21.不肖の息子が大変お世話になっております

文字数 2,960文字




()んだ空気(くうき)のながれに()って、(もん)(つづ)(みち)からさわやかな(あま)(にお)いが(かお)ってくる。


(いい(にお)い……。たしか(もん)のそばの生垣(いけがき)に、綺麗(きれい)薔薇(ばら)(はな)()いていたわね)


それはアナベルがもっとも()きな薔薇(ばら)品種(ひんしゅ)でもあった。


うすい橙色(だいだいいろ)花弁(かべん)一面(いちめん)()きほこり、()(もの)をおだやかな気持(きも)ちに(さそ)う。


柑橘系(かんきつけい)果実(かじつ)連想(れんそう)させる、すがすがしい印象(いんしょう)大輪(たいりん)(はな)だ。


薔薇(ばら)(はな)をすくうように両手(りょうて)(かか)えると、(かお)(ちか)づけて(かお)りをかぐ。


かぐわしく(あま)(かお)りにつつまれた少女(しょうじょ)姿(すがた)は、まるで白昼(はくちゅう)()()りた天使(てんし)のように()えたかもしれない。


そんなアナベルのようすを(とお)りすがりの神官(しんかん)が、(あゆ)みを()めてじっと()つめていた。


「……(ほし)()(もの)……」


ふと、(おとこ)(ひく)くつぶやいた。


視線(しせん)(かん)じて背後(はいご)をふり(かえ)ると、少女(しょうじょ)(こえ)のした方角(ほうがく)()つめた。


そこには旅慣(たびな)れた(かん)じのする聖職者(せいしょくしゃ)が、(かわ)のトランクを()げて()っていた。


ずいぶん(わか)()えるが()()いた物腰(ものごし)から、(とし)のころは三十代(さんじゅうだい)後半(こうはん)からせいぜい四十代(よんじゅうだい)前半(ぜんはん)といったところだろうか。


敬虔(けいけん)神官服(しんかんふく)()をつつんだ細身(ほそみ)長身(ちょうしん)肉体(にくたい)からは、余分(よぶん)なものなどいっさい(かん)じられない。


それでいて幸福(こうふく)()ちたりているような、おだやかな清貧(せいひん)さが(かん)じられた。


「……あの、(ほし)()(もの)って、なんのことですか……?」


さきほどのつぶやきが()になって、アナベルは初対面(しょたいめん)にもかかわらず神官(しんかん)にそう()いかけていた。


「──ああ、ご存知(ぞんじ)ないですか?その薔薇(ばら)名前(なまえ)です。(わたし)故郷(こきょう)にも()いていました」


静謐(せいひつ)さをたたえながら、眼鏡(めがね)をかけた(ひとみ)をすがめて(やさ)しく(わら)う。


それはまるで、人見知(ひとみし)りの(はげ)しい幼子(おさなご)警戒(けいかい)(しん)すら、容易(ようい)()きほぐすような柔和(にゅうわ)笑顔(えがお)だった。


(……このあたりではまず()かけない神官様(しんかんさま)だわ。こんなステキな(ひと)のお(はなし)()けるなら、たまには礼拝(れいはい)()ってみてもいいかもね……)


内心(ないしん)そんな不謹慎(ふきんしん)なことを(かんが)えていたアナベルだったが、はっと(われ)にかえるとすぐに相手(あいて)にむかってたずねた。


「……あの、うちになにか御用(ごよう)でも?」


「──これは失礼(しつれい)しました。薔薇(ばら)似合(にあ)うお(じょう)さんに見惚(みと)れていて、名乗(なの)るのを(わす)れていたようです」


神官(しんかん)(むね)()をあてて、つつましい仕草(しぐさ)でアナベルに一礼(いちれい)した。


(わたし)はティエルノ=ブルームハルトと(もう)します。ルンドクイスト()のご子息(しそく)ロジオン様付(さまつ)きの護衛(ごえい)として、不肖(ふしょう)息子(むすこ)大変(たいへん)世話(せわ)になっております」


いつも微笑(ほほえ)みを()やさないこの神官(しんかん)正体(しょうたい)は、なにを(かく)そう、彼女(かのじょ)がよく()っている人物(じんぶつ)身内(みうち)だったのだ。


「──もしかして、あなたは──ラグシードのお父様(とうさま)!?」


「うちの愚息(ぐそく)がこちらのお屋敷(やしき)にご厄介(やっかい)になっているそうで、まことに恐縮(きょうしゅく)です」


「そんなご迷惑(めいわく)だなんて……!(かれ)にはすごくお世話(せわ)になってるんです。ええっと、あたしったら自己紹介(じこしょうかい)もまだでしたわ。(わたし)はマインスター()次女(じじょ)でアナベルといいます」


二人(ふたり)(たが)いに微笑(びしょう)しながら、少女(しょうじょ)はスカートの(はし)をつまみ、神官(しんかん)片手(かたて)(むね)にあてて会釈(えしゃく)しあった。


「あなたが息子(むすこ)とお()()いならば(はなし)(はや)い。じつは(かれ)(つた)えたいことがあってきたのです」


どこか性急(せいきゅう)なティエルノのようすに、逼迫(ひっぱく)したものを(かん)じて──


アナベルは(すこ)()まずそうに(くち)ごもってから、慎重(しんちょう)言葉(ことば)をえらんで(はな)しはじめた。


「──せっかくお父様(とうさま)にお()しいただいたのに(もう)(わけ)ないんですけど、あいにく二人(ふたり)とも外出(がいしゅつ)しているんです」


()(ちが)いですか……」


「ええ。ロジオンは死霊退治(しりょうたいじ)依頼(いらい)をうけて、大聖堂(だいせいどう)に。ラグシードはその……()(さき)(だれ)にも(つた)えていなかったみたいで、いまだに何処(どこ)にいるのかわからないんですけど」


じつはこの(とき)すでに、ラグシードはロジオンとの合流(ごうりゅう)()たしていたのだが……。


やや、そそっかしいところのあるリームは、(かれ)発見(はっけん)したことをアナベルに報告(ほうこく)(わす)れていたのだ。


ティエルノはあきれたように(かた)でため(いき)をつくと、(なさ)けないとばかりに(こえ)()とした。


「──(こま)ったものだ。相変(あいか)わらず(みな)さんにご迷惑(めいわく)をかけているようですね」


「いえ、けしてそういうわけじゃ……。でも、(かれ)のそんな(ほが)らかなところに(すく)われている(ひと)もけっこういるんですよ」


アナベルの渾身(こんしん)のフォローもつたわったのかどうか。


それまで柔和(にゅうわ)だった顔立(かおだ)ちはどんどん(くも)り、とうぶん眉間(みけん)(しわ)()えそうにない。


「それにしても、大聖堂(だいせいどう)から(けむり)()がっているのを(とお)くから()かけましたが……。まさか死霊(しりょう)襲撃(しゅうげき)にあっていたとは……」


心配(しんぱい)なさらなくても、死霊(しりょう)はすべてロジオンが撃退(げきたい)しましたわ!」


「それはよかった……。さすがはロジオン(さま)(わたし)出向(でむ)くまでもなかったようです」


感心(かんしん)したように何度(なんど)もうなずきながらつぶやくと、ティエルノはかたわらに()っていたアナベルに視線(しせん)(うつ)した。


「──非常(ひじょう)名残惜(なごりお)しいのですが、そろそろお(いとま)しなくてはなりません」


「そんな──!?ラグシードには()っていかれないんですか?(かれ)(もど)るまでうちの屋敷(やしき)でお()ちいただいてもかまいません!」


とつぜんの退去(たいきょ)言葉(ことば)(おどろ)いて、つい悲鳴(ひめい)のような(こえ)をあげてしまった。


(ひさ)しぶりにラグシードと、親子(おやこ)再会(さいかい)()たしてほしい──!


アナベルは必死(ひっし)になって()()めようとしたが、ティエルノは()()せると重々(おもおも)しく(かぶり)をふった。


「ご厚意(こうい)ありがとうございます。ぜひ、そうしたかったのは山々(やまやま)なのですが……。(じつ)知人(ちじん)との約束(やくそく)がありまして、(いま)すぐにでもアトゥーアンを()たなければならないのです」


「それは……残念(ざんねん)だわ……」


()()ったついでといってはなんですが、あなたにお(ねが)いごとをしてもよろしいですか?」


「ええ、それならなんでもおっしゃってください!」


アナベルが(むね)()ってそう(こた)えると、(かれ)は「厄介(やっかい)なことになるかもしれない……」と(ひく)いかすかな(こえ)でつぶやいた。


彼女(かのじょ)はそれが、なんだか(みょう)(こころ)にひっかかった。


ティエルノは(ふか)(いき)()いこむと、(はる)遠方(えんぽう)から(おとず)れる旅人(たびびと)に、想いを()せるような(ひとみ)()った。


息子(むすこ)(つた)えてください。(おとうと)が……ギレンホールが(たず)ねてくると……」


(おとうと)さんが?」


「ええ、ちょうど神学校(しんがっこう)長期休暇(ちょうききゅうか)(はい)りましたからね」


(かれ)はそう()ったあと、(かわ)のトランクの(なか)からある(もの)()りだした。


「これを、ラグシードに(わた)してやってもらえないでしょうか?直接手渡(ちょくせつてわた)したかったのですが、あいにく(わたし)にはその時間(じかん)がない……」


アナベルの()のひらにそっと()かれたのは、(あか)(いし)がはめ()まれた金属性(きんぞくせい)腕輪(バングル)だった。


「これは神具(しんぐ)負担(ふたん)()らす効果(こうか)()めた腕輪(うでわ)です」


「……きれい……」


アナベルは感嘆(かんたん)のため(いき)をつきながら、(おも)わずそうつぶやいていた。


諸刃(もろは)十字架槍(クロスランス)使用者(しようしゃ)をも(きず)つけるおそれがあり、容易(ようい)(あつか)うことが(むずか)しい武器(ぶき)でした。でも、女神(めがみ)加護(かご)()けたこの腕輪(うでわ)装着(そうび)すれば、自身(じしん)がこうむる神具(しんぐ)衝撃(しょうげき)()らすことが可能(かのう)だと(おも)います」


「そんな大切(たいせつ)(もの)……。わかりました、責任(せきにん)をもってラグシードに手渡(てわた)します!」


(わたし)としても、そうしていただけると(たす)かります。くわしい説明(せつめい)はギレンホールがするでしょう」


アナベルは(しず)かにうなずくと、腕輪(バングル)大事(だいじ)そうににぎりしめた。


「ご迷惑(めいわく)をおかけして(もう)(わけ)ないのですが、(わたし)はこれで……」


ティエルノは()ったときのように(やわ)らかく微笑(びしょう)すると、丁寧(ていねい)物腰(ものごし)でアナベルに会釈(えしゃく)してから屋敷(やしき)()()っていった。


しばらく茫然(ぼうぜん)見送(みおく)っていると──


長身(ちょうしん)(うし)姿(すがた)は、足早(あしばや)(もん)から(とお)ざかりやがて……市街地(しがいち)(そと)()ける街道(がいどう)へと()れて()えていった。



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