第88話 善きサマリア人とフランスパン祭り(3)
文字数 1,990文字
突然、扉があき、逃げようかと思った。こっそりパン屋を除いているなんて、良い事では無い事は、いくら小学生の桃果でも理解していた。
「こんにちは!」
しかし、その若は気さくで、桃果に視線を合わせて笑いかけていた。名前は、知村柊という名前らしい。白いコックコートの胸元には、名前が刺繍してある。腰に巻いた若草色のエプロンが妙に似合っていた。まだまだ巣立ちしたばかりの雛鳥のような印象もする。ツンツンとした黒髪も、ちょっと鳥っぽい。
「あ、あの。準備中ですよね。いい匂いがしたから、ちょっと覗いてしまったんです」
「うん、いいよ、いいよ。今は、休店日で新製品の試食やっているんだけど、どう? お客様の意見も知りたいから、試食してく?」
「いいんですか?」
「うん。意見は多い方がいいからね。もちろん、試食だからお代は取らないよ!」
コスパ重視で生きてきた桃果は、ついつい頷く、店に中に入った。少し怪しい気もしたが、ここは人目のある住宅街だから大丈夫だろう。側には依田という大きな金持ちの家もある。
「いらっしゃいませ! 試食? どうぞ、どうぞ」
店に入ると、もう一人の店員に迎えられた。色黒で体格の良い男だった。パン屋というよりはトラックに乗っていそうなタイプの男だったが、爽やかな笑みを浮かべていた。さっきの店員、柊と同じにようにコックコートに胸元に刺繍がされていた。知村紘一という名前らしい。同じ苗字だ。おそらく兄弟だろう。雰囲気は異なるが、眉毛や目の色は二人ともそっくりだった。
店内は想像通り、あまり大きくはなかった。中央の大きなテーブルの上には、切り分けられたフランスパンがバスケットにいっぱい入っていた。その周りを取り囲むように、小皿がいっぱい出ていた。そこにはイチゴやレモンなどの果実のジャムはもちろん、チョコやクリームチーズもあった。かぼちゃやにんじん、茄子のムースやディップもある。試食中の為か一つ一つに名前も貼ってある。色とりどりのジャムやディップ、ムースのせいで、まるで絵の具のパレットのようだ。目にも鮮やかで、思わず唾を飲む。
小さなパン屋ながらもイートインスペースもあるようで、そこにはなぜか柴犬もいた。大人しい犬のようで、すっかりイートインスペースでくつろいでいた。犬も気になるが、絵の具のパレットのような鮮やかなジャム、ディップ、ムースが気になる。
「全種類一通り食べて、美味しかった上位三つを教えてくれる?」
柊に言われ、さっそくフランスパンをとって食べてみる事にした。全種類食べろと言われたが、やっぱり甘い系が気になり、チョコとイチゴジャムばっかりつけて食べてしまう。
「あー、全部少しでもいいから食べて?」
柊は上目遣いで、こちらを見てくるが、人参やかぼちゃのディップはそそられず、手が止まる。
そんな時、ふと、壁に貼ってある絵に目が止まった。傷だらけで倒れている人に誰かが介助している絵だった。絵のすみには、「善きサマリア人」と書いてあったが、何の事だかさっぱりわからない。
「あの絵はなんですか?」
「うん? あの絵?」
紘一が大きな背を屈めながら、返事をしてくれら。
「あの絵は善きサマリア人の絵だね。とあるサマリア人は、何の得にもならない人を助けたんだ。他の人は無視してるけど、何の差別もせずに目の前の人に手を差し伸べたんだ」
柊はなぜか涙目で説明してくれたが、何が何だかよくわからない。
「僕はこの話は、どんな隣人も平等に助けろって言っていると思うんだ。目の前に困っている人がいたら誰でも平等に助けろという事だろう。イエス様も宣教中、目の前にいる病人にも目が見えない人も悪霊が憑いた人も、全員助けたからね」
柊の落ち着いた声を聞きながら、なんとなく耳が痛い気分にもなってきた。そういえば桃果は、色々と線引きして、物事を進めていた。その方がコスパがいいから。
再び、あの絵を見てみる。なんとなく、このテーブルの上にある人参やカボチャのディップやムースも、好き嫌いせずに食べた方が良い気がしてきた。
桃果は、スプーンで人参のディップをフライパンにつけ、齧ってみた。
「あれ、人参だけど、オレンジのいい香りする。こっちのカボチャのムースももクリームチーズの味が良いかも」
思い切って苦手そうに見えたディップやムースを食べてみたが、意外と不味くはなかった。むしろパンとあい、美味しい。結局、人参とカボチャ、茄子のディップやムースを上位三つに選んでしまった。
「自分勝手に判断して食わず嫌いしていただけかも。この三つのが意外と美味しかった」
そう言うと、柊も紘一もニコニコと笑っていた。ふと、あの絵がまた目に入ってきた。確かに自分の中に、何か差別的なものもあった気がした。なぜか和馬と翔の顔が目に浮かぶ。目の前で人が倒れていたら、何も考えずに助けられるかは、自信は全くなかった。
「こんにちは!」
しかし、その若は気さくで、桃果に視線を合わせて笑いかけていた。名前は、知村柊という名前らしい。白いコックコートの胸元には、名前が刺繍してある。腰に巻いた若草色のエプロンが妙に似合っていた。まだまだ巣立ちしたばかりの雛鳥のような印象もする。ツンツンとした黒髪も、ちょっと鳥っぽい。
「あ、あの。準備中ですよね。いい匂いがしたから、ちょっと覗いてしまったんです」
「うん、いいよ、いいよ。今は、休店日で新製品の試食やっているんだけど、どう? お客様の意見も知りたいから、試食してく?」
「いいんですか?」
「うん。意見は多い方がいいからね。もちろん、試食だからお代は取らないよ!」
コスパ重視で生きてきた桃果は、ついつい頷く、店に中に入った。少し怪しい気もしたが、ここは人目のある住宅街だから大丈夫だろう。側には依田という大きな金持ちの家もある。
「いらっしゃいませ! 試食? どうぞ、どうぞ」
店に入ると、もう一人の店員に迎えられた。色黒で体格の良い男だった。パン屋というよりはトラックに乗っていそうなタイプの男だったが、爽やかな笑みを浮かべていた。さっきの店員、柊と同じにようにコックコートに胸元に刺繍がされていた。知村紘一という名前らしい。同じ苗字だ。おそらく兄弟だろう。雰囲気は異なるが、眉毛や目の色は二人ともそっくりだった。
店内は想像通り、あまり大きくはなかった。中央の大きなテーブルの上には、切り分けられたフランスパンがバスケットにいっぱい入っていた。その周りを取り囲むように、小皿がいっぱい出ていた。そこにはイチゴやレモンなどの果実のジャムはもちろん、チョコやクリームチーズもあった。かぼちゃやにんじん、茄子のムースやディップもある。試食中の為か一つ一つに名前も貼ってある。色とりどりのジャムやディップ、ムースのせいで、まるで絵の具のパレットのようだ。目にも鮮やかで、思わず唾を飲む。
小さなパン屋ながらもイートインスペースもあるようで、そこにはなぜか柴犬もいた。大人しい犬のようで、すっかりイートインスペースでくつろいでいた。犬も気になるが、絵の具のパレットのような鮮やかなジャム、ディップ、ムースが気になる。
「全種類一通り食べて、美味しかった上位三つを教えてくれる?」
柊に言われ、さっそくフランスパンをとって食べてみる事にした。全種類食べろと言われたが、やっぱり甘い系が気になり、チョコとイチゴジャムばっかりつけて食べてしまう。
「あー、全部少しでもいいから食べて?」
柊は上目遣いで、こちらを見てくるが、人参やかぼちゃのディップはそそられず、手が止まる。
そんな時、ふと、壁に貼ってある絵に目が止まった。傷だらけで倒れている人に誰かが介助している絵だった。絵のすみには、「善きサマリア人」と書いてあったが、何の事だかさっぱりわからない。
「あの絵はなんですか?」
「うん? あの絵?」
紘一が大きな背を屈めながら、返事をしてくれら。
「あの絵は善きサマリア人の絵だね。とあるサマリア人は、何の得にもならない人を助けたんだ。他の人は無視してるけど、何の差別もせずに目の前の人に手を差し伸べたんだ」
柊はなぜか涙目で説明してくれたが、何が何だかよくわからない。
「僕はこの話は、どんな隣人も平等に助けろって言っていると思うんだ。目の前に困っている人がいたら誰でも平等に助けろという事だろう。イエス様も宣教中、目の前にいる病人にも目が見えない人も悪霊が憑いた人も、全員助けたからね」
柊の落ち着いた声を聞きながら、なんとなく耳が痛い気分にもなってきた。そういえば桃果は、色々と線引きして、物事を進めていた。その方がコスパがいいから。
再び、あの絵を見てみる。なんとなく、このテーブルの上にある人参やカボチャのディップやムースも、好き嫌いせずに食べた方が良い気がしてきた。
桃果は、スプーンで人参のディップをフライパンにつけ、齧ってみた。
「あれ、人参だけど、オレンジのいい香りする。こっちのカボチャのムースももクリームチーズの味が良いかも」
思い切って苦手そうに見えたディップやムースを食べてみたが、意外と不味くはなかった。むしろパンとあい、美味しい。結局、人参とカボチャ、茄子のディップやムースを上位三つに選んでしまった。
「自分勝手に判断して食わず嫌いしていただけかも。この三つのが意外と美味しかった」
そう言うと、柊も紘一もニコニコと笑っていた。ふと、あの絵がまた目に入ってきた。確かに自分の中に、何か差別的なものもあった気がした。なぜか和馬と翔の顔が目に浮かぶ。目の前で人が倒れていたら、何も考えずに助けられるかは、自信は全くなかった。