第69話 言葉とメロンパン(2)

文字数 1,348文字

「うるさい、ババア!」
「ちょ、なんて言う事いうのよ」

 久々に息子と喧嘩した。大学ではオンライン授業も多く、ストレスも溜まっているらしい。夫も週に三回以上もリモートワークなので、家にいて、鬱陶しい。

 朝っぱらから息子から悪態をつかれ、由佳も思わずムッとしてしまった。今日もパートもなく、外に出かけられないのが、イライラとしてくる。

「いけない、いけない」

 急いで洗面所に逃げ込み、歯を磨いて心を落ち着かせた。鏡の中のは、五十に近い女性の姿がある。とてもじゃないが、若くて綺麗な女とは言えない。

 鏡を見ていても、波動が下がりそうだった。由佳は、さっそく「ありがとう」と小声で呟きながら、トイレ掃除をした。

 だからと言って、別に気分は上がらないが、少しだけ心は落ち着いてきた。やはり、言霊というのは、あるのかもしれない。

 一子のSNSも開き、チェックもしってみた。コロナ禍下のスピリチュアルセミナーもやっているらしい。期間限定で、すぐに申し込んだ方が良い気がしてきた。直感も、セミナーに申し込んだ方が良いと言っている。一子は、直感に従えば全てうまくいくと、動画で言っていた。

 すぐに申し込んだ。五万円だったが、これが相場なのかは、良くわからない。

 こうして一週間後、一子のスピリチュアルセミナーのセミナーに参加していた。都内の貸し会議室の一室で、三十人ほどの客が集まっていた。客は全員女性で、由佳のような年代の女性が多かった。前の方にはキラキラした感じの女性が座っていたが、由佳の周りのは、クラスでは陰キャと呼ばれているタイプが集まっていた。

 そんな中で、教壇に立ち、宝くじや素敵な彼氏を作るスピリチュアル法則を語る一子は、やたらとキラキラして見えた。漫画だったら客席は、全部グレーの色につけられてたモブキャラになるだろう。マスクをしているせいで、さらにモブキャラ感が漂う。一子はマスクもフェイスシールドも何もつけてはいなかったら。

「言葉には力ががあります。さあ、みんなで一緒に『ありがとう』と唱えましょう」

 こうして由佳は、客席のモブキャラ達と「ありがとう」や「感謝します」を繰り返し、繰り返し唱えていた。

「さあ、私達は神になれるのです。人間、一人一人が神様なのです!」

 一子は、モデルのようなキラキラした容姿で、全く胡散臭くはない。それでも、心のどこかで、自分の行動は、意味があるのかわからなくなってきた。

 自分が神様というのもピンとこない。確かに日本は全てのものに神が宿るという考えだが、自分が神様かと問われると、それはよくわからない。自分が神様だったら、このコロナ騒ぎも一刻も早く止めるが、別にそんな事はできていなかった。一子は自分の意識が現実を創っていると言っていたが、疫病や震災、災害を起こした記憶はなかった。

「ありがとう、ありがとう……」

 何度も唱えて、喉が枯れてきた。本当にこれが、願いを叶えるのか、心の中で違和感はたまっていた。

 隣にいるモブキャラは、二重マスクとフェイスシールドもしていたが、目も鼻も全然特徴が全く見えなかった。

「ありがとう、ありがとう」

 一体誰に感謝しているのか、よくわからなくなってきた。気づけば、教壇の上にいる一子だけが、キラキラ輝いているように見えてしまった。
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登場人物紹介

天野蒼

不思議なパン屋の店員。その正体は天使で、神様から依頼された仕事を行う。根っからの社畜体質。天使の時の名前はマル。

ヒソプ

蒼の相棒の柴犬。

依田光

蒼が担当し、守っているクリスチャン。しかし、サンデークリスチャンで日曜以外は普通の女子高生。

知村紘一

蒼の後輩の天使。悪霊が出入りする門で警備をしている。人間界にいるの時は知村紘一という名前を持つ。

知村柊

蒼の後輩天使。人間界にいる時は知村柊という名前をもつ。

橋本瑠偉

後輩天使。人間の時の名前は橋本瑠偉。

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