「もうじき
店に
着くわ。ここで
止めてちょうだい」
御者に
代金を
支払い
馬車から
降りると、
奇妙な
獣を
目撃してアナベルは
足を
止めた。
(な、なにかしら………??ありえない
生き
物がいるんだけど)
レストランの
玄関ホール。
その
柱に
頑丈な
鎖でつながれ、
白いライオンのような
動物が
床に
寝そべっている。
それだけでも
驚きなのに、この
白獅子は
左右の
瞳の
色が
異なっていて、
見る
者にかくも
神秘的な
印象をあたえていた。
(
瞳の
色がちがう
白猫なら
見たことあるけど………)
昔、めずらしいでしょと
友人に
自慢気にさしだされた
白猫が、たしか
片方ずつ
瞳の
色がちがっていて、
黄色と
青のこんな
瞳の
色をしていたのだ。
しかし、
目の
前にいるのは
同じ
猫科でも
獅子だった。
厳密にいうとアルビノと
白変種はまったくちがうのだが、そんなことをアナベルは
知らない。
(しかも
瞳や
毛並みの
色だけじゃなくて、
姿もただのライオンじゃないみたいじゃない………)
彼女の
見立てどおり、
今は
折りたたまれていて
目立たないものの、
獣の
背中には
翼が
生えているのが
見てとれた。
牙を
抜かれた
野獣のように、
獰猛だったころの
面影はまったくなくなっていた。
(これってうわさに
聞く
合成獣?
気性が
荒いって
聞いてたけど、それにしてはずいぶんと
落ち
着いてるわね。よっぽど
飼い
主のしつけが
行き
届いてるのかしら?)
なにも
知らない
彼女は
能天気なことを
考えながら、
店内に
一歩足を
踏み
入れた。
──そして
絶句した。
想像していたとはいえ、ここまでひどいとは──
天井にぽっかりと
巨大な
穴が
開いていたのだ。
うがたれた
穴は
二階の
天井をも
突き
抜けて
屋根にまで
達していた。
紺碧の
空に
浮かんだ
真昼の
太陽が、
瓦礫の
山と
化した
室内にさんさんと、
強烈な
日差しを
降りそそいでいる。
店内のテーブルや
椅子、
食器棚などの
家具や
調度品はすべて
引き
倒され
欠損し、
食器やグラスはこなごなに
砕け
散り、
食べかけの
料理といっしょに
無残にも
床にぶちまけられていた。
「
支配人っ!
支配人はどこっ!?」
さすがのアナベルもこの
惨状には、
耐えかねて
思わず
大声をはりあげた。
(そりゃあ
騒動を
期待していたわよ。でも、ちょっとこれは
行き
過ぎなんじゃないの?)
その
時、
彼女の
声が
届いたのか、
店の
奥から
虚ろな
低い
声が
聞こえてきた。
「もしかして、あんたここのオーナー?」
とつぜん
空間に
響いた
声。アナベルは
驚いてその
方角に
目を
向けると、
「──にしては
若すぎるな。
関係者かなんか?」
自分をじろじろと
品定めするような
視線とぶつかった。
倒れた
家具の
陰にいたせいで
気づかなかったが、
背の
高い
黒髪の
青年が
壁にもたれるようにしてこちらを
見ている。
さすらいの
剣士といった
風貌の
男だ。
各地を
転々としながら
傭兵稼業を
生業とする
冒険者の
典型だろう。
腰にぶら
下げた
長剣に
目を
走らせると、さもありなんと
彼女は
見当をつけた。
腕はかなり
立ちそうだと
察知したのだ。
(なんだか
喧嘩っぱやそうだし、きっとこの
乱闘を
起こした
張本人に
違いないわっ!)
彼女は
勝手に
決めつけた。やや
思いこみが
激しいのがアナベルの
欠点である。
「あたしはこのレストランの
持ち
主の
娘よ。さてはあんたね。こんな
風にしたのは!」
彼女はけわしい
形相で
青年をにらみつけると
語気鋭く
叫んだ。
なぜ
自分なんだというようすの
青年に
反省の
色などなく、アナベルはいっそういきどおりを
感じた。
「よく
澄ました
顔していられるわね!
全額弁償できなければ、あんたなんか
牢獄行きよ!」
憤慨したアナベルの
姿に
途方に
暮れると、
旅姿の
青年は
心外だとばかりにその
場に
崩れるように
座りこんだ。
「すご~く
誤解してるようだけど、これやったの
俺じゃないんですけど?」
憮然としたままアナベルを
見上げる。
彼は
弁解するのも
面倒くさいようすだ。
「じゃあ、これはいったい
誰が……」
少女の
疑問に
対し、
青年はぞんざいにあごでしゃくって
応じた。
その
方角をふりかえってみると、
巨大な
吹き
抜けと
瓦礫の
山があった。
よく
見るとその
真上に
何者かが
倒れている。
さっきは
天井に
開いた
穴に
気をとられて、
下のほうはろくに
見ていなかったのだ。
アナベルはおそるおそる
瓦礫の
山に
近づいてみた。
すると
意外にも、それはまだあどけない
少年の
姿であった。
意識を
失っているらしく、
閉じられたまぶたから
長い
睫毛がのぞいている。
端正なラインでふち
取られた
目鼻立ちに、
太陽の
光を
浴びて
神々しく
輝く
金の
髪。
すがすがしい
朝の
風を
連想させるようなこの
少年は、
青いマントに
品のよい
衣装を
身に
着けていた。
(この
顔………!
見覚えがあるわ………。でも、まさかそんなはず………ないわよね………?)
息をするのも
忘れてしまいそうだった。
少女は
数回瞬きをすると、
吸いこまれるようにして
横たわる
少年の
姿に
魅入ってしまった。
(ああ、やっぱりそうだ………
蝶になった
夢!あの
時の
少年にそっくりなんだわ。
信じられない!まさか
本当にめぐり
逢えるなんて………)
予期せぬ
少年との
邂逅に、
感激で
胸はふるえ
心拍数が
跳ねあがる。
この
現実が
夢ではないことを
祈って、アナベルは
思わず
自分の
頬をつねってみた。
(あなたはまるで………
夢の
世界から
落っこちてきた
王子様みたいだわ)
恋を
告げる
鐘は、
時を
待っていてはくれない。
あたかも
魔法の
呪文で
静止させたような、ほんの
一瞬で
心を
奪われて、
彼女は
放心したように
身動きがとれなかった。