36.絶望という名の永遠

文字数 2,401文字




(がけ)から転落(てんらく)したその()、ロジオンは屋敷(やしき)捜索隊(そうさくたい)発見(はっけん)された。


無事(ぶじ)保護(ほご)された(かれ)は、絶望(ぜつぼう)()えないままに、絶対安静(ぜったいあんせい)()として寝台(しんだい)(よこ)たわっていた。


()がかりなのは、(あに)のその()消息(しょうそく)だった。しかし、あっけなく(かれ)発見(はっけん)された。


廃墟(はいきょ)祭壇(さいだん)(うえ)心臓(しんぞう)をえぐられ、むごたらしい姿(すがた)放置(ほうち)されていた。


あの(あや)しげな黒装束(くろしょうぞく)集団(しゅうだん)………。


おそらく異端(いたん)宗教組織(しゅうきょうそしき)とおぼしき連中(れんちゅう)は、いっさいの痕跡(こんせき)(のこ)さずそっくり姿(すがた)()していた。


使者(ししゃ)から息子(むすこ)()()げられたマティルデは、(いろ)をなくした(かお)のまま()(くず)れた。


しばらく(せい)(こん)()()てるほどに()いて、もはや(なみだ)()れたといった風情(ふぜい)悄然(しょうぜん)とマティルデがつぶやく。


「ああ、(かみ)よ………。どうして(わたし)息子(むすこ)(ころ)されなければならなかったのですか………?」

        ☆

ロジオンは見舞(みま)いに(おとず)れた義母(ぎぼ)マティルデに、どう顔向(かおむ)けしてよいのかわからず、言葉(ことば)をうしなったように()(だま)っていた。


さっきから(おも)うように(こえ)()ない。


(ほね)何本(なんぼん)()れているのか、激痛(げきつう)上半身(じょうはんしん)(うご)きもままならず、(ちから)なく寝台(しんだい)(うえ)にいた。


マティルデは悲嘆(ひたん)()れながらも、まだ息子(むすこ)()んだという事実(じじつ)(しん)じきれていないようだった。


(なみだ)(かわ)ききっていない(ほお)、うつろな瞳孔(どうこう)息子(むすこ)不在(ふざい)拒絶(きょぜつ)して、無言(むごん)悲鳴(ひめい)をあげているように()えた。


その(くる)しみにせめて()()いたい………。


「………か、義母(かあ)さん………」


ロジオンはようやく(こえ)(のど)(おく)からしぼりだし、懸命(けんめい)(ふる)える()()ばして義母(ぎぼ)をなぐさめようとした。


だが、(かれ)弱弱(よわよわ)しい細腕(ほそうで)は、(おそ)ろしいほどの(はや)さで(はら)いのけられた。


「──(さわ)るな!(けが)らわしいっ!」


鼓膜(こまく)をつんざくような、ぞっとする(こえ)でマティルデが(さけ)んだ。


彼女(かのじょ)(とが)った(つめ)が、(はだ)()()いたのだろう。一筋(ひとすじ)(あか)()(しずく)がしたたって、()(こう)をつたい()ちていった。


「あんたを息子(むすこ)だと(おも)ったことなど一度(いちど)もないわ!この(けが)れた()が………!」


(あい)する息子(むすこ)()くし、平常心(へいじょうしん)をうしなった彼女(かのじょ)はいちじるしく(こころ)均衡(きんこう)(くず)していた。


感情(かんじょう)(みだ)(すさ)()ったその凄惨(せいさん)なまなざしには、(なが)間押(あいだお)しこめていた彼女(かのじょ)(いか)りが。


母親(ははおや)息子(むすこ)皮肉(ひにく)にも二代(にだい)にわたって()()がれた(うら)み。


その(つよ)(にく)しみがこめられていた。


「………あなたといい、あなたの母親(ははおや)といい、いつもいつも(わたし)大切(たいせつ)なものを(うば)ってゆく………」


あわれな母親(ははおや)(はげ)しい(いか)りのなかにあって、(こころ)奥底(おくそこ)になにかひどく(しず)かな………おそろしく空虚(くうきょ)場所(ばしょ)をみつけた。


「なぜ、(わたし)息子(むすこ)()んで、あなたが()きているのかしら………?」


運命(うんめい)という残酷(ざんこく)歯車(はぐるま)


死者(ししゃ)生者(しょうじゃ)をわけたその境界線(きょうかいせん)は、()たしてなんだったのだろうか。


理不尽(りふじん)ともいえる運命(うんめい)筋書(すじが)きは、ときに正常(せいじょう)(ひと)をも(くる)わせ、周囲(しゅうい)道連(みちづ)れにして狂気(きょうき)(ぬま)(しず)()んでゆく。


「あなたがフォルトナの末裔(まつえい)なのでしょう?だったら(いま)すぐあなたが()になさいよ……」


もはや()(まえ)にいるのは、ロジオンの()っていたマティルデではなかった。


()わり()てた怨念(おんねん)(かたまり)がそこにあるだけだった。


運命(うんめい)(ただ)されなくてはいけない……。(かみ)よ!この(おとこ)生贄(いけにえ)にささげます………」


いつしか彼女(かのじょ)(ふところ)(ひそ)ませた短刀(たんとう)をかざし、義理(ぎり)息子(むすこ)ににじり()っていった。


標的(ひょうてき)をみつけた(くる)ったけものは、もう容赦(ようしゃ)などしなかった。


「マティルデ!やめなさい!!」


騒動(そうどう)()きいち(はや)()けつけた(おっと)、クレメンスが決死(けっし)形相(ぎょうそう)二人(ふたり)(あいだ)()って(はい)った。


その姿(すがた)をどこか()めたようすで(なが)めると、あきれたように彼女(かのじょ)はうめいた。


「………貴方(あなた)はまだあの(おんな)幻想(げんそう)にまどわされているのね。かわいそうな(ひと)………」


最後(さいご)悲哀(ひあい)のこもったまなざしで(おっと)一瞥(いちべつ)すると、マティルデは(しず)かにロジオンに()(なお)った。


「お(ねが)いだからやめてくれ………!この()(つみ)はない………」


クレメンスが()(てい)してロジオンをかばうと、彼女(かのじょ)形相(ぎょうそう)がにわかに(けわ)しくなった。


「………(つみ)はない、ですって?(わたし)にとっては罪悪(ざいあく)そのものだわ」


瞬間(しゅんかん)悪魔(あくま)()りてくるのがわかった。


それはあっという()にマティルデの体内(たいない)根付(ねつ)き、確実(かくじつ)(こころ)(むしば)み、口汚(くちぎたな)くののしる言葉(ことば)をくちびるからほとばしらせた。


()ね!地獄(じごく)()ちろ!この罪人(つみびと)がっ!!」


断頭台(だんとうだい)(おも)わせる(やいば)()(さき)が、ロジオン()がけて()()ろされた。


間一髪(かんいっぱつ)()けつけた警護(けいご)兵士(へいし)たちに彼女(かのじょ)()()さえられた。


マティルデはその後自室(ごじしつ)軟禁(なんきん)されたが、真夜中(まよなか)一人(ひとり)屋敷(やしき)()()した。


そして()()てた祭壇(さいだん)で、()()()わり()てた姿(すがた)対面(たいめん)し、心底(しんそこ)から絶望(ぜつぼう)したのだろう。


義母(ぎぼ)()きる気力(きりょく)をうしない廃墟(はいきょ)のあった断崖(だんがい)から()()げた。


ロジオンは身近(みぢか)二人(ふたり)親族(しんぞく)先立(さきだ)たれ、しばらく茫然自失(ぼうぜんじしつ)日々(ひび)()ごした。


(かれ)には翠玉(すいぎょく)首飾(くびかざ)り………。


(あに)最期(さいご)にその(いのち)()()って(まも)()いた『継承者(けいしょうしゃ)(あかし)』だけが(のこ)された──

        ☆               

「………ううぅああああっ!!」


夜中(よなか)自分(じぶん)悲鳴(ひめい)()()ました。


悪夢(あくむ)にうなされて()()きると、寝着(ねぎ)異常(いじょう)なほど(あせ)でびっしょりと()れていた。


最悪(さいあく)目覚(めざ)めだ。

まったくもって自分(じぶん)にふさわしい………。
(のろ)われたこの()には。


呼吸(こきゅう)があらく鼓動(こどう)がまだ波打(なみう)っている。
いつまで()っても()めない(ゆめ)


絶望(ぜつぼう)という()永遠(えいえん)(おり)()じこめられているような気分(きぶん)だ。


(どうして()きてるんだろう。(にい)さんが犠牲(ぎせい)支払(しはら)価値(かち)など(ぼく)にはないのに………)


(やみ)時刻(じこく)支配(しはい)していた。


自分(じぶん)(いや)になる瞬間(しゅんかん)


()()てたくなる。なにもかも。


(ぼく)はあれから二年近(にねんちか)くも()(まわ)っていたのか。現実(げんじつ)から()をそむけて、(にい)さんや義母(かあ)さんの無念(むねん)()らすこともできずに………)


むなしい(おも)いがこみあげてきて、(かれ)(くちびる)をきつく()みしめた。


(ただ、やみくもに時間(じかん)だけを消費(しょうひ)して………)


後悔(こうかい)とともに(のこ)(ふか)(きざ)まれた傷跡(きずあと)


()のひらを(ひろ)げて()つめるたびに、その傷痕(しょうこん)(かれ)をさらに()ちのめす。


今度(こんど)こそっ、(にい)さんの(かたき)は………ぜったいに(ぼく)()つ!)


途方(とほう)のない暗闇(くらやみ)(なか)、ロジオンは(ふる)える()(こぶし)をにぎり()めた。



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