第137話 狭き門とロッゲンブロート(3)
文字数 2,976文字
ミサキは、家に帰ると夕飯の支度をしていた。今日は、豆腐と野菜の炒め物、豆腐の味噌汁、冷奴、それに白米。豆腐が多い気もするが、スーパーで値引きされていたので、使いたくなった。少ない食費でやりくりする時は、こういう事はよくあった。思えば家事も、いつの間にか女性がする事になっている。その上、社会に出てキラキラ輝けと言っているメディアや政府は、何か矛盾を感じたりする。食事のメニューが、豆腐祭りになるのも、別にいいかと思ったりした。夕飯を手作りするだけマシと思う事にした。
「美嘉ー。夕飯できたよ」
ミサキは、自室にいる妹の美嘉を呼び出し、一緒の夕飯を食べる事にした。本当は美嘉も家事を手伝わせるべきなのだろうが、歳の離れているせいか、ついつい家族で甘やかしてしまっていた。本当は美嘉の将来を考えれば、もっと厳しくするべきだが。
「わーい、今日は豆腐祭り? お腹ぺこぺこだよ、食べよう!」
こうして素直の笑顔を見せる美嘉は、やっぱり可愛いと思ってしまったりする。ネットで見かけるようなモラハラ夫だったら、料理にケチつけるかもしれないと思うと、やっぱり美嘉は可愛い。
「うん、食べようね、美嘉」
こうして二人で食卓につき、夕飯を食べ始めた。美嘉は、学校生活についてニコニコ笑いながら話していた。少し前は、典型的な優等生な美嘉だったが、最近は友達も増え、楽しくやっているようだった。特に高瀬莉央という派手目な同級生と仲が良いらしい。ミサキも一度莉央と会ったことがあるが、モデルのような堂々とした美人だった。
その影響もあるのか、美嘉は最近眉毛を整えてメイクをしているようだった。自分は就職の為にメイクを勉強し、メイク禁止の校則にも不満がある癖に、妹がメイクしているのは、何となく嫌だ。矛盾した気持ちで味噌汁を啜ると、少し塩っぱく感じてしまった。何となく学校でメイク禁止の校則がある理由を察してしまった。悪意を持ってルールで縛っている面もあるかもしれないが、子供扱いしていて、純粋で無邪気なままでいて欲しいという幻想みたいなものもあるかも知れない。子供からすればいい迷惑だが、生徒に変に色気をつけて欲しく無いという先生達の気持ちは、何となくわかる。
「美嘉、メイクやってるよね? 学校で叱られない?」
「別に。検査の時はうまくやってるから大丈夫」
美嘉は小賢しく笑っていた。ミサキの胸はモヤモヤが溜まる。確かにメイクはマナーな社会のくせに、校則でそれを禁止しているのは、おかしい。でも、こうやってルールの抜け道を見つけている美嘉を見ると、さらにミサキはモヤモヤとしてくる。美嘉は成績もいいので、やることはちゃんとやっているので、その事で怒る事も出来ない。
「あぁ、あんなに可愛くて小さかった美嘉が、こんなに賢くなちゃって。お姉ちゃんは、微妙だよ」
「でもメイクはマナーなんでしょ? お姉ちゃんだってメイク習ってるじゃん」
そう言われると、ぐうの音も出ない。今の段階では、美嘉のメイクを辞めさせる口実が一つも思い浮かばない。この歳からやっていれば、自分のように就活準備から慌てる事も無いだろう。メイク慣れしているかどうかは、誤魔化す事は難しかった。これはいくら顔の土台が良くても、バレる。毎日のコツコツとした努力は裏切らないという事だろうか。
「そもそも何でメイクなんてしてるの? 莉央ちゃんって子に影響受けた?」
そう聞くと、美嘉は顔を真っ赤にさせていた。
「実は、近所の福音ベーカリーってパン屋の店員さんがイケメンさんなの。けっこう人事異動が激しいらしくて、すぐ店員さん変わっちゃうみたいだけど、今いる人もイケメンで」
福音ベーカリーというと、さっき見かけたパン屋か。確かにチラっと見たあの店員は、不細工ではなかった。もっともアイドルや歌手といった煌びやかさはないが、声を低めで知的な雰囲気だった。どちらかといえばサブカル系の俳優とか、バンドマンのような落ち着きはあった。
「そんなイケメンなの?」
「うん。お姉ちゃんも一度行ったら? あ、でもなぜかイケメンだけど、色気は無いんだよね。恋したいって気分のはなれないの。不思議だよね」
イケメンだけど、色気は無い?
確かに顔は整いすぎている人は、ツッコミ所もなくて、かえって色気は無いと感じたりするが。
「色気はないけどメイクはするんだ?」
「うん。やっぱり芋臭いボサボサ眉で会うのは、恥ずかしいよ」
美嘉は、両手を顔で覆い、心底恥ずかしがっているようだった。居た堪れなくなったようで、テレビの電源を入れていた。夜のニュース番組が流れていた。コロナ渦の中での新卒の就職状況が特集されていた。
会社説明会の映像も流れている。そこに映るのは、全員黒いスーツ、黒い髪の就活生がいた。全員マスクもつけているし、なぜかミサキの目からロボットのように見えてしまった。
「うわー、個性もなんもないね。奴隷みたい」
美嘉は、その映像を見ながら、本音を溢していた。ミサキもそう見える。
メイクを学び、少しでも就活に有利になるように動いていたが、この映像を見ていると何の夢も無くなってしまった。説明会では、人事部の人間だけはマスクを外し、茶髪だ。格差を感じる。奴隷の群れを統治する人間にしか見えなくなってきた。
「お姉ちゃんも、こんな就活活動するの?」
「う、うん……。仕方がないよね」
美嘉には、微妙な表情をされてしまった。思えば、本当に秘書になりたいのかも分からなくなってきた。メイクして見かけだけ良くしても、それで良いのかもわからない。就活を乗り越えるだけの小手先テクニックで、後に続かない気もした。むしろ、こういった世界に馴染めない人間の方が、まともに思えてくる。メイクはマナーと知らずに恥をかいた事例などもネットにあったりするが、画一的な奴隷みたいなスーツや髪型も、正しいのかわからなくなってきた。
奴隷の映像を見ていたら、すっかり食欲が失せてしまい、白米や炒め物も半分以上残してしまった。
「お姉ちゃん食欲ない? だったら、パンでも食べる?」
「パン?」
「さっき行った福音ベーカリーで、余ったもの少し分けてもらった。明日のお昼ご飯にでもしようと思ったけど」
美嘉はそう言いながら、カバンからパンが入った紙袋を取り出した。そこには、真っ黒で硬そうなパンが入っていた。
「えー? 何このパン。日本のパン屋では、見た事無いようなのだね?」
「うん。店員の瑠偉さんによると、ロッゲンブロートっていうライ麦九割も入った珍しいパンみたい」
「えー? そんなの美味しいの?」
ライ麦パンは、酸っぱい印象もあり、柔らかいあんぱん、カレーパン、チョココロネの方が美味しく見えたりするのだが。
「うん。これに生ハム乗せたり、ベリーのジャムなんかもめっちゃ合う。食わず嫌いはもったいないかも。それにライ麦パンはいっぱい噛むから、健康にも良いんだってさ」
美嘉は、育ち盛りだ。夕飯を食べ終えると、そのロッゲンブロートにベリーのジャムをつけて食べていた。
「お姉ちゃんも食べる?」
食べたい気分ではなく断ったが、このパン屋は気になってしまった。
変わったライ麦パンなんて売って採算は取れるのだろうか。イケメンというのも、少し気になる。明日は大学の授業は午前中は休みだし、行ってみようと思った。
「美嘉ー。夕飯できたよ」
ミサキは、自室にいる妹の美嘉を呼び出し、一緒の夕飯を食べる事にした。本当は美嘉も家事を手伝わせるべきなのだろうが、歳の離れているせいか、ついつい家族で甘やかしてしまっていた。本当は美嘉の将来を考えれば、もっと厳しくするべきだが。
「わーい、今日は豆腐祭り? お腹ぺこぺこだよ、食べよう!」
こうして素直の笑顔を見せる美嘉は、やっぱり可愛いと思ってしまったりする。ネットで見かけるようなモラハラ夫だったら、料理にケチつけるかもしれないと思うと、やっぱり美嘉は可愛い。
「うん、食べようね、美嘉」
こうして二人で食卓につき、夕飯を食べ始めた。美嘉は、学校生活についてニコニコ笑いながら話していた。少し前は、典型的な優等生な美嘉だったが、最近は友達も増え、楽しくやっているようだった。特に高瀬莉央という派手目な同級生と仲が良いらしい。ミサキも一度莉央と会ったことがあるが、モデルのような堂々とした美人だった。
その影響もあるのか、美嘉は最近眉毛を整えてメイクをしているようだった。自分は就職の為にメイクを勉強し、メイク禁止の校則にも不満がある癖に、妹がメイクしているのは、何となく嫌だ。矛盾した気持ちで味噌汁を啜ると、少し塩っぱく感じてしまった。何となく学校でメイク禁止の校則がある理由を察してしまった。悪意を持ってルールで縛っている面もあるかもしれないが、子供扱いしていて、純粋で無邪気なままでいて欲しいという幻想みたいなものもあるかも知れない。子供からすればいい迷惑だが、生徒に変に色気をつけて欲しく無いという先生達の気持ちは、何となくわかる。
「美嘉、メイクやってるよね? 学校で叱られない?」
「別に。検査の時はうまくやってるから大丈夫」
美嘉は小賢しく笑っていた。ミサキの胸はモヤモヤが溜まる。確かにメイクはマナーな社会のくせに、校則でそれを禁止しているのは、おかしい。でも、こうやってルールの抜け道を見つけている美嘉を見ると、さらにミサキはモヤモヤとしてくる。美嘉は成績もいいので、やることはちゃんとやっているので、その事で怒る事も出来ない。
「あぁ、あんなに可愛くて小さかった美嘉が、こんなに賢くなちゃって。お姉ちゃんは、微妙だよ」
「でもメイクはマナーなんでしょ? お姉ちゃんだってメイク習ってるじゃん」
そう言われると、ぐうの音も出ない。今の段階では、美嘉のメイクを辞めさせる口実が一つも思い浮かばない。この歳からやっていれば、自分のように就活準備から慌てる事も無いだろう。メイク慣れしているかどうかは、誤魔化す事は難しかった。これはいくら顔の土台が良くても、バレる。毎日のコツコツとした努力は裏切らないという事だろうか。
「そもそも何でメイクなんてしてるの? 莉央ちゃんって子に影響受けた?」
そう聞くと、美嘉は顔を真っ赤にさせていた。
「実は、近所の福音ベーカリーってパン屋の店員さんがイケメンさんなの。けっこう人事異動が激しいらしくて、すぐ店員さん変わっちゃうみたいだけど、今いる人もイケメンで」
福音ベーカリーというと、さっき見かけたパン屋か。確かにチラっと見たあの店員は、不細工ではなかった。もっともアイドルや歌手といった煌びやかさはないが、声を低めで知的な雰囲気だった。どちらかといえばサブカル系の俳優とか、バンドマンのような落ち着きはあった。
「そんなイケメンなの?」
「うん。お姉ちゃんも一度行ったら? あ、でもなぜかイケメンだけど、色気は無いんだよね。恋したいって気分のはなれないの。不思議だよね」
イケメンだけど、色気は無い?
確かに顔は整いすぎている人は、ツッコミ所もなくて、かえって色気は無いと感じたりするが。
「色気はないけどメイクはするんだ?」
「うん。やっぱり芋臭いボサボサ眉で会うのは、恥ずかしいよ」
美嘉は、両手を顔で覆い、心底恥ずかしがっているようだった。居た堪れなくなったようで、テレビの電源を入れていた。夜のニュース番組が流れていた。コロナ渦の中での新卒の就職状況が特集されていた。
会社説明会の映像も流れている。そこに映るのは、全員黒いスーツ、黒い髪の就活生がいた。全員マスクもつけているし、なぜかミサキの目からロボットのように見えてしまった。
「うわー、個性もなんもないね。奴隷みたい」
美嘉は、その映像を見ながら、本音を溢していた。ミサキもそう見える。
メイクを学び、少しでも就活に有利になるように動いていたが、この映像を見ていると何の夢も無くなってしまった。説明会では、人事部の人間だけはマスクを外し、茶髪だ。格差を感じる。奴隷の群れを統治する人間にしか見えなくなってきた。
「お姉ちゃんも、こんな就活活動するの?」
「う、うん……。仕方がないよね」
美嘉には、微妙な表情をされてしまった。思えば、本当に秘書になりたいのかも分からなくなってきた。メイクして見かけだけ良くしても、それで良いのかもわからない。就活を乗り越えるだけの小手先テクニックで、後に続かない気もした。むしろ、こういった世界に馴染めない人間の方が、まともに思えてくる。メイクはマナーと知らずに恥をかいた事例などもネットにあったりするが、画一的な奴隷みたいなスーツや髪型も、正しいのかわからなくなってきた。
奴隷の映像を見ていたら、すっかり食欲が失せてしまい、白米や炒め物も半分以上残してしまった。
「お姉ちゃん食欲ない? だったら、パンでも食べる?」
「パン?」
「さっき行った福音ベーカリーで、余ったもの少し分けてもらった。明日のお昼ご飯にでもしようと思ったけど」
美嘉はそう言いながら、カバンからパンが入った紙袋を取り出した。そこには、真っ黒で硬そうなパンが入っていた。
「えー? 何このパン。日本のパン屋では、見た事無いようなのだね?」
「うん。店員の瑠偉さんによると、ロッゲンブロートっていうライ麦九割も入った珍しいパンみたい」
「えー? そんなの美味しいの?」
ライ麦パンは、酸っぱい印象もあり、柔らかいあんぱん、カレーパン、チョココロネの方が美味しく見えたりするのだが。
「うん。これに生ハム乗せたり、ベリーのジャムなんかもめっちゃ合う。食わず嫌いはもったいないかも。それにライ麦パンはいっぱい噛むから、健康にも良いんだってさ」
美嘉は、育ち盛りだ。夕飯を食べ終えると、そのロッゲンブロートにベリーのジャムをつけて食べていた。
「お姉ちゃんも食べる?」
食べたい気分ではなく断ったが、このパン屋は気になってしまった。
変わったライ麦パンなんて売って採算は取れるのだろうか。イケメンというのも、少し気になる。明日は大学の授業は午前中は休みだし、行ってみようと思った。