2.部屋から羽ばたかない少女

文字数 3,570文字




(……こんなくだらない()……(やぶ)って()ててしまおう……)


初夏(しょか)だというのに、(まど)(とびら)()ざした牢獄(ろうごく)のような豪奢(ごうしゃ)部屋(へや)に。


その少女(しょうじょ)(いき)をひそめるようにして、(しず)かに(あるじ)として君臨(くんりん)していた。


高価(こうか)羊皮紙(ようひし)(なぐ)()きした()散文(さんぶん)が、見苦(みぐる)しいほど(みだ)れた筆跡(ひっせき)(みずか)らの()()びこんでくる。


昨夜(さくや)自分(じぶん)は、どれだけ高慢(こうまん)(おも)いでこんな()()きつづってしまったのだろう。


(なさ)けないような気持(きも)ちで(かみ)()()ると、重苦(おもくる)しいため(いき)をこぼす。


少女(しょうじょ)はのろのろと()()がると、この空間(くうかん)唯一(ゆいいつ)バルコニーにつながっている窓辺(まどべ)(あゆ)()った。


(ひさ)しく()(はな)たれていない窓枠(まどわく)()をかけると、ゆっくりと(じょう)(はず)す。


開放(かいほう)された(まど)からすがすがしいほどに、()んだ空気(くうき)(なが)れこんでくる。


(いま)自分(じぶん)とは真逆(まぎゃく)世界(せかい)
自分(じぶん)とはちがう(ひと)たちの()世界(せかい)


よどんでしまった自分(じぶん)とは、まるでちがう──。


真昼(まひる)陽射(ひざ)しはきつく、少女(しょうじょ)には刺激(しげき)(つよ)すぎるようだ。


そんな事実(じじつ)もおかまいなしに、太陽(たいよう)少女(しょうじょ)(しろ)素肌(すはだ)容赦(ようしゃ)なく()りつけていった。

        ☆

(てん)たかく屹立(きつりつ)した山脈(さんみゃく)と、その(ふもと)(ひろ)がる青々(あおあお)とした森林(しんりん)──


それら雄大(ゆうだい)自然(しぜん)背後(はいご)にしたがえた丘陵(きゅうりょう)(うえ)に、まるで城塞(じょうさい)のように威圧的(いあつてき)姿(すがた)でその屋敷(やしき)はそびえ()っていた。


最果(さいは)ての()』と()(もの)(おお)山奥(やまおく)小国(しょうこく)


ここデルスブルクには今現在(いまげんざい)(あるじ)不在(ふざい)である。


現領主(げんりょうしゅ)であるクレメンスは親族(しんぞく)代理(だいり)をたのみ、隣国(りんごく)所用(しょよう)()かけていた。


息子(むすこ)である第一子(だいいっし)は、数年前(すうねんまえ)不慮(ふりょ)事件(じけん)()きこまれて()くなり、(はら)ちがいの第二子(だいにし)屋敷(やしき)出奔(しゅっぽん)していずことも()れない()だ。


そして第三子(だいさんし)は、()えない(むね)(きず)(かか)えながら、屋敷(やしき)()きこもり無為(むい)(とき)をすごしている──


(わたしはほんとうに臆病(おくびょう)な、(おろ)(もの)だわ……)


(かた)(うえ)()りそろえたシルバーブロンドの(かみ)が、少女(しょうじょ)(くび)(うご)きにそって左右(さゆう)にゆれた。


(なが)いあいだ陽射(ひざ)しを(きら)った(はだ)病人(びょうにん)のように(しろ)く、人形(にんぎょう)のような彼女(かのじょ)風貌(ふうぼう)をさらに無機質(むきしつ)なものへと()えていた。


ルンドクイスト()第三子(だいさんし)である彼女(かのじょ)は、()をレクシーナといった。


(かがや)くような美貌(びぼう)才知(さいち)(めぐ)まれ、社交界(しゃこうかい)(はな)(うた)われた曾祖母(そうそぼ)にあやかってつけられた名前(なまえ)だ。


だが、皮肉(ひにく)にも開花(かいか)するまえに(つぼみ)()ざしてしまった(ちい)さな(はな)は、けなげにも自分(じぶん)()きほこれる場所(ばしょ)(さが)してさまよっているようにも()えた。


レクシーナはそっとため(いき)をこぼすと、()えてしまったように(ちから)(はい)らない両足(りょうあし)()きずるようにして、窓枠(まどわく)にもたれかかり故郷(こきょう)景色(けしき)(なが)めていた。


そこには自分(じぶん)だけを()()りにして、人々(ひとびと)生活(せいかつ)粛々(しゅくしゅく)といとなまれている。


自分(じぶん)とは無縁(むえん)世界(せかい)


自分(じぶん)などいなくても、世界(せかい)()えずまわり(うご)きつづける──


(──なんのためにわたしは、()きているんだろう──)


せつない衝動(しょうどう)のままに、少女(しょうじょ)羊皮紙(ようひし)をひきちぎると、(かみ)をなぶって()きすぎてゆく(かぜ)にさらした。


羊皮紙(ようひし)(かぜ)()って、すぐさま視界(しかい)から()えていった。


ほっとしてそれを見送(みおく)った瞬間(しゅんかん)、すぐ(よこ)をなにかが(いきお)いよくかすめ()んでいった。


いやな予感(よかん)(むね)がざわついて彼女(かのじょ)がふり(かえ)ると、鳥籠(とりかご)(とびら)不用意(ふようい)にも()(はな)たれたままだった。


狼狽(ろうばい)したように(あし)をもつれさせながら、バルコニーに()()してゆく。


()すりにつかまりながら(そら)見上(みあ)げると、(そば)にある大木(だいぼく)(はる)(たか)みに(あお)小鳥(ことり)()まっている。


「──ザリィ……コザリーィィー!!」


必死(ひっし)にその()()ぶ。
(とり)自分(じぶん)のほうを()ようともしない。


あれだけ可愛(かわい)がって(そだ)てたのに、野生(やせい)本能(ほんのう)のほうが(まさ)るのか小鳥(ことり)()()れた自由(じゆう)謳歌(おうか)しているようだ。


(たか)らかな(こえ)でたえまなくさえずっては、仲間(なかま)()()せようと夢中(むちゅう)だ。


自分(じぶん)のほうに()んでくるようすのないその姿(すがた)に、途方(とほう)()れると鳥籠(とりかご)をもってきて、少女(しょうじょ)はもう一度(いちど)その()(さけ)んだ。


「──お(ねが)い!もどってきて──」


しかし無情(むじょう)にも、(あるじ)(こえ)(とど)いたようには()えなかった。


屋敷(やしき)(もの)(たの)んでつかまえさせようか。
少女(しょうじょ)(まよ)った。


その(すき)をついて小鳥(ことり)(えだ)からはばたいた。それをめざとく()ていた()(もの)がいた。


──(からす)だ。


(からす)俊敏(しゅんびん)小鳥(ことり)(おそ)いかかると、空中(くうちゅう)(あらそ)うような羽音(はおと)甲高(かんだか)()(ごえ)(ひび)きわたった。


このままではいけないと、レクシーナがとっさに()げた小石(こいし)はむなしく(ちゅう)をかすめた。


(──どうか(おそ)わないで!どこかへ()ってちょうだい!!)


自然界(しぜんかい)において、(かご)(とり)圧倒的(あっとうてき)不利(ふり)であった。


あわれ小鳥(ことり)(からす)(ちゅう)から()()とされ、そのまま地面(じめん)にたたきつけられた。


じわじわと(あか)()()みのように(ひろ)がって、(あお)(はね)侵食(しんしょく)してゆく。


あまりのことに言葉(ことば)さえ()なかった。


ただ(なみだ)だけが(りょう)(ほお)をつたって、渓谷(けいこく)のように(なが)()ちていた。


少女(しょうじょ)()(さけ)びながら小石(こいし)(からす)()げ、一度(いちど)だけ命中(めいちゅう)させた。


死骸(しがい)をつつこうとしていた意欲(いよく)がそげ、(からす)はあわてたように()げていった。


(……ああ、ごめんね。ごめんなさい……コザリー!!)


かわいそうな小鳥(ことり)()()ろうにも、(あし)がすくんでしまって(うご)かない。


絶望的(ぜつぼうてき)気持(きも)ちで慟哭(どうこく)している少女(しょうじょ)姿(すがた)()がついたのか。


そこへ(たび)(もの)とおぼしき、黒装束(くろしょうぞく)()をつつんだ青年(せいねん)(とお)りかかった。


(みち)ばたで青年(せいねん)()ちどまると、あわれな小鳥(ことり)にむかって黙祷(もくとう)をささげた。


すると(ひかり)魔法円(まほうえん)大地(だいち)にうかびあがり、幻想的(げんそうてき)(あわ)翠色(みどりいろ)(かがや)いたかと(おも)うと、小鳥(ことり)(やわ)らかくつつみこんだ。


()(またた)()()けてゆき、傷口(きずぐち)がみるみるふさがってゆく。


(しん)じられない気持(きも)ちで、少女(しょうじょ)はその光景(こうけい)見守(みまも)っていた。


まさしく奇跡(きせき)()こったのだと。


瀕死(ひんし)小鳥(ことり)はたちまち(いき)()きかえし、もとの(あい)らしい姿(すがた)でさえずった。


「あのっ!神官様(しんかんさま)……ありがとうございました……!」


()づくと(おも)ったより、(おお)きな(こえ)(さけ)んでいた。


普段(ふだん)内気(うちき)なレクシーナだったが、今起(いまお)きた出来事(できごと)におどろきと感激(かんげき)同時(どうじ)にわきあがり、相手(あいて)感謝(かんしゃ)気持(きも)ちをつたえずにはいられなくなったのだ。


それにあれほどの治癒(ちゆ)(ちから)()たのは、(おさな)()聖都(せいと)サンドラーシェで、高位(こうい)大司祭(だいしさい)(じゅつ)()()たりにして以来(いらい)だった。


「──神官(しんかん)?この(おれ)が──?」


青年(せいねん)はうっとうしそうに黒装束(くろしょうぞく)をはらいのけると、皮肉(ひにく)っぽい口調(くちょう)でささやいた。


「あんた、相当(そうとう)箱入(はこい)(むすめ)だな。もしくはよっぽど(ひと)()()がないのか……いずれにしろ詐欺師(さぎし)には用心(ようじん)したほうがいいぜ?」


神聖(しんせい)なる御業(みわざ)披露(ひろう)したとは(おも)えないほど、(おど)くほど軽薄(けいはく)言葉(ことば)づかいをしたその(おとこ)は、二階(にかい)にあるバルコニーからこちらを見下(みお)ろす少女(しょうじょ)視線(しせん)をうつした。


「あんたの(とり)?」


恩義(おんぎ)(かん)じて一瞬(いっしゅん)でなついたのか、(あお)小鳥(ことり)青年(せいねん)(かた)にとまったまま機嫌(きげん)よくさえずっている。


「……は、はい。そうです……。とても可愛(かわい)がっていたので、(いのち)(すく)っていただいて感謝(かんしゃ)しています。あなたにはなんてお(れい)をいったらいいのか……」


「──べつに、感謝(かんしゃ)言葉(ことば)なんかいらねぇよ──」


すぐ間近(まぢか)(おとこ)(こえ)がして、瞬間(しゅんかん)、レクシーナは(いき)()げなくなった。


(さき)ほどまで階下(かいか)にいたはずの青年(せいねん)が、あろうことか(いま)はバルコニーに()ちすくむ自分(じぶん)()(まえ)にいる。


そのことに単純(たんじゅん)におどろいていたのだ。


おそらく空間(くうかん)移動(いどう)する魔法(まほう)でもつかったのだろう。


(はら)ちがいの(あに)魔法使(まほうつか)いのため、魔法(まほう)日常的(にちじょうてき)見慣(みな)れていたはずだった。


だが、さっきの治癒呪文(ちゆじゅもん)といい、(いま)空間(くうかん)移動(いどう)といい、この(おとこ)のつかう魔法(まほう)高度(こうど)すぎてほぼ規格外(きかくがい)といってもいいくらいだ。


「──(おどろ)いた?」


()(はな)(さき)でささやいた(おとこ)()は、まるでエメラルドの宝玉(ほうぎょく)のようにぎらりと(かがや)いた。


無邪気(むじゃき)といってもいいくらいの()みを口許(くちもと)にうかべながら、(かれ)(たの)しそうにレクシーナの(かお)をながめている。


「あ、あの。なにか……?」


たずねてしまってから、野暮(やぼ)なことを()いてしまったと後悔(こうかい)した。


あれだけ高位(こうい)治癒呪文(ちゆじゅもん)をもちいて奇跡(きせき)()こしたのだ。


きっと、その見返(みかえ)りを要求(ようきゅう)しにきたのにちがいない。


あらためて(おとこ)服装(ふくそう)をよく()ると、上質(じょうしつ)布地(ぬのじ)中央(ちゅうおう)青銅色(せいどういろ)記章(きしょう)がとめられていた。


入念(にゅうねん)()りこまれた紋様(もんよう)は、(きば)をのぞかせた(くち)隙間(すきま)から、(なが)(した)()大蛇(だいじゃ)姿(すがた)をしていた。


(……もしかして、異端信仰(いたんしんこう)の……まさか、ね……?)


「できればすぐにでもお(れい)をしたいのですが、(あるじ)である(ちち)不在(ふざい)なんです……」


(おとこ)()()れぬおそれを(いだ)きながらも、レクシーナはふるえそうになる(こえ)()(かく)しながら、懸命(けんめい)言葉(ことば)をつむいだ。


「お(じょう)サン、(おれ)()しいのはあいにく(かね)じゃないんだ……」


「お(かね)じゃ、ない……?」


小首(こくび)をかしげて不思議(ふしぎ)そうな(ひとみ)()つめていると、青年(せいねん)鴉色(からすいろ)長髪(ちょうはつ)をかきあげて不敵(ふてき)微笑(ほほえ)んだ。


「あんたこの屋敷(やしき)(むすめ)だろ?ちょうどよかった。(じつ)(おれ)今夜(こんや)この屋敷(やしき)(しの)びこもうと(おも)ってたんだ。(さが)手間(てま)がはぶけたぜ……」


青年(せいねん)(しん)じられないような言葉(ことば)()きながら、その童顔(どうがん)()みをはりつかせて少女(しょうじょ)接近(せっきん)した。


「この屋敷(やしき)(ねむ)宝刀(ほうとう)。『三日月の曲刀(クレッセント・ダガー)』を(おれ)によこせ。さっきの(とり)報酬(ほうしゅう)だ。あのままほっといてたら()んでた。そう(かんが)えりゃ(やす)いもんだろ……?」



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