ところ
変わって、マインスター
家のアナベルの
部屋。
ここでは
相も
変わらず、
甘い
菓子とハーブティーの
香しい
芳香に
包まれている。
さながら
乙女たちの
饗宴といったところだ。
「さっきからお
菓子食べてないみたいだけど、ダイエットでもしてるの? せっかく
都でも
人気のパティシエに
特注したのに」
古代の秘法の
底知れぬ
力にふれ、
焦燥にかられている
親友の
胸中など
知りもせず、アナベルはぶつくさと
不満をもらした。
ロジオンとの
記憶をうしなった
彼女には、およそ
危機感といったものがいっさい
欠落していた。
色彩豊かなトッピングが
盛られた
紋章入りの
焼き
菓子を、
一人で
黙々と
口に
運んでいる。
「お
菓子はよすわ。そんな
気分じゃないの」
リームは
頭をふると、うんざりしたようすで
生返事をかえした。
(
万策つきた?ううん、あきらめるのはまだ
早い。
私にできること──そうよ!
占いがあるじゃない!
案ずるより
生むが
安し。とりあえずやってみよう!)
彼女はさっそく
占いの
準備に
取りかかった。
それまで
整然と
菓子が
並べられていたテーブルの
上に、
神秘的な
輝きを
放つ
水晶球が
鎮座した。
「ちょっと、
急に
占いはじめるなんてどうしちゃったの?」
とまどいながらも
興味を
惹かれたのか、アナベルは
食事の
手を
完全に
休めて
水晶をのぞきこんだ。
「いいからあなたは
前に
座って、できれば
頭をからっぽにしてリラックスしててね」
そう
早口で
告げると、リームは
神経をとぎ
澄まし
水晶球に
思念を
送った。
(──
朽ちかけた
教会。あれはたぶん
東街。……
地下墓所がある……
知らなかったわ……。
教会と
秘密の
通路でつながっているのね。でも、アナベルの
失われた
記憶とは
関係ないんじゃ──)
「おっと、それ
以上の
詮索をされちゃあ
困るなぁ」
室内におどけたような
声が
響き、
二人は
警戒して
周囲を
見まわした。
開け
放たれた
窓からざっと
風が
流れこみ、レースのカーテンを
激しくたなびかせた。
無人だったはずのバルコニーの
一角に、
不可思議なゆがみが
生じていた。
まるで
空間を
切り
裂くように、こつぜんと
黒装束の
青年が
姿を
現していた。
「ど、どうなってるの……?」
困惑したようすのアナベルは、
見知らぬ
男の
顔を
見つめて
茫然とつぶやいた。
「──
失礼。
俺もレディーの
部屋に
無遠慮に
忍びこむ
趣味はないんだが、こっちもなりふりかまってられない
状況なんでね」
鴉色の
長髪をたなびかせ、
青年は
硬直している
二人には
目もくれず、
水晶球が
輝くテーブルの
前に
歩み
寄った。
「まずは、
任務を
遂行するとするか……」
淡々とつぶやくと、
水晶球を
台座から
奪い
取り、なんの
躊躇いもなく
床に
叩きつけた。
耳をつんざくような
破裂音とともに、
水晶は
粉々に
砕け
散り、その
衝撃で
欠片が
宙に
舞い
踊った。
「なにをするのっ!……とんだ
侵入者ね。あなた、
何者?」
いつになく
険しい
形相で、リームが
黒装束の
男を
追及すると、
「ロジオンとかいう
優男知ってるだろ?そいつが
心酔してるお
姫様ってのは、あんたのことかい?」
男は
質問には
答えず、
鋭い
一瞥をリームとアナベルに
向かって
交互に
浴びせた。
しかし、その
眼光にすぐさま
失望の
色がうかぶ。
「──ちっ!まだ
誰とも
契約をかわしてねぇのか。
臆病風吹かせやがって。『エレプシアの
乙女』がいないんじゃしょうがねえ。どっちを
連れてっても
同じ……」
言葉を
中断しアナベルの
顔を
凝視すると、
男は
口許をななめに
持ちあげて
笑った。
「あんたのほうが
役に
立ちそうだ。お
嬢さん、
人さらいにご
同行願えますか?」
ふざけたセリフを
見聞きしたのと、アナベルが
目にも
留まらぬ
速さで
青年に
捕らわれ、
泡沫のようにかき
消えたのは、ほとんど
同時だった。
(なっ!?……
瞬間移動!
何者なのよ、あいつ!そんなことよりも……!!)
「──アナベルぅっ!!」
リームの
悲痛な
叫びが
屋敷にこだました。
☆
ふいに
嫌な
予感が
全身を
電流のように
駆け
抜けて、ロジオンは
反射的に
背後をふり
返っていた。
誰もいない──
彼はあせりを
感じて
歩みを
速めた。
ざらつくように
一瞬まとわりついた、
今の
凶悪な
思念のかたまりはなんだったのだろう?
同時に
大切なものを
奪われたような
不安が
押しよせ、
平面だった
感情にさざ
波が
立つ。
(──なんだ?
心の
一部がごっそりと
持っていかれたようなこの
喪失感は……。なにしろここは『
黒い
蛇』の
本拠地だ。
物騒な
思念にさらされて
当たり
前か。
奴らの
欲している
生贄が、むざむざ
殺されに
現れたようなものだからな)
ロジオンは
深いため
息をつき、
虚ろな
視線を
頭上に
向けた。
地下とはいえよほど
深く
掘り
下げたとみえ、
天井ははるか
高みにある。
地下都市にもぐってからそう
時はたっていないものの、ロジオンは
早くも
地上に
戻りたい
衝動に
駆られていた。
あの
陽だまりのような
温かい
空気にふれられたら……どんなに
幸せだろうか。
もはや
手放してしまった
少女の
面影を
心に
描いて、
彼はせつない
気分に
襲われた。