14.いいから早く目を閉じろよ……

文字数 3,329文字




奇妙(きみょう)(ゆめ)()た──


天井(てんじょう)(たか)さほどある本棚(ほんだな)(ゆか)という大地(だいち)から無数(むすう)()えて、(かべ)(おお)いつくすように林立(りんりつ)している。


屋内(おくない)なのにまるで奥深(おくぶか)(もり)小径(こみち)のようで、無限回廊(むげんかいろう)のように()てしなくつづいている。


書架(しょか)姿(すがた)()せた樹木(じゅもく)(かこ)まれているようだ。


それでいて見慣(みな)れた実家(じっか)薄暗(うすぐら)書庫(しょこ)のようでもあり、またひどく(なつ)かしい()はするが、一度(いちど)(おとず)れたことのない(ひな)びた邸宅(ていたく)図書室(としょしつ)のようだった。


人気(ひとけ)のない教会(きょうかい)にも()雰囲気(ふんいき)の、静謐(せいひつ)さが(ただよ)空間(くうかん)でひとり。


その圧倒的(あっとうてき)蔵書(ぞうしょ)(やま)()しつぶされそうになりながら、ラグシードは手当(てあ)たり次第(しだい)(ほん)(ページ)()っていた。


(……()んでも()んでも、キリがない……)


それは()(ぬし)の『記憶(きおく)』が克明(こくめい)(しる)されている書籍(しょせき)であるらしかった。


重厚(じゅうこう)革表紙(かわびょうし)(ほん)から質素(しっそ)なひもで(くく)られた紙束(かみたば)にいたるまで、装丁(そうてい)はじつに(はば)(ひろ)い。


だが、それらの無数(むすう)(ほん)は、主人(しゅじん)性格(せいかく)反映(はんえい)してか……。


今日(こんにち)までろくに見向(みむ)きもされず、机上(きじょう)放置(ほうち)され見上(みあ)げれば、(くび)がいたくなりそうなほど山積(やまづ)みになっていた。


両側(りょうがわ)(かべ)沿()ってずらりと整列(せいれつ)した本棚(ほんだな)も、どれもぎっしりと蔵書(ぞうしょ)()めつくされている。


だが、そのなかに(から)っぽの(たな)が、なぜか(ひと)つだけ存在(そんざい)した。


(ゆめ)(なか)でラグシードは、その(から)書棚(しょだな)(ほん)分類(ぶんるい)して、(たな)(もど)作業(さぎょう)()いられているようだった。


(……これに()(とお)して、整理(せいり)しろってのか?もうほとんど(わす)れかけた……(おれ)()()てた『記憶(きおく)』。()()った過去(かこ)遺物(いぶつ)でしかないのに……)


どの(ほん)表紙(ひょうし)にうっすら(ほこり)をかぶっているが、それを(はら)()にもなれなかった。


うんざりしながら()にした(ほん)を、()げやりに(たな)(ほう)りこむ。


一冊(いっさつ)。そしてまた一冊(いっさつ)……。


(おも)()したくもないんだ。


(むかし)のことなんて。


(むかし)自分(じぶん)のことなんて……


ときどき(あたま)片隅(かたすみ)横切(よこぎ)るたびに、おそらく嫌悪感(けんおかん)でずきずきと(いた)みはじめる。


わりと幼少期(ようしょうき)のころから、たびたび頭痛(ずつう)(なや)まされてきた。


どうせ(みな)()()けたところで、らしくないと一笑(いっしょう)にふされるに()まってる。


だから、(だれ)にも(はな)したことはない。


(かく)していたのになぜか母親(ははおや)だけには見抜(みぬ)かれて、それが原因(げんいん)心配(しんぱい)ばかりされていた。


だが、軟弱(なんじゃく)(おとこ)のようで()ずかしくもあり、かまわれるのがとにかく鬱陶(うっとう)しかった。


(──お(ねが)いだから、(ほう)っておいてくれ──!!)


子供(こども)(ころ)もそうしたように、(つよ)(ねん)じてようやく(ゆめ)から脱出(だっしゅつ)した。

        ☆

(あさ)(ねむ)りから()めてもまだ、性懲(しょうこ)りもなく頭痛(ずつう)()きずっていた。


こめかみの(あた)りの血管(けっかん)脈打(みゃくう)っていて、それにともなって(にぶ)(いた)む。


おまけに()()けで呼吸(こきゅう)がまだ(あさ)く、酸素(さんそ)()りていないせいかふらふらする。


(こんなところ、(だれ)にも()られたくはないよな……あいつの(まえ)では(とく)に……。って、さっきはちょっと見栄(みえ)はりすぎたか)


今日(きょう)だって、(あたま)(いた)くて宿(やど)()けこんだのだが……。


表向(おもてむ)きは(おんな)約束(やくそく)があったことにしている。


とっさに見知(みし)った(おんな)(まえ)で、(うそ)をついてしまったことになる。が、後悔(こうかい)はしていない。


ラグシードはのろのろと()()がると、なんとはなしに室内(しつない)見渡(みわた)した。


さほど(ひろ)くはないが(せま)くもない、小綺麗(こぎれい)部屋(へや)である。


さっきまで寝転(ねころ)んでいたやや窮屈(きゅうくつ)寝台(しんだい)に、一人掛(ひとりが)けのチェアとやけに細長(ほそなが)(つくえ)が、反対側(はんたいがわ)(かべ)づたいに一列(いちれつ)(はい)されている。


(きわ)めてスタンダードな宿(やど)一室(いっしつ)


すると静寂(せいじゃく)(やぶ)るように──


まだ眠気(ねむけ)()めていない(あたま)に、(とびら)(たた)(おと)がドンドンと(ひび)いた。


しぶしぶと(とびら)()けると、見知(みし)った(おんな)(かお)がそこにあった。


「……やっぱりあんただったのね。()()きは()わった?」


約束(やくそく)見事(みごと)にすっぽかされたよ」


「それはお()(どく)さま。にしても偽名(ぎめい)宿(やど)(とま)ってるなんて、どうりで(だれ)()つけられないはずだわ」


あきれたような声音(こわね)(ぬし)であるリームは、遠慮(えんりょ)なく(とびら)()()けて室内(しつない)乱入(らんにゅう)してきた。


「どうしてここにいるって、わかったんだよ……?」


(うらな)()(カン)ってやつよ。それはともかく、宿帳(やどちょう)記入(きにゅう)してる『ギレンホール』って、(だれ)名前(なまえ)?」


「……ったく、どうでもいいだろ、べつに」


(せい)は『ブルームハルト』だから、身内(みうち)(だれ)か?」


「うっせーな。ほんとにいつもいつも、どうでもいい(ところ)でからみやがって……」


機嫌(きげん)(わる)そうに、ラグシードが会話(かいわ)()()ろうとすると、


「そんなことよりも!大変(たいへん)なのよ、アトゥーアンの大聖堂(だいせいどう)から魔物討伐(まものとうばつ)依頼(いらい)があって、ロジオン(くん)がたった一人(ひとり)()かってるんだけど……」


「──大聖堂(だいせいどう)(おれ)には関係(かんけい)ないね」


ラグシードはにべもなく()(はな)つ。
だが、かまわずリームが()(つの)った。


棺桶(かんおけ)(やま)のように()(かさ)なってる(ひつぎ)()って(おぼ)えてるでしょ?あの場所(ばしょ)人知(ひとし)れず封印(ふういん)されていた魔物(まもの)()()したらしいの。その討伐(とうばつ)(たの)まれたらしいんだけど……って、ラグシード!?」


(おも)わず会話(かいわ)中断(ちゅうだん)して(さけ)んでしまったのは、()(まえ)青年(せいねん)異変(いへん)()づいたからだった。


(かれ)はリームを後退(あとじさ)りさせるほどの(いきお)いで(せま)ってくると、そのまま彼女(かのじょ)部屋(へや)(かど)()いつめた。


さりげなく両腕(りょううで)()ばして(かべ)につけると、彼女(かのじょ)(うご)きを(ふう)じて()げられないようにする。


「あのさ、なんでおまえって職業病(しょくぎょうびょう)()らないけど、(ひと)心配(しんぱい)ばっかりするくせに(おれ)心配(しんぱい)はしてくれないのかな」


そうして長身(ちょうしん)(すこ)(かが)めるようにして、(むすめ)(かお)平然(へいぜん)見下(みお)ろす。


相手(あいて)動揺(どうよう)しているのに満足(まんぞく)したのか、青年(せいねん)口角(こうかく)がわずかに()がった。


「……あんまりほっとかれると、()いちゃうぜ?」

「………………」


「……ねぇ」

「……なによ?」


「……キスしていいか?」


よどみなく(つむ)がれた求愛(きゅうあい)催促(さいそく)は、世慣(よな)れたエルフの(むすめ)もたじろがせずにはいられなかった。


「あ……あんたって(ひと)は、こんな非常時(ひじょうじ)に……っ!?」


条件反射(じょうけんはんしゃ)のように(ほお)(あか)くなってくる。


不覚(ふかく)にも鼓動(こどう)波打(なみう)ってしまったことに、リームは(すこ)(きず)ついていた。


ラグシードはやや(かげ)りのある横顔(よこがお)で、(かし)げた(あたま)(かべ)にもたせかけてつぶやいた。


「あいつは……ロジオンはちょっと()っといたくらいで()にゃしねぇよ」


「……!?……」


「あいつはフォルトナの(かみ)(まも)られてるからさ。それに……本気(ほんき)になりゃあゾッとするくらいに(つよ)いんだ。だから、しばらく一人(ひとり)でも大丈夫(だいじょうぶ)だろ」


それは相手(あいて)軽蔑(けいべつ)(さそ)うような、あきれるほど()げやりな口調(くちょう)だった。


「……(しん)じられない……。それ、正気(しょうき)()ってるの……?」


(いま)、あんたとこの部屋(へや)二人(ふたり)っきりってことのほうが、(おれ)には重要(じゅうよう)


ラグシードはどこか(うれ)いのある(なが)()で、対象(たいしょう)であるリームを見据(みす)える。


その(さみ)しさに()りつかれたような(ひとみ)(むね)()かれながらも、彼女(かのじょ)(こころ )動揺(どうよう)(さと)られぬように(こぶし)をにぎりしめた。


「……み、見損(みそこ)なったわ……。ここまで(くさ)りきってるなんて……」


「あきれた?(こころ)(そこ)ではとっくに軽蔑(けいべつ)してんだろ。(おれ)のことなんか……」


「…………………」


(だま)るくらいなら、いいから(はや)()()じろよ……」


強引(ごういん)乱暴(れんぼう)物言(ものい)いだが、どこか(あま)声音(こわね)青年(せいねん)はつぶやく。


(せつ)なげな吐息(といき)とともに、(かれ)(かお)接近(せっきん)してくる。


(……まだ、(こころ)準備(じゅんび)ができてない……!)


あまりにも性急(せいきゅう)すぎて(あたま)混乱(こんらん)する。


とっさに(こば)むこともできず、リームは目蓋(まぶた)をぎゅっと()じた。


(あのときは(たす)けなきゃって必死(ひっし)で……!だからあれはキスとかじゃなくて……)


反射的(はんしゃてき)にラグシードを(すく)うため、口移(くちうつ)しで霊草(れいそう)()ませたときのことを(おも)()す。


あれはもっと、切実(せつじつ)衝動(しょうどう)につき(うご)かされてやったことだ。


(くろ)(へび)』の司教(しきょう)サルヴァルとの壮絶(そうぜつ)死闘(しとう)(すえ)、ラグシードは満身創痍(まんしんそうい)(きず)つき(いのち)がつきようとしていた。


懸命(けんめい)自分(じぶん)をかばって、(みずか)らを(たて)として(まも)ってくれたラグシードを(すく)うために、彼女(かのじょ)必死(ひっし)になって衝動的(しょうどうてき)にしたことだ。


そのときに自分(じぶん)ができる最大限(さいだいげん)のことを。


……だからこそ(おも)()せない。


(かさ)ねたはずの(くちびる)感触(かんしょく)も、なにもかも。


膨大(ぼうだい)記憶(きおく)という()海底(かいてい)(しず)めたまま、ひっそりと(すな)()もれてゆくはずだった。


静寂(しじま)二人(ふたり)(うえ)()りていた。


だが、彼女(かのじょ)(おも)うようなことは()こらなかった。


その()わりに──


「……ラグシード……?」


いち(はや)不穏(ふおん)気配(けはい)(さっ)して、リームは必然的(ひつぜんてき)()見開(みひら)いた。


そのとき(うつ)ろな(むすめ)瞳孔(どうこう)(うつ)()されたのは、()(まえ)でゆっくりと(くず)れゆく青年(せいねん)姿(すがた)だった。


「……うっ……ううぅっ……」


たまらず()隙間(すきま)からうめき(ごえ)をもらすと、こらえきれずにラグシードは(ゆか)(いきお)いよく(ひざ)をついた。



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