視線が
宙をさまよい、
地上に
吸いこまれるように
落下した。
その
場の
空気が、
一瞬で
凍結したようにロジオンには
感じられた。
『ようするに
俺も『フォルトナの
末裔』だってことさ。
誰だかわかんねぇ
呪われた
親父と、いにしえの
魔法の
民ルクティアの
間に
生まれた
子供。……おまえのもう
一人の
兄貴なんだよ……』
無情ともいえるムスタインの
言葉が、ふたたび
脳裏によみがえる。
ロジオンは
心がよどんでくるような
暗澹とした
気持ちにさいなまれた。
「……ふざけるな……」
頭のなかをさまざまな
感情が
駆けめぐっている。
これが
真実なのか
偽りなのか……
誰も
審判は
下してくれない。
ことの
真偽を
確かめるのさえおぼつかない
混乱の
最中。
彼はようやく
声をしぼりだすと、
怒りにまかせてムスタインを
睨みつけた。
「
信じないんだ?
俺とおまえじゃなにもかも
似ていないからか?……
容姿、
性格、
能力、
嗜好、
環境、
所属、
血縁者の
有無、
恋人がいるかどうか……。おまえにあって
俺にないものもあれば、その
逆もあるか」
「なにが
言いたいんだ!?」
「そうイライラするなよ。そんな
姿を
見たら、
愛しのアナベルが
幻滅しちゃうぜ?」
彼女が
失望するかどうかは
別として、
確かに
今の
自分は、
冷静さをうしなっているかもしれない。
それほど
敵対するムスタインが
『フォルトナの末裔』であり、彼の異父兄弟にあたるという
告白は、
思わず
目を
背けたくなるほどの
衝撃をロジオンに
与えた。
(あいつが
僕の
兄弟かもしれないなんて!!そんな
残酷なこと……
絶対に、
絶対に
信じたくはない……!!だけどそれが
真実ではないと
断言する
理由もない……)
もちろんそれが『
黒い
蛇』の
司教から
語られたという
事実を
加味すると、すべて
鵜呑みにするのは、
愚かで
危険すぎることのように
思えた。
「ムスタイン……。おまえが
本当に『フォルトナの
末裔』だっていうのなら、
今からその
証拠を
見せてみろ!」
いつになく
激しい
語調でロジオンが
叫ぶと、ムスタインはめずらしく
困惑したような
表情を
浮かべた。
そうしてややもったいぶった
態度で、
返答に
応じた。
「そうしたいのは
山々なんだが、かんじんの
写本は
教団で
厳重に
保管されてるからなぁ……。
俺は
一度読んだことがあるだけだ。それでも
重要な
部分だけは
記憶してるぜ」
ムスタインは
得意そうな
顔で
言ってのけた。
「【フォーチュン・タブレット罪案篇・第九条、エレプシアの乙女との姦淫の禁止】」
「…………!!…………」
『汝、乙女と結ばれしとき、契約は破れフォルトナの加護を失う。乙女は純潔でなければならない』」
それは
恋人たちにとっては、
残酷すぎる
制約だっただろう。
初めて
目にしたときの
暗澹とした
気持ちを、
彼は
今でも
覚えている。
すべて
承知のうえでアナベルと
契約を
交わしたはずだったが、こうして
他者の
口を
借りて
耳にすると、よりいっそう
責め
苦を
増してのしかかってくるようだった。
「
君たち
愛しあってるのにかわいそうだね。
高尚な
理想のまえには、
好色な
煩悩は
封印しないといけないなんて、
若い
恋人たちにしてみれば
蛇の
生殺しだろ」
怒りでふつふつと
身体の
芯が
熱くなってくるようだった。
「おまえはどうなんだ?ムスタイン……。おまえも『フォルトナの
末裔』なら、
愛する
人と
契約をかわさないのか……?」
「言っとくけどそれ、俺には関係ねぇんだ。そもそも俺は最初っから神サマに見放されてるもんでね。一応その理由を教えといてやろうか?俺の親父はフォルトナ一族でありながら、禁忌である【同胞殺し】をやってのけた……いわば一族を皆殺しにした極悪人なんだよ」
「なん……だって……?」
「あくまで組織の人間から聞かされた話だけどよ。俺も犯行の動機はまったく知らねぇ。だが殺戮のかぎりをつくした親父も、ルクティアだけは手にかけることができなかった。すべてに絶望し、発狂した親父は自ら命を絶った。けっきょく愛する女に殺されたようなもんさ」
ことの
重大さ、
残忍さにも
関わらずあまりにも
淡泊なムスタインの
発言だった。
ロジオンはその
事実に
一人騒然としていた。
(なんてことだ……!
皆殺しだなんて……そんな
話一度も
聞いたことがない!もし、ムスタインの
言っていることが
真実だったとしたら、
今もまだフォルトナ
一族が
隠れ
住んでいる
里があるというアンテーヌの
言葉は
嘘だということになる……!
師匠とムスタイン……
僕はどちらの
言葉を
信用したらいいんだ!?)
ロジオンの
葛藤の
激しさとは
対照的に、ムスタインは
淡々としたようすで
陰惨な
過去の
生い
立ちを
語ってゆく。
「赤ん坊だった俺は、生まれてすぐ『フォーチュン・タブレット』の写本を狙っていた『黒い蛇』に捕われた。これが俗にいう運命の分かれ道ってやつ?両親ともに『フォルトナの末裔』でありながら、親父の犯した罪状のせいで、俺には生まれつき【罪人の烙印】が刻みつけられていた。……その呪いのせいで、俺はフォルトナの恩恵に授かれないらしい」
こちらに
見せつけるかのように、
漆黒に
濡れた
前髪をかきあげる。
すると、それまで
隠されていた
額の
刻印があらわになった。
額の
中央に
刻まれていたのは、
五芒星を
逆さにした
逆ペンタクル。
「逆五芒星か……」
うめくようにロジオンの
喉からその
言葉が
発せられると、ムスタインは
愉快そうに
笑いながら、
風でまとわりついてきた
黒衣をうっとうしそうに
翻した。
「これが
悪魔の
象徴だってさ。
俺を
危険視した
監視役のばーさんが、
『継承者の証』を
取り
上げておまえに
与えた……。おまえの
首に
下がってるソレは、もともとは
俺の
持ち
物だったんだぜ?」
思わずハッとして、
胸元の
首飾りを
確認する。
それは
神秘的な
翠色に
耀きながら、
星空の
下で
淡く
発光していた。
「まったく
皮肉なもんだぜ。
運命は『
純潔』な
血統の
俺よりも、『
混血』のおまえを
正統なる
継承者に
選んだんだ。これが
憎まずにいられるかってんだ……」
「………………………」
両者のあいだに、
底知れない
闇がわだかまっていた。
「幼かった俺がなにをした?悪いのはぜんぶ親父だ。俺じゃない。なのに人に罪をなすりつけたまま死にやがった。生まれたときから【罪人の烙印】を背負わされた俺は、いったい誰を憎めばいい?」
「……ムスタイン……」
そのつぶやきには、いくばくかの
憐れみや
同情がふくまれていたのだろう。
ムスタインは
無言のままロジオンの
顔を
見据えると、いまいましげに
唾を
吐き
捨てた。
「お
得意のあわれみはよしてくれよ。
侮蔑以外のなにものでもないことぐらい、おまえの
鈍重な
脳ミソでもわかるだろ?」
「………………………」
目の
前に
広がる
殺伐とした
大地から、
冷たい
風が
流れこんでくる。
「
今度はおまえが
理不尽な
運命に
蹂躙される
番だぜ?」
永遠の
闇夜を
引き
裂くように、ムスタインの
背後で
空間の
裂け
目が
出現した。
ロジオンは
身動き
一つとれないまま、その
光景を
凝視していた。
「せいぜい
今のうちに
幸福でも
噛みしめとくことだな。かじっても
味がしなくなったら、たぶんもう
手遅れだから……」
一方的に
意味深な
言葉だけを
残し、
黒装束の
男は、
漆黒の
闇に
溶けるようにかき
消えた。
☆
凍てついた
空気が、ロジオンの
頬をつめたく
包んでゆく。
ムスタインが
立ち
去ったあとも、
彼は
放心したようにその
場に
留まり
続けていた。
(……
神様はやっぱり
残酷だ……。いつだって
僕が
望まないほうの
運命を
目の
前に
啓示する……!)
絶望的なまでに
静まりかえった
空間に、
大地を
踏みしめる
音がさりげなく
響いた。
神経が
過敏になっていたせいだろう。
ロジオンは
反射的に
攻撃のかまえをとっていた。
だが、その
姿を
認めて、はりつめていた
緊張の
糸がふっとゆるんだ。
視線を
転じた
先に、
飛び
去っていったはずの
白金の
使い
魔が、いつの
間にか
合成獣化してこの
場にたたずんでいた。
セルフィンは
大地に
降り
立って、
無垢な
瞳でこちらをじっと
見つめている。
その
瞳は
帰るべき
場所へ、ロジオンの
帰還をうかがっているようだった。
『
約束して……。
一分一秒でも
早くあたしのところに
戻るって』
その
瞬間、
頭のなかに
愛しい
少女の
声が
響きわたった。
(……
今までアナベルのことを
忘れてた……)
なぜこんな
大切なことを
忘れていたのだろう?
愕然とした
想いとともに、
心の
奥に
呼び
覚まされた
少女の
記憶。
『またあたしを
置き
去りにするの……?』
そう
切実にうったえた
純真な
瞳が、
今はなぜだか
自分を
傷つけていく。
たった
一人の
少女の
約束さえ
守れない
自分。
身勝手だと
思いつつ、ぽっかりと
穴があいてしまったようなさびしさに
満たされた。
(
自分のことで
精一杯だったとはいえ……
彼女はずっと
僕を
心配して
待っててくれてるっていうのに……)
見上げた
満天の
星空はしみわたるほど
綺麗で、いやでも
汚れた
自分の
姿をくっきり
照らしてゆく。
(……
僕は
最低だな……)