第45話 一つの道といのちのパン(1)
文字数 2,457文字
城島緑は、歌手だった。歌手といっても特殊な形態で仕事をしていた。キリスト教会で讃美歌を専門に歌うゴスペルシンガーだった。
元々、ロックミュージシャンで、ガールズバンドを組んでいたが、メジャーデビュー直前で金銭トラブルにより解散。
お金もなく、食べ物が尽きた時、近所の教会に助けを求め、色々と支援してくれた。これがきっかけになり、クリスチャンにもなり、ゴスペルシンガーへ転向したという経歴だった。
もちろん、ゴスペルシンガーでは食えない。元々日本のクリスチャン人口は1%を切っているし、悪魔的な曲が流行りやすい音楽業界では、なかなか緑の居場所もない。ゴスペルシンガーの他にギターや歌の講師、ガールズバンド時代のファンに向けた配信などをしながら、どうにか生活している状況であった。それでも、ひょんな所から収入があったりして、別に生活には困っていない。
「まいったな……」
緑は、防音設備が整った自宅の仕事部屋で、頭を抱えていた。
讃美歌を新しく作曲中だった。ギターを弾きながら、譜面を書いているが、いっこうに曲が降りてこない。
「うーん、クリスチャンの好みってわけがわからない……」
讃美歌をライブ配信したりするが、絶賛コメントばかりでは無い。特に自称クリスチャンや陰謀論好きと思われるノンクリスチャンからは、キツい言葉も送られてくる。
『曲調がロックすぎる』
『恋愛系の歌詞がキモい』
『あなたは偽クリスチャン』
『ロックはサタンが作ったものだ。悪魔崇拝者?』
などと散々な言われようだった。
確かに彼らの気持ちはわかる。特に敬虔な人は、この世の娯楽やコーヒーやファストフードなども避け、断捨離や断食して生活している。聖書にも「この世に倣ってはいけません」とも書いてある。確かに自分が作っているロック風の讃美歌は、敬虔なクリスチャンにとっては理解できないだろう。
緑は、髪の毛も金髪にしていた。長年、金髪という事もあり、自分の肌の色や雰囲気にもあい、気に入っていたのだが、教会に行くと、よく注意されたりする。別に髪型と信仰は全く関係ないと思うのだが、ふざけた態度に見えているらしい。
「私、クリスチャン向いていないのかな……」
が曲作りも進まず、聖書を開いてみた。今はヨハネの福音書が好きで、よく読んでいた。特に14章ぐらいからのイエス・キリストの言葉はダイレクトに伝わってくる。
「私は道であり、真理であり、命である。ヨハネの福音書・14章6節)」
聖書の御言葉は、生きる為のパンに喩えられる。確かに聖書を読んでいると、曲のスランプの息苦しさは、だんだんと軽減はされてきた。
「うーん、でもクリスチャンが好むような清らかで、静かな讃美歌がいいのかね……」
心は元気になってはいたが、さまざまな言葉を思い出すと、曲作りは全く集中できない。
動画サイトで同業者の讃美歌を聴いたりするが、みんな清らかで優しい雰囲気だ。クリスチャンホームだったり、子供の頃から聖書に馴染んでいる者が多い気がする。緑のように人生に失敗し、クリスチャンになったようなタイプは少数派のようだった。
入りづらいというか、疎外感みたいなものを感じたりする。緑は何回か引っ越しをしたので、色んな教会を見てきたが、確かに入りづらい雰囲気は否定できない。中には元キャバ嬢が礼拝に来てたりするが、チクチクと嫌味を言われている場面も見た事がある。吃音を持った青年がいじめられた場面にも直面した事もあるが、案外教会でもいじめ問題があったりするらしい。教会でいじめを受けた人は、全体的にキリスト教も嫌いになり、SNSで教会の悪口を書き込むというのが典型的なパターンのようだ。SNSを見ると、教会生活に躓いたクリスチャンの悲痛な声が、散見される。もちろん、全部が全部では無いが。
確かに神様や聖書は正しいが、別に教会やクリスチャンは正しくなく、問題も多い。聞く耳がありそうな人には福音を伝えている翠だが、積極的にクリスチャンになって欲しいと言えば、別にそうでもない。そんなジレンマを抱えていたりしていた。そんな事を考える自分は、全く真面目で敬虔なクリスチャンでもなく、気分は再び憂鬱になってしまう。
それでも聖書を読むと、教会に集わず個人で信仰を保てとは書いていない。人間が正しくない事も書いてある。完璧なクリスチャンも教会もこの世には存在しない。自分も間違っている所は多々あるので、一概に批判なども出来ないが。
そんな悶々とした気持ちを抱えている時、スマートフォンに戸田美穂子から電話がきていた。美穂子もシンガーソングライターで、いわば翠の同業者で、年も近い。友達と言っても良い存在だが、スキャンダルに巻き込まれて親戚の家で謹慎中だった。緑も美穂子の事が心配で、時々連絡をしていた。不倫スキャンダルだったが、聖書を読んでいると、こんな人間の失敗は「あるある」で、特に責める気分になれない。
「緑、元気?」
「うん、元気」
元気では無いが、とりあえずそう言うしかない。
「私、最近、讃美歌っていうかゴスペルに興味があるんだけど、おすすめある?」
「え!? どういう心境の変化?」
驚いた事の美穂子は、讃美歌に興味があるららしい。近所にクリスチャンの男性が経営しているパン屋があり、別に宗教には興味はないが、讃美歌には興味があったらしい。そういう理由だったら、納得したが、想像もしていない展開だった。とりあえずYouTubeにあるベーシックな讃美歌をオススメしておいた。ここで自分のロック調の讃美歌をオススメするのは、躊躇してしまった。
「ありがとう」
「うん、いいんだよ。ところで、そのパン屋って何?」
聖書とパンは関係あるし、クリスチャンがパン屋を営んでいても違和感はなかったが、気になった。どうせ曲はできないので、何か気分転換になるかもしれないと考えた。
「うちの近所にある福音ベーカリーってパン屋」
「初めて聞く名前ね」
美穂子の住む穂麦市は、緑の家からはちょっと遠いが気になってしまった。
元々、ロックミュージシャンで、ガールズバンドを組んでいたが、メジャーデビュー直前で金銭トラブルにより解散。
お金もなく、食べ物が尽きた時、近所の教会に助けを求め、色々と支援してくれた。これがきっかけになり、クリスチャンにもなり、ゴスペルシンガーへ転向したという経歴だった。
もちろん、ゴスペルシンガーでは食えない。元々日本のクリスチャン人口は1%を切っているし、悪魔的な曲が流行りやすい音楽業界では、なかなか緑の居場所もない。ゴスペルシンガーの他にギターや歌の講師、ガールズバンド時代のファンに向けた配信などをしながら、どうにか生活している状況であった。それでも、ひょんな所から収入があったりして、別に生活には困っていない。
「まいったな……」
緑は、防音設備が整った自宅の仕事部屋で、頭を抱えていた。
讃美歌を新しく作曲中だった。ギターを弾きながら、譜面を書いているが、いっこうに曲が降りてこない。
「うーん、クリスチャンの好みってわけがわからない……」
讃美歌をライブ配信したりするが、絶賛コメントばかりでは無い。特に自称クリスチャンや陰謀論好きと思われるノンクリスチャンからは、キツい言葉も送られてくる。
『曲調がロックすぎる』
『恋愛系の歌詞がキモい』
『あなたは偽クリスチャン』
『ロックはサタンが作ったものだ。悪魔崇拝者?』
などと散々な言われようだった。
確かに彼らの気持ちはわかる。特に敬虔な人は、この世の娯楽やコーヒーやファストフードなども避け、断捨離や断食して生活している。聖書にも「この世に倣ってはいけません」とも書いてある。確かに自分が作っているロック風の讃美歌は、敬虔なクリスチャンにとっては理解できないだろう。
緑は、髪の毛も金髪にしていた。長年、金髪という事もあり、自分の肌の色や雰囲気にもあい、気に入っていたのだが、教会に行くと、よく注意されたりする。別に髪型と信仰は全く関係ないと思うのだが、ふざけた態度に見えているらしい。
「私、クリスチャン向いていないのかな……」
が曲作りも進まず、聖書を開いてみた。今はヨハネの福音書が好きで、よく読んでいた。特に14章ぐらいからのイエス・キリストの言葉はダイレクトに伝わってくる。
「私は道であり、真理であり、命である。ヨハネの福音書・14章6節)」
聖書の御言葉は、生きる為のパンに喩えられる。確かに聖書を読んでいると、曲のスランプの息苦しさは、だんだんと軽減はされてきた。
「うーん、でもクリスチャンが好むような清らかで、静かな讃美歌がいいのかね……」
心は元気になってはいたが、さまざまな言葉を思い出すと、曲作りは全く集中できない。
動画サイトで同業者の讃美歌を聴いたりするが、みんな清らかで優しい雰囲気だ。クリスチャンホームだったり、子供の頃から聖書に馴染んでいる者が多い気がする。緑のように人生に失敗し、クリスチャンになったようなタイプは少数派のようだった。
入りづらいというか、疎外感みたいなものを感じたりする。緑は何回か引っ越しをしたので、色んな教会を見てきたが、確かに入りづらい雰囲気は否定できない。中には元キャバ嬢が礼拝に来てたりするが、チクチクと嫌味を言われている場面も見た事がある。吃音を持った青年がいじめられた場面にも直面した事もあるが、案外教会でもいじめ問題があったりするらしい。教会でいじめを受けた人は、全体的にキリスト教も嫌いになり、SNSで教会の悪口を書き込むというのが典型的なパターンのようだ。SNSを見ると、教会生活に躓いたクリスチャンの悲痛な声が、散見される。もちろん、全部が全部では無いが。
確かに神様や聖書は正しいが、別に教会やクリスチャンは正しくなく、問題も多い。聞く耳がありそうな人には福音を伝えている翠だが、積極的にクリスチャンになって欲しいと言えば、別にそうでもない。そんなジレンマを抱えていたりしていた。そんな事を考える自分は、全く真面目で敬虔なクリスチャンでもなく、気分は再び憂鬱になってしまう。
それでも聖書を読むと、教会に集わず個人で信仰を保てとは書いていない。人間が正しくない事も書いてある。完璧なクリスチャンも教会もこの世には存在しない。自分も間違っている所は多々あるので、一概に批判なども出来ないが。
そんな悶々とした気持ちを抱えている時、スマートフォンに戸田美穂子から電話がきていた。美穂子もシンガーソングライターで、いわば翠の同業者で、年も近い。友達と言っても良い存在だが、スキャンダルに巻き込まれて親戚の家で謹慎中だった。緑も美穂子の事が心配で、時々連絡をしていた。不倫スキャンダルだったが、聖書を読んでいると、こんな人間の失敗は「あるある」で、特に責める気分になれない。
「緑、元気?」
「うん、元気」
元気では無いが、とりあえずそう言うしかない。
「私、最近、讃美歌っていうかゴスペルに興味があるんだけど、おすすめある?」
「え!? どういう心境の変化?」
驚いた事の美穂子は、讃美歌に興味があるららしい。近所にクリスチャンの男性が経営しているパン屋があり、別に宗教には興味はないが、讃美歌には興味があったらしい。そういう理由だったら、納得したが、想像もしていない展開だった。とりあえずYouTubeにあるベーシックな讃美歌をオススメしておいた。ここで自分のロック調の讃美歌をオススメするのは、躊躇してしまった。
「ありがとう」
「うん、いいんだよ。ところで、そのパン屋って何?」
聖書とパンは関係あるし、クリスチャンがパン屋を営んでいても違和感はなかったが、気になった。どうせ曲はできないので、何か気分転換になるかもしれないと考えた。
「うちの近所にある福音ベーカリーってパン屋」
「初めて聞く名前ね」
美穂子の住む穂麦市は、緑の家からはちょっと遠いが気になってしまった。