(……
純粋……。はたして
純粋なのだろうか……?)
たまに、どうしようもなく
不安になる。
ときに
凶暴な
獣めいた
想いが、
純粋な
愛を
凌駕する
瞬間がある。
(あの
誓約がなかったら……きっと
僕はアナベルにひどいことをしている……)
なんとも
苦々しい
写本の
条文が、ロジオンの
脳裏にうかぶ。
【フォーチュン・タブレット罪案篇・第九条、エレプシアの乙女との姦淫の禁止】
愛する
者を
抱きたいという、
誰もが
抱く
率直で
原始的な
欲求。
それらを
封じこめ、
抑圧しなければならないという
枷は、
健全な
少年をときに
激しく
追いつめてゆく。
(──アナベルと
二人きりでいるとき、
僕はいつもどうにかなりそうな
気持ちになるんだ──)
あたかも
自分を
信じきっているような
瞳で、
少女に
見つめられるとき、やわらかな
唇で
愛の
言葉がつむがれるとき、
身体の
奥が
疼いて
彼女にふれたくなる。
甘い
香りのする
髪を
撫でたり、
優しく
抱きしめてキスをしたりすることで、
満たされるときもある。
だが、
狂おしい
想いが
暴走しそうになる
瞬間、むしろそれらの
行為がかえって
欲望を
助長することがあるのだ。
ぎりぎりの
自制心で、
彼は
衝動をコントロールしていたが、たまに
悪魔に
魅入られたかのようにすべてがどうでもよくなり……。
彼女を
押し
倒して
欲望を
遂げてしまおう、とする
欲求に
抗えなくなるときがあった。
(──でも、だめだ──。そんなことはなにがあっても
許されない)
ロジオンはぎゅっと
瞼を
閉じた。
ふたたび
写本の
一文が、まがまがしく
脳裏によみがえってきた。
『汝、乙女と結ばれしとき契約は破れフォルトナの加護を失う。乙女は純潔でなければならない』
一族に
伝わる
秘儀呪文『フォルトナの魔法円』を
習得するために、ロジオンは
愛する
少女アナベルと
契約を
交わした。
以後、
彼女はフォルトナの
加護を
受けた
『エレプシアの乙女』となり、
彼を
守護する
特別の
存在となった。
(──アナベル。
絶望に
閉ざされた
心の
扉を
開いてくれた、
僕のただ
一人の
恋人──)
少女はロジオンが
初めて
心をゆるした、かけがえのない
女性でもある。
彼女の
代わりになれる
人間など、この
世界にはどこにもいやしない──
そんなのは
盲目だ、
一時の
気の
迷いだといわれようが、
今の
彼にとってはアナベル
以外の
女性を
愛することなど、
想像もつかないことであった。
だからこそ
彼女と
肌を
合わせることはできない。
二人でともに
誓いあった
『フォルトナの契約』を
守るためにも──
少なくとも『
黒い
蛇』の
脅威が
衰えず
危険にさらされているうちは、
二人が
結ばれることはないのだ。
恋人たちにとっては
悩ましいこの
現状を、アナベルにまだ
伝えられずにいたロジオンは、
彼女にもうしわけなくもあり、またもどかしい
気持ちでいっぱいだった。
そしていつか
業を
煮やしたアナベルが、
自分から
遠ざかってゆくのではないかと
心配になった。
(──もし
彼女が
他の
男に
心を
奪われることがあったら、
僕は
正気を
保てる
自信がないな……)
愛する
者の
心変わりは、
恋人たちにとって
常に
不安の
種でもある。
アナベルが
自分以外の
男性を
愛するかもしれないと
考えるだけで、
想像するだけで……。
胸が
痛くなってくるような、ぎりぎりと
心を
締めつけられるような
耐えがたい
苦痛が
襲ってくるのだ。
もはや
彼のなかで、
彼女は
自分の
一部になってでもいるようだ。
そばにいないと
落ち
着かない。
一緒にいてあたりまえ──
だが、
彼女はどうだろうか?
果たして
彼と
同じ
気持ちを
抱いてくれているだろうか?
(とにかく
彼女は
誰にも
渡さない──
渡したくないんだ──!)
一途さはときに
凶器にもなりうる。
この
激しい
感情は
愛ゆえにわきあがるものなのか、ただの
独占欲からくるものなのか、
自分でも
判別がつかないでいた。
☆
そんな
折、やけに
騒々しいノックの
音が
部屋全体に
響いて、
深い
物想いにふけっていたロジオンを
一瞬で
正気に
戻らせた。
扉を
叩いたのは
執事のブライトンだった。
「──リルロイ
様。お
取込み
中のところ
誠に
申し
訳ございません。
緊急の
用件がございますので
入室してもよろしいでしょうか?」
「──うむ」
主の
承諾を
得て、ブライトンが
書斎に
入って
来た。
執事は
年齢を
感じさせない
俊敏な
物腰で、
二人の
前に
進み
出ると
一通の
書簡をリルロイに
手渡した。
「アトゥーアン
大聖堂からの
要請です。
至急、
魔物討伐の
依頼をしたいと……」
「……
聖職者たちがなにを
血迷ったことを……。うちが
扱うのはあくまで
商品であって、マインスター
商会は
冒険者の
斡旋所ではないのだがね」
受けとった
書簡を
開封しながら、リルロイはなかばあきれながらも
語気を
強めて
憤りをあらわにした。
「──いえ、それが──。どこから
情報がもれたかは
存じ
上げないのですが……」
ブライトンの
言葉に
眉をそびやかすと、リルロイは
速やかに
書面に
目を
通した。
読み
終わった
後、
彼は
肩でため
息をつくとおもむろに
書簡をロジオンに
差し
出した。
「──どうやら
君たちにご
指名のようだ──」
ただならぬ
雰囲気を
察して、ロジオンは
困惑しながらも、
不安そうな
面持ちで
本文を
読み
上げた。
『──
強力な炎の呪文を操る魔法使いと、『神具』の使い手につぐ。
貴公らが
地下墓所に
巣食う
邪教集団を
殲滅させたとの
報告を
受け、
教会から
調査員を
派遣したところ……。
何者かの
所業により、
長らく
封印されていた
『棺の間』の
結界が
解かれて、
魔物が
放たれていることが
発覚した。
よって、
速やかに
魔物を
見つけて
討伐されたし。さすれば
『墓所荒らしの罪』は
不問にする──