第42話 小さきもののライ麦パン(2)
文字数 2,202文字
仕事を終えた里奈は、自宅側の穂麦駅に降り立っていた。
会社のある都心からは、一時間弱で帰れる。静かな郊外都市だった。
電車から降りると、駅ビルのトイレの直行し、化粧を直した。もうアラサーなので、肌艶は全く良くない。隣の洗面台では、制服を着た女子高生もリップクリームを塗りながら、友達に電話していた。
「江崎、じゃ、明日は福音ベーカリーの前で待ち合わせね。うん、マルちゃん、いや、あのイケメン店員に奢ってもらおうよ」
電話しながらリップクリームを塗るなんて器用な事ができるなと思いながら、女子高生の顔を見てみる。どう見ても肌艶がいい。ぴちぴちである。
ふと、自分の女子高生時代を思い出す。村上マリという友達と仲良しで、毎日日が暮れるまで遊んでいた。マリには自己啓発セミナーに引き込んだしまい、メンタルも病ませてしまった。同時に自己責任では無いかと、自己啓発セミナーのズブズブだった里奈は思う。実際、ろくな仕事にありつけず、貧困化しているマリに似たような言葉を投げつけてしまった事があった。
無邪気に電話をかける女子高生の横顔を見ながら、やっぱりマリには悪い事をしてしまったような気はする。それでも、誤りたいとは全く思えなかったりする。心が二つあった。
駅ビルを出ると、なんとなく側にある公園に向かった。もう日が暮れかけ、小さな公園という事もあり、人もあまりいない。
自動販売機でビタミンドリンクを購入し、ベンチに座って一休みした。
今日は、川口の嫌味のせいで、より疲れた。確かに誰でも出来るような仕事だが、大量にあって指が痛い。爪も少し割れていて、家に帰ったらケアしたい。
この仕事を依頼したマーケティング部の部長も、意外とこれは大変な作業とは言っていたが、別にそんな言葉だけでは癒されない。
「はー、自己啓発セミナー行きたいわ」
やっぱり自分は好きな事だけして生きていきたい。自己啓発セミナーの講師もみんなそう言っている。自分も好きな事だけして生きていきたい。好きなくとも、こんな内職みたいな仕事をして、川口に嫌味を言われるのも嫌だ。
「あれ、マリ?」
そんな事を考えていたら、友達のマリの姿が見えた。昔、交通事故にもあったので、足もちょっと悪い。そのおかげか猫背で、ビクビク怯えているように歩いている。間違いなくマリだったが、なぜか公園内で柴犬を散歩させていた。
柴犬は、唐揚げの衣のような色をしていた。塩唐揚げの色にそっくりだった。耳はたれ、尻尾はシナモンロールのようにクルクルしている。確かに可愛い犬だが、見ていると、どうも食べ物を思い出してしまう犬だった。
「マリ、何やってるの?」
ちょっと気まずい思いもしながら、マリの声をかける。そういえば、こうして会うのは半年ぶりぐらいだった。
「ちょっと知り合いのワンコの散歩を頼まれてるの。む福音ベーカリーっていうパン屋があって、その店長さんのお手伝いすると、ちょっとパン貰えるんだよんね」
「は? そんな事やってるの?」
正直、乞食みたいと思った。里奈は決してそんな事を口に出せないが。改めてマリの様子をみたが、服や髪の様子からして、貧乏状態なのは察した。聞くと、メンタルの病気もあり、清掃の仕事を短時間しかできないらしい。薬の副作用か、手元がプルプルと震えていた。
マリを見ていたら、再び嫌な感情が蘇る。「うわ、あんな風にはなりたくないなー。ぶっちゃけ、自己責任じゃん。やっぱり、私は自己啓発セミナー申し込もう」と反射的に思ってしまった。
しかし、マリの姿をよく見ると、表情は穏やかだった。むしろ、平安そうな顔だ。優しい表情で、芝犬を見ていた。大人しく躾のできてるワンコで、じっと座っていた。確かにアニマルセラピー的な事は認めるが、マリのこんな表情を見るのは、初めてだ。いや、女子高生の時はこんな顔をよくしてしていた。マリも人生色々あったはずだが、昔のような表情を取り戻している理由は気になる。それに散々と酷い事をした里奈にも、一言も文句を言わず、普通の友達のように接しているのが妙だった。普通だったら文句の一つや二つは言いたくなるものでは無いだろうか。
「この犬かわいいね」
「うん、ヒソプっていうの。店長さんが可愛がってる」
「あれ? その店長ってイケメンでしょ?」
そう思えば、色々と辻褄が合ってしまう。イケメンが嫌いな女子はいないはず。それで、癒されているか、恋愛感情みたいなものを持っているのかもしれない。
「当たり。でも、ちょっと不思議くんだよ。売っているパンは、どれも美味しい。意外な事に、ライ麦パンも美味しかったな。あれ、酸っぱくて苦手だったけど」
「ふーん」
マリは、イケメンよりもパンの事をぺちゃくちゃ語っていた。イケメンが原因で平安かと思ったら、パンで胃袋を掴まされていたのだろう。よっぽど美味しいパンなのか、気になる。
「マリ、そのパン屋どこにあるの?」
「一緒に行く?」
「うん。仕事終わってお腹空いた」
こうしてマリに案内されながら、パン屋に向かった。柴犬のペースに合わせてゆっくりと歩いた。
そのおかげか、もうすっかり夜に変わっていた。月も星も見えず、暗い雲の形だけが夜空に見える。
「ここだよ。ここは福音ベーカリー」
そんな夜道に、オレンジ色の光に包まれたパン屋があった。少し小麦粉のいい臭いもする。気づくと、里奈の腹は情け無い音を立てていた。
会社のある都心からは、一時間弱で帰れる。静かな郊外都市だった。
電車から降りると、駅ビルのトイレの直行し、化粧を直した。もうアラサーなので、肌艶は全く良くない。隣の洗面台では、制服を着た女子高生もリップクリームを塗りながら、友達に電話していた。
「江崎、じゃ、明日は福音ベーカリーの前で待ち合わせね。うん、マルちゃん、いや、あのイケメン店員に奢ってもらおうよ」
電話しながらリップクリームを塗るなんて器用な事ができるなと思いながら、女子高生の顔を見てみる。どう見ても肌艶がいい。ぴちぴちである。
ふと、自分の女子高生時代を思い出す。村上マリという友達と仲良しで、毎日日が暮れるまで遊んでいた。マリには自己啓発セミナーに引き込んだしまい、メンタルも病ませてしまった。同時に自己責任では無いかと、自己啓発セミナーのズブズブだった里奈は思う。実際、ろくな仕事にありつけず、貧困化しているマリに似たような言葉を投げつけてしまった事があった。
無邪気に電話をかける女子高生の横顔を見ながら、やっぱりマリには悪い事をしてしまったような気はする。それでも、誤りたいとは全く思えなかったりする。心が二つあった。
駅ビルを出ると、なんとなく側にある公園に向かった。もう日が暮れかけ、小さな公園という事もあり、人もあまりいない。
自動販売機でビタミンドリンクを購入し、ベンチに座って一休みした。
今日は、川口の嫌味のせいで、より疲れた。確かに誰でも出来るような仕事だが、大量にあって指が痛い。爪も少し割れていて、家に帰ったらケアしたい。
この仕事を依頼したマーケティング部の部長も、意外とこれは大変な作業とは言っていたが、別にそんな言葉だけでは癒されない。
「はー、自己啓発セミナー行きたいわ」
やっぱり自分は好きな事だけして生きていきたい。自己啓発セミナーの講師もみんなそう言っている。自分も好きな事だけして生きていきたい。好きなくとも、こんな内職みたいな仕事をして、川口に嫌味を言われるのも嫌だ。
「あれ、マリ?」
そんな事を考えていたら、友達のマリの姿が見えた。昔、交通事故にもあったので、足もちょっと悪い。そのおかげか猫背で、ビクビク怯えているように歩いている。間違いなくマリだったが、なぜか公園内で柴犬を散歩させていた。
柴犬は、唐揚げの衣のような色をしていた。塩唐揚げの色にそっくりだった。耳はたれ、尻尾はシナモンロールのようにクルクルしている。確かに可愛い犬だが、見ていると、どうも食べ物を思い出してしまう犬だった。
「マリ、何やってるの?」
ちょっと気まずい思いもしながら、マリの声をかける。そういえば、こうして会うのは半年ぶりぐらいだった。
「ちょっと知り合いのワンコの散歩を頼まれてるの。む福音ベーカリーっていうパン屋があって、その店長さんのお手伝いすると、ちょっとパン貰えるんだよんね」
「は? そんな事やってるの?」
正直、乞食みたいと思った。里奈は決してそんな事を口に出せないが。改めてマリの様子をみたが、服や髪の様子からして、貧乏状態なのは察した。聞くと、メンタルの病気もあり、清掃の仕事を短時間しかできないらしい。薬の副作用か、手元がプルプルと震えていた。
マリを見ていたら、再び嫌な感情が蘇る。「うわ、あんな風にはなりたくないなー。ぶっちゃけ、自己責任じゃん。やっぱり、私は自己啓発セミナー申し込もう」と反射的に思ってしまった。
しかし、マリの姿をよく見ると、表情は穏やかだった。むしろ、平安そうな顔だ。優しい表情で、芝犬を見ていた。大人しく躾のできてるワンコで、じっと座っていた。確かにアニマルセラピー的な事は認めるが、マリのこんな表情を見るのは、初めてだ。いや、女子高生の時はこんな顔をよくしてしていた。マリも人生色々あったはずだが、昔のような表情を取り戻している理由は気になる。それに散々と酷い事をした里奈にも、一言も文句を言わず、普通の友達のように接しているのが妙だった。普通だったら文句の一つや二つは言いたくなるものでは無いだろうか。
「この犬かわいいね」
「うん、ヒソプっていうの。店長さんが可愛がってる」
「あれ? その店長ってイケメンでしょ?」
そう思えば、色々と辻褄が合ってしまう。イケメンが嫌いな女子はいないはず。それで、癒されているか、恋愛感情みたいなものを持っているのかもしれない。
「当たり。でも、ちょっと不思議くんだよ。売っているパンは、どれも美味しい。意外な事に、ライ麦パンも美味しかったな。あれ、酸っぱくて苦手だったけど」
「ふーん」
マリは、イケメンよりもパンの事をぺちゃくちゃ語っていた。イケメンが原因で平安かと思ったら、パンで胃袋を掴まされていたのだろう。よっぽど美味しいパンなのか、気になる。
「マリ、そのパン屋どこにあるの?」
「一緒に行く?」
「うん。仕事終わってお腹空いた」
こうしてマリに案内されながら、パン屋に向かった。柴犬のペースに合わせてゆっくりと歩いた。
そのおかげか、もうすっかり夜に変わっていた。月も星も見えず、暗い雲の形だけが夜空に見える。
「ここだよ。ここは福音ベーカリー」
そんな夜道に、オレンジ色の光に包まれたパン屋があった。少し小麦粉のいい臭いもする。気づくと、里奈の腹は情け無い音を立てていた。