第110話 七転び八起きのパネトーネ(3)

文字数 1,554文字

 トボトボと住宅街を歩きながら、サエは家の向かっていた。昼間の住宅街は、静かで人影もない。時々、腰の曲がった老人や主婦らしき女性とすれ違うだけだった。

 駅についた時は晴れていたが、気づくと空には分厚い雲が浮かんでいた。雨は降りそうは無いが、晴れでもなくなってしまった。風も少し冷たくなり、もう冬が近い事を知らせていた。

 今日子のおっとりとした優しい表情なども思い出すと、チクチクと罪悪感が刺激されていた。陰謀論をふっかけ、クリスマスを否定し、あげく紅茶をぶちまけた事は、正しい事とは思えない。神様がもし、今も地上にいるなら、クリスマスを祝う人々を裁いたり怒ったりするかもわからない。そんな気は全くしなくなってきて、今日子に謝ろうとも思えてきた。このまま家に帰るつもりだったが、方向転換して、教会の方へ足を進める。教会は同じ住宅街の中にあり、さほど遠くはない。

 しかし、教会の目の前に行きと、足がすくむ思いもした。いくら謝罪をしたからと言っても、自分がやった事は何も消えていない気がした。

 ふと、教会の隣にあるベーカリーから良い香りがした。福音ベーカリーというパン屋で、クリスチャンの若い兄弟が運営していた。二人ともちょっとイケメンで、教会の人達騒いでいるのは耳にした事もあるが、サエはグルテンフリーなどの食事制限をしているので、一度も行った事はなかった。

 店員の二人はよく教会にも顔を出していた。あまり物のパンなどを届けたりしていた。兄の方は紘一といい、気さくなトラック運転手みたいな若い男だった。色黒でかなり体格も良い。一歩弟の柊の方は、まだ巣立ちしきれていない雛鳥のような印象の男だった。男というよりは青年、もっと言えば少年らしい雰囲気も残っていた。背もまだまだ伸びそうな雰囲気だ。あまり面識は無いが、自分の子供もあれぐらいの年齢なので、少し気になってはいた。若い兄弟二人でパン屋経営は大変だろう。

 教会にはここのパンでも買ってお詫びとして持って行っても良いかもしれない。サエはそう思いつき、店の前まで足をすすめた。

 黒板状の立て看板には、聖書の言葉が引用されて書かれていた。クリスチャンの店員らしく、聖書の言葉をここで引用していたのを思いだす。毎日違う言葉が引用されているらしい。今日は旧約聖書の箴言からの引用だった。

「正しい者は七たび倒れても、また起きあがる、しかし、悪しき者は災によって滅びる。」(箴言24:16)」

 その下には、コメントもあった。「この聖書箇所は日本語の七転び八起きの語源という説もあるそうです。失敗しても大丈夫! 神様がいるからね」

 芝犬のイラストも描かれていて、聖書引用している割には、漫画のような雰囲気が溢れていた。それを見ていたら、少し心は軽くなってきた。何か考え過ぎていた事は否定できない。

 同時に福音ベーカリーの扉を開ける。ドアベルがついているのか、チリンチリンと音が響いtrいた。

 店内は春のように暖かく、大きなテーブルの上にある商品は、オレンジ色の灯に照らされていた。壁はアドベンントカレンダー、クリスマスツリーやリースもあり、クリスマスムード一色だった。

 パンもシュトレン、パンドーロ、パネトーネなどクリスマスらしいものが全面に押されていた。心が軽くなりかけていたサエだったが、やっぱりクリスマスは異郷のお祭りなんじゃないかと不信感も出てきてしまった。華やかお祭りムードがあるパン屋の中で、サエの眉間には皺ができていた。こんな自分は素直じゃないと思う一方、シュトレン、パンドーロ、パネトーネなどのパンは惹かれていた。とくにパネとーネの口溶けの滑らかさなども思い出すと、ごくっと唾を飲み込んだ。

「サエさん! こんにちは!」

 そこに店員、弟の方の柊が話しかけてきた。
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登場人物紹介

天野蒼

不思議なパン屋の店員。その正体は天使で、神様から依頼された仕事を行う。根っからの社畜体質。天使の時の名前はマル。

ヒソプ

蒼の相棒の柴犬。

依田光

蒼が担当し、守っているクリスチャン。しかし、サンデークリスチャンで日曜以外は普通の女子高生。

知村紘一

蒼の後輩の天使。悪霊が出入りする門で警備をしている。人間界にいるの時は知村紘一という名前を持つ。

知村柊

蒼の後輩天使。人間界にいる時は知村柊という名前をもつ。

橋本瑠偉

後輩天使。人間の時の名前は橋本瑠偉。

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