第158話 祈りとホットクロスパン(3)
文字数 1,443文字
福音ベーカリーは、卒業した聖マリアアザミ学園の近くの住宅街にあった。卒業し初めてこの近くにきた。学園自体は、どこも変わっていないように見えたが、何となく当時の先生には会いたく無いので、福音ベーカリーに直行した。
紫乃が記憶している限りは、 福音ベーカリーがあった場所は、空き地だった。教会と依田という金持ちの家に埋もれるようにあった。裏手にはコンビニもあるようだが、経営不振なのか潰れていた。
やはり、今の日本の経済は芳しくないようだ。飲食店も潰れているところも多いと聞き。そう思うと、ネットで目立つ事ばかり考え、毒舌の記事や動画を作っていた事は、やっぱり良くないのかもしれないと思い始めた。所詮、ネットはネット。小さな画面の中で目立てても現実とは関係がない。しかも、悪い意味で現実に影響も与えていたかもしれないと思うと、罪悪感がチクチクと刺激されていた。自分の毒舌でも飲食店屋を潰す事も可能だと思うと、怖くなってきた。あのライターや父の忠告も最もだと思ったりした。
そんな罪悪感を抱えたまま、福音ベーカリーの前にたどり着いた。
赤い屋根で、クリーム色の壁が印象的なパン屋だった。店構えは大きくは無いが、メルヘンで可愛らしい雰囲気が漂う。あのライターの記事で店の外観の写真をみていたはずだが、実際の目で見ると、より可愛らしく見えてしまった。
それにパンが焼けるような良い香りも漂う。メープルシロップのような、甘くて柔らかい香りだった。春の暖かい風に乗った良い香りを嗅いでいると、抱えていたモヤモヤとした気持ちは、だいぶ薄れてきてしまった。罪悪感は以前としてあるが、何か重要な答えが出せそうな気がもする。
店の前には、ミントグリーンのベンチがあり、その横に立て看板も出ていた。黒板状の立て看板で、何か書いてある。主の祈りだった。
「天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン」
紫乃は、クリスチャンでも何でもない。どちらかといえば宗教は嫌いだった。聖マリアアザミ学園に通っている時も熱心なクリスチャンの同級生達が、カトリックは異端だとか神学の事でしょっちゅう揉めていて、あれ見ていたら、余計に宗教の印象が悪くなった事を思い出す。勧誘などを受けた事はないが、言い争っているクリスチャンをみていたら、正直、同じ仲間にはなりたくないなと思ってしまった事もある。
それなのに、この黒板に書かれた主の祈りが気になる。
特に「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ」というところだ。これは普通の日本語に直すと、相手の罪も許すので、自分の罪も許してくださいという事だろうか。逆にいえば、誰かを許さなければ、自分も許されないのだろうか。
そんな事を考えると、許すどころか、毒舌をふっかけたりしてネットで目立っている自分は、いつかしっぺ返しくるような気もしてきた。抱えていた罪悪感は頂点になってしまったが、パン屋から風に乗って伝わってくる良い香りには負ける。
紫乃は、思いきって福音ベーカリーの扉をあけた。店員は、昔の同級生のような言い争いをしているような人間では無いと良いなと思いながら。
紫乃が記憶している限りは、 福音ベーカリーがあった場所は、空き地だった。教会と依田という金持ちの家に埋もれるようにあった。裏手にはコンビニもあるようだが、経営不振なのか潰れていた。
やはり、今の日本の経済は芳しくないようだ。飲食店も潰れているところも多いと聞き。そう思うと、ネットで目立つ事ばかり考え、毒舌の記事や動画を作っていた事は、やっぱり良くないのかもしれないと思い始めた。所詮、ネットはネット。小さな画面の中で目立てても現実とは関係がない。しかも、悪い意味で現実に影響も与えていたかもしれないと思うと、罪悪感がチクチクと刺激されていた。自分の毒舌でも飲食店屋を潰す事も可能だと思うと、怖くなってきた。あのライターや父の忠告も最もだと思ったりした。
そんな罪悪感を抱えたまま、福音ベーカリーの前にたどり着いた。
赤い屋根で、クリーム色の壁が印象的なパン屋だった。店構えは大きくは無いが、メルヘンで可愛らしい雰囲気が漂う。あのライターの記事で店の外観の写真をみていたはずだが、実際の目で見ると、より可愛らしく見えてしまった。
それにパンが焼けるような良い香りも漂う。メープルシロップのような、甘くて柔らかい香りだった。春の暖かい風に乗った良い香りを嗅いでいると、抱えていたモヤモヤとした気持ちは、だいぶ薄れてきてしまった。罪悪感は以前としてあるが、何か重要な答えが出せそうな気がもする。
店の前には、ミントグリーンのベンチがあり、その横に立て看板も出ていた。黒板状の立て看板で、何か書いてある。主の祈りだった。
「天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン」
紫乃は、クリスチャンでも何でもない。どちらかといえば宗教は嫌いだった。聖マリアアザミ学園に通っている時も熱心なクリスチャンの同級生達が、カトリックは異端だとか神学の事でしょっちゅう揉めていて、あれ見ていたら、余計に宗教の印象が悪くなった事を思い出す。勧誘などを受けた事はないが、言い争っているクリスチャンをみていたら、正直、同じ仲間にはなりたくないなと思ってしまった事もある。
それなのに、この黒板に書かれた主の祈りが気になる。
特に「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ」というところだ。これは普通の日本語に直すと、相手の罪も許すので、自分の罪も許してくださいという事だろうか。逆にいえば、誰かを許さなければ、自分も許されないのだろうか。
そんな事を考えると、許すどころか、毒舌をふっかけたりしてネットで目立っている自分は、いつかしっぺ返しくるような気もしてきた。抱えていた罪悪感は頂点になってしまったが、パン屋から風に乗って伝わってくる良い香りには負ける。
紫乃は、思いきって福音ベーカリーの扉をあけた。店員は、昔の同級生のような言い争いをしているような人間では無いと良いなと思いながら。