17.初心な少女とスイーツな悪戯

文字数 3,458文字

 


ところ()わって、ここは最果(さいは)ての()──


初夏(しょか)陽射(ひざ)しのなか、紺碧(こんぺき)(そら)背景(はいけい)にしたがえて、優麗(ゆうれい)山脈(さんみゃく)(つら)なっている。


(やま)(いだ)かれた辺境(へんきょう)小国(しょうこく)、デルスブルク。


尾根(おね)のふもとには高山植物(こうざんしょくぶつ)()(ほこ)り、なだらかな稜線(りょうせん)(えが)いている。


窓辺(まどべ)(すわ)ってその雄大(ゆうだい)景観(けいかん)(なが)めながら、ムスタインは()きあがる(いら)()ちを、豪華(ごうか)食事(しょくじ)でまぎらわしていた。


領主(りょうしゅ)令嬢(れいじょう)でもあるレクシーナの部屋(へや)には、すでに三度目(さんどめ)来訪(らいほう)となっていた。


ところが肝心(かんじん)当主(とうしゅ)が、旅先(たびさき)(やまい)()せったとかで、いまだ(しろ)(もど)らず……。


三日月の曲刀(クレッセント・ダガー)行方(ゆくえ)どころか、()がかりも()れないままだった。


前回(ぜんかい)()(つづ)今回(こんかい)までも、まったく実入(みい)りがないのではたまったものではない。


(ちち)がこんなことになってしまって、すみません……」


()()るような(こえ)でそう()びると、(くろ)(ふく)少女(しょうじょ)はそのまま()まずそうにうつむいた。


「…………………」


謝罪(しゃざい)されて青年(せいねん)無言(むごん)のまま、(さら)(うえ)のケーキにフォークを()()てた。


びくっと(おび)えたように少女(しょうじょ)(かた)がふるえる。


本能的(ほんのうてき)怒鳴(どな)られるのかと(おも)い、一瞬(いっしゅん)()をすくませたレクシーナだったが……。


「たまにはあんたも()べれば?(おれ)ばっかり()べてんのも居心地(いごこち)わるいんだけど」


(くち)(なか)(なま)クリームを(ほう)りこんでから、そっけない口調(くちょう)でムスタインが()げる。


(かれ)はもっぱら食事(しょくじ)にご執心(しゅうしん)で、(さら)(うつく)しく()りつけられたスイーツに見惚(みと)れていて、少女(しょうじょ)のほうなどろくに()てもいない。


「……ごめんなさい。まだお(なか)がすいてなくて……」


「──あっそ」


会話(かいわ)はそこで完全(かんぜん)途絶(とだ)えてしまった。


あいかわらずムスタインは(あま)(もの)夢中(むちゅう)で、おそらくレクシーナのことなど眼中(がんちゅう)になく、背景(はいけい)かなにかのように(おも)っているのだろう。


()まずさにたえられず、少女(しょうじょ)(せき)()って(はな)れようとすると、青年(せいねん)はそれが()にくわなかったのか──


その行動(こうどう)視界(しかい)(すみ)()らえて、フォークの()(さき)をレクシーナに()きつけた。


給仕人(きゅうじにん)みたいにつっ()ってられるのも、なんだか()ってて()()かないし」


ムスタインはふて(くさ)れたようすで、彼女(かのじょ)にむかって容赦(ようしゃ)ない(よこ)やりを()れた。


「……ごめんなさい。あの、わたし()()きがなかったみたいで……」


自分(じぶん)なりに一生懸命(いっしょうけんめい)そう()げると、()ずかしそうにレクシーナは(せき)にもどった。


彼女(かのじょ)はそわそわしたようすで、ムスタインのほうを()ることもできずにうつむいている。


テーブルを(さかい)()かいあって(すわ)っている二人(ふたり)は、(はた)から()るとどのように(うつ)るのだろう。


──友人(ゆうじん)
──それとも恋人(こいびと)──?


いずれにしても、不協和音(ふきょうわおん)(かな)でそうな()みあわせに(かん)じられるだろう。


どのような関係(かんけい)にしろ、あまりにも対照的(たいしょうてき)性格(せいかく)二人(ふたり)だからだ。


本来(ほんらい)、この部屋(へや)(あるじ)であるはずの少女(しょうじょ)が、すっかり委縮(いしゅく)してチェアにちぢこまって(すわ)っている。


それに(たい)して、来客(らいきゃく)でしかない黒装束(くろしょうぞく)青年(せいねん)が、横柄(おうへい)態度(たいど)行儀(ぎょうぎ)(わる)くチェアにふんぞり(かえ)っている。


この空間(くうかん)での優位関係(ゆういかんけい)が、完全(かんぜん)逆転(ぎゃくてん)しているかのようだ。


人見知(ひとみし)りなレクシーナの対応(たいおう)()()たりにして、ムスタインはため(いき)をつきたくなった。


自分(じぶん)()きこもり(おんな)慰問(いもん)()ているわけじゃないんだと、(かれ)胸中(きょうちゅう)苦虫(にがむし)()みつぶした。


テーブルに()せられたごちそうは、前回(ぜんかい)よりもあきらかにグレードが()がっている。


()(よろ)ばせる(きら)びやかな高級(こうきゅう)菓子(がし)上品(じょうひん)(くち)ざわりの(とろ)けるような厳選(げんせん)されたスイーツばかりだ。


(しろ)陶器(とうき)のティーポットからは、かぐわしい高貴(こうき)(かお)りが湯気(ゆげ)とともにふんわり(ただよ)ってきた。


まるで胃袋(いぶくろ)(おさ)えられたような気分(きぶん)(おちい)り、(かれ)はとたんに不愉快(ふゆかい)になった。


(……この(おんな)餌付(えづ)けでもしてる()になってるんじゃないだろうな?)


あまつさえこの部屋(へや)に『高級(こうきゅう)スイーツ』目当(めあ)てに(おとず)れているわけじゃないと、そう弁明(べんめい)しながらなにげなく書架(しょか)(なが)めていると……。


ふと一冊(いっさつ)(ほん)背表紙(せびょうし)が、ムスタインの()()まった。


(まさか……こんな(ほん)に、こんなところでお()にかかれるとはね……)


いい(ひま)つぶしが()つかったと、ムスタインは内心(ないしん)ほくそ()んだ。


それは(みやこ)(おんな)たちのあいだで流行(はや)っている恋愛(れんあい)小説(しょうせつ)だったが……。


なんのことはない。淑女(しゅくじょ)ぶった装丁(そうてい)中身(なかみ)低俗(ていぞく)官能小説(かんのうしょうせつ)だった。


(おっとなしい(かお)して耳年増(みみどしま)ってやつか。まだ未成熟(みせいじゅく)身体(からだ)してやがるくせに、ほんっと生意気(なまいき)だな……)


入浴中(にゅうよくちゅう)放鳥(ほうちょう)する習慣(しゅうかん)があるのか、レクシーナの裸体(らたい)はすでに監視(かんし)のときに()にしていた。


使(つか)()(ひとみ)(とお)して、湯気(ゆげ)(けむ)った少女(しょうじょ)輪郭(りんかく)がぼんやりと()かびあがる。


日光(にっこう)にあたらない素肌(すはだ)驚嘆(きょうたん)するほど(しろ)くなめらかで、(ゆき)のように()れたら()けそうなほど、(あわ)(はかな)印象(いんしょう)をあたえた。


(かた)まで()ばしたシルバーブロンドの(つや)やかな(かみ)から、幾筋(いくすじ)ものしずくが(したた)っている。


(なが)()ちてゆく水滴(すいてき)(はじ)く、まだ(おとこ)()れられたことのないみずみずしい柔肌(やわはだ)


いつもの(くろ)いドレスとのコントラストも(あい)まって、少女(しょうじょ)魅力(みりょく)()()ててはいたが。


同時(どうじ)にその曲線(きょくせん)は、成熟(せいじゅく)した色香(いろか)とはほど(とお)いと、手厳(てきび)しい評価(ひょうか)(くだ)してもいた。


ともかく()きでもない小娘(こむすめ)監視(かんし)など、それくらいの役得(やくとく)がなければ正直(しょうじき)やっていられない。


(かたわ)らで不安(ふあん)そうにうつむいているレクシーナを一瞥(いちべつ)すると、ムスタインは思案(しあん)するような仕草(しぐさ)でおもむろに()ちあがった。


(たまには初心(うぶ)仔羊(こひつじ)をからかって(あそ)ぶのも、また一興(いっきょう)ってやつか……)


青年(せいねん)(くち)(はし)をかすかに(ゆが)めてわらうと、ためらうことなくその(ほん)書架(しょか)から()()った。


「──っ!!」


それは少女(しょうじょ)にとって、想像(そうぞう)もしていなかった動作(どうさ)だったのだろう。


よりにもよって、一番人目(いちばんひとめ)()れてほしくない(ほん)(さぐ)りあてられたのだ。


(こえ)にならないながらも悲鳴(ひめい)のような(こころ)(さけ)びが、(はげ)しい動揺(どうよう)()()るようにつたわってきて、その狼狽(ろうばい)ぶりはムスタインを心底(しんそこ)から満足(まんぞく)させた。


「……(かえ)してください……」


いまにも()()りそうな(こえ)でささやくと、レクシーナは赤面(せきめん)したまま視線(しせん)()とした。


おどおどと()()きのないようすが、(かれ)嗜虐心(しぎゃくしん)をいっそう刺激(しげき)した。


(ひま)つぶしに()みたいんだ。だからこの本貸(ほんか)してくれよ……?」


(ひさ)しぶりに獲物(えもの)()つけた肉食獣(にくしょくじゅう)のような(ひとみ)が、ぎらついた(けもの)視線(しせん)が、残酷(ざんこく)なまでに少女(しょうじょ)()()がちな(ひとみ)()()さる。


「──そ、それは(こま)ります……」


「──どうして?」


優越(ゆうえつ)()ちた()みを口許(くちもと)にたたえながら、ムスタインは強引(ごういん)少女(しょうじょ)(せま)った。


「と、とにかく、駄目(だめ)なんです……ごめんなさい……」


「そんなんじゃ、()さない理由(りゆう)にはならないぜ?」


必死(ひっし)抵抗(ていこう)でムスタインから(ほん)(うば)(かえ)そうとするも、指先(ゆびさき)(むな)しく(ちゅう)をかすめた。


レクシーナはあっさりと(かえ)()ちにあい、腕一本(うでいっぽん)両手(りょうて)(ふさ)がれてしまった。


(もっと)もこんないやらしい(ほん)片時(かたとき)(はな)さず()っていたいって()うのなら、そっちのほうがよっぽど大問題(だいもんだい)だと(おれ)(おも)うんだけどさ」


完膚(かんぷ)なきまでに無慈悲(むじひ)(こえ)が、まるで悪夢(あくむ)のように彼女(かのじょ)()りかかる。


(みみ)をうたがうようなその発言(はつげん)に、レクシーナは愕然(がくぜん)とした。


(この(ひと)──。はじめからこの(ほん)のことわかってたんだ!わかっててわたしを、わたしを──)


瞬時(しゅんじ)にかぁっと(あたま)()がのぼってきた。


とうに見透(みす)かしていたうえで、このような(はずかし)めを彼女(かのじょ)(あた)えたのだ──


(……イヤ……もうイヤ!()えてしまいたい……!)


しかしその感情(かんじょう)はもはや(いか)りを(とお)りこして、いたたまれないほどの()ずかしさに()わっていた。


なにしろその(ほん)というのが、(あい)しあう男女(だんじょ)恋物語(こいものがたり)ならまだしも、おちぶれた令嬢(れいじょう)背徳的(はいとくてき)(あい)(えが)いた官能小説(かんのうしょうせつ)だったからである。


大衆(たいしゅう)に、(とく)女性(じょせい)人気(にんき)ということで、好奇心(こうきしん)から()()ってしまったとはいえ、内容(ないよう)周知(しゅうち)事実(じじつ)である。


来客(らいきゃく)などないものと油断(ゆだん)して、(とびら)(おく)(かく)しておかなかったことを、彼女(かのじょ)(はげ)しく後悔(こうかい)していた。


(……わたしは(いま)、この(ひと)にどう(おも)われているんだろう……!)


そう(おも)うと、羞恥(しゅうち)のあまり()(とお)くなりそうだった。


相手(あいて)表情(ひょうじょう)をうかがうのがこわくて、(かお)をあげることもできずに小刻(こきざ)みに(ふる)えていると、耳元(みみもと)にそっと(いき)がかかった。


「こうゆう(ほん)()(この)んで()んでるお(じょう)サンには、ちょっとお仕置(しお)きしてやらないといけないな……」


耳朶(じだ)直接(ちょくせつ)ささやかれた(おど)文句(もんく)に、恐怖(きょうふ)でからだがこわばる。


全身(ぜんしん)()()()いたようになり、背筋(せすじ)をゆっくりと(つめ)たい(あせ)がつたってゆく。


おびえきった少女(しょうじょ)にむかって、無力(むりょく)さを(おも)()れとばかりにつかんだ(うで)(ちから)()められた。


華奢(きゃしゃ)細腕(ほそうで)がねじり()げられ、苦痛(くつう)(おも)わず悲鳴(ひめい)があがりそうになる。


「──くぅっ!」


そのまま寝台(しんだい)()(たお)されて、レクシーナはかすかなうめき(ごえ)()らした。


青年(せいねん)少女(しょうじょ)(うえ)馬乗(うまの)りになると、品定(しなさだ)めするような容赦(ようしゃ)のない視線(しせん)彼女(かのじょ)見下(みお)ろした。



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