9.一途すぎる愛は、凶器にもなりうる

文字数 2,214文字




(……純粋(じゅんすい)……。はたして純粋(じゅんすい)なのだろうか……?)


たまに、どうしようもなく不安(ふあん)になる。
ときに凶暴(きょうぼう)(けもの)めいた(おも)いが、純粋(じゅんすい)(あい)凌駕(りょうが)する瞬間(しゅんかん)がある。


(あの誓約(せいやく)がなかったら……きっと(ぼく)はアナベルにひどいことをしている……)


なんとも苦々(にがにが)しい写本(しゃほん)条文(じょうぶん)が、ロジオンの脳裏(のうり)にうかぶ。


【フォーチュン・タブレット罪案篇(ざいあんへん)(だい)(きゅう)(じょう)、エレプシアの乙女(おとめ)との姦淫(かんいん)禁止(きんし)


(あい)する(もの)()きたいという、(だれ)もが(いだ)率直(そっちょく)原始的(げんしてき)欲求(よっきゅう)


それらを(ふう)じこめ、抑圧(よくあつ)しなければならないという(かせ)は、健全(けんぜん)少年(しょうねん)をときに(はげ)しく()いつめてゆく。


(──アナベルと二人(ふたり)きりでいるとき、(ぼく)はいつもどうにかなりそうな気持(きも)ちになるんだ──)


あたかも自分(じぶん)(しん)じきっているような(ひとみ)で、少女(しょうじょ)()つめられるとき、やわらかな(くちびる)(あい)言葉(ことば)がつむがれるとき、身体(からだ)(おく)(うず)いて彼女(かのじょ)にふれたくなる。


(あま)(かお)りのする(かみ)()でたり、(やさ)しく()きしめてキスをしたりすることで、()たされるときもある。


だが、(くる)おしい(おも)いが暴走(ぼうそう)しそうになる瞬間(しゅんかん)、むしろそれらの行為(こうい)がかえって欲望(よくぼう)助長(じょちょう)することがあるのだ。


ぎりぎりの自制心(じせいしん)で、(かれ)衝動(しょうどう)をコントロールしていたが、たまに悪魔(あくま)魅入(みい)られたかのようにすべてがどうでもよくなり……。


彼女(かのじょ)()(たお)して欲望(よくぼう)()げてしまおう、とする欲求(よっきゅう)(あらが)えなくなるときがあった。


(──でも、だめだ──。そんなことはなにがあっても(ゆる)されない)


ロジオンはぎゅっと(まぶた)()じた。


ふたたび写本(しゃほん)一文(いちぶん)が、まがまがしく脳裏(のうり)によみがえってきた。


(なんじ)乙女(おとめ)(むす)ばれしとき契約(けいやく)(やぶ)れフォルトナの加護(かご)(うしな)う。乙女(おとめ)純潔(じゅんけつ)でなければならない』




一族(いちぞく)(つた)わる秘儀呪文(ひぎじゅもん)『フォルトナの魔法(まほう)(えん)習得(しゅうとく)するために、ロジオンは(あい)する少女(しょうじょ)アナベルと契約(けいやく)()わした。


以後(いご)彼女(かのじょ)はフォルトナの加護(かご)()けた『エレプシアの乙女(おとめ)となり、(かれ)守護(しゅご)する特別(とくべつ)存在(そんざい)となった。


(──アナベル。絶望(ぜつぼう)()ざされた(こころ)(とびら)(ひら)いてくれた、(ぼく)のただ一人(ひとり)恋人(こいびと)──)


少女(しょうじょ)はロジオンが(はじ)めて(こころ)をゆるした、かけがえのない女性(じょせい)でもある。


彼女(かのじょ)()わりになれる人間(にんげん)など、この世界(せかい)にはどこにもいやしない──


そんなのは盲目(もうもく)だ、一時(いちじ)()(まよ)いだといわれようが、(いま)(かれ)にとってはアナベル以外(いがい)女性(じょせい)(あい)することなど、想像(そうぞう)もつかないことであった。


だからこそ彼女(かのじょ)(はだ)()わせることはできない。


二人(ふたり)でともに(ちか)いあった『フォルトナの契約(けいやく)(まも)るためにも──


(すく)なくとも『(くろ)(へび)』の脅威(きょうい)(おとろ)えず危険(きけん)にさらされているうちは、二人(ふたり)(むす)ばれることはないのだ。


恋人(こいびと)たちにとっては(なや)ましいこの現状(げんじょう)を、アナベルにまだ(つた)えられずにいたロジオンは、彼女(かのじょ)にもうしわけなくもあり、またもどかしい気持(きも)ちでいっぱいだった。


そしていつか(ごう)()やしたアナベルが、自分(じぶん)から(とお)ざかってゆくのではないかと心配(しんぱい)になった。


(──もし彼女(かのじょ)(ほか)(おとこ)(こころ)(うば)われることがあったら、(ぼく)正気(しょうき)(たも)てる自信(じしん)がないな……)


(あい)する(もの)心変(こころが)わりは、恋人(こいびと)たちにとって(つね)不安(ふあん)(たね)でもある。


アナベルが自分以外(じぶんいがい)男性(だんせい)(あい)するかもしれないと(かんが)えるだけで、想像(そうぞう)するだけで……。


(むね)(いた)くなってくるような、ぎりぎりと(こころ)()めつけられるような()えがたい苦痛(くつう)(おそ)ってくるのだ。


もはや(かれ)のなかで、彼女(かのじょ)自分(じぶん)一部(いちぶ)になってでもいるようだ。


そばにいないと()()かない。
一緒(いっしょ)にいてあたりまえ──


だが、彼女(かのじょ)はどうだろうか?


()たして(かれ)(おな)気持(きも)ちを(いだ)いてくれているだろうか?


(とにかく彼女(かのじょ)(だれ)にも(わた)さない──(わた)したくないんだ──!)


一途(いちず)さはときに凶器(きょうき)にもなりうる。


この(はげ)しい感情(かんじょう)(あい)ゆえにわきあがるものなのか、ただの独占欲(どくせんよく)からくるものなのか、自分(じぶん)でも判別(はんべつ)がつかないでいた。

        ☆

そんな(おり)、やけに騒々(そうぞう)しいノックの(おと)部屋(へや)全体(ぜんたい)(ひび)いて、(ふか)物想(ものおも)いにふけっていたロジオンを一瞬(いっしゅん)正気(しょうき)(もど)らせた。


(とびら)(たた)いたのは執事(しつじ)のブライトンだった。


「──リルロイ(さま)。お取込(とりこ)(ちゅう)のところ(まこと)(もう)(わけ)ございません。緊急(きんきゅう)用件(ようけん)がございますので入室(にゅうしつ)してもよろしいでしょうか?」


「──うむ」


(あるじ)承諾(しょうだく)()て、ブライトンが書斎(しょさい)(はい)って()た。


執事(しつじ)年齢(ねんれい)(かん)じさせない俊敏(しゅんびん)物腰(ものごし)で、二人(ふたり)(まえ)(すす)()ると一通(いっつう)書簡(しょかん)をリルロイに手渡(てわた)した。


「アトゥーアン大聖堂(だいせいどう)からの要請(ようせい)です。至急(しきゅう)魔物討伐(まものとうばつ)依頼(いらい)をしたいと……」


「……聖職者(せいしゃくしゃ)たちがなにを血迷(ちまよ)ったことを……。うちが(あつか)うのはあくまで商品(しょうひん)であって、マインスター商会(しょうかい)冒険者(ぼうけんしゃ)斡旋所(あっせんじょ)ではないのだがね」


()けとった書簡(しょかん)開封(かいふう)しながら、リルロイはなかばあきれながらも語気(ごき)(つよ)めて(いきどお)りをあらわにした。


「──いえ、それが──。どこから情報(じょうほう)がもれたかは(ぞん)()げないのですが……」


ブライトンの言葉(ことば)(まゆ)をそびやかすと、リルロイは(すみ)やかに書面(しょめん)()(とお)した。


()()わった(あと)(かれ)(かた)でため(いき)をつくとおもむろに書簡(しょかん)をロジオンに()()した。


「──どうやら(きみ)たちにご指名(しめい)のようだ──」


ただならぬ雰囲気(ふんいき)(さっ)して、ロジオンは困惑(こんわく)しながらも、不安(ふあん)そうな面持(おもも)ちで本文(ほんぶん)()()げた。


『──強力(きょうりょく)(ほのお)呪文(じゅもん)(あやつ)魔法使(まほうつか)いと、『神具(しんぐ)』の使(つか)()につぐ。


貴公(きこう)らが地下墓所(ちかぼしょ)巣食(すく)邪教集団(じゃきょうしゅうだん)殲滅(せんめつ)させたとの報告(ほうこく)()け、教会(きょうかい)から調査員(ちょうさいん)派遣(はけん)したところ……。


何者(なにもの)かの所業(しょぎょう)により、(なが)らく封印(ふういん)されていた(ひつぎ)()結界(けっかい)()かれて、魔物(まもの)(はな)たれていることが発覚(はっかく)した。


よって、(すみ)やかに魔物(まもの)()つけて討伐(とうばつ)されたし。さすれば墓所荒(ぼしょあ)らしの(つみ)不問(ふもん)にする──



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