23.あの場所から逃げ出したかった。ただ、それだけ

文字数 2,372文字




ロジオンとアナベル。両者(りょうしゃ)(あいだ)()づまりな沈黙(ちんもく)がおりていた。


そこへクロウェルが、紅茶(こうちゃ)(ぎん)のトレイにのせて意気揚々(いきようよう)(あらわ)れた。


にこやかな笑顔(えがお)二人(ふたり)(まえ)に、湯気(ゆげ)()ったカップを()()す。


なかば(すく)われたような気持(きも)ちでそれを()けとると、なにも(かんが)えずに熱々(あつあつ)液体(えきたい)をいっきに(のど)(なが)しこむ。


「…………ッ!?」


あまりの(あつ)さに(おどろ)いて(こえ)()ない。


「ロジオン(さま)()かけによらずせっかちですなぁ」


その姿(すがた)満足(まんぞく)そうに見守(みまも)っていたクロウェルは、そういえばと(おも)()したように(はなし)()りだした。


「レクシーナお嬢様(じょうさま)がたいそう心配(しんぱい)しておいででしたよ。便(たよ)りの(ひと)つも()こさないと」


「………レクシーナお嬢様(じょうさま)?」


とうとつに()てきた女性(じょせい)()に、アナベルの口許(くちもと)()きつった。


(いもうと)だよ!(ぼく)とは(はら)ちがいなんだけどね」


自分(じぶん)はなんでこんなにあわてて弁解(べんかい)しているのだろうと、(かれ)疑問(ぎもん)(おも)った。


「ところで(じい)やさん。ロジオンはどうして(たび)()たんですか」


本人(ほんにん)直接聞(ちょくせつき)いても無駄(むだ)だと(さと)ったのだろう。 


アナベルは(なが)いこと(むね)につかえていた疑問(ぎもん)(くち)にした。


彼女(かのじょ)のストレートな発言(はつげん)にクロウェルは面食(めんく)らっていたが、ちらりとロジオンに目配(めくば)せすると、(はな)すなという(つよ)意志(いし)のこもった()()つめ(かえ)してきた。


「それはもはや、わしの(かた)ることではありませんのう。旅立(たびだ)ちの理由(りゆう)(ひと)それぞれ。(かり)(おな)目的(もくてき)であっても、(こころざし)(ひと)によってちがうものですよ」


またしてもかわされたと、彼女(かのじょ)肩透(かたす)かしを()ったような気分(きぶん)(あじ)わっていた。


ロジオンは頃合(ころあい)だと(おも)ったのか、(せき)()ちあがりクロウェルに()かって()った。


「そろそろ()くよ。(ひさ)しぶりに(じい)()えてうれしかった」


アナベルはまだ()きたいことがあったが、一人(ひとり)だけ居座(いすわ)るわけにもいかない。


(すこ)名残惜(なごりお)しい気持(きも)ちで(いえ)(あと)にした。

          ☆

ロジオンはさっきからずっと(だま)ったままだ。


()くあてもないのに裏通(うらどお)りをさらに(おく)へと()(すす)んでいた。


()まずい沈黙(ちんもく)(なが)れるなか、しょうがないのでアナベルはおとなしくそれに(したが)っていた。


(………やっぱり(おこ)ってるのかな?しつこく質問(しつもん)したのがまずかったのかしら?)


(かれ)がなぜ、自分(じぶん)のことをかたくなに(はな)したがらないのか。


過去(かこ)(かく)したがる理由(りゆう)
そこになにか秘密(ひみつ)があるのかもしれない。


二人(ふたり)はしばらく(まえ)から東街(ひがしまち)界隈(かいわい)にさしかかっていた。





(みち)(きゅう)にせまくなり、(いま)にも()()てそうな建物(たてもの)路地(ろじ)(めん)して密集(みっしゅう)している。


貧民層(ひんみんそう)()らす区域(くいき)であることは一目瞭然(いちもくりょうぜん)だった。


不穏(ふおん)空気(くうき)をさっしてアナベルが(おも)わず(くち)をはさんだ。


「ねえ、()いてる?この(あた)りはあまり治安(ちあん)がよくないって()われて………」


ふいに(こえ)をかけられて、(まえ)(ある)いていたロジオンが(きゅう)()ちどまった。


(かれ)はふり(かえ)りもせずに、(のど)(おく)から(こえ)をしぼりだすようにして少女(しょうじょ)()いかけた。


「アナベル。(きみ)はどうしてそんなに(ぼく)過去(かこ)()りたがるの?」


唐突(とうとつ)にたずねられ、アナベルは困惑(こんわく)した。


(……なんでって()われても、ねぇ……)


まさか、このタイミングで『あなたのことが()きだからもっと()りたい』などと、告白(こくはく)めいたことは()えない。


「………あたしも、あなたと(おな)じように冒険(ぼうけん)にあこがれていたから!あなたが(いま)までどんな(たび)をしてきたのか()いてみたかったの」


彼女(かのじょ)はひとまず(こい)する乙女心(おとめごころ)封印(ふういん)して、素直(すなお)(こころ)にうかんだことを(こた)えた。


だが、どこか夢見(ゆめみ)がちなその発言(はつげん)は、(かれ)失望(しつぼう)をさらに(ふか)くさせただけだった。


(きみ)は、(たび)幻想(げんそう)(いだ)きすぎてるよ………。(だれ)もが(ひと)()えるようなまっとうな理由(りゆう)で、故郷(こきょう)()るわけじゃないんだ………!」


「………でもっ!子供(こども)のころ冒険小説(ぼうけんしょうせつ)主人公(しゅじんこう)にあこがれてたって()ったじゃないの。だから(たび)()たんじゃないの………?」


「──(ぼく)はあの(とき)(たび)()たかったんじゃない!あの場所(ばしょ)から()()したかった。ただ、それだけなんだよ………!」


フラッシュバックのように、脳裏(のうり)によみがえる悪夢(あくむ)出来事(できごと)


(がけ)から転落(てんらく)したあの()(ぼく)大切(たいせつ)(ひと)二人(ふたり)(うしな)ったんだ………)


落雷(らくらい)()らされた(しろ)(ほお)を、横殴(よこなぐ)りの豪雨(ごうう)(はげ)しく()ちつけてゆく。


()まみれの(ゆび)()(とお)くなりそうになりながら、懸命(けんめい)にしがみついた大地(だいち)


「──ロジオン………大丈夫(だいじょうぶ)か──?」


かすんだ視界(しかい)からは、自分(じぶん)()(もの)表情(ひょうじょう)()みとれない。


()連想(れんそう)させる不吉(ふきつ)(あか)()が、むせかえるような()びた(にお)いを(はっ)しながら(あめ)()じって(なが)()ちていった。


「もっと幸福(こうふく)(あじ)わえ、(おれ)(ぶん)まで……()きのびろ……」


最後(さいご)(みみ)(とど)いたあの(ひと)(こえ)


(せま)りくる()()(たい)して、自分(じぶん)はおそろしく無力(むりょく)だった。


(かば)われ、(まも)られて、それを(いた)いほどに(おも)()らされた。


(つみ)意識(いしき)から故郷(こきょう)(とど)まることさえ()えきれず、屋敷(やしき)()()した(よわ)自分(じぶん)


子供(こども)(とき)から(あこが)れていた(たび)を、現実(げんじつ)から()をそらす逃避(とうひ)手段(しゅだん)(えら)んだこと。


それは(かれ)(もっと)()じていることでもあった。


(とお)(むかし)旅立(たびだ)ちは希望(きぼう)にあふれた神聖(しんせい)なものだと(しん)じていた。


そんな過去(かこ)自分(じぶん)に、(どろ)()るような行為(こうい)だったからだ。


(くら)(うつ)ろな眼光(がんこう)宿(やど)したまま、少年(しょうねん)(こお)りついたようにその()()ちつくしていた。


(………どうしちゃったんだろう?あたし、ロジオンを(おこ)らせるようなこと()っちゃったのかな………)


いつもとはちがうロジオンのようすに戸惑(とまど)い、(かれ)のことを心配(しんぱい)しながらも、アナベルは完全(かんぜん)にかける言葉(ことば)をうしなっていた。


そのとき、一陣(いちじん)(かぜ)(うご)いた。


めずらしく感情(かんじょう)()まれるあまり、すっかり油断(ゆだん)していたのだろう。


(きゅう)()がり(かど)()()してきた(おとこ)に、ロジオンは(はげ)しく体当(たいあ)たりを()びせられた。


(かれ)(かる)くよろめいたのち、(われ)(かえ)るとハッとしたように自分(じぶん)身体(からだ)をさぐった。


(かた)にかけていたはずの荷物(にもつ)がすっかりなくなっている。


「ちっくしょうっ!?(ぬす)まれた!」


(くや)しそうに(さけ)ぶなり、(おとこ)()()って()()していく。


俊足(しゅんそく)少年(しょうねん)はあっという()距離(きょり)(ちぢ)めると、相手(あいて)袋小路(ふくろこうじ)()いつめた。


しかし、それは巧妙(こうみょう)(わな)であった──



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