窓から
庭園の
空をながめると、ついとりとめのない
物思いにふけってしまう。
それこそ
恋人のことなど
考え
始めてしまったら、
妄想の
無限ループに
突入してしまう。
ロジオンからもらった
金の
指輪を
眺めながら、アナベルは
愛しい
少年の
面差しを
心の
画布に
想い
描いた。
『夢の世界から落っこちてきた王子様』
とつぜん
物語の
扉がひらいたみたいに、
少年が
少女の
目の
前にあらわれてからというもの。
それまでの
人生を
塗りかえてしまうほどに、
瞬時に
冬から
春に
季節がうつりかわってしまうように、すべてが
劇的に
彼女のなかで
変わってしまった。
「……キミヲアイシテル……」
少年の
碧い
瞳に
射すくめられて、
少女は
時が
止まってしまったようにすら
感じた。
急激な
恋心を
抱かせたものの
正体を、
彼女はまだ
知らない。
ともかく
一人の
少女を、
心の
底から
震撼させるほどの、ロジオンはそれほどの
影響力をアナベルにおよぼしたのだ。
(いけない、いけない……!あたしったら、ロジオンのことを
考えると、つい……。
止まらなくなっちゃうのよね)
アナベルは
必死に
自分を
叱咤すると、いったん
書き
物の
手を
休めた。
気分転換とばかりにすぅっと
息を
吸い、
肺の
奥深くまで
深呼吸する。
それを
何度かくりかえすと、ようやく
落ち
着きがもどってきた。
血の
巡りが
良くなったおかげで、
頭が
冴えてくる。
(──よし!リフレッシュできたし、
集中しよっと!)
書物と
首っ
引きになりながら、アナベルは
中断していた
『鉱物鑑定士』の
勉強を
再開していた。
ことの
発端はグランシアから
譲り
受けた
護符の
鑑定だった。
依頼した
専門家によると、『
率直に
申し
上げてこのような
鉱物は、
目にしたことがございません』との
回答だった。
持ち
主から
伝え
聞いた
由来を
説明しても、
鑑定士は『
私どもではわかりません』の
一点張りでまるで
進歩がない。
同時にマインスター
商会を
通して、
壊されたリームの
水晶球を
探していたが、なかなか
納得のいく
品は
見つからなかった。
(……
質のいい
水晶球もあるにはあるんだけど、リームのとはなにかちがうのよねぇ……)
それもそのはず。
占い
師だった
祖母から
譲り
受けたという
水晶球は、エルフの
森深くの
洞窟から
採掘した
鉱石を
磨いてつくられた
希少品だったのだ。
残念なことに、
人間とエルフとの
交易はいまだなされていない。
排他的なエルフ
族にとっては、リームのように
人間と
友好的で、
柔軟な
思考をもつ
者はまだめずらしい
存在なのだ。
よって、
気まぐれに
人間界におとずれたエルフが、
人間の
通貨ほしさに
自身の
持ち
物を
売るなどして
取引きされた
商品が、まれに
貴重品として
市場に
出回るくらいが
関の
山だった。
それでなくても
洗練された
細工が
施されたエルフの
工芸品は
人気があり、
財を
成した
富豪たちによって
争うようにして
買い
占められてしまう。
(これじゃあ
埒があかないわ……。エルフの
鉱石は
無理でも、
実際に
良質な
水晶が
採れる
場所を
見つけて
一からつくったほうが
早いかも……)
そう
思い
立って、アナベルは
新たな
発見に
気づいた。
美術品を
鑑定する
授業の
一環で、
『鉱物鑑定士』の
授業を
受けたことがあるのを
思い
出したのだ。
(
鉱物の
知識を
収集すれば、リームの
水晶球だけじゃなくて、
護符に
秘められた
力の
由来を
知ることができたり、
運が
良ければ
採掘地にいきつけるかもしれない!)
みごと
鉱石を
手に
入れることができれば、マインスター
家のつてを
頼り
腕の
良い
職人に、
魔法道具あるいは
武器や
防具として
加工してもらうこともできる。
それはすなわち
魔力の
増幅器として、
多種多様な
使い
道ができることを
示唆していた。
以前、ロジオンの
魔法の
特訓につきあったときのこと。
「たいてい
魔法石とか
護符って、みんな
耐え
切れなくって、すぐ
壊れちゃうんだよね」
そういって
苦笑いした
本人の
証言だけでは
信用ならないと、
念のためいろいろな
石をもちいた
護符を
使って、ロジオンの
魔力が
増強できるかどうか
試したことがある。
だが、すべて
効果をひきだす
前に
砕け
散ってしまった。
「
最近、
呪文を
唱える
頻度が
増えてきたせいか、
魔法力の
限界を
感じるときがあるんだ……」
肩を
落としてそうつぶやいた
彼の
瞳は、
自分の
無力さを
嘆くように
一瞬だけ
雲りを
見せた。
石に
限らず、
古今東西のいろいろな
魔法道具を
試したが、すべて
徒労に
終わった。
そこへきて、この
護符である。
グランシアの
治癒呪文にも
大いに
効力を
発揮した
護符であるが、なによりロジオンの
魔法にも
耐えうる
強度があること。
そして『エレプシアの
乙女』の
祈りを
通して、
魔法力を
増幅して
与えられることなど、
特異点に
事欠かなかった。
魔力を
秘めた
鉱石は
数多く
存在するが、これほど
効果が
高く、
謎に
包まれた
鉱石は
目にしたことはない。
もし、これと
同じ
鉱石が
存在するならば──
使い
方しだいで、
今まで
以上に
魔法力を
高めることが
可能となり、ロジオンはその
恩恵を
受けることができるのだ。
いずれにせよ
興味はつきなかった。
そして、なによりここが
大事なのだが──
(──ロジオンの
役に
立てるかもしれない──!)
そう
思うと、アナベルは
居てもたってもいられなくなっていた。
図書室から『
鉱物鑑定士』に
関する
大量の
資料と
本をかき
集め、
自室にこもって
熱心に
頁を
繰る。
蔵書に
恵まれたこの
家に
生まれてよかったと、アナベルは
初めて
心から
感謝した。
☆
今こそ
埃をかぶった
記憶の
領域をフル
稼働させて、
自身の
知識と
経験を
生かすとき──
それはかつてのアナベルには、
到底ありえなかったほどの
心境の
変化だった。
もともと
商家に
生まれ
育った
彼女は、
十五歳で
地元の
令嬢が
通うエセリアナ
女学院を
卒業した。
その
後は、マインスター
家専属の
家庭教師に
商人としての
知識、および
淑女として
必要な
教育をたたきこまれていたのだが……
もともと
机の
前に
座ってじっとしているのが
耐えられない
性分である。
授業をさぼって
抜け
出すことなど、すでに
日常茶飯事となっていた。
ことに
授業もつまらないのだが、
家庭教師がなにかと
姉と
自分を
比較するのも
面白くなかった。
才色兼備の
姉と
不出来な
妹。
優秀な
身内をもつと、なにかと
気苦労がたえないものだ。
おまけに
温厚で
人当たりのいい
性格の
姉は、とくに
歳上に
好かれやすい。
ともすると
生意気だと、
目をつけられがちな
自分とは
大ちがいだ。
(どうせ、
家は
長女のお
姉様が
継ぐんだし、いつかどこかの
家に
嫁ぐ
運命のあたしには、
本腰入れて
勉強する
必要はないわよね……)
商人の
勉強はしょせん
腰かけ。
そう
思っていたのは
本人だけではなく、
周囲も
似たような
思惑だったらしい。
アナベルが
学問に
不熱心であっても、その
件に
関してはある
程度黙認されていた。
ブライトンに
小言混じりにたしなめられることはあっても、とりたててやかましく
言う
者はいなかったのだ。
そんなこんなで
時は
過ぎ、ロジオンたちがアトゥーアンに
訪れるおよそひと
月前。
家庭教師がとつぜん、
体調不良を
訴えて
休暇に
入った。
結婚して
十年。
仕事でストレスが
溜まるせいで
子供ができないとぼやいていた
彼女は、
念願かなって
妊娠していたのである。
さっそく
子育てに
専念したいので、
退職したいと
願い
出た
彼女を、アナベルは
笑顔で
見送った。
この
教師とはあまりいい
想い
出がなかったので、
内心ではせいせいしていた。
だが、
次に
雇う
教師は
学問熱心で、さぼることにあまり
寛容ではないと
聞き
早くもうんざりしていた。
ところが……
新しい
家庭教師の
親に
不幸があり、
赴任するまで
少し
時間をいただきたいと
連絡が
入った。
立て
続けの
教師不在になにか
思うところがあったのか、
「しばらくのんびり
過ごすのもいいだろう」
と
父親に
提案され、アナベルは
狂喜した。
好きなことを
好きなだけ
満喫できる
優雅な
休暇!
姉も
連れだって
近隣の
避暑地に
出かけたり、アナベルは
窮屈な
日々からの
解放感に
目いっぱい
浸っていた。
だが、さすがにそれも
限界を
迎え、たいくつな
日常にうんざりしてきた、ちょうどそのころ……。
まさに
絶妙なタイミングで、
彼女の
運命を
変える
王子様との
出逢いが
訪れたのだった。