第70話 言葉とメロンパン(3)

文字数 1,247文字

「喉が痛い」

 都内から最寄り駅にある穂麦駅に帰ると、喉がさらにヒリヒリとしてきた。マスクをしていたとはいえ、「ありがとう」を言いすぎて、喉は限りなく乾燥していた。まだ秋口だったが、風も冷たく感じてしまう。

 仕方がないので、駅のそばにあるコンビニで、ペットボトルのお茶を買い、喉を潤した。穂麦市は、比較的静かで、老人が多いところだが、駅前には新しくマンションや商業施設もあり、そこそこ栄えてはいた。駅の周りは、老若男女が行き交っていたが、みんなマスクをしていた。
 さっき行ったコンビニ店員も、二重マスクをしていた。

 やはり、マスクをしていると、モブキャ感が漂う。別に真面目に感染対策をしていたら、悪い事では無いが、人の目を気にしてマスクをしているモブキャラに見えたりする。

 もし自分の意識が世界を創っているのなら、こんな世界を選んだのだろうか。由佳は、自分で選んだとか、こんな世界に意識を向けた覚えはなかった。

 そんな事を考えていたら、少し気分も悪くなってきて、駅ビルのそばにある公園のベンチに座った。

 まだ昼過ぎだったので、公園は老人や若いカップルが散歩していたりした。長閑な昼下がりで、少しホッとしてくる。やっぱり世界は自分が創ってる?

 しかし、視線をずらすと、ホームレスのような男性がいるのが見えた。ボロボロのコートを着込み、カップ酒を飲んでいた。顔は真っ赤で、少し酔っ払っているようだった。新聞紙の上に座っていたが、酒のおかげか、目を細めてリラックスしていた。

 一子の動画では、自分の意識が現実を創ると言っていた。

「この世界に貧困やホームレスがなくなった。感謝します」

 心の中で唱えてみた。波動も高めて、感謝の言葉も唱える。

 しかし、ホームレスがいる現実は全く変わっていなかった。

「おい、おばさん!」

 しかも、なぜかホームレスに絡まれた。

「お金、くれ」
「いや、です……」
「金が無いんだよ。もう冬だ。死ぬかもしれん」

 あまりのもネチネチと絡んできたので、財布から一万円を引き抜いて、ホームレスに渡した。

「おぉ、ありがとう」

 ホームレスは、泣いて喜んでいたが、由佳の気持ちは複雑だった。自分の意識や波動は全く関係なく、一万円という現物が一番彼を喜ばせている現状は、複雑で仕方がない。それにこの一万円もすぐに消えるだろうから、彼の将来には全く役に立たない。

 そういえば、十年ぐらい前、若いホームレスにペットボトルの水をあげた事があった。まだ二十歳ぐらいの若いホームレスだった。汚いホームレスだったが、その人の前には天使の羽もようなものが一枚落ちていた。

 なぜか、そんな昔の事を思い出してしまった。ご利益を求めてスピリチュアルセミナーに参加したが、全く心は満たされなかった。

「もう、帰るか……」

 由佳はすっかりと疲れていた。喉も痛いし、 一子のように自分の意識が現実を創るという事も、全く成功していない。その上、一万円も失ってしまった。

 こんな憂鬱な気分を抱えていたが、お腹だけは妙に空いていた。
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登場人物紹介

天野蒼

不思議なパン屋の店員。その正体は天使で、神様から依頼された仕事を行う。根っからの社畜体質。天使の時の名前はマル。

ヒソプ

蒼の相棒の柴犬。

依田光

蒼が担当し、守っているクリスチャン。しかし、サンデークリスチャンで日曜以外は普通の女子高生。

知村紘一

蒼の後輩の天使。悪霊が出入りする門で警備をしている。人間界にいるの時は知村紘一という名前を持つ。

知村柊

蒼の後輩天使。人間界にいる時は知村柊という名前をもつ。

橋本瑠偉

後輩天使。人間の時の名前は橋本瑠偉。

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