第103話 愛と種無しパン(5)完

文字数 2,013文字

 福音ベーカリーは小さなパン屋ながら、イートインスペースがあった。テーブルは二つ、椅子は四つあったが、花柄の可愛いテーブルクロスがかけられ、少しカフェっぽい。ちゃんと一輪挿しも置いてある。

 愛実は、イートインスペースに座ると、柊や紘一がテーブルにパン持ってきた。皿いっぱいにカレーパン、クロワッサン、種無しパンがある。

 なぜか二人とも愛実のそばに座っていた。

「なんか、見ていると緊張するんですけど」

 ついつい口を尖らせてしまう。何故かこのパン屋にいると、優等生モードの自分が出てこない。むしろ、疑い深かく、全く可愛くない自分が出て来る。ふと、聖書でも言われていた「二心」という言葉が、頭の中に浮かんだりする。食前の祈りもする気になれず、ボソボソと種無しパンを齧る。案の定、あまり美味しくは無い。

「美味しくない」

 正直な気持ちがポロっと漏れてしまった。頭では、種無しパンは、罪のない神様の象徴とわかっていたが、味は特別美味しいと思えない。

「こんな正直な気持ち言ってしまう私は、悪い子だね。正直、教会の奉仕も義務感みたいのでやってるし、何か良いことしたら、神様にも好かれるんじゃないかっていう下心、いわゆる二心もあったりする。これって、カルトだよね。行いによって救われようとしてるなんて。カルト二世の人とか笑えない。きっとカルトの言う事聞いて良い子にしてたら親に愛されるって思ってるんだろう……」

 愚痴を溢しながら、だんだんと泣きたくなってきた。そういえば、牧師にも親にも先生にも、こんな正直な話をするのは、初めてだった。美味しくない種無しパンを食べていたら、何かスイッチが入ってしまったようだ。

「愛実ちゃんは、心が傷いついてるんだよ」
「え?」

 柊の言う言葉がよくわからない。

「うん。二心の原因は、だいたいそうだね」

 紘一にも言われ、否定できない。頭に誰もいない家のリビングが浮かび、また胸が苦しくなってきた。特に柊の純粋培養されたような真っ直ぐな目を見ていたら、嘘もつけない気持ちになってきた。

「そう、かも……」

 そこへ何故か誰か入店してきた。瑠偉だった。瑠偉と柊、紘一も仲良しのようで、三人は幼馴染みのように打ち解けていた。正直、こんな誰かとリラックスしながら会話する瑠偉は初めて見た。

「あれ? 愛実も来てる? 種無しパン美味しい?」

 瑠偉は愛実に気付き、イートインスペースの方のやってきた。

「うーん、美味しくは無いね。こんな事を言う私って、けっこう悪い子だね」

 なぜか三人とも、深く頷いていた。

「悪い事でもして極めたらどう?」

 しかも、瑠偉はそんな事もけしかけていた。

「大丈夫。愛実が良い子でも、悪い子でも、神様はあなたの事を愛してる」

 瑠偉の口から語られているのに、まるで神様が直接言っているように聞こえてしまった。

「しばらく優等生やめても良いと思う?」
「うん。大丈夫!」

 特に瑠偉は深く頷いていて、愛実も再び泣きたくなってしまった。

 その後、思い切って何もしない日々が続いた。優等生的な事も全くせず、礼拝も聖書通読も、しばらく全部休んでいた。だからと言って、何も変わらず、両親も帰ってきたりもしなかったが、そんな日々を送りながら、瑠偉が言っていた事も本当のように思えてきた。

「やっぱり、悪い子でも、愛されてたのかな……」

 そんな風にも思えたら、また美味しくない種無しパンも食べても良いと思うようになり、自然と再び福音ベーカリーに足を運んでいた。

 福音ベーカリーの前にある黒板状の立て看板には、聖書の御言葉が引用されていた。光に照らされ。キラキラと輝いているように見えてしまった。

「私たちが神を愛したのではなく、
 神が私たちを愛し私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。第一ヨハネ・4:9〜10より」

 何か自分が努力するのではなく、神様が差し出してくれた光を受け取るだけなのかもしれない。ふと、そんな事を思ったりした。

 現状、母も父も帰ってこない。何も解決してはいないが。罪については、必ず刈り取る時は来るだろうと思う。神様は人間を愛してるからこそ、将来地獄に行く理由になる罪は憎んでいる。

「何もしていなくても、良い行いなんてしなくてても、悪い子でも私は救われていたのかな? 元々何もしていなくても愛されてたのかな?」

 そう呟くと、側もベンチの上の上に座っている芝犬が吠えた。急に肩の荷が全部降りた気がして、かえって聖書通読したり、奉仕したり、礼拝に行きたい気持ちが自然と芽生えてしまっていた。そっと芝犬のモコモコした背中を撫でていると、どんどん気持ちは軽くなっていった。子供の頃、初めて福音を聞いた時のように心に光が差し込んでいた。二回目の光なのかも知れない。

 あの、特別美味しくもない種無しパンも無性に食べたくなった。

 愛実は再び、福音ベーカリーの扉を開ける。チリンチリンとドアベルが響いていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

天野蒼

不思議なパン屋の店員。その正体は天使で、神様から依頼された仕事を行う。根っからの社畜体質。天使の時の名前はマル。

ヒソプ

蒼の相棒の柴犬。

依田光

蒼が担当し、守っているクリスチャン。しかし、サンデークリスチャンで日曜以外は普通の女子高生。

知村紘一

蒼の後輩の天使。悪霊が出入りする門で警備をしている。人間界にいるの時は知村紘一という名前を持つ。

知村柊

蒼の後輩天使。人間界にいる時は知村柊という名前をもつ。

橋本瑠偉

後輩天使。人間の時の名前は橋本瑠偉。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み