7.ロジオンとアナベルの約束

文字数 2,997文字




「……本当(ほんとう)にいいんですか……!……それで……?」


広々(ひろびろ)とした書斎(しょさい)に、少年(しょうねん)(こえ)はいかにも所在(しょざい)なさそうに(ひび)きわたった。


マインスター()屋敷(やしき)でも、とりわけ(ひろ)空間(くうかん)にしつらえられた当主(とうしゅ)執務室(しつむしつ)


蔵書(ぞうしょ)(いた)まないよう配慮(はいりょ)されているためか、北向(きたむ)きに(まど)があり真昼(まひる)でもうす(ぐら)く、ひんやりとした空気(くうき)(なが)れている。


以前(いぜん)、リルロイと対面(たいめん)したときに()った()()たる応接室(おうせつしつ)とはちがい、仕事場(しごとば)ならではの独特(どくとく)緊張感(きんちょうかん)(ただよ)っている。


「ああ、(きみ)(むすめ)がお(たが)いに、よく(はな)しあって()めたことだろう?」


「ええ、ですが……こうも簡単(かんたん)(ゆる)しをいただけるとは(おも)っていなくて、その……」


ロジオンはふっと困惑(こんわく)したように言葉(ことば)をとぎらせた。


数週間前(すうしゅうかんまえ)屋敷(やしき)にふらりと()()った(たび)(おとこ)が、大事(だいじ)(むすめ)()れだして(たび)()ようとしているのだ。


良識的(りょうしきてき)(かんが)えてみて、これが両親(りょうしん)から容易(ようい)(ゆる)されるはずがないというものだ。

        ☆

(さかのぼ)ること数日前(すうじつまえ)──


散歩(さんぽ)がてらに、ふと部屋数(へやかず)(かぞ)えてみようとして、ロジオンは邸内(ていない)のあまりの(ひろ)さに断念(だんねん)した──


そんな宮殿(きゅうでん)のようなアトゥーアン有数(ゆうすう)豪商(ごうしょう)、マインスター()貴賓室(きひんしつ)





つまりは、ロジオンにあてがわれている要人用(ようじんよう)客間(きゃくま)


その片隅(かたすみ)(いき)(ひそ)めるようにして、二人(ふたり)今後(こんご)のことを相談(そうだん)しあっていた。


──密談(みつだん)


といっては(おお)げさだが、少年(しょうねん)少女(しょうじょ)にとってはそれぐらい大事(だいじ)なことだったと()っていい。


(かれ)らは(かお)(かお)がくっつくぐらいに(ちか)くで()()いあうと、


「いい?お父様(とうさま)はあれでけっこうキビシイことを()うかもしれないけど、()にしちゃだめよ?」


アナベルは人差(ひとさ)(ゆび)をふりながら、訳知(わけし)(がお)でロジオンにそう忠告(ちゅうこく)した。


「お父様(とうさま)生粋(きっすい)商売人(しょうばいにん)だけあって口達(くちだっ)(しゃ)なの。この世界(せかい)口先(くちさき)三寸(さんずん)(わた)(ある)くような猛者(もさ)(おお)いから、自然(しぜん)とそうなっちゃうのよね」


「そっか、だからなんとなくお(とう)さん()なんだね、アナベルは……」


ロジオンの(くち)からすっとそのような台詞(せりふ)(すべ)()ると、彼女(かのじょ)はまるで悲鳴(ひめい)のような(こえ)をあげた。


「ええっ!?ぜんぜん()てないじゃないのよ。やめてよ、もう!」


本人(ほんにん)にはまったく自覚(じかく)がないのか、こぶしを()りあげて抗議(こうぎ)する。


良家(りょうけ)子女(しじょ)のわりには世知(せち)()けていて、アナベルの論舌(ろんぜつ)にたくましさを(かん)じることがあるのは、そういうことなのかと(かれ)内心感服(ないしんかんぷく)していたのだが。


「とにかくお父様(とうさま)反対(はんたい)なんかしてみなさいよ!屋敷(やしき)()()してやるんだからっ!」


「そ、それじゃまるで()()ちだよ……」


(こま)りきったようすで微笑(ほほえ)みながら、(かれ)必死(ひっし)彼女(かのじょ)()しとどめた。


アナベルの怒涛(どとう)剣幕(けんまく)(たい)して、あきらかにロジオンの(こえ)(しり)すぼみで(こし)()けている。


ふと、恋人(こいびと)自分(じぶん)との温度差(おんどさ)(かん)じて、失望(しつぼう)したように彼女(かのじょ)(ふか)いため(いき)()いた。


「……つまりは、反対(はんたい)されたらあたしを(あきら)めるってこと?」


「えっと、そういうことじゃなくて……」


真顔(まがお)恋人(こいびと)につめ()られて、とっさに笑顔(えがお)()きつる。


やや優柔不断(ゆうじゅうふだん)ではっきりしないところが、(かれ)欠点(けってん)でもあるのだが……。


不満(ふまん)そうにそっぽを()いて、彼女(かのじょ)下唇(したくちびる)()んだ。


「そうしてあなたは颯爽(さっそう)と、あたしを()いて(たび)()てしまうのね……」


どこか(とお)()をして、アナベルは悲壮感(ひそうかん)たっぷりに(まど)(そと)()つめた。


「だから、どうして(はなし)がそう飛躍(ひやく)するんだよ……!?」


()らない!ロジオンなんて旅人(たびびと)なんだから、終生気(しゅうせいき)まぐれなんでしょ!」


()まぐれは(きみ)専売(せんばい)特許(とっきょ)だろ!だいたい(はなし)がいちいち飛躍(ひやく)しすぎなんだよ、(きみ)は……!」


あきれとも(いか)りともつかない(さけ)びが部屋(へや)にこだました。


「だから、どうしてこう(おも)いこみが(はげ)しいんだよ……!?」


「そっちこそ、どうしてこうはっきり()ってくれないのよっ!」


(たが)いうんざりしたような悲痛(ひつう)(さけ)びが、同時(どうじ)(くち)から(はっ)せられたその瞬間(しゅんかん)──


(とびら)をノックする(おと)二回響(にかいびび)いて、瞬時(しゅんじ)二人(ふたり)をわれに(かえ)した。


「ちょっと、騒々(そうぞう)しいわよ」


(りん)とした(こえ)扉越(とびらご)しに()こえて、少女(しょうじょ)血相(けっそう)()えて戸口(とぐち)にすっ()んでいった。


「あなたたち、喧嘩(けんか)でもしてるの?」


「お姉様(ねえさま)!……なんでもないの、どっちが好物(こうぶつ)()べるかで()(あらそ)ってただけ……ロジオンったら遠慮(えんりょ)してあたしに(ゆず)るって()ってきかないんだもの」


たどたどしくもそう()(わけ)すると、相手(あいて)はそれならいいけど……と拍子抜(ひょうしぬ)けしたようにつぶやいて、その()()()っていった。


(こえ)(ぬし)はアナベルの(あね)キャスリンだった。


たまたま部屋(へや)(とお)りすぎたときに、(はげ)しい口論(こうろん)のようなやりとりを(みみ)にして、()になったのだろう。


それはともかく……。


この出来事(できごと)(みず)()されて、いっきに白紙(はくし)状態(じょうたい)(もど)された二人(ふたり)だった。


だが、そう(かん)じていたのは、ロジオンだけだったらしい。


()まずい状況(じょうきょう)はどうやら(ほう)っておいて、どうにかなる(たぐい)のものではないようだった。


アナベルは(あき)らかに機嫌(きげん)をそこねたまま、(かれ)のほうをじっと()つめている。


少女(しょうじょ)(きゅう)(ほそ)まったまなざしで、()ねたように言葉(ことば)をつむいだ。


「……あたしを、さらってはくれないの?」


「えっ……」


自分(じぶん)()つめる紫水晶(アメジスト)(ひとみ)がたちまち(うる)んでくるのを、(かれ)内心(ないしん)はらはらとした心境(しんきょう)見守(みまも)っていた。


「あなたはあたしを、ここから()()ってくれるんだって(しん)じてた……ちがうの?」


どこかへ、ここではないどこかへ。


乙女(おとめ)はいつだって(ちい)さな(つばさ)飛翔(ひしょう)して、自分(じぶん)(かこ)んでいる(かべ)(なか)から()()ちたがっている。


外界(がいかい)への(あこが)れと()てしない希望(きぼう)で、()がくらみそうになりながらも。


同時(どうじ)(なつ)かしいものをかなぐり()ててゆく覚悟(かくご)をしながら……


見通(みとお)しの()たない恐怖(きょうふ)期待(きたい)で、(むね)()()けそうになっているのだ。


「……その、()いそびれてたんだけど。じつは()()ちとかじゃなくて、もっとそれなりの理由(りゆう)(きみ)()()そうと(かんが)えてたんだ……」


視線(しせん)をあっちに()けたり、こっちに()けたりして空中(くうちゅう)をさまよわせながら。


終始(しゅうし)()()きない態度(たいど)で、やっとそれだけ(くち)にすると、(かれ)はたちまち(だま)りこんでしまった。


熱心(ねっしん)見上(みあ)げてくる少女(しょうじょ)(ひとみ)が、翻弄(ほんろう)されるあまり心細(こころぼそ)げに()らめいている。


()(どく)になるくらいに緊張(きんちょう)してこわばっている少女(しょうじょ)のからだを、また()いつめてしまったとどこか()()(かん)じたように(かれ)はそっとやさしく()きしめた。


「アナベル……アナベル……」


(あか)みがさした(ほお)で、少女(しょうじょ)()連呼(れんこ)する。


「……(きみ)はどんなに(ぼく)(きみ)()きか、ぜんぜんわかっていないんだね……」


途方(とうほう)もなく(なが)(かん)じられる時間(じかん)のあと。


ロジオンは()(けっ)してその言葉(ことば)を、(あい)してやまない恋人(こいびと)耳元(みみもと)でささやいた。


「……(きみ)と………する……。だから、(ぼく)(そば)にいて……ずっと一緒(いっしょ)だ」


感激(かんげき)のあまり少女(しょうじょ)双眸(そうぼう)見開(みひら)かれて、その(ひとみ)途方(とほう)もない(よろこ)びと(かがや)きで()ちあふれた。


(かぎ)りなく幸福(こうふく)(なみ)()()せてきて、地平線(ちへいせん)()てまで(ひろ)がってゆきそうだ。


どこまでも、どこまでも、()てしなく──


「……約束(やくそく)するよ……」


そう()ってロジオンは、かつて自分(じぶん)(おく)った(きん)指輪(ゆびわ)()()っていた。


普段(ふだん)はあまり意識(いしき)していなかったが、最後(さいご)()にしたときは、左手(ひだりて)薬指(くすりゆび)にはめられていた。


だが、屋敷(やしき)での人目(ひとめ)をはばかってか、(いま)人差(ひとさ)(ゆび)におさまっていた。


(かれ)はアナベルの()から指輪(ゆびわ)(はず)すと、ためらうことなく左手(ひだりて)薬指(くすりゆび)にするりと(とお)した。


「これからはここが、定位置(ていいち)だ」


(たが)いにふっと表情(ひょうじょう)(やわ)らげると、(やさ)しく微笑(ほほえ)みあう。


「……あなたの指輪(ゆびわ)は?」


「ご両親(りょうしん)から了承(りょうしょう)()られたら、そのときにね。(きみ)(おな)じものを()()けるよ」


やがて魔法(まほう)にかけられたように()つめあうと、(おと)もなく二人(ふたり)(かげ)(かさ)なりひとつになった。



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