57.ボクノコトワスレナイデ

文字数 2,849文字




「……ロジオン……さん?」


空気(くうき)をふるわせて、(いと)しいあの()自分(じぶん)()()んでいる。


その(こえ)には、どこかよそよそしく(かん)じられるような(ひび)きがあった。


(みずか)らの魔法(まほう)彼女(かのじょ)から記憶(きおく)(うば)封印(ふういん)した。


(いま)彼女(かのじょ)には(ぼく)にまつわる過去(かこ)(おも)()がいっさい存在(そんざい)しない。


(ぼく)があげた(きん)指輪(ゆびわ)をはめて、()ずかしそうに微笑(ほほえ)んだ彼女(かのじょ)も 


セルフィンの()()って二人(ふたり)(そら)()け、空中散歩(くうちゅうさんぽ)した(おも)()


些細(ささい)気持(きも)ちのすれちがいで()まずくなり、言葉(ことば)()わせなくなったあの()


(ぼく)必要(ひつよう)だと()ってくれた(きみ)を、(はじ)めて()きしめた黄昏(たそがれ)どきも


(くろ)蛇』(へび)奇襲(きしゅう)()い、(きず)ついた(ぼく)(いや)してくれようとした(きみ)


誤解(ごかい)だったとはいえ、強引(ごういん)(はずかし)めてくちびるを(うば)ったあとに(なが)した(きみ)(なみだ)


記憶(きおく)欠片(かけら)は、みんなみんな忘却(ぼうきゃく)彼方(かなた)封印(ふういん)してしまった。


彼女(かのじょ)(こころ)(しず)かに(ねむ)っている。


すべては彼女(かのじょ)(まも)るため………。


ただ、それだけのためだったのに………。

        ☆

「お()(どく)に。(だれ)かさんのせいで部分的(ぶぶんてき)記憶(きおく)喪失(そうしつ)してるらしい」


「…………………!!」


「せっかく王子様(おうじさま)(たす)けに()てくれたのに、これじゃあお姫様(ひめさま)がかわいそうだぜ?」


酷薄(こくはく)そうな()みをうっすらと()かべて、ムスタインは(たの)しそうにささやいた。


ロジオンはそれを()きながら、じっと()えるようにうつむいている。


「おまえがいたぶられるのを()()(さけ)んでほしいところだが、しょうがねえ。ちっと()りあがりには()けるが、てめえがこの(おんな)()()せないことに()わりはないからな。人質(ひとじち)利用(りよう)させてもらうぜ」


「くっ……。(きたな)いぞ、ムスタイン!」


(ころ)()いに(きたな)いもクソもあるもんか。どのみちおまえが()ぬことに()わりはないんだ」


「あなた……!ロジオンさんを(ころ)()なの?」


(しん)じられないといった蒼白(そうはく)(かお)で、アナベルが(こえ)(ふる)わせ(おとこ)()いつめた。


「──(ころ)す?人聞(ひとぎ)きが(わる)いな。あくまでも(おれ)役目(やくめ)はこいつを()()りにして、その身柄(みがら)教主(きょうしゅ)()(わた)すこと。(もっと)もおとなしく捕獲(ほかく)されるとは(おも)ってねえから、ちょっと制裁(せいさい)(くわ)えさせてもらうだけさ」


巨大(きょだい)(かま)悠々(ゆうゆう)(かた)にかつぎあげると、(くろ)(へび)(おとこ)不気味(ぶきみ)(くち)(はし)()ちあげた。


「この(おんな)(いのち)()しけりゃ、(いま)すぐ()ってる武器(ぶき)全部床(ぜんぶゆか)()け。魔法(まほう)呪文(じゅもん)一言(ひとこと)でも(とな)えたらアウトだぜ。でもって(おれ)(まえ)まで()(ひざまず)け。もちろん丸腰(まるごし)でな」


ロジオンは観念(かんねん)したように(かた)()とすと、(ふか)いため(いき)をつき、荷物(にもつ)(はい)った(ふくろ)(ゆか)()とした。


そして(けん)(さや)がついたベルトを(はず)し、背負(せお)ったロッドも地面(じめん)()いた。


(あたしなんかのために……どうして?)


その光景(こうけい)()()たりにして、アナベルは(おも)わず(いき)をのんだ。


ほんの数日前(すうじつまえ)()()っただけの少年(しょうねん)自分(じぶん)のために(いのち)()てる覚悟(かくご)でいる。


(かれ)はあなたのことが()きだったのよ……』


親友(しんゆう)言葉(ことば)(あたま)(なか)でリフレインする。


記憶(きおく)封印(ふういん)されたアナベルには、どうしても(かれ)との(おも)()がよみがえってこない。


かけがえのない(うしな)われた記憶(きおく)は、(いとお)しい少年(しょうねん)面影(おもかげ)は、そこだけぽっかりと()()ちたまま居場所(いばしょ)()つけられないでいる。


どんなに記憶(きおく)をふり(しぼ)ってみても、(おも)()せない。


()がゆい(おも)いで(いの)るように両手(りょうて)()()わせ、この状況(じょうきょう)をただ見守(みまも)るだけしかできない無力(むりょく)さに、彼女(かのじょ)()ちのめされていた。


装備(そうび)した武器(ぶき)をすべて(はず)して、ロジオンはムスタインの(まえ)(こうべ)()れて文字通(もじどお)りひざまずいた。


(かお)()げようともせず、(かれ)抑制(よくせい)()いた(こえ)(しず)かに()(はな)った。


(ぼく)はどうなってもいい。彼女(かのじょ)安全(あんぜん)保障(ほしょう)してくれ……」


「おまえ、そんなにこの(おんな)大事(だいじ)なんだな。おまえの存在(そんざい)なんか記憶(きおく)片隅(かたすみ)にも(のこ)っちゃいねえってのに、つくづく屈折(くっせつ)してる野郎(やろう)だぜ」


「……彼女(かのじょ)(しあわ)せなら……(ぼく)は……それでいい……!!」


「いつまでそんなイカれた台詞(せりふ)をほざいていられるか……()ものだな……」


()()わないといったそぶりで、ロジオンの腹部(ふくぶ)(おも)いっきり()()ばす。


「──うぐぅっ!!」


「やめてぇぇぇ!!」


アナベルの悲痛(ひつう)(さけ)びが(ひび)(わた)る。


なぶるように(なぐ)()るの暴行(ぼうこう)におよび、最後(さいご)背中(せなか)をかかとで()みつぶし()さえつけるように圧迫(あっぱく)すると、少年(しょうねん)はうめき(ごえ)をあげて(ゆか)(たお)れうつぶせになった。


(けん)魔法(まほう)も……。そして(こころ)さえも(うば)われたおまえは無力(むりょく)だな」


ムスタインが(おそ)ろしく(しず)かな()でロジオンを見下(みお)ろしていた。


(かれ)無力(むりょく)なんかじゃないわ!あんたが(ちから)(うば)いとったんじゃないの。この卑怯者(ひきょうもの)っ!」


(くろ)(へび)(おとこ)(はな)った侮蔑(ぶべつ)言葉(ことば)に、アナベルは(いか)りを(おぼ)えこぶしを(ふる)わせ(はげ)しく(さけ)んだ。


()るならこのあたしを()ってみなさいよ。この殺人鬼(さつじんき)!」


「アナベルッ!こいつを挑発(ちょうはつ)しちゃだめだ!」


(ゆか)()いつくばったまま、苦痛(くつう)(かお)をゆがめながらどうにか上半身(じょうはんしん)()こして、ロジオンは必死(ひっし)少女(しょうじょ)注意(ちゅうい)()びかけた。


大丈夫(だいじょうぶ)よ。こいつ……(おんな)には()()さないってさっき()ってたもの」


「……ハハッ。そんな戯言信(ざれごとしん)じてだんだ?」


ムスタインはくるりときびすを(かえ)すと、あらためて少女(しょうじょ)のほうに()(なお)った。


片手(かたて)三日月型(みかづきがた)(するど)(やいば)(ひか)らせ、童顔(どうがん)()みをはりつかせたまま、じわりじわりと距離(きょり)(ちぢ)めた。


世間知(せけんし)らずのお嬢様(じょうさま)と、あきれるほどロマンチストな優男(やさおとこ)……。まったくお似合(にあ)いのカップルだぜ。おまえらの(あたま)(なか)はお花畑(はなばたけ)か?二人(ふたり)そろってあの()でおままごとでもしてろ」


ムスタインの()によって結界(けっかい)()かれた。


しかし恐怖(きょうふ)のあまり、アナベルは硬直(こうちょく)したまま(うご)けずにいる。


(おれ)侮辱(ぶじょく)した(つみ)だ。……刑具(けいぐ)灰燼の鎌(エンバーサイズ)。あんたを一足先(ひとあしさき)天国(てんごく)地獄(じごく)狭間(はざま)()れてってやるよ』


ためらいもなく一直線(いっちょくせん)にふり()ろされた(かま)


モノクロームのように白黒(しろくろ)になったアナベルの視界(しかい)()びこんできたのは、一人(ひとり)少年(しょうねん)だった。


(かれ)背中(せなか)(するど)(やいば)(せま)り、かわす(すべ)もなく(あお)いマントを()()いた。

        ☆

『ボクノコトワスレナイデ……』


ふいに、その言葉(ことば)稲妻(いなずま)のようにひらめいて、彼女(かのじょ)脳裏(のうり)()()けた。


『デモ、キミノタメダ。ワスレテクレ……』


封印(ふういん)されていた(こころ)(とびら)(ひら)き、雪崩(なだ)れこむような記憶(きおく)本流(ほんりゅう)とともに、ロジオンへの(あつ)(おも)いが()()まされた。


それと同時(どうじ)に、アナベルの記憶(きおく)封印(ふういん)された(とき)情景(じょうけい)が、あざやかに(むね)によみがえってきた。


(わす)れないで」とせつない(ひとみ)(かた)ったあのあと。


少年(しょうねん)(ちい)さな(こえ)少女(しょうじょ)にささやいた()()れなかったはずの言葉(ことば)を、ロジオンが(こころ)奥底(おくそこ)(ふう)じこめていたであろう言葉(ことば)を、アナベルは茫然(ぼうぜん)とつぶやいていた。


『……キミヲアイシテル……』


()(まえ)()()血飛沫(ちしぶき)()()った。


鮮血(せんけつ)という()残酷(ざんこく)(あか)


「イヤアアアアァァァアアアッッ!!!!」


彼女(かのじょ)(みみ)(ふさ)いだまま絶叫(ぜっきょう)すると、がくりと(ひざ)()とした。


(りょう)()にとめどもなく(なみだ)があふれ、(ほお)をつたっていた。


つめたい(いし)(ゆか)(よこ)たわる少年(しょうねん)見下(みお)ろしながら、(くろ)(へび)(おとこ)愉快(ゆかい)そうにつぶやいた。


「やれやれ、やっと(かた)づいたか。手間取(てまど)らせやがって……。リューシカ、(やつ)主祭壇(しゅさいだん)へ。教主(きょうしゅ)がお()ちかねだ」


いつの()(あらわ)れたのか、(かれ)のしもべである白銀色(はくぎんいろ)(おおかみ)がロジオンの(ふく)をくわえると、空間(くうかん)のひずみに()びこんでいった。



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