第8話 温かいイングリッシュマフィン(3)
文字数 1,932文字
すっきりとした春の日差しが心地いい朝だった。
家から十分ぐらいの場所にある穂麦駅前は、最近新しいマンションが出来、ロータリー近くにも商業施設が立ち並んでいた。比較的小さい平和な穂麦市ではあるが、最近はそうでも無いらしい。良子はこの町で育ち、ずっと実家住まいだった。我ながら「子供部屋おばさん」に片足突っ込んでいるという自覚はあるが、色々と実家にいると楽な面も多かった。その点、茉莉花はすぐに実家を出て主婦業をやってるわけだから、「子供部屋おばさん」ではないが。
朝なので、サラリーマンやOL風の男女や制服を着た学生の姿で駅前は、混み合っていた。良子のようなジーンズにパーカーというカジュアルばユルい格好のものは、珍しい。
さっそく駅までのファストフードに向かおうとしたが、ロータリーで政治家が演説をし始めてうるさかった。しかもカルト政党の政治家だった。おそらくカルトのバックアップで、この政治家は当選するだろう。茉莉花のように搾取されている末端信者がいる一方、この政治家のように甘い汁を吸っている強者がいると思うと、どっと気分が悪くなってくる。茉莉花に「論破」するのは、弱いもの虐めだった。実際、この政治家に直接文句なども言えず、ただただ自己嫌悪しか無い。
「やっぱり帰ろう……」
すっかりファストフードに行く気分も萎えてしまい、自宅がある住宅街に向かった。コンビニでサンドイッチでも買って帰ろうかと思い、住宅街を歩いている時、パン屋があるのに気づいた。
長年、この住宅地に住んでいたが、知らないパン屋だった。教会と依田という金持ちの家に挟まれるようにあったが、外観はメルヘンだった。クリーム色の壁に、赤い屋根。屋根には煙突があり、煙も出ていた。福音ベーカリーという名前のパン屋らしいが、良子は全く知らなかった。いかにも女性受けする可愛らしいパン屋だ。可愛い物好きの母が何か噂するだろうと思ったが、そう言った事も聞いた事がない。
店の前のベンチには、可愛い柴犬が座っていて、良子の目を覗き込んでいた。
「わ、わん!」
小さな声で鳴いている柴犬に、良子の心はきゅんとしてしまった。モフモフの毛並みもくるくるの尻尾も可愛い。垂れた黒い目やぺたんとした耳も超可愛い。この看板犬に騙されても良い気になってしまった。見た事も噂も聞いた事もないパン屋だったが、柴犬の可愛らしさに惹かれて、入店した。扉を開けると、パンの良い香りに店内は包まれていた。
小さなパン屋だったが、中央に大きなテーブルがあり、色とりどりのパンが並んでいた。オレンジ色の優しい照明のおかげで、パンが一つ一つ輝いて見えていた。カレーパン、塩バターパン、あんぱんなどが主力商品のようで、全面に推されていた。本格的なハード系パン屋というよりは、町中にある日本人らしいパン屋のようだったが、ジューイッシュライ麦パンという珍しいものも売っていた。
一見普通のパンばかりだったが、他にも平べったいクラッカーみたいな変なパンや、三つ編み型のパンも置いてあった。ベーグルもいっぱいある。何より、値札がない。それがちょっと怖くなったが、目の前にチーズやベーコンが挟まったイングリッシュマフィンがある。これは自分が求めていたものとピッタリ一致するものではないか。他に客はいないようで、流行ってはいないようだが、店内は全体的にゆっくりとした時間が流れ、妙な異世界感もあった。この店をモデルに異世界ラノベでも書きたくなった。店内の壁には、ラベンダー畑やハーブ園の絵が飾られていた。あまりにも綺麗な絵で、この世のものには見えない。
さっそくトレイとトングをつかんだ。イングリッシュマフィンをトレイに乗せようとしたところ、店員に話しかけられた。
「良子さん! おはよう」
「は?」
店員はなぜか良子の名前を知っていた。しかも店員はかなりのイケメンだった。
パン屋だけあって体格は良いが、ふわふわの栗毛に、色素がかなり薄いタイプのイケメン。目は琥珀色で、女性のようにまつ毛も長い。まつ毛に限っては、良子のまつ毛より長い感じだった。白いコックコートより、王子様風の格好した方が良いとも思ってしまったが、そんな失礼な事は言えない。イケメンだが、なぜか全く色気はなく、弟にしたい感じでもあった。しかし、問題なのは、そこではなく、なぜ自分の名前を知っているのだろう。
「何で私の名前知ってるんですか? もしかしてファン?」
確か母は良子のペンネームを近所で言いふらしていた。その可能性は大いにありそうだった。
「そうなんだよ! 先生の話大ファンなんだ。今日は是非、奢らせてください!」
熱烈に感激まで受けてしまい、良子はこの雰囲気に断れそうになかった。
家から十分ぐらいの場所にある穂麦駅前は、最近新しいマンションが出来、ロータリー近くにも商業施設が立ち並んでいた。比較的小さい平和な穂麦市ではあるが、最近はそうでも無いらしい。良子はこの町で育ち、ずっと実家住まいだった。我ながら「子供部屋おばさん」に片足突っ込んでいるという自覚はあるが、色々と実家にいると楽な面も多かった。その点、茉莉花はすぐに実家を出て主婦業をやってるわけだから、「子供部屋おばさん」ではないが。
朝なので、サラリーマンやOL風の男女や制服を着た学生の姿で駅前は、混み合っていた。良子のようなジーンズにパーカーというカジュアルばユルい格好のものは、珍しい。
さっそく駅までのファストフードに向かおうとしたが、ロータリーで政治家が演説をし始めてうるさかった。しかもカルト政党の政治家だった。おそらくカルトのバックアップで、この政治家は当選するだろう。茉莉花のように搾取されている末端信者がいる一方、この政治家のように甘い汁を吸っている強者がいると思うと、どっと気分が悪くなってくる。茉莉花に「論破」するのは、弱いもの虐めだった。実際、この政治家に直接文句なども言えず、ただただ自己嫌悪しか無い。
「やっぱり帰ろう……」
すっかりファストフードに行く気分も萎えてしまい、自宅がある住宅街に向かった。コンビニでサンドイッチでも買って帰ろうかと思い、住宅街を歩いている時、パン屋があるのに気づいた。
長年、この住宅地に住んでいたが、知らないパン屋だった。教会と依田という金持ちの家に挟まれるようにあったが、外観はメルヘンだった。クリーム色の壁に、赤い屋根。屋根には煙突があり、煙も出ていた。福音ベーカリーという名前のパン屋らしいが、良子は全く知らなかった。いかにも女性受けする可愛らしいパン屋だ。可愛い物好きの母が何か噂するだろうと思ったが、そう言った事も聞いた事がない。
店の前のベンチには、可愛い柴犬が座っていて、良子の目を覗き込んでいた。
「わ、わん!」
小さな声で鳴いている柴犬に、良子の心はきゅんとしてしまった。モフモフの毛並みもくるくるの尻尾も可愛い。垂れた黒い目やぺたんとした耳も超可愛い。この看板犬に騙されても良い気になってしまった。見た事も噂も聞いた事もないパン屋だったが、柴犬の可愛らしさに惹かれて、入店した。扉を開けると、パンの良い香りに店内は包まれていた。
小さなパン屋だったが、中央に大きなテーブルがあり、色とりどりのパンが並んでいた。オレンジ色の優しい照明のおかげで、パンが一つ一つ輝いて見えていた。カレーパン、塩バターパン、あんぱんなどが主力商品のようで、全面に推されていた。本格的なハード系パン屋というよりは、町中にある日本人らしいパン屋のようだったが、ジューイッシュライ麦パンという珍しいものも売っていた。
一見普通のパンばかりだったが、他にも平べったいクラッカーみたいな変なパンや、三つ編み型のパンも置いてあった。ベーグルもいっぱいある。何より、値札がない。それがちょっと怖くなったが、目の前にチーズやベーコンが挟まったイングリッシュマフィンがある。これは自分が求めていたものとピッタリ一致するものではないか。他に客はいないようで、流行ってはいないようだが、店内は全体的にゆっくりとした時間が流れ、妙な異世界感もあった。この店をモデルに異世界ラノベでも書きたくなった。店内の壁には、ラベンダー畑やハーブ園の絵が飾られていた。あまりにも綺麗な絵で、この世のものには見えない。
さっそくトレイとトングをつかんだ。イングリッシュマフィンをトレイに乗せようとしたところ、店員に話しかけられた。
「良子さん! おはよう」
「は?」
店員はなぜか良子の名前を知っていた。しかも店員はかなりのイケメンだった。
パン屋だけあって体格は良いが、ふわふわの栗毛に、色素がかなり薄いタイプのイケメン。目は琥珀色で、女性のようにまつ毛も長い。まつ毛に限っては、良子のまつ毛より長い感じだった。白いコックコートより、王子様風の格好した方が良いとも思ってしまったが、そんな失礼な事は言えない。イケメンだが、なぜか全く色気はなく、弟にしたい感じでもあった。しかし、問題なのは、そこではなく、なぜ自分の名前を知っているのだろう。
「何で私の名前知ってるんですか? もしかしてファン?」
確か母は良子のペンネームを近所で言いふらしていた。その可能性は大いにありそうだった。
「そうなんだよ! 先生の話大ファンなんだ。今日は是非、奢らせてください!」
熱烈に感激まで受けてしまい、良子はこの雰囲気に断れそうになかった。