2.たとえば俺が人殺しでも、愛してくれるの?

文字数 2,836文字




この(おとこ)のことはなにもわからない。
名前(なまえ)()らない。


自分(じぶん)(まえ)では名乗(なの)らないし、たずねてもはぐらかされてしまった。


ようするに「おまえなどには(おし)えたくない」ということだ。


(かべ)からせり()した窓枠(まどわく)頬杖(ほおづえ)をつきながら、(こころ)奥底(おくそこ)から(ふか)いため(いき)をもらす。


最果(さいは)ての大地(だいち)は、故郷(こきょう)デルスブルクの雄々(おお)しくも秀麗(しゅうれい)山肌(やまはだ)は、少女(しょうじょ)(つつ)みこんでくれはするものの。


どこか(つめ)たくつきはなすような(きび)しさも、(どう)()(うった)えかけてくるようで、彼女(かのじょ)(しず)かに()をそむけた。


名前(なまえ)(いつわ)られることと、名前(なまえ)(おし)えてもらえないこと。


どちらがより残酷(ざんこく)なのだろうと(かんが)えて、(しょう)(じょ)はやはり後者(こうしゃ)なのじゃないかと(かん)じた。


ほんの(すこ)しだけ絶望(ぜつぼう)をおぼえながらも、レクシーナは自分(じぶん)もまた、相手(あいて)名前(なまえ)(おし)えていないことに()づいた。


名前(なまえ)()んでもらえたら、それだけで()いあがるくらいに(うれ)しいだろうな……。


そう(おも)いはするけれど、きっとかなわずに()わるに()まってる。


(かれ)はそのようなことを()いてこないし、おそらく自分(じぶん)興味(きょうみ)もないのだろう。


名前(なまえ)()()わない関係(かんけい)──


そんなドライでやや淫靡(いんび)恋物語(こいものがたり)を、むかし()んだことがあるが。


大人(おとな)すぎて背伸(せの)びしても(とど)かないような、しょせん自分(じぶん)とは無縁(むえん)世界(せかい)のお(はなし)だった。


あこがれても()(はい)らないものを()つのは、もうやめたのだ──


そう何度(なんど)自分(じぶん)()()かせた。


(かれ)()しいのは、(ほっ)しているものは──


屋敷(やしき)何処(いずこ)かに(ねむ)っている、宝刀(ほうとう)名高(なだか)三日月の曲刀(クレッセント・ダガー)


最愛(さいあい)(あに)セルフィンが愛用(あいよう)していた、月光(げっこう)()びてなおいっそう(かがや)きを()流麗(りゅうれい)(かたな)だ。


(あに)死以後(しいご)、その行方(ゆくえ)がわからず、いまだ手渡(てわた)せないままだ。


青年(せいねん)(にが)失望(しつぼう)()めるのは、空白(くうはく)()時間(じかん)をとりもつのは、残念(ざんねん)ながら自分(じぶん)などではない。


(くろ)(ふく)()蒼白(あおじろ)(かお)をしてたたずむ()せた小娘(こむすめ)に、(わか)(おとこ)が……。


(ほう)っておいても(おんな)がすり()ってくるような美男(びなん)興味(きょうみ)をしめすはずもない。


その()わりとなるのが、(きら)びやかな菓子(かし)に、異国情緒(いこくじょうちょ)をその(こう)()らしめる茶葉(ちゃば)


この()()ての()(みず)()れた(ちゃ)は、きっとどんな来客(らいきゃく)をも満足(まんぞく)させることができるだろう。


いつ()るかもわからない来訪者(らいほうしゃ)出迎(でむか)えるために、毎日(まいにち)もてなす用意(ようい)をしては(かた)()として悲嘆(ひたん)()れる。


そんな()何日(なんにち)(つづ)いた──

        ☆

(こころ)空洞(くうどう)()めるために、レクシーナは(ほん)ばかり()んで()ごしている。


少女(しょうじょ)(いさぎよ)くその物語(ものがたり)世界(せかい)()びこんでゆく。


(なん)のためらいもない。現実(げんじつ)少女(しょうじょ)()きながら()んでいるようなものだからだ。


そして物語(ものがたり)没頭(ぼっとう)している(あいだ)だけは──


(──わたしはわたしを(わす)れていられる──)


──現実逃避(げんじつとうひ)。そう、自分自身(じぶんじしん)から()をそむけていたいから、毎日毎日憑(まいにちまいにちと)りつかれたように(ほん)(ページ)をくっているのだ。


躍起(やっき)になって、まるで活字中毒者(かつじちゅうどくしゃ)のように──


(あさ)()(ひる)()てやがて(よる)()て──


()わり()えのしない日常(にちじょう)が、無限(むげん)ループのようにくり(かえ)されている。


レクシーナは時間軸(じかんじく)からとり(のこ)され、放置(ほうち)された人形(にんぎょう)のようにソファーに身体(からだ)(よこ)たえていた。


昨夜(さくや)(ほん)夢中(むちゅう)になりすぎていて(ねむ)りに()ちるのがいつもより(おそ)かった。


まだカーテンの隙間(すきま)から()()してくる昼下(ひるさ)がり、少女(しょうじょ)はクッションに()(しず)めて(はや)くもうつらうつらと(ふね)をこぎはじめた。


せめて(ゆめ)(なか)一目逢(ひとめあ)えたらと。いやしくも心のどこかでそんな(ふう)(いの)ってしまったのだろうか。


白昼夢(はくちゅうむ)のうたかたのなかで……とうとう()いたい(ひと)出逢(であ)うことができた。


(ゆめ)(なか)では(よる)のおとずれが世界(せかい)(おお)(かく)していた。


その(おとこ)空間移動(くうかんいどう)魔法(まほう)颯爽(さっそう)(あらわ)れたかと(おも)うと、視界(しかい)(はし)にレクシーナの存在(そんざい)(みと)めて、どこか独特(どくとく)()めたまなざしで微笑(ほほえ)んだ。


(まど)(そと)()かぶ(つき)背後(はいご)にしたがえて、青年(せいねん)()()まった黒光(くろびか)りするマントを(ひるがえ)した。


その(なが)れるような動作(どうさ)だけで、少女(しょうじょ)圧倒(あっとう)されてしまう。


名刀(めいとう)(ほっ)するくらいだ。ただ収集(しゅうしゅう)して所蔵(しょぞう)するだけのコレクターではなく、武器(ぶき)をふるう(がわ)人間(にんげん)なのだろうと(さっ)しはついていた。


何度目(なんどめ)来訪(らいほう)かまでは記憶(きおく)にないが、(はな)をつくような()(にお)いが、(かれ)黒装束(くろしょうぞく)から(はっ)せられていたことがあった。


(おどろ)いてさりげなく確認(かくにん)しても、青年(せいねん)流血(りゅうけつ)しているようすはない。


──おそらく(かえ)()だろう。


恐怖(きょうふ)(かん)じるときもあったが、()危険(きけん)(かん)じるほどではない。(いま)のところは……。


()ていていつも(おも)うのだが、(かれ)(たたか)(おとこ)()をしている──


そのようなまなざしをした(おとこ)が、少女(しょうじょ)身近(みぢか)にさほど(おお)いわけではない。


だが、あえて(たと)えるとするならば──強大(きょうだい)魔力(まりょく)をその()宿(やど)しているという(はら)ちがいの(あに)に、ほんのすこしだけ雰囲気(ふんいき)()ていた。


それこそ常人離(じょうじんばな)れした。我々(われわれ)とは(こと)なるオーラのようなものが……。


(かれ)らが(まと)っている(たたか)いの波動(はどう)のようなものが、ことさら(けわ)しくなる瞬間(しゅんかん)というものがあるのだ。


そのスイッチの(はい)(かた)が、なんとなく()ているような()がする。


(たたか)いを()らぬ(もの)()ったかぶりをして、いい()になって(かた)っているように(おも)われるかもしれないが……。


(ゆめ)(なか)だからなのだろうか。
(かれ)(きゅう)突拍子(とっぴょうし)もないことをたずねてきた。


「……ねえ、(おれ)()しい?」


あまりに直球(ちょっきゅう)すぎるその質問(しつもん)に、瞬間的(しゅんかんてき)(みみ)まで(あか)くなってしまう。


硬直(こうちょく)したままなにも()えずに少女(しょうじょ)がうつむいていると……。


(かれ)素早(すばや)彼女(かのじょ)(とな)りに(こし)かけて、至近距離(しきんきょり)でこちらを()つめてくると、()った。


「たとえば(おれ)人殺(ひとごろ)しでも……あんたは(おれ)(あい)してくれるの?」


過激(かげき)言葉(ことば)()(つづ)けに()びせてくる。(かれ)のようすがおかしい。いつもより(すこ)()()っているのかもしれない。


自分(じぶん)はというと不器用(ぶきよう)にも赤面(せきめん)したままで、いまだに言葉(ことば)(のど)につかえて()てこない。


(かえ)()をつけたまま部屋(へや)()たことだって……あるんだぜ?(いま)もそうさ。そんな正気(しょうき)じゃあない(おとこ)のことをさ……」


(かれ)衣服(いふく)から()(にお)いをかいだ(とき)のことを、まざまざと(おも)()す。


「……あんたは本気(ほんき)で……」


言葉(ことば)(こた)えるかわりに、少女(しょうじょ)はせいいっぱいの勇気(ゆうき)をふりしぼって、(くび)をこくりと(たて)にふった。


意外(いがい)そうな空気(くうき)(はだ)(かん)じた。そして(すこ)しの沈黙(ちんもく)のあと。


「くくっ……あんた(くる)ってるよ……いや……(くる)ってるのは(おれ)のほうか……」


真剣(しんけん)少女(しょうじょ)姿(すがた)()て、(かれ)はさも(たの)しそうに言葉(ことば)をついだ。


「……(ころ)して……(いや)して……(ころ)して……(いや)して……そんなことをくり(かえ)してるとさ、自分(じぶん)でもなにやってるのか、ときどきわかんなくなってくるんだ……」


「…………………」


どう(こえ)をかけてあげればよいのか、彼女(かのじょ)にはわからなかった。


心配(しんぱい)そうに無言(むごん)で、(かれ)見上(みあ)げることしかできなかった。


(かれ)一度(いちど)だけかっと()見開(みひら)いてから、自分(じぶん)感情(かんじょう)制御(せいぎょ)するようにしてレクシーナを()つめた。


「だから、(なぐさ)めてくれよ。(おれ)のこと……」

        ☆

(ゆめ)はそこで()めた──。


(ほお)()れている。


(なみだ)幾筋(いくすじ)(しろ)(ほお)をつたって首筋(くびすじ)までながれ()ちていた。


ぼうぜんと空虚(くうきょ)なままソファーに(よこ)たわり、部屋(へや)天井(てんじょう)()つめる……すると……。


「……お(ねえ)ちゃん。どうしたの……()いてるの?」


自分(じぶん)見下(みお)ろす純粋無垢(じゅんすいむく)な、エメラルドの宝玉(ほうぎょく)のような(ひとみ)出逢(であ)った。



       番外編(ばんがいへん)3へつづく……


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