7.しかし、このところラグシードはなにかがおかしい

文字数 4,093文字




(てつ)支柱(しちゅう)()()がった瀟洒(しょうしゃ)看板(かんばん)が、おだやかな(かぜ)()られてはためいていた。


パン生地(きじ)()ける(にお)いが、窓辺(まどべ)から街路(がいろ)にまで(ただよ)ってきて、期待(きたい)(むね)はふくらんだ。


(こう)ばしく芳醇(ほうじゅん)(あじ)が、(くち)(なか)(ひろ)がるのを(そう)(ぞう)するだけで……。


彼女(かのじょ)はたちまち(しあわ)せな気持(きも)ちにつつまれる。


(このあいだは()()れちゃって、()べそこねたのよね。今日(きょう)こそ絶対(ぜったい)にゲットするんだから!)


アトゥーアンの界隈(かいわい)は、さわやかな晴天(せいてん)(めぐ)まれていた。


リ―ムははやる気分(きぶん)(おさ)え、こぶしを(むね)(まえ)(かた)めると気合(きあ)いを()れた。


だが、その瞬間(しゅんかん)──!


脳天(のうてん)(ひび)きわたるようにして、やや不吉(ふきつ)感覚(かんかく)彼女(かのじょ)(おそ)った。


(……まさか、またすれちがうなんてこと、ないわよね……?)


いやな予感(よかん)(しの)()る。


いつからかこの場所(ばしょ)で、開店(かいてん)()ちわびながら(なら)んでいると……。


彼女(かのじょ)()まって、『あいつ』のことを(おも)()すようになってしまった。


(あいつ……!)


(おも)()すだけで、(むね)がむかむかする。


まるで宿敵(しゅくてき)のことを目蓋(まぶた)にうかべるかのように、リームは(ひたい)中央(ちゅうおう)にたて(じわ)(きざ)んだ。


(かれ)彼女(かのじょ)(いま)まで出逢(であ)ったなかでも、指折(ゆびお)りの(たち)(わる)(おとこ)である。


ときに天然(てんねん)ともいえる言動(げんどう)で、彼女(かのじょ)をふりまわし、疲労(ひろう)させ……


かと(おも)えば(あま)くささやきながらも、失望(しつぼう)させたりしたあげく、なお(にく)めないところのある(かれ)は……。


目下(もっか)のところ、(てき)なのか味方(みかた)なのかわからなかった。


用心深(ようじんぶか)くフードを目深(まぶか)にかぶりなおす。


エルフの特徴(とくちょう)ある(みみ)(かく)し、行列(ぎょうれつ)(なか)()けこみながら彼女(かのじょ)(おも)った。


(……なんだか(しゃく)ね。よりによって、なんであんな(やつ)のこと……)


おそらくこれまでこの場所(ばしょ)で、二度(にど)もすれちがっているせいだろう。


()まって女連(おんなづ)れのその(おとこ)は、こちらが()づかないふりをしているのをいいことに……。


()せつけるかのごとく、毎度(まいど)のように(おんな)密着(みっちゃく)しながら、仲睦(なかむつ)まじそうに(とお)りすぎてゆく。


そんないけ()かない態度(たいど)青年(せいねん)()かって、すれちがうたびに彼女(かのじょ)内心(ないしん)青筋(あおすじ)()てながら罵倒(ばとう)していた。


(はいはい。あなたがおモテになるのは、よぉ~くわかりました!だから、どうしたっていうの?)


だいたい、ただの偶然(ぐうぜん)で(二度(にど)も!)(おな)場所(ばしょ)ですれちがうものだろうか。


リームは(いぶか)しんだ。


相手(あいて)はこちらが(みせ)常連(じょうれん)であることを()っていて、わざと開店(かいてん)時間帯(じかんたい)に、(おんな)同行(どうこう)して(とお)りすぎているのではなかろうか……。


そんな(がんが)えが()ぎった。
だとすると、まさしく()てつけ。


自分(じぶん)のものにならない相手(あいて)(たい)する、(とお)まわしの嫉妬心(しっとしん)ともいえた。


(……嫉妬心(しっとしん)?そんな可愛(かわい)感情(かんじょう)かしら……って、いけない!こんなこと(かんが)えてること自体(じたい)、あいつの(おも)(つぼ)だわ……)


彼女(かのじょ)()()すようにして、(あたま)(よこ)何度(なんど)もふった。


たいくつな時間(じかん)をもてあましていると、ついついくだらない詮索(せんさく)などしてしまいそうになる。


とはいえ、二度(にど)あることは三度(さんど)ある……。という格言(かくげん)もあるではないか。


不吉(ふきつ)予感(よかん)が、ゆっくりと(あたま)(なか)去来(きょらい)した。


(べつ)にあいつが(だれ)一緒(いっしょ)(とお)りすぎようが、どうだっていいじゃない!)


リームが(むね)のざわつきを(しず)めようとした、その矢先(やさき)──


あいつは広場(ひろば)からつながる小路(こうじ)(かど)()がって姿(すがた)をあらわした。


人混(ひとご)みの喧騒(けんそう)(なか)でもひときわ目立(めだ)つ。
それは(にく)らしいほどに──


(かれ)()()くのは、長身(ちょうしん)(めぐ)まれた精悍(せいかん)なその容貌(ようぼう)だけでなく。


風来坊(ふうらいぼう)とでもいうのだろうか。世界(せかい)のどこにも(てい)(じゅう)せずに、それこそ(かぜ)()くまま自由(じゆう)にさすらう。


流浪(るろう)旅人(たびびと)特有(とくゆう)色香(いろか)(はな)つせいなのだが、なんだかそのことが(みょう)腹立(はらだ)たしかった。


冷静(れいせい)()ても異性(いせい)として、奇妙(きみょう)魅力(みりょく)があるということを(みと)めないわけにはいかなかったからだ。


そしてそのことを証明(しょうめい)するかのごとく、(かれ)(うで)には(おんな)一人(ひとり)ぶら()がっていた。


(いつも(どお)りお(さか)んね……)


げんなりした彼女(かのじょ)(かお)から、たちまち表情(ひょうじょう)()せてゆく。


あいつが(ちか)づいてきた。


とっさに(かお)(そむ)けて、他人(たにん)のふりをしようとしたが不発(ふはつ)()わった。


よりにもよって(かれ)は、リームに(はな)しかけてきたのだ。


──女連(おんなづ)れだというのに!


「お!リームじゃん。こんな(なが)(れつ)(なら)ぶなんて、よっぽどヒマしてるんだな」


出逢(であ)ってそうそうに笑顔(えがお)をうかべながら、この皮肉(ひにく)のきいた台詞(せりふ)まわしである。


(──どうゆう神経(しんけい)してるのよッ!!まったく……!)


なんとか(かお)()きつるのを(おさ)えながら、彼女(かのじょ)もまた笑顔(えがお)をうかべた。


「あら、ラグシードじゃない。そっちはデートなの?(たの)しそうで、うらやましいわ」


リームのほうは完全(かんぜん)愛想笑(あいそわら)いである。


(うらな)いは接客業(せっきゃくぎょう)なので必須(ひっす)スキルとはいえ、最近板(さいきんいた)についたように(つく)(わら)いに(みが)きがかかってきて、自分(じぶん)でもなんだかこわかった。


(たが)いに水面下(すいめんか)火花(ひばな)()った。


なにか二人(ふたり)のあいだで、ざわざわと感情(かんじょう)がうごめくのを(かん)じた。


(すず)しい(かお)(わら)いやがって……。手強(てごわ)いな。三回通(さんかいとお)りすがってもこの反応(はんのう)か……。ちっとは()ねるとか、もっと可愛(かわい)らしい反応(はんのう)しろよな)


ラグシードは内心(ないしん)そんなことをぼやきながらも、(よこ)にいる(むすめ)()かって微笑(ほほえ)んだ。


(おれ)たちも(なら)んでみる?ここのパン、評判(ひょうばん)いいみたいだけど」


うん!と(おんな)元気(げんき)よくうなずく。あっけらかんとした(むすめ)で、リームのことは()にしていないようだった。


(とお)りすぎるはずの二人(ふたり)が、あろうことか(れつ)最後尾(さいこうび)にならんだ。


(……こうなったら、徹底的(てっていてき)()せつけてやろうじゃねぇか……)


ラグシードの胸中(きょうちゅう)では、いつになってもつれないエルフの(むすめ)への、やや(ゆが)んだ愛憎(あいぞう)渦巻(うずま)いていた。


(──(しん)じられない!(しん)じられない!──毎度毎度(まいどまいど)、なんて無神経(むしんけい)なヤツ!!ほんとにあいつどうかしてるわ!!)


リームはといえば(あたま)(なか)は、沸騰寸前(ふっとうすんぜん)まで()えくりかえっていた。


せっかくこちらが、うまく()をやり()ごそうとしたというのに。まったく台無(だいな)しではないか。


もうすぐ開店(かいてん)だ。こじんまりとした(ちい)さな店内(てんない)で、あの二人(ふたり)一緒(いっしょ)空気(くうき)()うのはイヤだなとリームは(おも)った。


パンのことは()やまれるが、行列(ぎょうれつ)からはずれて()()ってしまおうか──


この()から()()すようで、なんだか屈辱的(くつじょくてき)だけれど。


(……でも、なにかが……調子狂(ちょうしくる)うのよね)


彼女(かのじょ)(うらな)()らしく(かん)じるところがあるのか、不透明(ふとうめい)先行(さきゆ)きにやや心配(しんぱい)そうに(まゆ)をくもらせた。


さりげなく半身(はんみ)になって、後列(こうれつ)にならぶ二人(ふたり)のようすを横目(よこめ)でうかがう。


青年(せいねん)はうわべこそ愛想(あいそう)よくとり(つくろ)ってはいたが、いつもより表情(ひょうじょう)はとぼしく生気(せいき)がなかった。


(……()んだような()しちゃって。一緒(いっしょ)にいる()失礼(しつれい)だと(おも)わないのかしら?)


(おも)わずリームは、いらぬ心配(しんぱい)までしてしまった。


(かれ)のとなりで無邪気(むじゃき)(わら)っている(むすめ)は、おそらくそんな青年(せいねん)(かげ)りには、()づきもしていないだろうが。


しかし、このところラグシードはなにかがおかしい。


やや情緒不安定(じょうちょふあんてい)……というのは(おお)げさだが、なにか本来(ほんらい)(かれ)らしくない。


ある違和感(いわかん)のようなものを、時折(ときおり)リームは(かん)じはじめていた。


精彩(せいさい)()けるというか、覇気(はき)(かん)じられないというか……。


(かれ)のとりえともいえる(ほが)らかな陽気(ようき)さが、日常的(にちじょうてき)にどこか(かげ)(ひそ)めている。


(ラグシードがなにか以前(いぜん)とは()わったっていうのは、(わたし)憶測(おくそく)でしかないんだけどね……)


おそらく主人(しゅじん)であるロジオンや、居候先(いそうろうさき)令嬢(れいじょう)であるアナベルですら()づいていないだろう。


もっとも二人(ふたり)(いま)が、人生最良(じんせいさいりょう)(とき)──!


(たが)いに恋人(こいびと)夢中(むちゅう)で、神出鬼没(しんしゅつきぼつ)護衛(ごえい)のことなど、視界(しかい)にすら(はい)っていないのかもしれない。


(こい)盲目(もうもく)時期(じき)なので、それもいたしかたない。


(しあわ)せそうな二人(ふたり)姿(すがた)()るだけで、こちらも微笑(ほほえ)ましい気持(きも)ちにさせられる。


なんだか(しあわ)せのおすそ()けをもらったようで、リームは(いま)二人(ふたり)に、ラグシードのことでとやかく()いたくはなかった。


だから、(かれ)不調(ふちょう)そうなときは、自分(じぶん)()にかけてやればいいのだ。


日頃(ひごろ)からリームはそう、(あたま)片隅(かたすみ)(かんが)えていた。


(また体調(たいちょう)でも(くず)してるのかしら……?『(くろ)(へび)』との(たたか)いで()った(きず)。まだ完全(かんぜん)()えたわけでもないでしょうし。後遺症(こういしょう)もないとはいえない。だとしたら(かれ)のことが、すごく心配(しんぱい)だけど……)


リームはちらりとラグシードのほうに視線(しせん)(はし)らせた。


(おんな)(した)()(はな)しているようすが()()びこんできて、彼女(かのじょ)(ちい)さなため(いき)をもらした。


(べつに、ほっといてもいいか……。なんか(わたし)()(まく)なんてなさそうだし)


らしくもなく、リームは(すこ)しだけいじけた。


(どうせ(だれ)かに(なぐさ)めてもらってるんでしょ?(わたし)なんかいなくたって、あいつはきっと平気(へいき)……)


自然(しぜん)(かた)()としてうつむくと、()いている(くつ)のつま(さき)()つめた。


このところ(ある)きづめで、(かわ)極端(きょくたん)にすり()っていた。


(お()()りのパンも、あいつも、なんだかどうでもよくなってきちゃった……)


()(まえ)がぼやけてにじむ。
リームはそっと(れつ)から()けだした。


ラグシードがそれに()づいて「あっ」というような(かお)をしたが、そのまま(うご)けず()(あし)()んだ。


(だれ)しも(だれ)かに、(やさ)しさをもとめている。


(やさ)しい(こえ)をかけてもらいたくて──


(たが)いに()()きばかりくり(かえ)し、そのあげく心底(しんそこ)くたびれ()ててしまう。


しまいには()づいたときには、たぶんもうおそいのだ。


二人(ふたり)()(のぞ)んでいるものは、おそらく(おな)じなのに。


素直(すなお)になれないばかりに、ただ(ゆび)をくわえて(なが)めているしかできない。


そして今日(きょう)もまた、(つな)がることもできずに、すれちがう……。


(ラグシードのばか……!きらい、あんな浮気性(うわきしょう)(おとこ)(だい)っきらいだわ……)


ろくに(まえ)()ずに(れつ)から()()したせいで、リームは雑踏(ざっとう)のなかで(だれ)かの(かた)にぶつかった。


その(はず)みで(かぶ)っていたフードが、はらりと(はな)(ひら)くように背中(せなか)まで(すべ)()ちた。


「すみません……」


彼女(かのじょ)(ちい)さくわびて、(はや)くこの場所(ばしょ)から()()ろうとした。


「──リームさん!?」


名指(なざ)しでそう()びとめられて、()きなれない(こえ)にとまどう。


「やっぱりリームさんだ……!まさか、また()えるなんて。こんな偶然(ぐうぜん)あるものなんだな……!」


相手(あいて)(おとこ)感激(かんげき)したように(こえ)をつまらせた。


一瞬(いっしゅん)(だれ)なのかもわからなかった。


清潔感(せいけつかん)ある()なりをした、いかにも(そだ)ちのよさそうな青年(せいねん)()っていた。


いつのことだったか、貿易商(ぼうえきしょう)主催(しゅさい)した豪華(ごうか)船上(せんじょう)パーティーで、富裕層(ふゆうそう)相手(あいて)(うらな)いを披露(ひろう)した。


そのときの顧客(こきゃく)だと彼女(かのじょ)(おも)()したのは、それからしばらくしてからのことだった。



        番外編(ばんがいへん)8へつづく

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