第185話 復活のコロンバ(3)
文字数 2,792文字
蛇から依頼された呪いに失敗してから三日後。一子は福音ベーカリーのある穂麦市の駅に降り立っていた。
駅の周りは、新しいマンションや商業施設が立ち並び栄えてはいた。駅ビルの本屋に行くと、自分が書いたスピリチュアルメゾットの本も山積みになっていた。本の内容はほぼ詐欺だったが、もう五万部近くも売れていて、引くに引けない思いもあった。
本屋ではキリススト教関連の本、聖書と言われているものも一冊も置いてない。キリスト教とスピリチュアルが対立するものなら、この本屋では圧勝だろう。しかし、スピリチュアル本は毎年内容が入れ替わり、流行ってるメゾットやパワースポットも変わる。一子は自分の書いた本を眺めながら、少し虚しくはなったりした。おそらく来年には自分の本は売り場にはないだろう。そんな光景がありありと想像できる。
福音ベーカリーは、そんな商業施設がある土地から、少し離れた住宅街にあった。近くに学校もあり、静かな住宅街のようだった。古い家も目立ち、道行く人も老人が多いようだった。
古い家も多いが、その中でも明らかの貧困そうな家は、政治家のポスターがいっぱい貼ってある。しかもカルトと関連が深い政治団体のものばかりで、一子は顔を顰める。こういったカルトもスピリチュアルもピラミッド世界だ。末端のものが奴隷となり、損するシステムが出来上がっている。一子もその片棒を担ぎ、美味しい思いもしてきた。ボロボロな貧困層の家を見ていると、さすがの一子も少しは罪悪感も覚えていた。
そんな罪悪感も抱えながらの足を進め、福音ベーカリーの目の前まで行く。
「え? 何このパン屋……」
外観は普通の小さなパン屋だった。赤い屋根にクリーム色の壁は、メルヘンな雰囲気すらある。しかし、霊の眼で視ると、あたりの火で燃え、城壁のように護られていた。あの瑠偉の周りにもあった清い霊と同じだった。こんな霊で護りができている建物は、他に見たこともない。
ふと、福音ベーカリーの隣にある教会も見てみたが、そこも同じような火が燃えていた。もちろん、現実ではない。霊視した映像だったが、だんだんと怖くなってきた。
もし本当にキリスト教とスピリチュアルが対立するもので、神や悪霊が事実だったら?
自分は明らかに悪霊側に属していた事になる。信じたくない事実に首を振りそうになる。こんな霊で守られているパン屋に入れそうにもない。
とりあえず、店の目の前にあるミントグリーンのベンチには座れそうだ。おそるおそる店の前に近づき、そこに座る。
ふわっと良い香りが鼻に届く。今は昼過ぎなので、惣菜パンなどを焼いているかも知れない。店内からは、何故か犬の鳴き声も聞こえてくる。霊視すると火で燃えていたが、パン屋の中の様子は逆にほのぼのと呑気な様子で、一子は脱落したい気分になってきた。
店の前には、黒板式の立て看板があった。何故かオススメのパンではなく、聖書の言葉が引用されて書かれてあった。
「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷でならないためであると知っています。
死んだものは罪から解放されています。わたしたちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。新約聖書ローマ人への手紙手紙六章五節〜八節より」
この言葉を霊視しようとしても、全く上手くいかなかった。言葉は春のやわらかな日差しを受け、光っているように見えてしまった。
さっきまで覚えていた罪悪感が再び息を吹き返していた。そういえばキリスト教的概念では、罪というのもあった。今まで自分がしていた事は罪なのだろうか。それは、全くわからないが、心は罪悪感で満たされていく。
今の時期はイースターだから復活に関わる言葉を書いているのだろうか。今の一子は死んでると言われたら、そんな気もしてきた。一生懸命努力して蛇の願いを叶えて成功していたのに、心は飢えて乾いていた。
スピリチュアルもビジネスだ。顧客に都合の悪い事も言えない。全て嘘を発信していたが、それだけ耳に心地良い甘い言葉を求めている人が多いのだろう。そんな甘さでベトベトになった一子の言葉より、この黒板に書かれている言葉は、何の糖分も入っていないように見えた。
「一子さん! いらっしゃいませ。待ってました!」
そこに店員の瑠偉が出て来た。会うのは初めてだったが、写真では何度も見ている。まだ二十歳そこそこの若い青年だったが、落ち着きがある職人タイプの男だった。よく見ると目の色が澄み、まつ毛も長い。鼻筋もスッとし、歯並びも綺麗なので、イケメンと言ってよい人物だが、さっそく霊視をしてみる事にした。
瑠偉の海のような色の目を見つめ、神経を集中させる。
しかし、いくら瑠偉の霊的な状態を見ようとしても、全く覗けない。徹底的にセキュリティが施されてあり、瑠偉は人でない可能性も考えられた。蛇のような見えない存在が中に入っているのだろうか。全く何も視えず、一子はお手上げだった。この男は一子が来る事も知っていたようだし、蛇にあれだけ執着されている事も考慮すると、人でない可能性も高い。
「霊視しないでくれない? 困っちゃいますよ」
「私が霊視した事なんで知ってるの?」
「ごめんね。俺は人間では無いんだよ」
やっぱり。
しかし瑠偉は、自分の正体は言わない。
「もしかして、あなた神?」
「やめて! 天使を崇拝しないでくださいね!」
「天使? あなた天使だったの?」
瑠偉の目が泳ぐ。そうか。この男は天使だったか? 納得しかけたが、やはり信じられない。
「これ、一子ちゃんにプレゼント」
「なに?」
「復活祭のコロンバです。鳩型の可愛いパンだからね」
「復活祭ってウサギや卵じゃないの?」
「本当は関係ないんだよ。この平和と和解の象徴の鳩の方がキリスト教的だね。コロンバの起源は色々あり……」
瑠偉はそんな豆知識を語りながら、一子に紙袋を押し付けた。意外と重い紙袋に驚いていると、断るチャンスを失ってしまった。
「霊視もできないし、もう帰る」
ここにいるのは、居心地が悪かった。再び霊視するとパン屋はさらに炎で守られ、立ち入る事が出来ないようだった。
「一子ちゃん、何か困った事があったら、『イエス様助けて』って言ってごらん。必ず助けてくれますよ」
「はあ? 宗教勧誘はお断りです」
なぜかキツい言葉が出てしまった。神の名前、「イエス様」という言葉を聞き動揺していた。それでも瑠偉はニコニコと笑っているだけで、一子に言い返す事もなかった。
「俺は一子ちゃんに神様の祝福がありますよう。そう祈っています」
しかも祝福も祈られてしまった。持っている紙袋が、もっと重く感じてしまった。
駅の周りは、新しいマンションや商業施設が立ち並び栄えてはいた。駅ビルの本屋に行くと、自分が書いたスピリチュアルメゾットの本も山積みになっていた。本の内容はほぼ詐欺だったが、もう五万部近くも売れていて、引くに引けない思いもあった。
本屋ではキリススト教関連の本、聖書と言われているものも一冊も置いてない。キリスト教とスピリチュアルが対立するものなら、この本屋では圧勝だろう。しかし、スピリチュアル本は毎年内容が入れ替わり、流行ってるメゾットやパワースポットも変わる。一子は自分の書いた本を眺めながら、少し虚しくはなったりした。おそらく来年には自分の本は売り場にはないだろう。そんな光景がありありと想像できる。
福音ベーカリーは、そんな商業施設がある土地から、少し離れた住宅街にあった。近くに学校もあり、静かな住宅街のようだった。古い家も目立ち、道行く人も老人が多いようだった。
古い家も多いが、その中でも明らかの貧困そうな家は、政治家のポスターがいっぱい貼ってある。しかもカルトと関連が深い政治団体のものばかりで、一子は顔を顰める。こういったカルトもスピリチュアルもピラミッド世界だ。末端のものが奴隷となり、損するシステムが出来上がっている。一子もその片棒を担ぎ、美味しい思いもしてきた。ボロボロな貧困層の家を見ていると、さすがの一子も少しは罪悪感も覚えていた。
そんな罪悪感も抱えながらの足を進め、福音ベーカリーの目の前まで行く。
「え? 何このパン屋……」
外観は普通の小さなパン屋だった。赤い屋根にクリーム色の壁は、メルヘンな雰囲気すらある。しかし、霊の眼で視ると、あたりの火で燃え、城壁のように護られていた。あの瑠偉の周りにもあった清い霊と同じだった。こんな霊で護りができている建物は、他に見たこともない。
ふと、福音ベーカリーの隣にある教会も見てみたが、そこも同じような火が燃えていた。もちろん、現実ではない。霊視した映像だったが、だんだんと怖くなってきた。
もし本当にキリスト教とスピリチュアルが対立するもので、神や悪霊が事実だったら?
自分は明らかに悪霊側に属していた事になる。信じたくない事実に首を振りそうになる。こんな霊で守られているパン屋に入れそうにもない。
とりあえず、店の目の前にあるミントグリーンのベンチには座れそうだ。おそるおそる店の前に近づき、そこに座る。
ふわっと良い香りが鼻に届く。今は昼過ぎなので、惣菜パンなどを焼いているかも知れない。店内からは、何故か犬の鳴き声も聞こえてくる。霊視すると火で燃えていたが、パン屋の中の様子は逆にほのぼのと呑気な様子で、一子は脱落したい気分になってきた。
店の前には、黒板式の立て看板があった。何故かオススメのパンではなく、聖書の言葉が引用されて書かれてあった。
「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷でならないためであると知っています。
死んだものは罪から解放されています。わたしたちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。新約聖書ローマ人への手紙手紙六章五節〜八節より」
この言葉を霊視しようとしても、全く上手くいかなかった。言葉は春のやわらかな日差しを受け、光っているように見えてしまった。
さっきまで覚えていた罪悪感が再び息を吹き返していた。そういえばキリスト教的概念では、罪というのもあった。今まで自分がしていた事は罪なのだろうか。それは、全くわからないが、心は罪悪感で満たされていく。
今の時期はイースターだから復活に関わる言葉を書いているのだろうか。今の一子は死んでると言われたら、そんな気もしてきた。一生懸命努力して蛇の願いを叶えて成功していたのに、心は飢えて乾いていた。
スピリチュアルもビジネスだ。顧客に都合の悪い事も言えない。全て嘘を発信していたが、それだけ耳に心地良い甘い言葉を求めている人が多いのだろう。そんな甘さでベトベトになった一子の言葉より、この黒板に書かれている言葉は、何の糖分も入っていないように見えた。
「一子さん! いらっしゃいませ。待ってました!」
そこに店員の瑠偉が出て来た。会うのは初めてだったが、写真では何度も見ている。まだ二十歳そこそこの若い青年だったが、落ち着きがある職人タイプの男だった。よく見ると目の色が澄み、まつ毛も長い。鼻筋もスッとし、歯並びも綺麗なので、イケメンと言ってよい人物だが、さっそく霊視をしてみる事にした。
瑠偉の海のような色の目を見つめ、神経を集中させる。
しかし、いくら瑠偉の霊的な状態を見ようとしても、全く覗けない。徹底的にセキュリティが施されてあり、瑠偉は人でない可能性も考えられた。蛇のような見えない存在が中に入っているのだろうか。全く何も視えず、一子はお手上げだった。この男は一子が来る事も知っていたようだし、蛇にあれだけ執着されている事も考慮すると、人でない可能性も高い。
「霊視しないでくれない? 困っちゃいますよ」
「私が霊視した事なんで知ってるの?」
「ごめんね。俺は人間では無いんだよ」
やっぱり。
しかし瑠偉は、自分の正体は言わない。
「もしかして、あなた神?」
「やめて! 天使を崇拝しないでくださいね!」
「天使? あなた天使だったの?」
瑠偉の目が泳ぐ。そうか。この男は天使だったか? 納得しかけたが、やはり信じられない。
「これ、一子ちゃんにプレゼント」
「なに?」
「復活祭のコロンバです。鳩型の可愛いパンだからね」
「復活祭ってウサギや卵じゃないの?」
「本当は関係ないんだよ。この平和と和解の象徴の鳩の方がキリスト教的だね。コロンバの起源は色々あり……」
瑠偉はそんな豆知識を語りながら、一子に紙袋を押し付けた。意外と重い紙袋に驚いていると、断るチャンスを失ってしまった。
「霊視もできないし、もう帰る」
ここにいるのは、居心地が悪かった。再び霊視するとパン屋はさらに炎で守られ、立ち入る事が出来ないようだった。
「一子ちゃん、何か困った事があったら、『イエス様助けて』って言ってごらん。必ず助けてくれますよ」
「はあ? 宗教勧誘はお断りです」
なぜかキツい言葉が出てしまった。神の名前、「イエス様」という言葉を聞き動揺していた。それでも瑠偉はニコニコと笑っているだけで、一子に言い返す事もなかった。
「俺は一子ちゃんに神様の祝福がありますよう。そう祈っています」
しかも祝福も祈られてしまった。持っている紙袋が、もっと重く感じてしまった。