20.追いかけなければならないのは、自分なのだ

文字数 2,929文字




「──お嬢様(じょうさま)、お(ちゃ)をお()ちしましたわ」


(たか)いドームの天井(てんじょう)に、()んだ召使(めしつか)いの(こえ)反響(はんきょう)する。


湯気(ゆげ)()ちのぼらせたティーカップから、心安(こころやす)らぐ香気(こうき)がアナベルの鼻腔(びこう)をくすぐった。


「ありがとう。あなたが()れてくれるお(ちゃ)、いつも美味(おい)しいのよね。(おな)茶葉(ちゃば)のはずなのにどうしてこうもちがうのかしら……?」


「お()めいただき光栄(こうえい)ですわ。(わたくし)どもは代々(だいだい)作法(さほう)(おし)えこまれていますから。お嬢様(じょうさま)学習(がくしゅう)熱心(ねっしん)でいらっしゃいますね」


「あはは、まぁ、ね……」


召使(めしつか)いが()ってゆく背中(せなか)見送(みおく)ってから、アナベルはふぅとため(いき)をついた。


(つくえ)(うえ)にはうず(たか)()まれた(ほん)と、(うつく)しいとは()いがたい筆跡(ひっせき)ながらも、熱心(ねっしん)さが(つた)わってくる手書(てが)きの(かみ)散乱(さんらん)している。


鉱石鑑定士(こうせきかんていし)』の資格取得(しかくしゅとく)には、半年後(はんとしご)(ひか)える試験(しけん)(とお)らなければならない。


()えあるマインスター商会(しょうかい)は、父親(ちちおや)四代目(よんだいめ)になる。


その()()()ぐアナベルは、女学院(じょがくいん)修了(しゅうりょう)したあとも、専属(せんぞく)家庭教師(かていきょうし)によりさまざまな教育(きょういく)()けてきた。


さいわい『鉱石鑑定士(こうせきかんていし)』の基礎(きそ)(かん)しては、美術鑑定(びじゅつかんてい)一環(いっかん)として授業(じゅぎょう)()けていた。


それは探索(たんさく)採掘(さいくつ)などの実技(じつぎ)をともなうもので、屋外(おくがい)でのフィールドワークでもあり(しょう)()っていたのか、アナベルは普段(ふだん)学習態度(がくしゅうたいど)とは一変(いっぺん)して熱心(ねっしん)()()んでいた。


そのおかげもあって、実技試験(じつぎしけん)のほうは(なん)なくやりとげる自信(じしん)がある。


基礎知識(きそちしき)はすでに学習済(がくしゅうず)みなので、試験前(しけんまえ)総力(そうりょく)をあげて復習(ふくしゅう)し、とりこぼした知識(ちしき)集中的(しゅうちゅうてき)暗記(あんき)すればさほど問題(もんだい)ではない。


膨大(ぼうだい)鉱物(こうぶつ)にまつわる知識(ちしき)を、短期間(たんきかん)効率(こうりつ)よく(あたま)(たた)きこまなければいけないのは大変(たいへん)だが──


それ以上(いじょう)に、(あたま)(いた)問題(もんだい)があった。


(これ()んでても、さっぱり()ける()がしないわ……)


アナベルは『論文(ろんぶん)()(かた)』という書物(しょもつ)()(とお)しながら、うんざりしたように吐息(といき)をついた。


試験当日(しけんとうじつ)(のぞ)まなければならない小論文(しょうろんぶん)課題(かだい)に、(こころ)(そこ)から戦々恐々(せんせんきょうきょう)としていたのだ。


(むかし)から文章(ぶんしょう)()くのが億劫(おっくう)でならない。


最初(さいしょ)一行(いちぎょう)からつまづくのだ。


同様(どうよう)理由(りゆう)により、手紙(てがみ)()くこともあまり()きではない。


(とお)(はな)れた場所(ばしょ)()友人(ゆうじん)との交流(こうりゅう)途絶(とだ)えてしまいがちなのも──


自分(じぶん)筆不精(ふでぶしょう)のせいなのかと、(ふか)反省(はんせい)することもあるけれど、それでも(ふで)はすすまないのだ。


(おな)じく()きな相手(あいて)への恋文(こいぶみ)なども、一度(いちど)だって()いたことはない。


文才(ぶんさい)のない自分(じぶん)文章(ぶんしょう)(あい)(かた)るなんて、どう(かんが)えても()(いくさ)のような()がしてならなかった。


(──告白(こくはく)か──。ロジオンは今頃(いまごろ)どうしてるのかな……)


ふと、ロジオンのことが記憶(きおく)から(おも)()されたのは、「告白(こくはく)」という二文字(ふたもじ)がきっかけだった。


あれからもうひと(つき)ほど()つが、自分(じぶん)としても(わす)れられない奇跡(きせき)のような(あい)告白(こくはく)だった。


その切実(せつじつ)(おも)いが(むく)われて、()れて()きな(ひと)(むす)ばれてハッピーエンド。


(みな)祝福(しゅくふく)されながら二人(ふたり)っきりの蜜月(みつげつ)……。


あまい(あま)生活(せいかつ)突入(とつにゅう)するはずだったのに……。


自分(じぶん)はなぜか一人(ひとり)(つくえ)にかじりつき、人気(ひとけ)のない図書室(としょしつ)にもう何時間(なんじかん)もこもりきりだ。


(ロジオンったら、まだ(かえ)ってこない……。大聖堂(だいせいどう)から使(つか)いが()て、(かれ)尽力(じんりょく)により騒動(そうどう)(おさ)まったって()いたけど……。きっとまた、めんどうなやっかいごとに()きこまれているんだわ……)


大聖堂(だいせいどう)死霊(しりょう)襲撃(しゅうげき)にあい、ロジオンがその救援(きゅうえん)()かった。


という事実(じじつ)しか、アナベルはまだ()らされていなかった。


(ひつぎ)()』の魔物討伐(まものとうばつ)一件(いっけん)を、くわしい状況(じょうきょう)もわからないまま(はな)すわけにはいかないと、ロジオンはあえてアナベルには(だま)っていた。


ひとえに彼女(かのじょ)不安(ふあん)にさせたくなかったからだったが──


そんな(かれ)(こま)やかな()づかいは、ともすればことごとく裏目(うらめ)()てしまいがちだ。


(みんなロジオンに(たよ)りすぎだわ。いくら(つよ)いっていっても(かれ)生身(なまみ)人間(にんげん)なのに……。それに、あたしだってまだ(かれ)にしてほしいこと、(やま)ほどいっぱいあるんだから……)


恋人(こいびと)活躍(かつやく)がほこらしい反面(はんめん)自分以外(じぶんいがい)(だれ)かにロジオンを占領(せんりょう)されているような、そんな幼稚(ようち)嫉妬心(しっとしん)がうかびあがった。


それと同時(どうじ)に、つれない恋人(こいびと)をなじる気持(きも)ちも。


最近(さいきん)、なんだか(へん)なのよね。(かれ)……。あたしと一緒(いっしょ)にいてもぼんやりしてるし、かと(おも)うと(きゅう)深刻(しんこく)(かお)しちゃってわけがわからないわ……)


ともかくロジオンが自分以外(じぶんいがい)のなにかに()をとられ、そのことに翻弄(ほんろう)されているような()がするのだ。


(またお得意(とくい)(かく)(ごと)かしら……?恋人(こいびと)同士(どうし)ってもっと信頼(しんらい)しあって、いろいろ()()けあうものなんじゃないの?っていうか、そもそも恋心(こいごころ)もなにもかも、みんなみんなあたしの一方(いっぽう)通行(つうこう)だったりして……)


()しに(よわ)(かれ)のことだ。


アナベルの求愛(きゅうあい)(なが)されるようにして、恋人(こいびと)になることを約束(やくそく)してしまったのかもしれない。


そもそも告白(こくはく)してきた相手(あいて)のことが(きら)いじゃなかったら、とりあえず()()う。


……という人間(にんげん)だって、()(なか)には五万(ごまん)存在(そんざい)するのだ。


(かれ)がそういう人間(にんげん)だとは、(しん)じたくないが……。


だが、二人(ふたり)関係(かんけい)において、(ひと)つだけ断言(だんげん)できることがある。


(──たぶん、ロジオンがあたしを(おも)うより、ずっとずっとあたしのほうがロジオンのことを()きだわ──)


これだけは(むね)をはって()える。


自信(じしん)をもって(みな)のまえでも、正々堂々(せいせいどうどう)()いきれる。


けれど(あい)しているがゆえに、その愛情(あいじょう)のおもいがけない(ふか)さと(はげ)しさゆえに、(さび)しさに足元(あしもと)をすくわれそうになるのだ。


そのたびに幾度(いくど)も、無性(むしょう)にこみあげてくる感情(かんじょう)がある。


自分(じぶん)はこんなにもロジオンのことを(おも)っているのに、(かれ)のために時間(じかん)()いてがんばっているのに──


(──(かれ)はあたしのことなんて、すっかり(わす)れているんだわ──!!)


きっと、(いそが)しさの渦中(かちゅう)(ほう)りこまれている(かれ)のことだ。


その(ほか)のできごとに(のう)のほとんどを()められて、彼女(かのじょ)のことなど(おも)()(ひま)もないのだろう。


(かれ)(あたま)のなかに自分(じぶん)存在(そんざい)するのは、一日(いちにち)のうちいったいどれだけの時間(じかん)なのだろう?


それは自分(じぶん)がロジオンについて(おも)いをめぐらす半分以下(はんぶんいか)……。


いや、およそ十分(じゅうぶん)一以下(いちいか)なのではないかと想像(そうぞう)して、アナベルはとたんに(かな)しくなった。


(フォルトナの(ちから)がある(かぎ)り、人々(ひとびと)はそれを(もと)め、それにこたえるため、(かれ)翻弄(ほんろう)されつづけるんだわ……)


(きゅう)になんともいえない寂寥感(せきりょうかん)がおそってきて、アナベルの(ひとみ)(きわ)にうっすらと(なみだ)がにじんだ。


(──きっと、これからも、ロジオンはあたし一人(ひとり)のものにはならない──)


そういう宿命(しゅくめい)なのだ。


()いかけなければならないのは、自分(じぶん)なのだ。


いつまでも、どこまでも───


『エレプシアの乙女(おとめ)』に(えら)ばれたことにうつつを()かしていたら、あっという()恋人(こいびと)()から転落(てんらく)する──


(だれ)()われたわけでもないのだが、そのような(おそ)れが彼女(かのじょ)不安(ふあん)にさせ、()えずせきたてていた。


(なんだか心配(しんぱい)ごとで()しつぶされそう。これじゃ勉強(べんきょう)集中(しゅうちゅう)できやしないわ……)


たまらなく()滅入(めい)り、自分(じぶん)らしくもなくどうにかなってしまいそうだ。


(すく)いをもとめて(まど)(そと)()をうつすと、庭園(ていえん)草花(くさばな)(さか)りをむかえて生命(せいめい)賛歌(さんか)をうたっている。


そろそろ休憩(きゅうけい)がてらに、気分転換(きぶんてんかん)してもいいころかもしれない。


(ちょっと、(そと)空気(くうき)でも()いに()こうっと……)


しおりだらけの書物(しょもつ)(やま)をいっせいに()じると、いくらか(むね)がすっとして()()れた。


アナベルは足取(あしど)りも(かろ)やかに、戸外(こがい)へむかって図書室(としょしつ)()()していった。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み