論やスピリチュアルを辞められたりしてたよ。要は、そういったものより楽しかったり癒されるものを提供した方が良いって事。うん、論破はやめた方がいいよね」
「そ、そうか。楽しいものの方がいいよねー」
「聖書で書かれてる使徒パウロも、他所の土地に宣教に行く時は、その土地の宗教をまず認めてた。そういう態度って重要かもね。私も世の中にあるアニメを見て、向こう側の事を勉強したりしてる」
言われてみれば、自分がいくら茉莉花に偉そうにしても、彼女がカルトを辞める事はなかった。
「だったら、どうすれば」
「聖書に答えが載ってるよ」
「冗談? 茉莉花みたいな事言わないで。正直、宗教の本とかって気持ち悪い」
ついついキツい言葉を言ってしまったが、蒼は聖書のイエス・キリストは、どんな人でも差別せずに平等に接していたと淡々と語った。重い皮膚病を持った人や売春婦に「あなたには重い罪があります!罪があるから呪われて病気なんです!」などと言って裁く事はなかったらしい。それどころか、積極的に罪深い人とも交流し、病を治してあげ、敬虔ぶった宗教人には否定的だった。もちろん罪にはとっても厳しい神様で、特に現代のクリスチャンが婚前交渉など何でもやりたい放題やって良いわけでは無いらしいが。
「確かにお友達も悪い所があるけど、良子さんだって神社行って、重版できますようにとか祈っているでしょ。家には神棚か仏壇もあるんじゃない? クリスマスやイースターも全部祝ってるし、本当に宗教に寛容だったら、お友達のカルトも差別しないで全部認めなきゃ。それに日本人って案外、無神論者って少ないよ。お墓を雑にできなかったり、死人の悪口とか言えない人多いよね。日本人は形はそれぞれだけど、何らかの神様は信じてる」
そう言われてしまうと、茉莉花を批判できる資格は無い気がした。シリーズ立ち上げ前は、必ず神社に行き、担当編集者と一緒に切々と祈願していた。この行為を茉莉花に突っ込まれたら、反論はできない。それに神のように差別しなかったかと言われたら、全くそうでは無い。自分勝手な基準で茉莉花の言うことを裁いていた。正しくない者同士で論破し合うのは、きりがないとも思う。この負のループはどこかで断ち切らないとならないだろう。
「私は、茉莉花に酷い事しちゃったかな。どうしたら良いんだろう」
「愛だよ、愛。愛があれば全部解決する。聖書のⅠペテロ4:8には、『何よりも、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は、多くの欠けた点を補うからです。』って書いてあるんだよね。人に拒絶されると、中毒や依存の悪霊も入りやすいし。良子さんにはちょっと気持ち悪い話題かもしれないけどさ」
そんな綺麗事と反発しそうになったが、確かに「友達」として茉莉花にできそうな事があるような気がした。愛はよくわからないし、聖書もワケがわからないけれど、「論破」は違う気がした。蒼の優しい声を聞いていたら、自分のやり方が間違っていた事だけは確かだろうと思った。
「そういえば、この店。茉莉花が好きそうなメルヘンな感じ。今度連れてきていい?」
「オッケーだよ。良子さん達には特別に奢ってあげるから」
随分と気前がいいなとも思ったが、温かいイングリッシュマフィンを持っていると、心も冷たくなくなっていた。
後日、茉莉花を連れて福音ベーカリーに向かった。
案の定、茉莉花は福音ベーカリーを気に入り、蒼にもイケメンだと大興奮して写真を撮っていた。久々にはしゃぎ声をあげる茉莉花とイングリッシュマフィンとスコーンをイートインスペースで食べた。
「美味しい。なんか、私、ずっと孤独だと思ってたけど、違ったのかも」
驚いた事に、茉莉花はイングリッシュマフィンを食べながらボロボロと涙をこぼしていた。旦那が浮気性で悩んでいたところ、カルトに勧誘されてズブズブになったと告白した。
「そんな、悩んでたら言ってくれればいいじゃん。水臭いよ」
ついつい口を尖らせて文句を言ってしまう。幸せな結婚をしたシンデレラも楽では無いようだった。自分は茉莉花の事は一面しか見えてなかった。
「そうだよ、茉莉花さんは一人じゃないよ。また、このパン屋来てよ。美味しいパンいっぱい作って待ってるよ。食べても太らない天使のパンだから大丈夫。看板犬のヒソプも待ってるからさ」
蒼は、そう言って茉莉花の目元をタオルで拭ってやっていた。
「うぅ、ごめんなさい。私、単に寂しかっただけなのかも。きっと心が傷ついてたんだ……。良子にも夫にも仕事忙しいのかなって勝手に壁作ってた……」
泣きながら語る茉莉花を見ながら、光が見えてきた。そう思うと、この場は、春のお花畑にいるみたいに暖かい。