住みなれてきた
異郷の
街が、
今日はやけによそよそしく
感じられる──
正面からの
強い
風に
前髪を
吹き
散らされながら、ラグシードは
雑踏のなかに
消えてゆく
男女の
背中を
見送った。
(
青春は
残酷な
季節……って、
昔なんかの
本で
読んだよな)
かつて
文学少年だったころの
残り
香が、
彼の
記憶にかろうじてとどまっていたらしい。
あまり
本を
読まなくなって
久しいが、
今でも
気になる
装丁の
本を
見かけるとつい
手に
取ってしまう。
そうして
彼にお
買い
上げされた
本たちは、ろくに
頁をめくられることもなく
椅子にうず
高く
積まれてゆくのだ。
あるとき
彼の
宿屋をおとずれた
雇い
主が、
乱雑に
放置された
本をながめて
嘆くようにこうつぶやいた。
「これじゃあ
本がかわいそうだよ」
☆
通り
沿いに
建つ
煉瓦づくりの
洗練されたレストラン。その
脇には
細くつづく
石段があった。
人混みの
隙間を
縫うようにして
男の
後を
追い、エルフの
娘が
駆け
登ってゆくのが
見えた。
二人の
姿をいったん
視界の
隅にとらえてから、ラグシードはやや
不機嫌そうに
視線を
反らした。
「──どうしたの?」
傍らにいた
娘にそう
問いかけられて、
青年ははっとしたようすで
現実に
引き
戻された。
短時間だったが、ずいぶん
女々しい
感情に
囚われていたような
気がする──
そんな
自分に、
自分で
嫌気がさしていた。
「ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
素直にそう
詫びてから、
目の
前の
娘にほほえみかける。
「そういえば……
君、
時間のほうは
大丈夫?」
言われてようやく
気がついたのか、
窓硝子越しに
店内の
時計を
見つめて……。その
針が
指している
時刻に
驚いたようすで
娘があわてふためいた。
「──いっけない、もうすぐ
休憩時間が
終わっちゃう!あたしそろそろ
戻らないと……」
彼女は
一瞬だけ、
名残惜しそうにラグシードのほうをちらりと
見つめてから、
鞄の
中から
小さな
革袋を
取りだした。
「これ、
頼まれていた
品物だから
渡してくれって、
父さんが……」
「おっ!もう
完成したんだ?さすがは
親父さんだ。
腕がいいな」
惚れ
惚れするとばかりに
彼は
弾んだ
声をあげると、さっそく
手渡された
革袋の
中身を
確認した。
その
会心の
出来栄えに、うんうんと
満足そうにうなずいてみせる。
「
気に
入ってもらえてよかったわ。スマートな
納品がうちの
店の
取柄だから」
そう
言って
娘は
活発そうな
瞳をくるくると
動かして
笑った。
「お
礼にこれやるよ。
親父さんたちと
工房のみんなで
食べてくれ」
ラグシードは
出来立てのパンが
入った
紙袋を、
無造作に
娘のからだに
押しつけた。
「わあ!いいの?みんなきっと
喜ぶわ」
ありがとうと
笑顔で
手をふってから、
工房の
看板娘は
彼に
背を
向けて
走り
去っていった。
(リームに
彼女の
愛嬌の
半分でもあったらなぁ……)
娘の
背中を
見送りながら、おもわず
胸中で
苦笑いする。
だが、その
瞬間──
なぜか
閃光が
走ったかのように、リームと
初対面したときの
光景が、
脳裏によみがえってきてラグシードは
狼狽した。
(──そうか。
近寄りがたいからこそ、
近づきたいと
思ったんじゃないか?)
見知らぬ
娘を
暴漢たちから
救い
出し、ちょっとした
英雄気分で
鼻唄でも
歌いながらその
場をすみやかに
立ち
去ろうとした。
だが、そうしなかったのは、そうできなかったのは──
「ちょっと
待って!」
呼びとめられて
何気なくふり
返った。
あのとき
初めて
瞳に
宿した
彼女の
姿──
月光を
浴びて
佇むその
人間離れした
美しさに、
一瞬で
打ちのめされたからなのだろう。
心の
準備なんてなにもできてはいなかった。それと
同時に
自分にまだそんな
純真な
部分が
残っていたのかとあきれもした。
(
女に
対する
幻想だとか、だいぶ
薄れてきてたところだったし……)
数年の
放蕩生活はラグシードの
心に、
潤いをあたえもしたが
同時に
目に
見えて
大切ななにかを
奪ってもいた。
神学校を
中退してからの
彼の
急激な
変化は、ただの
反抗という
型にはおさまっていないように
感じられたのだろう。
故郷の
親族たちを
困惑させ、
親しい
友人たちにも
心配された。
とりわけ
両親の
心を
痛ませていることは、
当の
本人がはっきりと
自覚していた──
(でも、どうにもならなかったんだよな。あの
頃は。
自分がなにを
探してるのかもわからないのに、
探してさまよってるみたいな
感じでさ)
それが
旅路の
末、ロジオンという
主君と
運命的な
出逢いを
果たし──
ようやく
自分の
生きる
道がなんなのか。その
片鱗を
見つけたような
気がした。
導かれたご
縁に
感謝して、
自分なりに
役立てるように
研鑽を
続けていた。まわりからは
相変わらずだと
思われていただろうが。
主君を
守るため、
生活の
糧を
得るため。
黙々とただひたすらに
強さを
磨いて。
でも、それだけではなにかが
足りないと
思っていた。ながいことそれがなんなのかわからなかったが──
それを
気づかせてくれたのが、
彼女という
存在なのかもしれない。
「──さてと、そろそろ
邪魔しにいきますか」
焼けるような
陽射しを
浴びながら、ラグシードは
誰に
言うでもなくそうつぶやいた。