1.たまには、お酒におぼれちゃってもいいですか?

文字数 4,404文字




夜風(よかぜ)素肌(すはだ)につめたい。


()(はな)たれた(まど)から()きこんできた(かぜ)(まゆ)をくもらせると、彼女(かのじょ)肩掛(かたか)けを羽織(はお)(なお)して椅子(いす)から()()がった。


風通(かぜとお)しが()すぎるのも(かんが)えものだと、(まど)()めようと()()ばして、瞬間(しゅんかん)はっとしたように(いき)()む。


心底驚(しんそこおどろ)いたようすで、彼女(かのじょ)動作(どうさ)一瞬(いっしゅん)()まる。


「よっ!」


いつの()(みせ)(わき)にある階段(かいだん)()(のぼ)っていたのか。


()(まえ)には片手(かたて)をあげて陽気(ようき)そうに微笑(ほほえ)む、見慣(みな)れた(おとこ)姿(すがた)があった。


「ちょっと、びっくりさせないでよね……。こんな夜更(よふ)けに変質者(へんしつしゃ)かと(おも)ったじゃない」


あきれたように(かた)からため(いき)()きながら、(うらな)()(むすめ)容赦(ようしゃ)なく(まど)()ざそうとした。


()てよ!せっかく(たず)ねてきたのに、いきなりそれはないだろう……?」


それをあわてて(とど)まらせようとして、(おとこ)(なさ)けない(こえ)をあげながら必死(ひっし)抗議(こうぎ)した。


「そうかしら?第一(だいいち)足音(あしおと)(しの)ばせて女性(じょせい)(いえ)(たず)ねてくるなんて、(こころ)にやましいことがあるからに()まってるでしょ!」


(よる)空気(くうき)をわたって、昼間(ひるま)よりは一段声(いちだんこえ)(ひそ)めた(おんな)怒気(どき)があたりに(ひび)く。


不意打(ふいう)ちじゃないと()ってくれないかと(おも)ってさ……」


「そのほうが普通(ふつう)()わないと(おも)うけど……」 


幸先(さいさき)わるく出鼻(でばな)(くじ)かれ、そうそうに拒絶(きょぜつ)にあったわけではあるが、この(おとこ)にあきらめたような素振(そぶ)りは一切見(いっさいみ)えない。


それどころか俄然(がぜん)()(かぜ)になったかのように窓枠(まどわく)にかけていた両腕(りょううで)(はな)し、(つぎ)瞬間(しゅんかん)には(むすめ)()をがっしりとつかんでいた。


()れてくれるまで、(おれ)(はな)さない……!」


これまで幾人(いくにん)もの(おんな)口説(くど)()としてきた手腕(しゅわん)発揮(はっき)して、(おとこ)渾身(こんしん)のまなざしで()(まえ)(おんな)()すくめようとする。


しかし(おんな)のほうも手練(てだ)れであった。


だてに(なが)歳月(さいげつ)(わか)(うつく)しいまま()きてはいないのである。


月光(げっこう)()らされたその美貌(びぼう)一層冴(いっそうさ)えわたり、不敵(ふてき)()みをうかべた(くちびる)(したた)果実(かじつ)のごとく(つや)めいていた。


「……そう。(なが)(よる)になりそうね……」

        ☆

「……あのまま()かせちゃって、リームさん大丈夫(だいじょうぶ)かなぁ……」 


ロジオンは自分(じぶん)行為(こうい)()いるような不安(ふあん)()ちたまなざしで、窓辺(まどべ)にたたずみ(そと)景色(けしき)(なが)めているアナベルに(こえ)をかけた。


(ぼく)はてっきり(きみ)()めてくれると(おも)ったんだけど……」


その(こえ)にははっきりとした困惑(こんわく)と、いくばくかの失望(しつぼう)がこめられていた。


いろいろと世話(せわ)になったお(れい)(しょう)して、ラグシードがマインスター家秘蔵(けひぞう)のブドウ(しゅ)片手(かたて)(よる)(まち)()りだしたのを、ロジオンは胡乱(うろん)()見送(みおく)っていた。


かたわらにいたアナベルが、()()めようとした(かれ)をさりげなく(せい)したからである。


平気平気(へいきへいき)!だってリームは酒豪(しゅごう)だもん!(いま)まで()いつぶされたなんて一度(いちど)()いたことないわ」


それに(たい)少女(しょうじょ)返答(へんとう)平然(へいぜん)としたものだった。


絶世(ぜっせい)美女(びじょ)であるリームに()()(おとこ)(あと)()たないが、ここしばらくは(こい)成就(じょうじゅ)した(はなし)()いたことがない。


いくら(うらな)いで生計(せいけい)()てているとはいえ、(ひと)助言(じょげん)してばかりで、自分(じぶん)恋愛面(れんあいめん)がいっこうに音沙汰(おとさた)ないのはどうかと(おも)う。


正直(しょうじき)一度(いちど)くらい()いつぶされてみればいいのに、となかば本気(ほんき)(おも)うときがあるのだ。


相手(あいて)がラグシードであるというのは、ある意味(いみ)かなり問題(もんだい)ではあるのだが……。


「あいつだったら、ブドウ(しゅ)のなかに媚薬(びやく)混入(こんにゅう)させるとか平気(へいき)でしそうで(こわ)いんだよっ!」


いつになく(はげ)しい剣幕(けんまく)で、ロジオンはそうまくしたてた。


……即座(そくざ)にそういう発想(はっそう)(おも)いつくロジオンのほうが、なんとなく(あぶ)ない()がするとアナベルは(おも)ったが()わないでおいた。


()ったら想像以上(そうぞういじょう)(きず)つきそうな()がしたからだ。


「ねぇ、ロジオン。気分転換(きぶんてんかん)にあたしたちも一杯(いっぱい)どう?」


ドレスの(すそ)(ひるがえ)してふり(かえ)ると、少女(しょうじょ)急速(きゅうそく)(かれ)との距離(きょり)(ちぢ)めた。


そうしてほぼ()(はな)(さき)くらいの位置(いち)から見上(みあ)げると、唖然(あぜん)としたようすのロジオンにむかって、彼女(かのじょ)(あま)えるように()(つの)った。


ウィンディア大陸(たいりく)では地方差(ちほうさ)はあるが、一般的(いっぱんてき)十五歳(じゅうごさい)成人(せいじん)とみなされ、飲酒(いんしゅ)可能(かのう)になる。


(いま)までみたいに食前酒(しょくぜんしゅ)だけなんてもう物足(ものた)りないわ。あたしだって()めるようになってからけっこう()つんだから……ちょっとくらい()()ってくれたっていいでしょ?」


とろんとした()つきで彼女(かのじょ)(せま)られると、反射的(はんしゃてき)(のど)がごくりと()った。


()のひらが(あせ)ばんでいる。


動揺(どうよう)をさとられないようにアナベルから視線(しせん)をそらすと、(かれ)はこの()におよんでそらぞらしい話題(わだい)()ちだした。


「ラグたちは(いま)ごろどうしてるかな……?」


()らないわよ!そんなこと……。それより話題(わだい)()えるのは反則(はんそく)!ひょっとして、お(さけ)()めなかったり(よわ)かったりするのをごまかそうとしてる?あたしはぜんぜん()にしないんだけど」


(はなし)()らそうとした意図(いと)をあっさり見破(みやぶ)られて、ロジオンはさすがに狼狽(ろうばい)した。


「……いや、(ぼく)だってたまには()むし、けして(よわ)くないつもりなんだけど……」


自然(しぜん)語尾(ごび)(しり)すぼみに(よわ)まる。


ほんとうのことをいうと、(さけ)()んだときの記憶(きおく)後半(こうはん)のほうになるにつれあやしくなり、ほとんど(のこ)っていないことが(おお)いのだ。


「でも、理由(りゆう)はわからないけど、ラグからは『()むな』って(くぎ)()されてるんだよね……」


「ふーん。じゃあ()めるんだったら、さっそく乾杯(かんぱい)しましょ♪」


「……アナベル、ちゃんと(ぼく)(はなし)()いてる?」


ロジオンの飲酒(いんしゅ)にまつわる些事(さじ)など、アナベルはまったく()にしていないのだった。

        ☆

同時(どうじ)に「「ふぇっくしゅんっ!」」と(はな)たれたくしゃみとともに、二人(ふたり)拮抗状態(きっこうじょうたい)はひとまず休戦(きゅうせん)となった。


初夏(しょか)とはいえ夜更(よふ)けはまだ()える。


このまま不毛(ふもう)(にら)みあいをつづけるのも、双方体力(そうほうたいりょく)のムダづかいだと()()みて(かん)じたのだ。


結論(けつろん)として(まち)酒場(さかば)()れだって(おもむ)くことで、お(たが)譲歩(じょうほ)したのである。


それまで相手(あいて)にされていなかったラグシードにとっては、飛躍的(ひやくてき)進歩(しんぽ)といえよう。


街路(がいろ)にまで喧騒(けんそう)(ひび)いてくるほど活気(かっき)()ちた(みせ)


常時(じょうじ)にぎわいを()せる『リプシェの(にわ)(てい)は、アトゥーアンでも三本(さんぼん)(ゆび)(はい)老舗(しにせ)名店(めいてん)である。


とはいっても金持(かねも)御用達(ごようたし)高級店(こうきゅうてん)ではなく、庶民(しょみん)気軽(きがる)()()れる(いこ)いの場所(ばしょ)として人気(にんき)があるのだが。


もちろん美酒(びしゅ)だけではなく、料理(りょうり)()(がみ)つきだ。


以前(いぜん)アナベルを()れてきたときなど、マインスター家専属(けせんぞく)料理人(りょうりにん)()()きたいと本気(ほんき)()わしめたほどだ。


店内(てんない)(おく)まったカウンター(せき)に、(から)酒瓶(さかびん)(うつく)しくも整然(せいぜん)とならんでいる。


豊富(ほうふ)銘柄(めいがら)のラベルが()られた、(いろ)とりどりの硝子瓶(がらすびん)


ある意味(いみ)、それは壮観(そうかん)(なが)めだった。


「さっきから(わたし)ばっかり()んでるような()がするんだけど……」


リームは()()ちないようすながらもあっさりとグラスを()け、手酌(てじゃく)酒瓶(さかびん)からなみなみと液体(えきたい)(そそ)いだ。


おごりだと(さき)()ってしまった手前(てまえ)、ラグシードはいまさら(あと)()けなくなってしまっていた。


()けとったばかりの報酬(ほうしゅう)が、(はや)くも財布(さいふ)(そこ)から()()ちていくさまを想像(そうぞう)して、(かれ)(あたま)(かか)えたくなった。


いつの時代(じだい)下心(したごころ)予想以上(よそういじょう)(たか)くつくのである。


「いける(くち)だとは(おも)ってたが、まさかこんなに()むとはな……」


カウンターに頬杖(ほおづえ)をつきながら、もはや愛想(あいそう)がつきたような(こえ)でラグシードがつぶやく。


「ねぇ、(まえ)から(おも)ってたんだけど……」


「なんだよ?」


「あなたお酒弱(さけよわ)いでしょ?」


(もり)のキノコとポークソテーのグラヴァソース()()べていたラグシードは、よりによって()けあわせのポテトで(のど)をつまらせた。


「……うるせぇなぁ。こう()えても(おれ)高名(こうめい)聖職者(せいしょくしゃ)家系(かけい)で、(おさな)いころから厳格(げんかく)(そだ)てられたんだ。(まち)人間(にんげん)模範(もはん)となるように、それこそ(きよ)(ただ)しく(うつく)しくってな」


ラグシードはフォークを(つよ)くにぎりしめて力舌(りきぜつ)した。


「だから(いえ)には酒瓶(さかびん)なんか()いてなかった。どんな(まず)しい家庭(かてい)にも(さけ)一本(いっぽん)二本(にほん)()んだくれの親父(おやじ)(かく)しもってるのが(つね)だっていうのによ」


同情(どうじょう)するわ」


リームからはそっけない一言(ひとこと)(かえ)ってきたのみだったが、(さけ)がまわっているのか(かれ)はかまわず(はなし)(つづ)けた。


「だから(さけ)根絶(こんぜつ)された家庭(かてい)(そだ)って、たった十二歳(じゅうにさい)寄宿舎(きしゅくしゃ)つきの牢獄(ろうごく)みたいな学校(がっこう)(ほう)りこまれてみろ。いい(とし)して(さけ)免疫(めんえき)皆無(かいむ)っていうおそろしい現実(げんじつ)直面(ちょくめん)するんだよ……」


「それとお(さけ)(よわ)いかどうかは(べつ)だと(おも)うけど。それまで飲酒経験(いんしゅけいけん)がなくても、()んでみたら意外(いがい)といける(ひと)もいるわけだし」


「………………………」


いつもは即座(そくざ)()ってかかるラグシードが、めずらしく(だま)りこむ。


(お(さけ)体質(たいしつ)ばっかりは、(きた)えてどうにかなる問題(もんだい)じゃないものね……。ちょっと、かわいそ)


(とな)りにいる青年(せいねん)横目(よこめ)でながめながら、リームは胸中(きょうちゅう)でこっそりつぶやいた。


普段(ふだん)自分(じぶん)があまり()まなくてもいいように、他人(たにん)にじゃんじゃん()ませて()わせるように仕向(しむ)けてるんだよ。それがおまえときたらウワバミみたいに()びるように()みやがって……!!新種(しんしゅ)(いや)がらせか?」


「『(おれ)酒弱(さけよわ)いんだよね』とか()って、(おんな)()油断(ゆだん)させて宿(やど)()れこんでるような(おとこ)()われたくないわぁ……」


「してねぇよっ!!!っていうか、使(つか)えるな。その()……って、本気(ほんき)(なぐ)るなよ!?」


「けっきょくあなたはお(さけ)(たい)する幻想(げんそう)があるのよ。子供(こども)のころの反動(はんどう)じゃない?ロジオン(くん)が『ラグは(よわ)いくせに()きなんだよねぇ』って(わら)ってたわよ」


「あいつの()知恵(ぢえ)かぁ……。まったく余計(よけい)なこと()いやがって……」


「なんとなくだけど、ロジオン(くん)って(つよ)そうよね、お(さけ)


何気(なにげ)なくふった話題(わだい)だったのだが、ラグシードはため(いき)をつくと(とお)()をして()った。


「あいつのは(つよ)いっていうより、もはや狂気(きょうき)だな……」


「なにそれ!?そんなに(つよ)いの?」


自分以上(じぶんいじょう)酒豪(しゅごう)にはめったに遭遇(そうぐう)しないリームは、やや興奮(こうふん)したように(ひとみ)(かがや)かせてつめ()った。


「いや、そういう意味(いみ)じゃなくてだな。一定(いってい)(りょう)()むぶんにはなんの問題(もんだい)もないんだが、限度(げんど)()えると人格(じんかく)()わっちまうんだよ」


「へえ……。なんだか意外(いがい)(かれ)って()かけによらず酒癖(さけぐせ)わるいの?」


「まあ、いつもってわけじゃないぜ。ただ(わる)いほうに(ころ)ぶと()()えなくてさ……」


ラグシードはため(いき)まじりに()げた。


「いつだったか喧嘩(けんか)ふっかけられて、酒場(さかば)破壊(はかい)したときもあったな。魔法(まほう)暴走(ぼうそう)して大変(たいへん)なことになったわけ。(さいわ)被害(ひがい)はけが人程度(にんていど)ですんだけどさ」


「けが(にん)()たのね……」


「まあな」


神妙(しんみょう)(かお)でしみじみとつぶやくリームに、心中複雑(しんちゅうふくざつ)なようすでラグシードはうなずいた。


「でもいるわよねぇ、そういう(ひと)。たいてい普段(ふだん)はおとなしくて感情殺(かんじょうころ)してるような(ひと)(おお)いわよね。平素(へいそ)たまってる不満(ふまん)がお(さけ)(ちから)()りて爆発(ばくはつ)するのよ」


「……くわしいんだな」


(むかし)、しつこく()()ってきた(おとこ)にいたわ。そういう性質(たち)のわるいのが」


「ふーん」


「ちなみにさっきの『(おれ)酒弱(さけよわ)いんだよね』も、(むかし)つきまとってきた(おとこ)台詞(セリフ)よ」


「……おまえってつくづく男運(おとこうん)ないんだな。(どお)りで(しあわ)せそうに()えないわけだ……」


「……ほっといてよッ!!」


(あわ)れみをこめたまなざしで(とな)りに(すわ)美女(びじょ)()つめると、乾杯(かんぱい)とばかりにラグシードは(から)のグラスを(かたむ)けたのだった。



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