第143話 悔い改めとゆで卵パン(1)

文字数 1,990文字

 黒木里帆には、秘密があった。と言っても、一般的には大した事ではないが。

「あー、きゅんきゅんする……」

 里帆は、自分の部屋のベッドの上で、漫画を読んでいた。部屋は、女子高生のそれと思えなぐらい、シンプルで、ほぼ無印用品のインテリアで統一されていた。本棚のは、参考書や辞典が多く詰められ、頭の悪い雰囲気はない。実際、里帆は学校でも成績は良かった。

 ただ、漫画が大好きだった。特にイケメンが出てくる少女漫画を見ていると、キュンキュンと胸が躍る。今は「天使のケーキ屋さん!」という少女漫画にハマっていた。天使だが人間のフリをすてケーキ屋を営むハートフルなストーリーだが、美麗な絵で描かれている。特に主人公はイケメンで、里帆は見ているだけでもキュンキュンする。そんな里帆は、ヲタク街道を爆走し、学校では漫画研究会に入り、二次創作などもしていた。

 里帆は、聖マリアアザミ学園というキリスト教系の女子校に通っていたが、意外とおおらかな雰囲気の学園で、軽音部や宝塚研究会など、ヲタクよりの部活も自由に存在していた。キリスト教系の学園ではあるが、教師も生徒もクリスチャンが多いというわけではない。むしろ、少数派だったりするが、里帆はそうだった。

 両親は牧師で、子供の頃に洗礼を受けた。いわゆるクリスチャン二世と言われている存在である。特に父は真面目で厳しい性格で、里帆の躾もそうだった。アニメや漫画も見るなと禁止されていた。

 その反動かはわからないが、里帆はどんどんヲタクになっていった。両親に禁止されればされるほど、見たくなってしまう。それに聖書に漫画やアニメは罪とも書いていないので、両親に隠れてコソコソとヲタクをやっていた。里帆の部屋は一見シンプルだが、クローゼットの中は、漫画、アニメのDVD、ドラマCDなどが山のように詰め込まれていた。

 昔は、隠れキリシタンという存在がいたと、日本しの授業で習ったが、今の里帆の気分は、そんな所だった。もし両親にこの趣味が見つかったら、踏み絵でも踏まされるだろうか。推し漫画の「天使のケーキ屋さん!」の絵を踏まされると想像したら、胸がギュッとなる。里帆はクリスチャンだが、イエス様の絵を踏まされる状況を想像しても、それほど胸は痛まなかった。その事実を自覚してしまうと、やっぱり胸がヒリっと罪悪感みたいなものは感じてしまうが。

「あ、やば! お父さん、帰ってきたかも!」

 部屋の外から物音がし、里帆は急いで漫画を隠した。隠れキリシタンも、こんな風にマリア像とかを隠していたのだろうか。そんな事を想像しながら、クローゼットのヲタクスペースに、読んでいた漫画を慌てて押し込む。

「里帆! ちょっと、きなさい!」

 漫画を隠してホッとしたのも束の間だった。父の怒号が聞こえた。いつもと違う声で、かなり怒りが滲んでいた。

「これは何だ! どういう事か説明しなさい!」

 父がノックもせずに、部屋に入ってきた。世間では「優しい牧師さん」なんて言われているが、家では別にそうでもない。

 父の目はいつになく、怒りで燃えていた。その右手には、里帆が好きな漫画の冊子があった。確か応募者全員サービスの冊子だ。数ヶ月前に券をコツコツと集めて出版社に応募していたものだった。

 なぜ、冊子を父が持ってるの!?

 隠れヲタクである里帆は、慌ててふためくが、もう遅い。どうやら父は、間違って里帆に届いた郵便物を開けてしまい、今に至っているようだった。

 運の悪い事に冊子の中には、異世界転生や悪役令嬢、生贄になったヒロインのシンデレラストーリーの漫画も載っていた。これは、牧師にとっては地雷案件だ。聖書には輪廻転生概念はなく、異世界転生もありえないという考えだ。悪役令嬢も中身はどうあれ「悪」がつくものは非常に不味い。聖書では神様は悪を憎む存在として描かれている。生贄系も、神様が十字架の上で犠牲になったのに、人間が生贄になるのは聖書的にはだいぶ矛盾が起きる設定だった。

「何でこんなものを読んでるんだ! こんなものを偶像崇拝して、神様は泣いてるぞ!」

 そう説教されるとぐうの音も出ない。牧師だけあり、説教はプロ級だった子供の頃、神様を信じてクリスチャンになった事も思い出すと、確かに良い今の状況は漫画に浮気していたと言い様が無い。

「えーん、神様、ごめんなさーい」
「さあ、悔い改めよう」

 父にそう言われ、涙目になりながら、ヲタクな自分は偶像崇拝者だと悔い改めた。偶像崇拝とは、神様以外の物を上にしてしまう事だ。聖書では、それは浮気と表現される。普通の日本人はビックリされるだろうが、聖書は神様と人間の結婚という契約の話だった。他のものにうつつを抜かす事は、浮気というか不倫になってしまうのだった。

 こうして一般家庭とは全く違う説教を受けた里帆は、クローゼットにあるヲタクスペースを潰す事を決心した。
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登場人物紹介

天野蒼

不思議なパン屋の店員。その正体は天使で、神様から依頼された仕事を行う。根っからの社畜体質。天使の時の名前はマル。

ヒソプ

蒼の相棒の柴犬。

依田光

蒼が担当し、守っているクリスチャン。しかし、サンデークリスチャンで日曜以外は普通の女子高生。

知村紘一

蒼の後輩の天使。悪霊が出入りする門で警備をしている。人間界にいるの時は知村紘一という名前を持つ。

知村柊

蒼の後輩天使。人間界にいる時は知村柊という名前をもつ。

橋本瑠偉

後輩天使。人間の時の名前は橋本瑠偉。

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