(……こんなくだらない
詩……
破って
棄ててしまおう……)
初夏だというのに、
窓も
扉も
閉ざした
牢獄のような
豪奢な
部屋に。
その
少女は
息をひそめるようにして、
静かに
主として
君臨していた。
高価な
羊皮紙に
殴り
書きした
詩と
散文が、
見苦しいほど
乱れた
筆跡で
自らの
瞳に
飛びこんでくる。
昨夜の
自分は、どれだけ
高慢な
想いでこんな
詩を
書きつづってしまったのだろう。
情けないような
気持ちで
紙を
手に
取ると、
重苦しいため
息をこぼす。
少女はのろのろと
立ち
上がると、この
空間で
唯一バルコニーにつながっている
窓辺に
歩み
寄った。
久しく
開け
放たれていない
窓枠に
手をかけると、ゆっくりと
錠を
外す。
開放された
窓からすがすがしいほどに、
澄んだ
空気が
流れこんでくる。
今の
自分とは
真逆の
世界。
自分とはちがう
人たちの
住む
世界。
よどんでしまった
自分とは、まるでちがう──。
真昼の
陽射しはきつく、
少女には
刺激が
強すぎるようだ。
そんな
事実もおかまいなしに、
太陽は
少女の
白い
素肌を
容赦なく
照りつけていった。
☆
天たかく
屹立した
山脈と、その
麓に
広がる
青々とした
森林──
それら
雄大な
自然を
背後にしたがえた
丘陵の
上に、まるで
城塞のように
威圧的な
姿でその
屋敷はそびえ
建っていた。
『
最果ての
地』と
呼ぶ
者も
多い
山奥の
小国。
ここデルスブルクには
今現在、
主が
不在である。
現領主であるクレメンスは
親族に
代理をたのみ、
隣国に
所用で
出かけていた。
息子である
第一子は、
数年前に
不慮の
事件に
巻きこまれて
亡くなり、
腹ちがいの
第二子は
屋敷を
出奔していずことも
知れない
身だ。
そして
第三子は、
癒えない
胸の
傷を
抱えながら、
屋敷に
引きこもり
無為な
時をすごしている──
(わたしはほんとうに
臆病な、
愚か
者だわ……)
肩の
上で
切りそろえたシルバーブロンドの
髪が、
少女の
首の
動きにそって
左右にゆれた。
長いあいだ
陽射しを
嫌った
肌は
病人のように
白く、
人形のような
彼女の
風貌をさらに
無機質なものへと
変えていた。
ルンドクイスト
家の
第三子である
彼女は、
名をレクシーナといった。
輝くような
美貌と
才知に
恵まれ、
社交界の
華と
謳われた
曾祖母にあやかってつけられた
名前だ。
だが、
皮肉にも
開花するまえに
蕾を
閉ざしてしまった
小さな
花は、けなげにも
自分が
咲きほこれる
場所を
探してさまよっているようにも
見えた。
レクシーナはそっとため
息をこぼすと、
萎えてしまったように
力の
入らない
両足を
引きずるようにして、
窓枠にもたれかかり
故郷の
景色を
眺めていた。
そこには
自分だけを
置き
去りにして、
人々の
生活が
粛々といとなまれている。
自分とは
無縁の
世界。
自分などいなくても、
世界は
絶えずまわり
動きつづける──
(──なんのためにわたしは、
生きているんだろう──)
せつない
衝動のままに、
少女は
羊皮紙をひきちぎると、
髪をなぶって
吹きすぎてゆく
風にさらした。
羊皮紙は
風に
舞って、すぐさま
視界から
消えていった。
ほっとしてそれを
見送った
瞬間、すぐ
横をなにかが
勢いよくかすめ
飛んでいった。
いやな
予感に
胸がざわついて
彼女がふり
返ると、
鳥籠の
扉が
不用意にも
開け
放たれたままだった。
狼狽したように
脚をもつれさせながら、バルコニーに
飛び
出してゆく。
手すりにつかまりながら
空を
見上げると、
傍にある
大木の
遥か
高みに
青い
小鳥が
止まっている。
「──ザリィ……コザリーィィー!!」
必死にその
名を
呼ぶ。
鳥は
自分のほうを
見ようともしない。
あれだけ
可愛がって
育てたのに、
野生の
本能のほうが
勝るのか
小鳥は
手に
入れた
自由を
謳歌しているようだ。
高らかな
声でたえまなくさえずっては、
仲間を
呼び
寄せようと
夢中だ。
自分のほうに
飛んでくるようすのないその
姿に、
途方に
暮れると
鳥籠をもってきて、
少女はもう
一度その
名を
叫んだ。
「──お
願い!もどってきて──」
しかし
無情にも、
主の
声が
届いたようには
見えなかった。
屋敷の
者に
頼んでつかまえさせようか。
少女は
迷った。
その
隙をついて
小鳥は
枝からはばたいた。それをめざとく
見ていた
生き
物がいた。
──
鴉だ。
鴉は
俊敏に
小鳥に
襲いかかると、
空中で
争うような
羽音と
甲高い
鳴き
声が
響きわたった。
このままではいけないと、レクシーナがとっさに
投げた
小石はむなしく
宙をかすめた。
(──どうか
襲わないで!どこかへ
行ってちょうだい!!)
自然界において、
籠の
鳥は
圧倒的に
不利であった。
あわれ
小鳥は
鴉に
宙から
突き
落とされ、そのまま
地面にたたきつけられた。
じわじわと
赤い
血が
染みのように
広がって、
青い
羽を
侵食してゆく。
あまりのことに
言葉さえ
出なかった。
ただ
涙だけが
両の
頬をつたって、
渓谷のように
流れ
落ちていた。
少女は
泣き
叫びながら
小石を
鴉に
投げ、
一度だけ
命中させた。
死骸をつつこうとしていた
意欲がそげ、
鴉はあわてたように
逃げていった。
(……ああ、ごめんね。ごめんなさい……コザリー!!)
かわいそうな
小鳥に
駆け
寄ろうにも、
脚がすくんでしまって
動かない。
絶望的な
気持ちで
慟哭している
少女の
姿に
気がついたのか。
そこへ
旅の
者とおぼしき、
黒装束に
身をつつんだ
青年が
通りかかった。
道ばたで
青年は
立ちどまると、あわれな
小鳥にむかって
黙祷をささげた。
すると
光の
魔法円が
大地にうかびあがり、
幻想的な
淡い
翠色に
輝いたかと
思うと、
小鳥を
柔らかくつつみこんだ。
血が
瞬く
間に
引けてゆき、
傷口がみるみるふさがってゆく。
信じられない
気持ちで、
少女はその
光景を
見守っていた。
まさしく
奇跡が
起こったのだと。
瀕死の
小鳥はたちまち
息を
吹きかえし、もとの
愛らしい
姿でさえずった。
「あのっ!
神官様……ありがとうございました……!」
気づくと
思ったより、
大きな
声で
叫んでいた。
普段は
内気なレクシーナだったが、
今起きた
出来事におどろきと
感激が
同時にわきあがり、
相手に
感謝の
気持ちをつたえずにはいられなくなったのだ。
それにあれほどの
治癒の
力を
見たのは、
幼き
日に
聖都サンドラーシェで、
高位の
大司祭の
術を
目の
当たりにして
以来だった。
「──
神官?この
俺が──?」
青年はうっとうしそうに
黒装束をはらいのけると、
皮肉っぽい
口調でささやいた。
「あんた、
相当な
箱入り
娘だな。もしくはよっぽど
人を
見る
目がないのか……いずれにしろ
詐欺師には
用心したほうがいいぜ?」
神聖なる
御業を
披露したとは
思えないほど、
驚くほど
軽薄な
言葉づかいをしたその
男は、
二階にあるバルコニーからこちらを
見下ろす
少女に
視線をうつした。
「あんたの
鳥?」
恩義を
感じて
一瞬でなついたのか、
青い
小鳥は
青年の
肩にとまったまま
機嫌よくさえずっている。
「……は、はい。そうです……。とても
可愛がっていたので、
命を
救っていただいて
感謝しています。あなたにはなんてお
礼をいったらいいのか……」
「──べつに、
感謝の
言葉なんかいらねぇよ──」
すぐ
間近で
男の
声がして、
瞬間、レクシーナは
息も
告げなくなった。
先ほどまで
階下にいたはずの
青年が、あろうことか
今はバルコニーに
立ちすくむ
自分の
目の
前にいる。
そのことに
単純におどろいていたのだ。
おそらく
空間を
移動する
魔法でもつかったのだろう。
腹ちがいの
兄が
魔法使いのため、
魔法は
日常的に
見慣れていたはずだった。
だが、さっきの
治癒呪文といい、
今の
空間移動といい、この
男のつかう
魔法は
高度すぎてほぼ
規格外といってもいいくらいだ。
「──
驚いた?」
目と
鼻の
先でささやいた
男の
眼は、まるでエメラルドの
宝玉のようにぎらりと
輝いた。
無邪気といってもいいくらいの
笑みを
口許にうかべながら、
彼は
楽しそうにレクシーナの
顔をながめている。
「あ、あの。なにか……?」
たずねてしまってから、
野暮なことを
聞いてしまったと
後悔した。
あれだけ
高位の
治癒呪文をもちいて
奇跡を
起こしたのだ。
きっと、その
見返りを
要求しにきたのにちがいない。
あらためて
男の
服装をよく
見ると、
上質な
布地の
中央に
青銅色の
記章がとめられていた。
入念に
彫りこまれた
紋様は、
牙をのぞかせた
口の
隙間から、
長い
舌を
出す
大蛇の
姿をしていた。
(……もしかして、
異端信仰の……まさか、ね……?)
「できればすぐにでもお
礼をしたいのですが、
主である
父が
不在なんです……」
男に
言い
知れぬおそれを
抱きながらも、レクシーナはふるえそうになる
声を
押し
隠しながら、
懸命に
言葉をつむいだ。
「お
嬢サン、
俺が
欲しいのはあいにく
金じゃないんだ……」
「お
金じゃ、ない……?」
小首をかしげて
不思議そうな
瞳で
見つめていると、
青年は
鴉色の
長髪をかきあげて
不敵に
微笑んだ。
「あんたこの
屋敷の
娘だろ?ちょうどよかった。
実は
俺、
今夜この
屋敷に
忍びこもうと
思ってたんだ。
探す
手間がはぶけたぜ……」
青年は
信じられないような
言葉を
吐きながら、その
童顔に
笑みをはりつかせて
少女に
接近した。
「この
屋敷に
眠る
宝刀。『
三日月の曲刀』を
俺によこせ。さっきの
鳥の
報酬だ。あのままほっといてたら
死んでた。そう
考えりゃ
安いもんだろ……?」