73.夢と現実。最悪のめざめ

文字数 3,337文字




どくどくどくどく()(なが)れてゆく。


()(しろ)(ゆか)緋色(ひいろ)絨毯(じゅうたん)をさっと()いたように、一瞬(いっしゅん)にして鮮血(せんけつ)(あか)()めあげて……。


(むかし)から流血(りゅうけつ)記憶(きおく)には事欠(ことか)かない。


そう(おも)って(かれ)は、皮肉(ひにく)()みをこぼした。


こうして瀕死(ひんし)状態(じょうたい)幾度(いくど)(おちい)りながらも、いつも(がけ)っぷちで()きのびてきた。


(……だけど、このままじゃあ確実(かくじつ)()ぬな……)


(ゆめ)とうつつの(あいだ)彷徨(さまよ)いながら、少年(しょうねん)はなかば放心(ほうしん)したように、自身(じしん)限界(げんかい)(かん)じていた。


たとえ治癒呪文(ちゆじゅもん)(とな)えられなくても、(みずか)らの魔法円(まほうえん)幾多(いくた)危機(きき)退(しりぞ)けてきた。


そうして無意識(むいしき)のうちに、(おのれ)のなかに構築(こうちく)していた過信(かしん)慢心(まんしん)


その(おご)りがたたって、ついには自身(じしん)()らいつくそうとしている。


自分(じぶん)生命(せいめい)(たい)して()(ばち)になってから、もうどれくらいの(とき)(なが)れたのだろう。


(くろ)(へび)』との死闘(しとう)酷使(こくし)しつづけた肉体(にくたい)は、とうに悲鳴(ひめい)をあげていた。


持参(じさん)した霊草(れいそう)のみで、奇跡的(きせきてき)にしのいでいたが、それももう(そこ)をついてしまった。


これまでは戦闘(せんとう)負傷(ふしょう)すると、相棒(あいぼう)であるラグシードの治癒呪文(ちゆじゅもん)(たよ)っていた。


その(かれ)とも『(しかばね)怨霊(おんりょう)グロリオーザ』の司教(しきょう)(たたか)いの最中(さなか)(わか)れたきり合流(ごうりゅう)()たしていない。


放浪癖(ほうろうへき)があり、女癖(おんなぐせ)(わる)(かれ)相棒(あいぼう)は、剣士(けんし)としての(うで)()つが、()先々(さきざき)無用(むよう)なトラブルを()()こしては、(かれ)(なや)ませてきた。


だが、多大(ただい)迷惑(めいわく)(こうむ)ることと同時(どうじ)に、()()けない仲間(なかま)として、(かれ)(あた)えてくれた数々(かずかず)のもの。


普段(ふだん)は、(くち)()して感謝(かんしゃ)するいわれこそないが、それは孤独(こどく)(かれ)にとって大切(たいせつ)(こころ)()(ところ)でもあった。


同郷(どうきょう)出身(しゅっしん)でもある聖職者(せいしょくしゃ)()()放蕩息子(ほうとうむすこ)を、護衛(ごえい)として(やと)ってからすでに、二年(にねん)歳月(さいげつ)経過(けいか)しようとしていた。


そんなかけがえのない仲間(なかま)生死(せいし)すら()らずに、自分(じぶん)()んでゆくのか……。


人生(じんせい)とは所詮(しょせん)そんなものなのかもしれない。


だが、()のほど()らずだと自覚(じかく)しつつも、つい(うら)みがましい(おも)いが(むね)のなかを去来(きょらい)する。


(どうしてフォルトナは治癒(ちゆ)魔法円(まほうえん)子孫(しそん)(のこ)さなかったのだろう……?)


自分(じぶん)出生(しゅっせい)()り、魔法(まほう)修練(しゅうれん)()めば()むほど、(あたま)(はな)れなかった疑問(ぎもん)


なぜフォルトナ一族(いちぞく)は、治癒(ちゆ)(ちから)()たないのか。


フォルトナの末裔(まつえい)(かみ)血脈(けつみゃく)()()いだ(いにしえ)魔法(まほう)(たみ)である。


個々(ここ)能力差(のうりょくさ)はあれど(なみ)魔法使(まほうつか)いはもとより、精霊魔法(せいれいまほう)(あやつ)るエルフたちにすら()けをとらないといわれている。


にも(かか)わらず、なぜか治癒(ちゆ)魔法円(まほうえん)だけが先祖(せんぞ)代々(だいだい)伝承(でんしょう)されておらず。


その理由(りゆう)は『フォーチュン・タブレット』の写本(しゃほん)においても()かされていない。


それは特定(とくてい)(えら)ばれし人間(にんげん)が、(ちから)()ちすぎることに(たい)する(かみ)警鐘(けいしょう)だろうか。


それとも(ほか)になにか、()められし真実(しんじつ)があってのことなのだろうか。


フォルトナの末裔(まつえい)としてこの()(せい)()けても、(いま)解明(かいめい)されない真相(しんそう)()ることもなく、もはやなんの使命(しめい)すらまっとうできずに寿命(じゅみょう)がつきようとしている。


これでは(かみ)冒涜(ぼうとく)だと、少年(しょうねん)(おも)う。


せめて()をむかえるときは敬虔(けいけん)殉教者(じゅんきょうしゃ)のように、フォルトナの()()じないよう(いさぎよ)()にたいと(かれ)(おも)っていた。


そのとき、悲壮(ひそう)決意(けつい)をゆるがすような、(あま)(かお)りがふんわりと空中(くうちゅう)(かお)った。


(おも)わず郷愁(きょうしゅう)にかられるような(なつ)かしい(にお)い。


ひどく()()かない気持(きも)ちになって、(かれ)(こころ)(またた)()にかき(みだ)された。


それは薄紫色(うすむらさきいろ)(ちい)さな(ちょう)がつどった可憐(かれん)乙女(おとめ)(はな)


フォルトナの(かく)(ざと)()くという群胡蝶(エレプシア)(かお)り。


そのすがすがしい(かお)りが連想(れんそう)させるのは、(かれ)がただ一度(いちど)だけ守護(しゅご)(ちか)いを()てた少女(しょうじょ)


『エレプシアの乙女(おとめ)』……アナベル……!


彼女(かのじょ)幻影(げんえい)がまるで、()(まえ)にいるかのように鮮明(せんめい)によみがえってきた。 


(はし)るとやわらかな栗色(くりいろ)(かみ)(かぜ)()って、その姿(すがた)人知(ひとし)れず見惚(みと)れた午後(ごご)


妖精(ようせい)のような紫水晶(アメジスト)(ひとみ)太陽(たいよう)にさらして、少女(しょうじょ)はフォルトナの伝承(でんしょう)(みみ)(かたむ)けていた。


(かぎ)りない生命(せいめい)(かがや)きに()ちた花々(はなばな)饗宴(きょうえん)


二人(ふたり)(なが)めたあの花畑(はなばたけ)情景(じょうけい)を、少年(しょうねん)はまぶたに(おも)()かべていた。


(そうだ。(ぼく)はここに()(まえ)(きみ)のいる場所(ばしょ)()かっていた。それなのにどうして……)


めぐり()えなかったのだろう。


()(まえ)にせめて一目(ひとめ)だけでも……()いたかった。


ただひたすらに彼女(かのじょ)()きしめたかった。


ほかにはなにもいらない。


彼女(かのじょ)のほかには……なにも。


(……それが(ぼく)のたったひとつの(のぞ)み……ささやかな()きる希望(きぼう)……!)


永遠(えいえん)()ざされた暗闇(くらやみ)にもやがて(ひかり)()すように、あたたかな(しろ)(ひかり)(かれ)(つつ)みこんだ。


(……アナベル……。(ぼく)(きみ)になにかしてあげられたかい……?)


少年(しょうねん)覚悟(かくご)()めて(ひとみ)()じると、(いと)しい少女(しょうじょ)姿(すがた)(おも)(えが)いた。


「……(あい)してる……(きみ)を……」

        ☆

(なが)いような(みじか)(ねむ)りから()めたあと、なぜか修羅場(しゅらば)()っていた。


アトゥーアンの地下都市(ちかとし)


その最深部(さいしんぶ)にある大聖堂(だいせいどう)中央(ちゅうおう)を、一直(いっちょく)(せん)()びている身廊(しんろう)


その(ゆか)(よこ)たわっている少年(しょうねん)をはさんで、心配(しんぱい)そうに(いき)をつめて、二人(ふたり)少女(しょうじょ)(かれ)見守(みまも)っている。


そんな最中(さなか)少年(しょうねん)意識(いしき)をとり(もど)したのだが……。


まだ覚醒(かくせい)しきっていない茫洋(ぼうよう)とした思考(しこう)のなかで、(かれ)はあろうことか(ゆめ)うつつに(あい)言葉(ことば)をささやいていた。


そうして無意識(むいしき)のうちに()()(うご)き、()()っていた片方(かたほう)少女(しょうじょ)()をしっかりと(にぎ)りしめていた。


「……あの……これは……冗談(じょうだん)ですよ、ね?」


困惑(こんわく)(かく)()れないようすで、(こえ)(あるじ)同意(どうい)(もと)めた相手(あいて)は、硬直(こうちょく)したように(ふか)くうつむいたまま無反応(むはんのう)で、その表情(ひょうじょう)をうかがい()ることはできない。


「ぐるるるるぅ……」


それまで部屋(へや)(すみ)でうずくまっていた白金(しろがね)使(つか)()が、(ひく)()いてその()()()こした。


瀕死(ひんし)(ふち)から生還(せいかん)()たした(あるじ)のようすを()て、安心(あんしん)したのかセルフィンは合成獣化(キメラか)()いた。


そして、大鷲(おおわし)姿(すがた)(もど)ると天井(てんじょう)()()から、(つばさ)(おお)きく(ひろ)げて(そら)()()っていった。


おそらく長時間(ちょうじかん)空腹(くうふく)()たすために、颯爽(さっそう)獲物(えもの)()りにいったのだろう。


そのころ(しろ)(かす)んでいた少年(しょうねん)視界(しかい)が、ようやく正確(せいかく)さをとり(もど)しつつあった。


(……()きてる……。(ぼく)はまた(いのち)をとりとめたんだな……)


(うつ)ろな(ひとみ)見開(みひら)き、天井(てんじょう)見上(みあ)げ……(かれ)自分(じぶん)()きていることを実感(じっかん)した。


「……意識(いしき)がもどられましたか……?」


「……こ、ここは……?」


「アトゥーアンの地下大聖堂(ちかだいせいどう)です」


「……そっか……。セルフィンが(おく)(とど)けてくれたんだね……」


ひとまず目的地(もくてきち)にたどり()いていた奇跡(きせき)にほっと安堵(あんど)する。


やがて、こちらを気遣(きづか)うような(すず)やかな(こえ)()かれて、少年(しょうねん)反射的(はんしゃてき)にその(こえ)(ぬし)()()っていた。


修道服(しゅうどうふく)()()清楚(せいそ)顔立(かおだ)ちの少女(しょうじょ)が、どこかぎこちない表情(ひょうじょう)()かべながら、きめ(こま)やかな(しろ)()をさしのべている。


「……グランシア……。よかった、(もと)(もど)れたんだね……」


ロジオンは(こころ)(そこ)から(よろこ)びを表現(ひょうげん)すると、彼女(かのじょ)()かって(した)しげにそう()びかけた。


「はい……、その、おかげさまで……。それよりそろそろ()(はな)してくださいませんか?」


「……え?……わっ!その、ごめん……」


(かれ)火傷(やけど)したかのように瞬間的(しゅんかんてき)()(はな)すと、(みだ)れた呼吸(こきゅう)(しず)めようとして(ふか)(いき)()った。


無意識(むいしき)だったとはいえ女性(じょせい)相手(あいて)に、自分(じぶん)はなにをしでかしていたのだろう……。


そう(おも)うとわずかに不安(ふあん)がよぎるが、それ以上(いじょう)気掛(きが)かりなことが(むね)()めつつあった。


(……(たし)かに、この場所(ばしょ)(わか)れたはずなんだ……)


見慣(みな)れた(かお)少女(しょうじょ)がこの()にいないことに()づいて、少年(しょうねん)はにわかに(あせ)りを(おぼ)えはじめていた。


「それよりグランシア。……ここに、アナベルっていう()がいたと(おも)うんだけど、()なかった?」


その()いかけを()けて、グランシアはなぜか()まずそうに(こえ)のトーンを()とした。


「あの、アナベルさんなら、さっきここを()ていかれました……」


「──どうして!?」


()()めればよかったんですけど、(わたし)()動転(どうてん)していて……。ひどく勘違(かんちが)いされたご様子(ようす)()()していかれましたから、(はや)()いかけたほうがいいと(おも)います……!」


「……(ぼく)、うわごとで(なに)(へん)なことを口走(くちばし)ってたのかな……」


無意識(むいしき)のうちに(くちびる)()をあてて、ロジオンが思案(しあん)するような仕草(しぐさ)をしていると、


「まさか(おぼ)えてないんですか!?」


悲鳴(ひめい)のようなグランシアの(こえ)があがり、びくっと心臓(しんぞう)一瞬(いっしゅん)にして()()がる。


しかし、(くさび)()つような決定的(けっていてき)なとどめの一言(ひとこと)はその(つぎ)にやってきた。


「あなたが(わたし)()(にぎ)って、『……(あい)してる……(きみ)を……』って、ささやいたんです」



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み