66.一分一秒でも早く……
文字数 2,390文字
地表からこぼれてくる星明かりに照らされながら、いつまで君とこうしていられるのだろうと、ロジオンは心が締めつけられるような気分にさいなまれた。
どうしていつも幸福を噛みしめているときでさえ、その先に待つ不安で不確かなものに、脚をすくいとられてしまうのだろう。
不安は増長し、膨れあがる一方だった。
うすうすとだが、彼はその理由に思いあたることがあった。
「アナベル……。僕を信じてここで待っててくれる?」
その言葉に反応するように、ぴくりと彼女の身体が動いた。
背中にまわされている腕に、不自然な力がこもっていることを、アナベルは敏感に感じとっていた。
「またあたしを置き去りにするの……?」
少女の言葉が、鋭い傷みをともなって胸に突き刺さる。
「そんな言い方しちゃいけないよ。君にとって僕は、まったく信用ないんだな……」
心の底に横たわったままの不安を見透かされないように、彼は穏やかに微笑んだ。
「あたりまえでしょう!今までだって散々……置いてけぼりにされて、あたしがどれだけ苦しんだかわかってるの!?」
真剣なアナベルの表情を見つめていると、ふいになぜか笑いがこみあげてきた。
「なにがおかしいのよ!」
「いや……僕はたしかに君に愛されてるなって、幸せを噛みしめてただけ」
「なんなのよ……もう……!」
膨れ上がった頬をもてあますように顔を赤くしながら、アナベルは怒りをどうにかして治めると、ロジオンの胸に身体をあずけてきた。
「行く先は聞かない……だけど……」
「アナベル……」
「約束して……。一分一秒でも早くあたしのところに戻るって」
切実な想いをふくんだ瞳に、瞬時に射抜かれそうになる。
彼女の強い気持ちが伝わってきて、くじけそうな背中を押してくれる。
ロジオンは無言のまま、アナベルを強く抱きすくめた。
(僕はいつまで君を抱きしめていられるだろう?永遠を感じたいけど、たぶんそれは叶わないことで……)
「……ロジオン……?」
心配そうな顔で自分を見上げながら、アナベルは彼の返事を待っている。
彼女をこれ以上不安にさせてはいけない。ロジオンは覚悟を決めてつぶやいた。
「……約束するよ……だから信じて待ってて……」
☆
アナベルを残してゆくのが心配だったので、主祭壇の間に魔法円の結界を張る。
いつもより気合の入った詠唱を終えると、ロジオンは使い魔の背にまたがって宙を翔けた。
地底都市から地上に抜け出した彼は、街から離れた場所にある荒涼とした大地に降り立った。
セルフィンは大鷲の姿に戻ると、遥か虚空へと吸いこまれるように羽ばたいていった。
「……来てるんだろ。ムスタイン……決着をつけよう……!」
その声に反応したかのように空間がゆらいだ。
暗闇のなかに溶けこむように、黒衣に包まれた不穏な影が姿を現した。
「……さすがにお見通しか。今まで奇襲かけようかどうか迷ってたんだぜ?情けをかけるなんて、俺もおまえらに感化されて腑抜けになっちまったみたいだな」
「いい兆候じゃないか。悪人は一人でも少ないほうが世のためだ」
「本気で言ってんの?そのセリフ……まったくあいかわらず虫唾が走る野郎だぜ」
相容れない深い闇が、二人の間に横たわっていた。
油断をおこたらないように、全神経を研ぎ澄ませて相手の出方を待つ。
静寂を破って口を開いたのは、不敵に微笑む黒装束の男だった。
顔立ちだけ見れば、まだあどけない少年のような雰囲気を醸しだしていたが、気まぐれに動くその瞳はつねに狂気の光を放っていた。
「いったん和解を持ちかけようと思ってたけど……やっぱりナシだ」
ひりつくような空気をいとも簡単に突破したのは、ムスタインの意表をつく言葉だった。
「和解って……!どういうことだ、ムスタイン!?」
困惑を隠しきれないようすで、ロジオンが驚愕の声を上げた。
「とりあえずグロリオーザが壊滅して、ひとまず俺の任務は終了ってことさ。まだ宗派からの指示はないし、一時休戦っつーの?」
油断のならない相手を前に、ロジオンは険しいまなざしでムスタインの挙動を見守っていた。
「こっちもいろいろと忙しいんだよ。ただ、おまえに関しちゃひと悶着あったからな。このまま見逃すんじゃ俺の気がすまねぇ……。かといって一戦交えるのもかったるぃ気分でさ」
「……なにが言いたいんだ?」
「だから、そのうちヒマができたら、おまえの大切なものを奪いにいこうと思っててさ。わざわざご丁寧にその報告に来たってワケ」
ロジオンの肩が押し殺した怒りで震えている。
「またアナベルに手を出したらどうなるか──。おまえもわかってて言ってるんだろうな!」
「アナベルねぇ……。奪うのは人とも物とも、まだ断定してないんだけどなぁ」
「おまえみたいなふざけた奴に、僕の周辺を危険にさらしてたまるかっ!」
「すっごい剣幕だなぁ。今度こそぶっ殺す!……ってか?まぁ、真実を知ってもできるもんならな」
口内の犬歯を舌で湿らせながら、ムスタインは余裕に満ちた表情でつぶやいた。
『血塗られた左手で我が同胞を殺めるとき【罪人の烙印】が押される……』
不吉な予言のように忌まわしい言葉が響きわたった。
「【フォーチュン・タブレット罪案篇・第六条】……どうしておまえが知っている?」
ロジオンの瞳が警戒心をあらわにして、ムスタインを凝視する。
「実は俺も持ってるんだ……『フォーチュン・タブレット』の写本を」
『黒い蛇』の男からは、にわかには信じがたい言葉が発せられた。
「……どういうことだ……?」
「鈍いね。まだわかんないの?まぁ、信じたくもないだろうから無理もないか」
小馬鹿にしたようなもったいぶった言いまわしで、ムスタインはまるで子供に聞かせるようにゆっくりと続きを話した。
「ようするに俺も『フォルトナの末裔』だってことさ。誰だかわかんねぇ呪われた親父と、いにしえの魔法の民ルクティアとの間に生まれた子供。……おまえのもう一人の兄貴なんだよ……」
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