第32話 副業

文字数 1,192文字

 ここは閉店後の福音ベーカリーの厨房だった。大きなオーブンや調理台もあり、副業とはいえ、設備は本格的なものだった。

 調理台の上には、現在開発中のたこ焼きパンがあった。日本のパンは主食ではなく、お菓子やおかずの立ち位置だ。惣菜パンやスイーツのようなパンが多いのも、日本では米という主食があるからだろう。

 このたび、光のお守りという本業が暇すぎて、私は、新しいパンを開発していた。今開発しているのは、たこ焼きパンだ。焼きそばパンやコロッケパンがありなら、たこ焼きパンも問題無いんじゃないかと思い、開発していた。

 コッペパンにたこ焼きを挟んでみたが、それぞれの生地が噛み合わず、正直言って不味い。

「何だ、これは? あ、マヨネーズか。マヨネーズを入れたらマイルドになるかも」

 反省点や気づいたところをメモし、明日も試食を作ってみよう。

 元々ワーカーホリック気味の私は、こんな副業にも全力投球してしまう。以前は、本業でもワーカーホリックになり「私をブラック企業の社長にするな! 人間にだって安息日を与えているだろう」と神様に怒られ、現在は暇なサンデークリスチャンである依田光の担当だった。

「副業も楽しいけど、光も祈ってくれないかねー」

 愚痴のような呟きが漏れた時、飼い犬のヒソプが店の方でワンワン鳴いているのが聞こえた。

「どーした? ヒソプ?」

 私が側にやってくると、ヒソプはすぐに鳴きやんだ。動物には霊はないが、その分、人間より敏感な面がある。飼い主の霊的状態にも左右されやすい傾向があった。

 ヒソプのこの状態に、私は少し不安になったりもした。そういえば霊が見える春歌は、光の様子がちょっとおかしいと報告しに来た事があった。両親が忙しく、授業中もどこか上の空の事も多いらしい。

 しかし、光は全く祈っていない。この状況で、私も勝手な事はできない。神様は自由意志を大切にする。好きで悪いもの、例えば悪魔を選んでいたとしても、特に止めない。人間には信じられないと思うが、神様はそういうお方だ。人間の自由意思を最大限に尊重している。ちなみに神様が特に気にかけている子は、悪いものを選ぶと、災いが起きるようになり、自然と神様の方に向かうようになっていたりはするが……。

「光、そろそろ祈ってくれないかな?」

 私は、ヒソプのモコモコな背中を撫でながら呟くが、今は全くそんな雰囲気は無い。

 そういえば明日は、天界から材料が届く日だ。ミルルという後輩天使が、定期的にトラックで運んで来てくれる。ミルルは、悪霊の門番もあるので、私と違って多忙だ。材料を届けに来てくれる時は、わざわざ人間用の肉体を持ち、仕事をしてくれるので有難い。

「しばらく副業を頑張るしかないね、そうだね、ヒソプ?」
「ワン!」

 私の声に同意するかのように、ヒソプは大きな声で吠えていた。

 もう夜だ。

 店の窓からは、大きな月が出ているのが見えた。
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登場人物紹介

天野蒼

不思議なパン屋の店員。その正体は天使で、神様から依頼された仕事を行う。根っからの社畜体質。天使の時の名前はマル。

ヒソプ

蒼の相棒の柴犬。

依田光

蒼が担当し、守っているクリスチャン。しかし、サンデークリスチャンで日曜以外は普通の女子高生。

知村紘一

蒼の後輩の天使。悪霊が出入りする門で警備をしている。人間界にいるの時は知村紘一という名前を持つ。

知村柊

蒼の後輩天使。人間界にいる時は知村柊という名前をもつ。

橋本瑠偉

後輩天使。人間の時の名前は橋本瑠偉。

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