18.心の空洞を埋める方法

文字数 2,697文字




(ひと)(いや)(すべ)()(もの)善人(ぜんにん)である』


(おさな)いころから少女(しょうじょ)は、無意識(むいしき)のうちにそう(しん)じこんでいた。


信仰心(しんこうしん)のあつい両親(りょうしん)(もと)(そだ)ったのだから、無理(むり)もない。


()っている小鳥(ことり)(いのち)(すく)ってもらったことで、この(おとこ)のことを──


無条件(むじょうけん)に「いい(ひと)」だと(おも)いこんでいたが、どうやら勝手(かって)はちがうらしい。


「ずいぶんと(すき)だらけだぜ、お(じょう)サン?」


一人(ひとり)うろたえている少女(しょうじょ)姿(すがた)を、青年(せいねん)はとくに面白(おもしろ)がる(ふう)でもなく、ただひたすらに(すず)しい眼光(がんこう)見下(みお)ろしていた。


「──あんたが手放(てばな)せないほどお()()りだっていうこの小説(しょうせつ)のヒロインは、(おさな)いころに()けた(こころ)(きず)(いや)すために街娼(がいしょう)となり──


(つみ)()りながらも、複数(ふくすう)(おとこ)たちとただれた関係(かんけい)(つづ)ける。


()たされない(むな)しさの代償(だいしょう)に、私生児(しせいじ)()()愛情(あいじょう)(そそ)ぎこむが、所詮(しょせん)うまくいくわけもない。


父親(ちちおや)名乗(なの)りでた、子供(こども)のいない貴族(きぞく)(おとこ)()()(うば)われて、最期(さいご)絶望(ぜつぼう)して(いのち)()()すわけだが……」


そこで一呼吸置(ひとこきゅうお)くと、(かれ)(まど)わすようにレクシーナの耳元(みみもと)(くちびる)(ちか)づけてささやいた。


(おれ)ならもっと(べつ)のやり(かた)で、(こころ)空洞(くうどう)()める方法(ほうほう)()ってるけど?」


少女(しょうじょ)にそう()いかけながらも、ムスタインは内心(ないしん)(どく)づいていた。


そんなこと()っているわけがない。


自分(じぶん)()りたいくらいだと、どこか()めきった(あたま)片隅(かたすみ)でそんなことを(おも)う。


一方(いっぽう)真新(まあたら)しいシーツの(うえ)(おとこ)()()かれながら、少女(しょうじょ)葛藤(かっとう)していた。


(──この(ひと)(なに)(かんが)えているの?わたしに(なに)をしようっていうの……?わからない、わからないわ……)


相手(あいて)がどのような意図(いと)があってこんなことをするのか、理由(りゆう)がわからずに混乱(こんらん)し、レクシーナの(こころ)(はげ)しく(みだ)れた。


「──どうしてこんな(はずかし)めを──?」


()けなければいけないの……?
そう言葉(ことば)(つづ)くはずだった。


はずだったのだが……。


至近距離(しきんきょり)から()るような視線(しせん)()つめられて、レクシーナはこらえきれず(ひとみ)をそらした。


(──(かお)(ちか)い──)


(おも)わず(ほお)(あか)()まる。


レクシーナはそれまで、まともに青年(せいねん)(かお)()たことはなかった。


臆病(おくびょう)彼女(かのじょ)は、(ひと)視線(しせん)苦手(にがて)だった。


自分(じぶん)()つめる視線(しせん)は、どこか()()さるような(かん)じがして(こわ)かった。


だから(だれ)かから()つめられても、自分(じぶん)からは極力(きょくりょく)視線(しせん)をあわせないようにしてきた。


そうして()つめられることを、(つと)めて()けてきたのだった。


そのせいでこれまで恩義(おんぎ)のある青年(せいねん)(かお)も、ろくに直視(ちょくし)できないでいたのだが。


不可抗力(ふかこうりょく)でこうして、間近(まぢか)()せつけられてみると……。


その容姿(ようし)は、おそろしく(ととの)っていることがわかった。


たとえるなら(ひと)威圧(いあつ)するような、鋭利(えいり)(やいば)にも()(うつく)しさ。


黒髪(くろかみ)隙間(すきま)からこぼれ()ちるやや()(なが)(ひとみ)。その瞳孔(どうこう)比類(ひるい)なき生粋(きっすい)のエメラルドの宝玉(ほうぎょく)


こちらを不敵(ふてき)見下(みお)ろすその眼光(がんこう)は、異様(いよう)なまでの自信(じしん)怜悧(れいり)(かがや)きに()ちていた。


「──どうせキスなんか、したこともないんだろ?」


おまえのことなどお見通(みとお)しだとばかりに、()めつけるような口調(くちょう)でそう()ってくる。


「はい」とも「いいえ」ともこたえられずに沈黙(ちんもく)(まも)っていると、華奢(きゃしゃ)なからだにわざと負担(ふたん)をかけるように()しかかってきた。


「……んっ……」


少女(しょうじょ)身動(みうご)きを(ふう)じられ、()さえつけられた(しろ)(うで)には赤黒(あかぐろ)くあざが()いていた。


(うる)んだ(ひとみ)戸惑(とまど)いと()じらいをふくみながら、(いま)不安気(ふあんげ)にゆれている。


「……(はな)して……(はな)して、ください……」


ようやくしぼりだした言葉(ことば)は、むなしく黙殺(もくさつ)された。


少女(しょうじょ)底知(そこし)れぬ危機感(ききかん)(おぼ)え、なおも必死(ひっし)(おとこ)懇願(こんがん)する。


だが──


「もし、()きでもない(おとこ)(はじ)めてを(うば)われたら、いったいどんな気持(きも)ちになるのか……(おれ)(おし)えてくれよ……」


ときとして(よご)れていないものほど、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)(よご)してみたくなる。


それがあのフォルトナの末裔(まつえい)──(むな)くそ(わる)優男(やさおとこ)(いもうと)ならば、余計(よけい)にだ。


()みにじられても()られても、(だま)って()えるしかない(ちい)さく可憐(かれん)(はな)


(──(けが)してやる──!)


(すず)やかな()()(はん)して青年(せいねん)胸中(きょうちゅう)には、どろどろした(いわ)れのない感情(かんじょう)渦巻(うずま)いていた。


(おまえを()(なお)れないくらいに(おとし)めてやる──)


貴族(きぞく)(むすめ)という、(ひと)にかしづかれ支配(しはい)する立場(たちば)()まれつきながら、臆病(おくびょう)()っこみ思案(じあん)なレクシーナ。


それでいて(きず)つきやすく、けなげで(はかな)げな物憂(ものう)少女(しょうじょ)


その(こころ)身体(からだ)()みにじったなら、(いた)めつけてやったならば……。


(……(おれ)は、満足(まんぞく)するのか……?)


(おも)わず自問(じもん)する。


(こた)えはまだわからない。
これからきっと(すこ)しずつわかりはじめるのだろう。


青年(せいねん)瞳孔(どうこう)が、わずかに真剣(しんけん)様相(ようそう)をおびはじめたとき。


(ゆび)にはめていた装身具(そうしんぐ)がにぶく(ひかり)(はな)った。指輪(ゆびわ)はそのまま(ひかり)(たも)ち、(しず)かに明滅(めいめつ)した。


「……組織(そしき)からの()()しか……」


(うつ)ろな()(ほそ)めると、ムスタインはいつもより憂鬱(ゆううつ)そうにうめいた。


すこしの()があり、けだるげに(かれ)(かた)からため(いき)()きだす。


それは緊急(きんきゅう)(よう)する、幹部(かんぶ)たちへの招集(しょうしゅう)命令(めいれい)だった。


ムスタインといえども組織(そしき)(ぞく)する(もの)


くだらない理由(りゆう)で、処罰(しょばつ)対象(たいしょう)になどなりたくはない。


「あーあ、かったるい。正直(しょうじき)、あんたと(たわむ)れてたほうが百倍(ひゃくばい)マシだぜ」


うんざりしたようすで寝台(しんだい)から()()こすと、(かれ)はふて(くさ)れた(かお)のまま、(くび)(かた)関節(かんせつ)()らした。


その(よこ)でしばらく身動(みうご)(ひと)つできずに、放心(ほうしん)していたレクシーナだったが……。


「……あの……」


決死(けっし)覚悟(かくご)でくちびるを(うご)かした。


「ん?」


ふり()いてムスタインは、()()けたような返事(へんじ)をかえす。


この状況(じょうきょう)で、(こえ)()勇気(ゆうき)がこの(むすめ)にあったことを、(かれ)素直(すなお)におどろいていた。


意外(いがい)そうな(かお)でレクシーナを()つめている。


「……あなたの、名前(なまえ)……まだ、()らないんですけど……」


ひどいことをされそうになった。
その恐怖(きょうふ)戸惑(とまど)いで──


心臓(しんぞう)鼓動(こどう)(いま)も、はり()けそうなほどの(はや)さで脈打(みゃくう)っている。


だが、それでも(かれ)(あい)する小鳥(ことり)(すく)ってくれた、彼女(かのじょ)恩人(おんじん)()わりないのだ。


(かれ)()()が、名前(なまえ)()りたかった。


だが、そんな少女(しょうじょ)(せつ)なる(おも)いは、(とど)かない──


(おれ)名前(なまえ)なんか、()かないほうが……。そのほうがあんたの()のためだよ」


なぜかそれまでの邪悪(じゃあく)さがなりを(ひそ)めたように、青年(せいねん)はおだやかな口調(くちょう)でそう()げた。


最後(さいご)()たムスタインの(ひとみ)空洞(くうどう)で、その瞳孔(どうこう)がなにを(うつ)しているのか、少女(しょうじょ)には皆目(かいもく)わからなかった。


おそらく(だれ)にもわからないのだろう。


いつも()づいたときには、(かれ)はこつぜんと姿(すがた)()している。


(わか)れの言葉(ことば)()げたことはない。


(ほう)()されたように、いつも一人(ひとり)になる。


一人(ひとり)空間(くうかん)()()りにされる。


だれもいなくなった部屋(へや)にとり(のこ)されて──
心細(こころぼそ)さに()きそうになる。


まっ(しろ)天井(てんじょう)()つめながら、その途方(とほう)もない(しろ)さに……。


少女(しょうじょ)永遠(えいえん)に、自分(じぶん)拒絶(きょぜつ)されているような(さび)しさを(おぼ)えた。


(……あなたは名前(なまえ)すら、わたしには(おし)えてくれないのね……)



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