ロジオンとアナベル。
両者の
間に
気づまりな
沈黙がおりていた。
そこへクロウェルが、
紅茶を
銀のトレイにのせて
意気揚々と
現れた。
にこやかな
笑顔で
二人の
前に、
湯気の
立ったカップを
差し
出す。
なかば
救われたような
気持ちでそれを
受けとると、なにも
考えずに
熱々の
液体をいっきに
喉に
流しこむ。
「…………ッ!?」
あまりの
熱さに
驚いて
声も
出ない。
「ロジオン
様は
見かけによらずせっかちですなぁ」
その
姿を
満足そうに
見守っていたクロウェルは、そういえばと
思い
出したように
話を
切りだした。
「レクシーナお
嬢様がたいそう
心配しておいででしたよ。
便りの
一つも
寄こさないと」
「………レクシーナお
嬢様?」
とうとつに
出てきた
女性の
名に、アナベルの
口許が
引きつった。
「
妹だよ!
僕とは
腹ちがいなんだけどね」
自分はなんでこんなにあわてて
弁解しているのだろうと、
彼は
疑問に
思った。
「ところで
爺やさん。ロジオンはどうして
旅に
出たんですか」
本人に
直接聞いても
無駄だと
悟ったのだろう。
アナベルは
長いこと
胸につかえていた
疑問を
口にした。
彼女のストレートな
発言にクロウェルは
面食らっていたが、ちらりとロジオンに
目配せすると、
話すなという
強い
意志のこもった
瞳で
見つめ
返してきた。
「それはもはや、わしの
語ることではありませんのう。
旅立ちの
理由は
人それぞれ。
仮に
同じ
目的であっても、
志は
人によってちがうものですよ」
またしてもかわされたと、
彼女は
肩透かしを
食ったような
気分を
味わっていた。
ロジオンは
頃合だと
思ったのか、
席を
立ちあがりクロウェルに
向かって
言った。
「そろそろ
行くよ。
久しぶりに
爺に
逢えてうれしかった」
アナベルはまだ
聞きたいことがあったが、
一人だけ
居座るわけにもいかない。
少し
名残惜しい
気持ちで
家を
後にした。
☆
ロジオンはさっきからずっと
黙ったままだ。
行くあてもないのに
裏通りをさらに
奥へと
突き
進んでいた。
気まずい
沈黙が
流れるなか、しょうがないのでアナベルはおとなしくそれに
従っていた。
(………やっぱり
怒ってるのかな?しつこく
質問したのがまずかったのかしら?)
彼がなぜ、
自分のことをかたくなに
話したがらないのか。
過去を
隠したがる
理由。
そこになにか
秘密があるのかもしれない。
二人はしばらく
前から
東街の
界隈にさしかかっていた。
道は
急にせまくなり、
今にも
朽ち
果てそうな
建物が
路地に
面して
密集している。
貧民層が
暮らす
区域であることは
一目瞭然だった。
不穏な
空気をさっしてアナベルが
思わず
口をはさんだ。
「ねえ、
聞いてる?この
辺りはあまり
治安がよくないって
言われて………」
ふいに
声をかけられて、
前を
歩いていたロジオンが
急に
立ちどまった。
彼はふり
返りもせずに、
喉の
奥から
声をしぼりだすようにして
少女に
問いかけた。
「アナベル。
君はどうしてそんなに
僕の
過去を
知りたがるの?」
唐突にたずねられ、アナベルは
困惑した。
(……なんでって
言われても、ねぇ……)
まさか、このタイミングで『あなたのことが
好きだからもっと
知りたい』などと、
告白めいたことは
言えない。
「………あたしも、あなたと
同じように
冒険にあこがれていたから!あなたが
今までどんな
旅をしてきたのか
聞いてみたかったの」
彼女はひとまず
恋する
乙女心を
封印して、
素直に
心にうかんだことを
答えた。
だが、どこか
夢見がちなその
発言は、
彼の
失望をさらに
深くさせただけだった。
「
君は、
旅に
幻想を
抱きすぎてるよ………。
誰もが
人に
言えるようなまっとうな
理由で、
故郷を
出るわけじゃないんだ………!」
「………でもっ!
子供のころ
冒険小説の
主人公にあこがれてたって
言ったじゃないの。だから
旅に
出たんじゃないの………?」
「──
僕はあの
時、
旅に
出たかったんじゃない!あの
場所から
逃げ
出したかった。ただ、それだけなんだよ………!」
フラッシュバックのように、
脳裏によみがえる
悪夢の
出来事。
(
崖から
転落したあの
日、
僕は
大切な
人を
二人も
失ったんだ………)
落雷に
照らされた
白い
頬を、
横殴りの
豪雨が
激しく
打ちつけてゆく。
血まみれの
指で
気が
遠くなりそうになりながら、
懸命にしがみついた
大地。
「──ロジオン………
大丈夫か──?」
かすんだ
視界からは、
自分を
呼ぶ
者の
表情が
読みとれない。
死を
連想させる
不吉な
赤い
血が、むせかえるような
錆びた
匂いを
発しながら
雨に
交じって
流れ
落ちていった。
「もっと
幸福を
味わえ、
俺の
分まで……
生きのびろ……」
最後に
耳に
届いたあの
人の
声。
迫りくる
魔の
手に
対して、
自分はおそろしく
無力だった。
庇われ、
守られて、それを
痛いほどに
思い
知らされた。
罪の
意識から
故郷に
留まることさえ
耐えきれず、
屋敷を
飛び
出した
弱い
自分。
子供の
時から
憧れていた
旅を、
現実から
目をそらす
逃避の
手段に
選んだこと。
それは
彼が
最も
恥じていることでもあった。
遠い
昔、
旅立ちは
希望にあふれた
神聖なものだと
信じていた。
そんな
過去の
自分に、
泥を
塗るような
行為だったからだ。
暗く
虚ろな
眼光を
宿したまま、
少年は
凍りついたようにその
場に
立ちつくしていた。
(………どうしちゃったんだろう?あたし、ロジオンを
怒らせるようなこと
言っちゃったのかな………)
いつもとはちがうロジオンのようすに
戸惑い、
彼のことを
心配しながらも、アナベルは
完全にかける
言葉をうしなっていた。
そのとき、
一陣の
風が
動いた。
めずらしく
感情に
飲まれるあまり、すっかり
油断していたのだろう。
急に
曲がり
角を
飛び
出してきた
男に、ロジオンは
激しく
体当たりを
浴びせられた。
彼は
軽くよろめいたのち、
我に
返るとハッとしたように
自分の
身体をさぐった。
肩にかけていたはずの
荷物がすっかりなくなっている。
「ちっくしょうっ!?
盗まれた!」
悔しそうに
叫ぶなり、
男の
背を
追って
駆け
出していく。
俊足な
少年はあっという
間に
距離を
縮めると、
相手を
袋小路に
追いつめた。
しかし、それは
巧妙な
罠であった──