第182話 トルチリオーネと誘惑(5)完
文字数 1,969文字
「いらっしゃいませ!」
まるで、絵名が入店してくるのを、待っていたかのように、店員に迎えられた。福音ベーカリーは調べたので、店員の顔も知っていた。この男は橋本瑠偉だった。確か年齢は二十三歳ぐらいだったが、謎が多く、詳しいプロフィールは調べられなかった。このパン屋はオーナーも別にいるようだが、その人物も謎で、いくら調べようとしても情報が出てこなかった。だから、小夜に調査を頼んでいたのだった。
小さなパン屋ながらイートインスペースもあり、芝犬が寝転がっていた。焼いたパンの色とそっくりな毛並みで、おそらく看板犬だろう。
パンは店内にある大きなテーブルに陳列されていた。今はイースター時期なのか、鳩型のコロンバや、ウサギの形のパンが目立つ。ゆで卵が殻ごと埋まった変なパンもある。カラースプレーが散りばめられた派手なパンでもあり、目を引く。
しかし、瑠偉が持っているトレイの上にあるパンが一番目に留まる。
「な、何このパン……」
絵名の口から、そんな言葉が溢れていた。
「これはトルチリオーネっていう蛇型のパンです!」
瑠偉は笑顔で語っていたが、絵名は笑えない。そのパンは、蛇を模ったパンだった。ぐるぐるとした胴体がパン生地で再現されている。目は赤いドライフルーツで表現され、正直気持ち悪い。蛇の誘惑を受けた後に食べたいパンではない。
「これは、イタリアのクリスマスのパンです。本当は俺たちクリスチャンには、蛇は邪悪なものなんですよね」
「どういう事?」
「聖書のアダムとイブって知ってる?」
「あ、それは知ってる」
アニメか何かで見た事ある。アダムとイブという夫婦がいた。二人は楽園で暮らしていたが、イブは蛇に騙されて禁断の果実を食べる。これがきっかけになり、人類は罪人になったとアニメで語られていた。確か旧約聖書の話だった。あのアニメでも蛇は悪役だった。
「聖書では、蛇は邪悪な存在ですねー。崇めている神社とかあるけど、クリスチャンからすると、悪魔崇拝。なんか、神社好きな人はごめんなさいね? 逆にクリスチャンは神社は文化的で良いとか日本人っぽく寛容さ発揮してたらおかしいからね?」
瑠偉はそう言いながらも、ちっとも悪いとは思っていないようだった。ニコニコと笑いながら蛇型のパンを陳列している。他のパンは可愛いらしいのに、これだけは異質だった。
「ちなみに、蛇の誘惑に乗るとどうなるの? 特に現代では」
一番気になる事を聞いてみた。
「願いは叶うよ」
「だったらいいじゃない」
「でも蛇は代償を要求してくるからね。神社に拝んで成功すてる人もいっぱいいるけど、特に子供が不幸になってる人が多いよ。子供を犠牲にするのは霊的にリターンがきやすいけどね……。代償も承知でわかってやってるなら、別に悪くはないですが」
そういえば……。
同じ経営者でも、何故か子供が重病だったり、障害を持っている人が多い印象だった。確かに度がすぎた金や成功は、後で何かを奪われるのかも知れない。実際、絵名も成功していたのに、どうも心の平安はない。SNSでの風俗嬢の呟きなども思い出す。
「私も蛇に誘惑受けた」
「お客様、 本当ですか?」
瑠偉は、三白眼気味の目を見開いて驚いていた。まつ毛も長く、鼻筋もすっとしている。この男はよく見ると、イケメンのようだが、ちょっと地味なのが勿体ないと思ったりする。パン屋も稼げないのに、何でやってるんだろうと思ったりしたが、瑠偉の雰囲気は軽やかで、自由そうだった。少なくとも不幸には見えない。
「でも、どうにか退けた。やっぱり、不相応な金や名誉は、後で大変かもね」
「素晴らしいですよ、お客様。ぜひ、このトルチリオーネを食べていってください。大勝利です」
「え?」
瑠偉によると、この蛇型のパンは起源が諸説あるらしい。キリスト教では蛇は邪悪なものとして扱われるから、こんなパンを食べる事で悪への勝利を祝っていた説を推していた。
「おめでとう。さ、トルチリオーネ、切ってくるから、食べましょう」
「お金は?」
絵名は、慌てて財布を出そうとしたが、止められる。お祝いとして奢ってくれる事になってしまった。
このパン屋も潰そうとしていたのに。絵名は、今までビジネスでは正当な行為ばかりしていたわけじゃない。過去を振り返ると恥ずかしくなってきた。今後はどうなるかわからないが、とりあえず一子に頼るのも辞めようかとも思う。
こうしてイートインスペースで食べたトルチリオーネは、絵名にとっては微妙な味だった。確かにアーモンド風味の生地は美味しかったが、完全勝利したわけではない。
次こそは、こんな誘惑を受けても完璧に勝ちたいと思ってしまった。その為には、どうしたら良いんだろう。
瑠偉なら、この答えを知ってる気がする。
またこの福音ベーカリーに来よう。絵名はそう心に決めていた。
まるで、絵名が入店してくるのを、待っていたかのように、店員に迎えられた。福音ベーカリーは調べたので、店員の顔も知っていた。この男は橋本瑠偉だった。確か年齢は二十三歳ぐらいだったが、謎が多く、詳しいプロフィールは調べられなかった。このパン屋はオーナーも別にいるようだが、その人物も謎で、いくら調べようとしても情報が出てこなかった。だから、小夜に調査を頼んでいたのだった。
小さなパン屋ながらイートインスペースもあり、芝犬が寝転がっていた。焼いたパンの色とそっくりな毛並みで、おそらく看板犬だろう。
パンは店内にある大きなテーブルに陳列されていた。今はイースター時期なのか、鳩型のコロンバや、ウサギの形のパンが目立つ。ゆで卵が殻ごと埋まった変なパンもある。カラースプレーが散りばめられた派手なパンでもあり、目を引く。
しかし、瑠偉が持っているトレイの上にあるパンが一番目に留まる。
「な、何このパン……」
絵名の口から、そんな言葉が溢れていた。
「これはトルチリオーネっていう蛇型のパンです!」
瑠偉は笑顔で語っていたが、絵名は笑えない。そのパンは、蛇を模ったパンだった。ぐるぐるとした胴体がパン生地で再現されている。目は赤いドライフルーツで表現され、正直気持ち悪い。蛇の誘惑を受けた後に食べたいパンではない。
「これは、イタリアのクリスマスのパンです。本当は俺たちクリスチャンには、蛇は邪悪なものなんですよね」
「どういう事?」
「聖書のアダムとイブって知ってる?」
「あ、それは知ってる」
アニメか何かで見た事ある。アダムとイブという夫婦がいた。二人は楽園で暮らしていたが、イブは蛇に騙されて禁断の果実を食べる。これがきっかけになり、人類は罪人になったとアニメで語られていた。確か旧約聖書の話だった。あのアニメでも蛇は悪役だった。
「聖書では、蛇は邪悪な存在ですねー。崇めている神社とかあるけど、クリスチャンからすると、悪魔崇拝。なんか、神社好きな人はごめんなさいね? 逆にクリスチャンは神社は文化的で良いとか日本人っぽく寛容さ発揮してたらおかしいからね?」
瑠偉はそう言いながらも、ちっとも悪いとは思っていないようだった。ニコニコと笑いながら蛇型のパンを陳列している。他のパンは可愛いらしいのに、これだけは異質だった。
「ちなみに、蛇の誘惑に乗るとどうなるの? 特に現代では」
一番気になる事を聞いてみた。
「願いは叶うよ」
「だったらいいじゃない」
「でも蛇は代償を要求してくるからね。神社に拝んで成功すてる人もいっぱいいるけど、特に子供が不幸になってる人が多いよ。子供を犠牲にするのは霊的にリターンがきやすいけどね……。代償も承知でわかってやってるなら、別に悪くはないですが」
そういえば……。
同じ経営者でも、何故か子供が重病だったり、障害を持っている人が多い印象だった。確かに度がすぎた金や成功は、後で何かを奪われるのかも知れない。実際、絵名も成功していたのに、どうも心の平安はない。SNSでの風俗嬢の呟きなども思い出す。
「私も蛇に誘惑受けた」
「お客様、 本当ですか?」
瑠偉は、三白眼気味の目を見開いて驚いていた。まつ毛も長く、鼻筋もすっとしている。この男はよく見ると、イケメンのようだが、ちょっと地味なのが勿体ないと思ったりする。パン屋も稼げないのに、何でやってるんだろうと思ったりしたが、瑠偉の雰囲気は軽やかで、自由そうだった。少なくとも不幸には見えない。
「でも、どうにか退けた。やっぱり、不相応な金や名誉は、後で大変かもね」
「素晴らしいですよ、お客様。ぜひ、このトルチリオーネを食べていってください。大勝利です」
「え?」
瑠偉によると、この蛇型のパンは起源が諸説あるらしい。キリスト教では蛇は邪悪なものとして扱われるから、こんなパンを食べる事で悪への勝利を祝っていた説を推していた。
「おめでとう。さ、トルチリオーネ、切ってくるから、食べましょう」
「お金は?」
絵名は、慌てて財布を出そうとしたが、止められる。お祝いとして奢ってくれる事になってしまった。
このパン屋も潰そうとしていたのに。絵名は、今までビジネスでは正当な行為ばかりしていたわけじゃない。過去を振り返ると恥ずかしくなってきた。今後はどうなるかわからないが、とりあえず一子に頼るのも辞めようかとも思う。
こうしてイートインスペースで食べたトルチリオーネは、絵名にとっては微妙な味だった。確かにアーモンド風味の生地は美味しかったが、完全勝利したわけではない。
次こそは、こんな誘惑を受けても完璧に勝ちたいと思ってしまった。その為には、どうしたら良いんだろう。
瑠偉なら、この答えを知ってる気がする。
またこの福音ベーカリーに来よう。絵名はそう心に決めていた。