75.熱い抱擁

文字数 2,106文字




(あき)らかに理性(りせい)感情(かんじょう)邪魔(じゃま)をしている。


(おも)いつめた(ひとみ)少女(しょうじょう)()()かせるために、一刻(いっこく)でも(はや)彼女(かのじょ)安堵(あんど)させる言葉(ことば)をかけなければならない。


──たとえばこんな(ふう)に。


心配(しんぱい)しなくてもいい。(ぼく)はもう(きみ)()()りにはしないよ」


それとも(じょう)(うった)えたほうがいいのだろうか。


「……(あい)してる。だから(ぼく)(しん)じて」


そのどちらも(いま)状況下(じょうきょか)(はな)つには、あまりにも軽薄(けいはく)説得力(せっとくりょく)()けるような()がした。


最悪(さいあく)その()しのぎの気休(きやす)め、とも()()られかねない。


じゃあどう(こえ)をかけてやればいいのか?


気持(きも)ちが(あせ)れば(あせ)るほど、思考(しこう)停止(ていし)したまま(むな)しく空回(からまわ)りする。


(おも)()りつめた空気(くうき)()しつぶされそうになる。


彼女(かのじょ)(うそ)はつきたくない。


でも、(うそ)をつかなければ、彼女(かのじょ)をもっと(くる)しめるのだろう。


アナベルは真実(しんじつ)()きたがっているのか、それとも気休(きやす)めの言葉(ことば)(ほっ)しているだけなのか──


いっこうに判断(はんだん)ができずに、ロジオンは葛藤(かっとう)していた。


()(まえ)少女(しょうじょ)を、(ぬす)()るようにちらりと一瞥(いちべつ)する。


いつもは溌剌(はつらつ)として血色(けっしょく)のよい顔色(かおいろ)は、(こころ)なしかやつれて蒼白(そうはく)()える。


やや(かげ)った(ひとみ)不安(ふあん)(いろど)られている。


彼女(かのじょ)をそこまで()いつめたのは、自分(じぶん)だ。同時(どうじ)(すく)ってやれるのも、また自分(じぶん)だ。 


(あたま)ではそう理解(りかい)しているものの、かける言葉(ことば)()つからない。


()(だま)ったままの自分(じぶん)を、彼女(かのじょ)はどんな(おも)いで()つめ(つづ)けているのだろう。


(こころ)のなかで、なんと()()らない(おとこ)だとなじってでもいるのだろうか。


そのほうがいっそ気楽(きらく)だ。
(おも)いきり罵倒(ばとう)されたほうが。


沈黙(ちんもく)二人(ふたり)支配(しはい)していた──


しかし、こらえきれずに(さき)口火(くちび)()ったのは、意外(いがい)にもアナベルのほうだった。


「お(ねが)い……あたしを(はな)さないで……」


彼女(かのじょ)はわずかに(あゆ)()ると、波立(なみだ)感情(かんじょう)必死(ひっし)(おさ)えながらようやくそれだけ()げた。


いつもは饒舌(じょうぜつ)彼女(かのじょ)らしくない、不器用(ぶきよう)なほどに率直(そっちょく)で、それでいて切実(せつじつ)(ねが)い。


少女(しょうじょ)脳裏(のうり)()()けて()()ってゆく人影(ひとかげ)(またた)いては()えた。


それは母親(ははおや)だったのか、(した)しかったけれど疎遠(そえん)になってしまった友人(ゆうじん)たちだったのか、それとも今目(いまめ)(まえ)にいる少年(しょうねん)だったのか……。


だが、少女(しょうじょ)喉元(のどもと)からほとばしった必死(ひっし)(せけ)びは、無情(むじょう)にも(あい)する存在(そんざい)から()(くだ)かれる。


「そんな約束(やくそく)はできないよ……」

        ☆

瞬間(しゅんかん)彼女(かのじょ)はロジオンに拒絶(きょぜつ)されたのだと(かん)じた。


戸惑(とまど)いゆれる少年(しょうねん)(ひとみ)が、ふいに少女(しょうじょ)()けるように視線(しせん)()とした。


それで充分(じゅうぶん)だった。


()()がちのまなざしが、如実(にょじつ)にそのことを物語(ものがた)っている。


(ロジオンにとって、あたしの存在(そんざい)ってなんなんだろう……?)


たまらない孤独感(こどくかん)がひたひたと()()せて、(こころ)(うつ)ろを(かか)えた少女(しょうじょ)絶望(ぜつぼう)(さそ)う。


口先(くちさき)約束(やくそく)もできないほど、(かれ)はあたしのことなんかどうだっていいんだ……!)


途方(とほう)もない(むね)鈍痛(どんつう)(おそ)われ、アナベルは(くる)しそうに胸元(むなもと)()()さえた。


心臓(しんぞう)(はり)()たれたような(いた)みが、ずきんずきんと速度(そくど)()しながらうずきはじめる。


彼女(かのじょ)()いかけに、不必要(ふひつよう)なほどに誠実(せいじつ)(こた)えようとしたことが、かえって誤解(ごかい)()んでしまったようだ。


アナベルの様子(ようす)危機感(ききかん)(おぼ)えたロジオンは、即座(そくざ)彼女(かのじょ)(かた)をつかんで自分(じぶん)のほうに()けさせた。


その(ひとみ)(おく)をうかがうようにじっと(のぞ)きこむ。


すると、ロジオンは(おも)わず(むね)()かれた。


(かれ)心配(しんぱい)になるほどに、少女(しょうじょ)瞳孔(どうこう)硝子玉(ガラスだま)のように(うつ)ろだった。


「──アナベル、()()いて()いてほしい。今回(こんかい)(たたか)いで『グロリオーザ』は事実上(じじつじょう)壊滅(かいめつ)させることができたけれど、それは氷山(ひょうざん)一角(いっかく)にすぎない」


「……………………」


(ぼく)がフォルトナの末裔(まつえい)であるかぎり、これからも『(くろ)(へび)』に(いのち)(ねら)われ(つづ)けるだろう。そしてそれは『エレプシアの乙女(おとめ)』の加護(かご)()けた(きみ)同様(どうよう)だ。乙女(おとめ)心臓(しんぞう)神聖(しんせい)なる(ちから)()めているから、生贄(いけにえ)標的(ひょうてき)にされる」


ロジオンは射抜(いぬ)くような(するど)(ひとみ)で、アナベルを()つめた。


ほとんど凝視(ぎょうし)といってもいいくらいの、(つよ)真摯(しんし)なまなざしで。


少女(しょうじょ)(かた)()かれた()に、自然(しぜん)(ちから)がこもった。


「だからこそ(ぼく)全力(ぜんりょく)(きみ)(まも)る。できる(かぎ)(きみ)のそばにいて(まも)(つづ)ける。だけど(とき)には危険(きけん)にさらさないように、(きみ)隔離(かくり)しなければならないときもある。より安全(あんぜん)場所(ばしょ)にね」


そう()って(こわ)れものにふれるような繊細(せんさい)指先(ゆびさき)で、少女(しょうじょ)(ほお)(やさ)しくなでた。


(かれ)から()(のぼ)真剣(しんけん)そのものの熱意(ねつい)が、(はだ)(とお)して(つた)わってくる。 


「そこには(ぼく)居続(いつづ)けることはできない。(ぼく)()ちはだかる(てき)(たたか)わなければならないから。だけど(しん)じてほしい。けして(きみ)(うと)んじてそうするのではないと」


「うん……わかってるの。それなのに(うたが)ってごめんね。ためすようなことまでして……」


うなだれたままアナベルは(はな)をすすった。
自然(しぜん)(なみだ)がこぼれていた。


「あたしは()(まま)だしずるいんだ……だからロジオンにいつ見捨(みす)てられてもしょうがな……」


言葉(ことば)最後(さいご)まで(つづ)くことなく途切(とぎ)れた。


衝動的(しょうどうてき)彼女(かのじょ)(みずか)らの(うで)(なか)にかき(いだ)く。


(またた)()(なみだ)(しずく)(ふく)()らす。


「……(きたな)いし、よごれちゃうよ……?」


戸惑(とまど)ったようにくぐもる()ずかしそうな(こえ)


「いいんだ……(いま)はずっとこうしていたいから……」


()しつけられた身体(からだ)から緊張(きんちょう)()け、(やす)らぐようなゆっくりとした心音(しんおん)()こえる。


それは(いと)おしくて()(とお)くなるほど(あつ)抱擁(ほうよう)だった。



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