68.絶望の果てに咲いていた一輪の花

文字数 3,167文字




天井(てんじょう)にうがたれた(あな)から、星明(ほしあ)かりが(しず)かに()りそそいでいる。


静寂(せいじゃく)につつまれた地下都市(ちかとし)最深部(さいしんぶ)──


その大聖堂(だいせいどう)片隅(かたすみ)で、(ひざ)(かか)えて(すわ)っていたアナベルは、(こころ)(そこ)からロジオンの()(あん)じて(ふか)(ふか)いため(いき)をついた。


(……ロジオン……。今頃(いまごろ)どうしてるのかな……?)


月光(げっこう)()びて少女(しょうじょ)のやわらかな栗色(くりいろ)(なが)(かみ)が、まるで金糸(きんし)のように(あわ)(かがや)いていた。


まだ自分(じぶん)(うつく)しさに()づいていない乙女特有(おとめとくゆう)の、透明感(とうめいかん)あふれる可憐(かれん)(うつく)しさ。


だが、()()がちのアメジストの(ひとみ)には、(はげ)しい(うれ)いの(いろ)がうかんでいた。


とり(のこ)された(さび)しさが、少女(しょうじょ)(むね)()らず()らずひっ(ぱく)しはじめていた。


(……ひょっとして、あたしのことなんてもう(わす)れてる……?)


自分(じぶん)言葉(ことば)(すく)なからずぎょっとしながら、アナベルはそんな自分(じぶん)苦笑(にがわら)いした。


少年(しょうねん)白金(しろがね)使(つか)()()()って地上(ちじょう)へと()けていった。


その残像(ざんぞう)(おも)いをはせて、少女(しょうじょ)はいまだ(もど)らぬ恋人(こいびと)(かえ)りを()っている。


もともとアナベルは、(なに)もしないで()っていられるような大人(おとな)しい性格(せいかく)ではない。


他人(たにん)()うことに従順(じゅうじゅん)にしたがうような素直(すなお)(むすめ)ではないのだ。

 
そんな彼女(かのじょ)がたった一人(ひとり)少年(しょうねん)帰還(きかん)()ちわびて、(いの)るような(おも)いでその()(とど)まっている。


以前(いぜん)のアナベルからは、到底考(とうていかんが)えられない姿(すがた)だ。


(いくらなんでも(おそ)すぎる……!やっぱりなにかトラブルに()きこまれてるのかな。こんなことなら、(だま)って()かせちゃうんじゃなかった。このまま不安(ふあん)気持(きも)ちで()ってることしかできないんだったら、たとえ迷惑(めいわく)でも一緒(いっしょ)についていけばよかった……)


いつだって選択肢(せんんたくし)(ひと)つしか(えら)べない。


ロジオンと出逢(であ)(まえ)彼女(かのじょ)ならば、(まよ)うことなく自分(じぶん)意志(いし)()(とお)していたことだろう。


だが、(かれ)行動(こうどう)するようになってからというもの、相手(あいて)のことを(おも)って逡巡(しゅんじゅん)することが()えた。


自分(じぶん)よりも相手(あいて)気持(きも)ちを優先(ゆうせん)させてあげたいと(おも)えるようになった。


それ自体(じたい)はとても(よろこ)ばしいことだけれど、その(ぶん)じっと()えなければならないことや、(ちい)さな(なや)みや不安(ふあん)()したような()もする。


(こい)をするって、不自由(ふじゆう)なことね……」


(だれ)もいない空間(くうかん)()かって、(こころ)のうちをそっとつぶやいてみる。


多少(たしょう)()いしれている発言(はつげん)だと指摘(してき)されてもしょうがない。


恋愛(れんあい)しているときは(だれ)だって、いつもの自分(じぶん)ではなくなっているものだから。


その(とき)、かすかに何者(なにもの)かが(うご)気配(けはい)(かん)じた。


(またた)()に、アナベルの身体(からだ)のすみずみに緊張感(きんちょうかん)(はし)る!


「──(だれ)かいるの!?」


威嚇(いかく)もこめて力強(ちからづよ)(さけ)ぶと、(とお)くの(くら)がりから(おと)()てずに、(ひと)(かげ)(あらわ)れた。


「……すみません……。(おどろ)かせるつもりはなかったんですけど……」


「……あなたは……!!」


いちじるしく倒壊(とうかい)した円柱(えんちゅう)(かげ)


アナベルが(ゆび)さした(さき)には、あの修道女(しゅうどうじょ)姿(すがた)があった。


人知(ひとし)れず(たお)れていたグランシアが、ようやく意識(いしき)()(もど)したのだ。 


「どなたかは()りませんが、事情(じじょう)をうかがいたいんです。(わたし)()がついたらここに(たお)れていて……その(あいだ)記憶(きおく)がほとんどないんです……」


一瞬(いっしゅん)、アナベルは警戒(けいかい)のかまえをとったが、それは杞憂(きゆう)()わった。


かつて(くろ)(へび)教主(きょうしゅ)憑依(ひょうい)していた姿(すがた)からは、禍々(まがまが)しい気配(けはい)はすっかり()()せていた。

        ☆

(どうしてこう最悪(さいあく)なタイミングで(おそ)ってくるかな……)


少年(しょうねん)内心(ないしん)舌打(したう)ちしたい気分(きぶん)だった。


セルフィンに()って、地下都市(ちかとし)まで(もど)ろうとした矢先(やさき)出来事(できごと)だった。


「……(かえ)ろう、セルフィン。アナベルが()ってる……!」


たび(かさ)なる心労(しんろう)疲弊(ひへい)しきっていたロジオンだったが、それ以上(いじょう)にアナベルをたった一人(ひとり)大聖堂(だいせいどう)()()りにしてきたことが、いまさらながら()がかりになっていた。


(……(かな)しい(おも)いをさせないなんて()って、(ぼく)はほんとうに(うそ)つきだな……。(まも)れない約束(やくそく)なんてするべきじゃないんだ。だけど……。それでも(きみ)(よろこ)姿(すがた)()たいんだ。だから、これからも(うそ)をつき(つづ)けることになるのかな……)


絶望(ぜつぼう)()てに()いていた一輪(いちりん)(はな)がアナベルならば、ロジオンにはそれを()らさないよう(みず)をあたえすぎて(くさ)らせてしまうようなあやうさがあった。


そのことに(かれ)はまだ()がついていない。


ようやく気持(きも)ちを()(なお)し、自分(じぶん)()っている少女(しょうじょ)のもとへ(おもむ)こうとしたロジオンだったが、使(つか)()()()ろうとする直前(ちょくぜん)に、ある異変(いへん)()がついた。


殺気立(さっきだ)ったように、セルフィンのたてがみが逆立(さかだ)っている。


からだに()れると、(のど)から(はっ)している重低(じゅうてい)(おん)(ひび)きが、振動(しんどう)するようにつたわってきた。


おそらく人間(にんげん)視覚(しかく)聴覚(ちょうかく)嗅覚(きゅうかく)などの五感(ごかん)では(かん)じとれない、ただならぬ気配(けはい)をセルフィンは鋭敏(えいびん)察知(さっち)したらしかった。


(……なにかくる……!?)


間一髪(かんいっぱつ)!ロジオンとセルフィンが二手(ふたて)()かれ、すかさず後方(こうほう)()んで砲撃(ほうげき)をかわす。


すると、轟音(ごうおん)とともに眼前(がんぜん)大地(だいち)がえぐられて(おお)きな(あな)があいていた。


地中(ちちゅう)出現(しゅつげん)した巨大(きょだい)(あな)中心(ちゅうしん)には、ルーン文字(もじ)(えが)かれた金属(きんぞく)(たま)のようなものが(ころ)がっていた。


(……魔法弾(まほうだん)……!こんな精巧(せいこう)(つく)りの(もの)(はじ)めて()る……!)


()にとった少年(しょうねん)瞳孔(どうこう)見開(みひら)かれ、その技術(ぎじゅつ)驚愕(きょうがく)したように(いき)をのむ。


すると背後(はいご)猛烈(もうれつ)邪気(じゃき)(かん)じた。


とっさにその方角(ほうがく)(あお)()ると、華奢(きゃしゃ)なからだにつり()わない巨大(きょだい)(じゅう)(かつ)いだ少女(しょうじょ)が、()っていた飛竜(ひりゅう)から一回転(いっかいてん)してきれいに着地(ちゃくち)した。


「……ムスタイン(さま)(おとうと)がいるっていうから、さぞかしクールで妖艶(ようえん)(おとこ)()なんだろうって期待(きたい)してたんだけど。……アナタぜんっぜん()てないのね……」


()えるような赤毛(あかげ)(うさぎ)のように(ふた)つに()いあげた少女(しょうじょ)は、すべらかな(しろ)(ほお)紅潮(こうちょう)させ、(うす)いくちびるに兆発的(ちょうはつてき)微笑(びしょう)をうかべた。


「そっちこそ初対面(しょたいめん)相手(あいて)(まよ)わず砲撃(ほうげき)するなんて、(おだ)やかじゃないよね……?」


「だって、これくらいの攻撃(こうげき)かわせなかったらお(はなし)にならないもの」


少女(しょうじょ)胸元(むなもと)には、見慣(みな)れた青銅色(せいどういろ)記章(きしょう)が、月光(げっこう)反射(はんしゃ)して(かがや)いている。


(くろ)(へび)』の装束(しょうぞく)にはめずらしく、スカートの(たけ)がかなり(みじか)い。


自分(じぶん)(あし)がすんなりとして、(うつく)しいことを熟知(じゅくち)しているからこその露出(ろしゅつ)


少女(しょうじょ)はそのようなナルシスティックな演出(えんしゅつ)を、いかにも(この)みそうな雰囲気(ふんいき)だった。


「アタシは複合魔獣(ふくごうまじゅう)アングラータ』のジェミニー。まだ司祭(しさい)になりたてなの。だから(この)みのタイプだったら、アタシの部下(ぶか)にスカウトしようと(おも)ってたんだけど……。正直(しょうじき)(はなし)、わざわざ()けつけるまでもなかったわね」


(やはり『(くろ)(へび)』の手先(てさき)か……。とするとこの魔法銃(まほうじゅう)は『刑具(けいぐ)』……?)


ロジオンは警戒(けいかい)しながら周囲(しゅうい)()わたすと、夜気(やき)口笛(くちぶえ)()()(ひび)いた。

 
少女(しょうじょ)()れたしぐさで口笛(くちぶえ)()くと、岩陰(いわかげ)にかくれていた(けもの)三匹(さんびき)身近(みじか)()びよせた。


さすがに飛竜(ひりゅう)ほどの(おお)きさはないが、トカゲなどの爬虫類(はちゅうるい)にしてはかなり(おお)きなほうだろう。


大型(おおがた)個体(こたい)同士(どうし)交配(こうはい)をくり(かえ)して、より巨大(きょだい)個体(こたい)進化(しんか)させた(たぐい)実験獣(じっけんじゅう)だ。


セルフィンが(するど)(きば)をむき()しにしてうなっている。


(さき)ほどから(はげ)しく反応(はんのう)していたのも、強烈(きょうれつ)(けもの)(にお)いを敏感(びんかん)にかぎつけていたからだろう。


「あら、アナタのその合成獣(キメラ)、すっごくイイじゃない!神々(こうごう)しいまでの()めたパワーを(かん)じるわ。……()めた!もしこの勝負(しょうぶ)()ったら、その合成獣(キメラ)ちゃんをいただくわ!」


「──セルフィンに()()すな!」


(なが)いあいだ蓄積(ちくせき)されていた(いか)りが噴出(ふんしゅつ)したのか、想像以上(そうぞういじょう)(おお)きな(こえ)(さけ)んでいた。


両手(りょうて)(おも)わず(みみ)をふさいでいた(くろ)(へび)少女(しょうじょ)は、(かお)をしかめながらロジオンを凝視(ぎょうし)する。


一拍(いっぱく)()のあと、少女(しょうじょ)(おお)げさに非難(ひなん)(こえ)をあげた。


「やだ、ビックリしたぁ……。おとなしそうな(かお)してキレやすい(おとこ)なんてサイッテー!アンタなんかますます(この)みじゃないわ!!もう、()っちゃって!」


甲高(かんだか)金切(かなき)(ごえ)で、しもべの実験獣(じっけんじゅう)たちに命令(めいれい)(くだ)すと、ジェミニーは(みずか)らも(じゅう)魔法弾(まほうだん)をこめて標準(ひょうじゅん)をあわせた。


「……こっちは一分一秒(いっぷんいちびょう)でも(はや)く、恋人(こいびと)のもとに(もど)らなきゃいけないっていうのに、とんだ災厄(さいやく)だ……!」



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