「──ロジオン………
大丈夫か──?」
敵の
放った
呪文により
深手を
負った
兄が、よろめきながら
必死に
弟の
安否をうかがった。
「
兄さん……
僕ならここに………」
今にも
崩れそうな
断崖に、
弟はしがみつくようにして
倒れていた。
「おまえ──さっきの
呪文で
自分まで
吹っ
飛ばされたのか!?」
「こんなに
地盤が
弱くなってるなんて、
想定外だったよ。まだまだ
爪が
甘いね………」
凄まじい
豪雨の
影響で
土がぬかるんでいる。このままでは
地盤がいつ
崩れてもおかしくない
状況だった。
「そっちは
下手に
動くと
危ない!いいか、
俺が
行くまでそこ
絶対に
動くなよ」
そう
強く
念を
押し、
大地を
懸命に
這いつくばって、
兄は
弟を
安全な
場所へ
移動しようとこころみた。
だがその
時、はるか
遠方から
不吉な
叫びが
大気を
震わせ
響きわたった。
「──いたぞ!
通達があった
侵入者だ!
至急、
仲間を
集めろ。
何人たりとも
我が
森から
出してはならぬ!」
先ほどの
黒装束の
仲間が
騒動を
聞きつけたのか、
決死の
形相でこちらに
迫りつつあった。
直感的にいち
早く
危険を
察知した
兄は、
弟に
向けて
声をからして
叫んだ。
「
俺が
危なくなったら、おまえだけでも
逃げろっ!………いいな、これは
命令だ。
俺はおまえより
偉いんだからな!!」
「
兄さん……?
急にどうしちゃったんだよ!
二人で
逃げるに
決まってるだろ。らしくもないこと
言わないでくれよ………!」
だが
訴えもむなしく、
必死にしがみついている
岩壁が
鋭い
牙をむき、
容赦なくロジオンの
手のひらを
紅く
染めてゆく。
したたり
落ちる
血の
匂いで
頭がどうにかなりそうだった。
「うかつだった、まさか
連中の
根城がこんなところにあるとはな………」
いつもは
自信に
満ちた
兄が
激しく
動揺する
姿を
目の
当たりにして、ロジオンの
胸に
不吉な
予感が
押し
寄せてきた。
「
連中ってどういうこと?
兄さんはなにか
知っているの!?」
兄はまるで
自分を
落ち
着かせようとするように、ほとんど
一方的に
話しはじめた。
「おまえの
一族はな、
邪教集団『黒い蛇』と
深い
因縁があるんだよ。
母さんは
黙ってたけど
俺は
好奇心が
抑えられなくて──
秘密裏に
調べてた。
父さんはなにも
知らない。のんきなもんさ。ま、そこに
救われてもいたけどな。
俺も……あの
人も。もっと
早く
話すべきだった。だが
今はもう
時間がない………」
「なんの
話だかさっぱりわからないよ!
話なんか
後でいくらでもできるだろ!そんなことより、
今は
生きのびることを
考えようよ!」
絶壁に
腕が
悲鳴をあげていた。
捕まるのが
先か、
落ちるのが
先か………。
いずれにせよ
無事では
済まされないだろう。だが、そんなことは
問題ですらなかったのだ。
この
直後、
兄の
口から
自然に
滑り
出た
言葉の
重さ。
頭に
鉄槌を
食らったような
衝撃にくらべれば。
「………いや、ここでお
別れだ。
俺は
囮になる」
「………!?」
「いたぞ!やはり
教祖様のご
宣託どおりだ。あの
男の
首飾りを
見ろ!」
黒装束の
一人が
歓喜にむせぶような
声を
発した。
「あれこそが
継承者の
証………
古の
魔法の
民。
神の
血脈が
混ざりしフォルトナの
末裔。おお、ついに
悲願の
達成される
時が
来たのだ。
黒い
蛇に
栄光あれ!」
暗い
森に
遠雷が
鳴り
響き、
異常な
興奮状態が
人間たちを
狂気に
駆り
立てていた。
「おまえが
止めようと
俺の
意志は
変わらないぜ。
追いつめられた
原因は
俺にある。
都合がいいことに
連中はかんちがいしてるようだ………
利用するっきゃないよな。
今証を
持っているのはこの
俺なんだから」
翠玉の
首飾りをにぎり
締め、
瞳に
決意をみなぎらせている
兄は
異様な
迫力があった。
その
眼にひるみ、
怖気づきそうになりながらも、ロジオンは
必死に
反抗をこころみた。
「なに、
言ってんの?
兄さんはさっきから
一人で
先走りしてるみたいだ!フォルトナ
一族のことならアンテーヌからいろいろ
教わったし、
兄さんより
僕のほうが
詳しいはずだ。
今さら
僕になにがある!?」
ロジオンが
食ってかかると、
兄は
皮肉な
様相で
鼻先でわらってみせた。
「おまえはあの
婆さんから
魔法以外のなにも
教わっちゃいなかったんだな。とんだ
誤算だぜ。おまえは
特別な
人間なんだよ………
俺が
嫉妬するくらいにな。だからちょっとは
自覚しろよな」
(………
嫉妬?そんなものとは
無縁なはずだ。
嫉妬、
兄さんがこの
僕に………なぜ?)
頭が
混乱しそうだった。
必死にしがみついている
指がすでに
麻痺しているように、
心の
中までしびれが
浸透してきそうだ。
「それと、
今までおまえから
奪ってばかりだったからな………せめてもの
罪滅ぼしさ」
「なに
言ってんだか
全然わからないよっ!
僕からなにを
奪ったっていうんだ!いつももらってばかりだったのに………!!」
弟の
絶叫に、
兄は
困ったような
微笑を
浮かべる。
優しいけれど
残酷な
言葉をささやく
時、
彼は
決まってそんなふうな
顔になる。
「それだからおまえは
馬鹿なんだよ。
俺は
自分が
一番愛されていると
自惚れることで、
安心してかわいそうなおまえを
可愛がることができたんだ。
優越感からくる
憐憫の
情ってやつさ。まったく
鼻持ちならない
兄貴だろ?」
「
兄さん………」
彼はすでに
焦点の
合わない
瞳で
弟を
見つめた。
その
目尻に
涙がにじむ。
無念の
想いがこみあげてくるが、
今は
感傷にひたっている
猶予はない。
「これで
納得したか、おまえから
愛情をうばっていたのはこの
俺だ。お
人好しがこんなところで
死ぬな。やりきれないからよ………!もっと
幸福を
味わえ、
俺の
分まで……
生きのびろ……」
彼はとっさに
首飾りを
引きちぎると
弟の
胸に
押しつけ、
最後の
気力をふりしぼり
渾身の
力で
崖の
底に
突き
飛ばした。
「
兄さぁぁぁぁんっ!?」
伸ばした
腕は、
血を
流しながら
宙を
虚しくかすめた。
(なにが
秘儀呪文だ!なにがフォルトナの
末裔だ!!
僕はおそろしく
無力だ………こんな、こんな
不甲斐ない
男に
神様は
力をお
与えになったのか!?なにもできないこの
僕に!)
「うわぁぁああああああぁああっっ!!!」
あふれた
涙の
粒が
空気中に
弾けて
散った。
ロジオンは
斜面を
転がり
落ち、
全身を
強打して
意識を
失った。