4.ラプソディ・イン・ブルー

文字数 4,389文字




(かれ)()(まわ)っていた。


広大(こうだい)屋敷(やしき)のなかを──


いくつもの部屋(へや)()たり(はい)ったりしながら、()物狂(ものぐる)いで廊下(ろうか)()()け、(とき)には(まど)から中庭(なかにわ)()()したりもした。


居候(いそうろう)()でありながら、あまり作法(さほう)がいいとはいえない非常識(ひじょうしき)行動(こうどう)数々(かずかず)は、(かれ)貴族(きぞく)としての自尊心(プライド)をやや(きず)つけてはいた。


だが、もはやそんなことにかまっている余裕(よゆう)はなかった。


(かれ)戦々恐々(せんせんきょうきょう)としているのも無理(むり)はない。


頭痛(ずつう)、めまい、耳鳴(みみな)り、嘔吐(おうと)(はげ)しい腹痛(ふくつう)、そして()まらない下痢(げり)……


(くわ)えるなら過度(かど)緊張(きんちょう)からくる精神的(せいしんてき)なストレス。


これらの厄介(やっかい)症状(しょうじょう)をひきおこす、まさに悪夢(あくむ)()(がね)ともいうべきある(もの)


「それ」をたずさえてその人物(じんぶつ)は、どこまでもどこまでも()ってくる。


もう(やかた)敷地(しきち)から()()して、市街地(しがいち)まで逃亡(とうぼう)するよりないのかもしれない。


しかし、これしきのことでそこまですると、(いちじる)しく信用(しんよう)をうしなってしまう(おそ)れがある。


(……(きら)いになっちゃうかな……?(ぼく)のこと……。っていうか、すでにそうなりつつある。でも、(ぼく)にだって、どうがんばっても苦手(にがて)なものはあるし、こればっかりはゆずれないんだ……)


(いき)せききって()げながらも、ロジオンは(あたま)片隅(かたすみ)彼女(かのじょ)のことを(おも)い、やりきれない心境(しんきょう)でため(いき)をついた。

        ☆

☆★☆ 「それ」の(つく)(かた) ☆★☆


大量(たいりょう)砂糖(さとう)とバターが()りこまれた生地(きじ)を、動物(どうぶつ)植物(しょくぶつ)などの(かた)でくりぬき、オーブンで()がさない程度(ていど)()()げる。


丁寧(ていねい)なことに彼女(かのじょ)(つく)る「それ」には、あの(あま)ったるい(しろ)(こな)がふんだんに()りかけてある。


さらにひどい場合(ばあい)七色(なないろ)可愛(かわい)らしい、これまた(あま)いトッピングなるものが()られていることまである。


そんなモノを(くち)(ほう)りこんで咀嚼(そしゃく)し、(あじ)わいたくないのに(あじ)わい……


きちんと()(くだ)してあまつさえ「美味(おい)しい」と(くち)()して微笑(ほほえ)まなければならない。


一枚(いちまい)ですむのならばともかく、あの過剰(かじょう)装飾(そうしょく)がほどこされた(つつ)みを(ひら)いたら最後(さいご)、おそらく(のこ)すことはゆるされない……。


(……拷問(ごうもん)だ……。あんなものをありがたがって()べる(ひと)()がしれない……)


中庭(なかにわ)(はしら)(かげ)にもたれてひと(やす)みしながら、(はげ)しく(かた)上下(じょうげ)し、みだれた呼吸(こきゅう)(ととの)える。


生垣(いけがき)(かく)れているから、ここなら()つかりにくいかもしれない。


なんとか()いたようだ。
しかし、いつまでもつか──


安堵(あんど)のあまり虚脱(きょだつ)して、青々(あおあお)とした芝生(しばふ)にへたりこむ。


(まえ)日暮(ひぐ)れまで()(つづ)けたらなんとか(あきら)めてくれたけど、今日(きょう)はまだ()(たか)いからこれからが正念場(しょうねんば)だなぁ)


(なんじ)らは忍耐力(にんたいりょく)耐久力(たいきゅうりょく)をつけるべし!』


ふと兵士(へいし)()(しょ)(かか)げられた、お(かた)いスローガンがうかんだ。


それはまさに今求(いまもと)められている能力(のうりょく) だ。そしてやや(いま)自分(じぶん)()けている能力(のうりょく)でもある。


そのことを痛烈(つうれつ)反省(はんせい)し、そもそも(きた)えることが不足(ふそく)している現実(げんじつ)()()(かん)じながらも、(つぎ)はどこに(かく)れようかと(おも)いをめぐらせていた。


その矢先(やさき)予測(よそく)できなかった方角(ほうがく)から(こえ)はかかった。


「──こんなところにおいででしたか!(さが)しましたぞ、ロジオン(さま)……」


中庭(なかにわ)噴水(ふんすい)をはさんで、対角線上(たいかくせんじょう)にある(しげ)みから(かお)をのぞかせたのは、屋敷(やしき)(つか)える老練(ろうれん)執事(しつじ)ブライトンであった。


(ちか)くに()るまでまったく気配(けはい)(かん)()れなかったのは、(つか)れていたせいなのか、それともこれぞ執事(しつじ)たる(もの)体得(たいとく)する、独特(どくとく)(すき)のない()のこなしのせいなのか……。


それはともかく。


至急自室(しきゅうじしつ)()るようにと、アナベル(さま)からおおせつかっております。部屋(へや)まで()()って同行(どうこう)するようにとのことですが……。お嬢様(じょうさま)となにか()(ごと)でも()こされましたかな?」


そのように()われてしまったら、もはや()げようがない。


大人(おとな)しく(なわ)につながれた家畜(かちく)のように、(かた)()として執事(しつじ)背中(せなか)をついてゆく。


しばらくして部屋(へや)(まえ)まで()ると、「それではご武運(ぶうん)を」と会釈(えしゃく)してブライトンが(かぜ)のように()っていった。


(やれやれ……)


いつもは(はな)やいだ雰囲気(ふんいき)をまとう(しろ)(とびら)が、地獄(じごく)(もん)のようにすら(かん)じられる。


()(おも)かった。ひたすらに()(おも)かった。


だが、()けねばなるまい。


(いき)(おお)きく()いこみ覚悟(かくご)()めて、彼女(かのじょ)部屋(へや)をノックする。


とたんになにか、違和感(いわかん)(かん)じた。


「ちょっと、どこに()ってたのよ──」


(とびら)(ひら)いて、若干責(じゃっかんせ)めるような言葉(ことば)()げかけられた。


彼女(かのじょ)部屋(へや)から(かお)()す。だが、(おも)ったよりは(おこ)っていないようだった。


しかし不安(ふあん)()えない。ぬぐいきれないその違和感(いわかん)正体(しょうたい)はなんだろう?


いつもとちがうなにか──


その正体(しょうたい)部屋(へや)(まね)かれてわかった。


先客(せんきゃく)がいたのだ──


「──お邪魔(じゃま)しています」


窓際(まどぎわ)のテーブルセットの椅子(いす)(こし)かけたその人物(じんぶつ)は、にこやかな笑顔(えがお)()けてこちらに挨拶(あいさつ)した。


(ちょう)刺繍(ししゅう)がほどこされた(そう)レースのテーブルには、(とり)のさえずりが()こえそうな優雅(ゆうが)なティーセットと山盛(やまも)りの()菓子(がし)鎮座(ちんざ)していた。


かすかに(ただよ)(あま)(かお)りを()いだだけで、苦手意識(にがていしき)からか(まゆ)をしかめてしまう。


しかし青年(せいねん)(すず)しい(かお)で、()菓子(がし)()めつくされた大皿(おおざら)()()ばした。


そうして諸悪(しょあく)権化(ごんげ)ともいうべき「それ」を、なんのためらいもなく(くち)にほうばると、満面(まんめん)笑顔(えがお)をこぼして(かれ)()った。


「──すごく美味(おい)しいです!(こう)ばしくて(なつ)かしい(かん)じがして……。こういう(やさ)しい(あじ)はお(みせ)ではなかなかお()にかかれないんですよ。お嬢様(じょうさま)はお菓子作(かしづく)りが上手(じょうず)なんですね!」


「そ、そう?なんか()れちゃうな……」


臆面(おくめん)のないほめ言葉(ことば)()びせられて、さすがにアナベルは気恥(きは)ずかしくなってうつむいた。


相手(あいて)がいくらお世辞(せじ)()いなれているとわかっていても、かけてもらいたい言葉(ことば)をかけられるのはうれしいものだ。


それを()ってほしい人物(じんぶつ)から()ってもらえない状況(じょうきょう)ならば、なおさら(こころ)(ひび)く。


「もっと(いただ)いてもいいですか?」


遠慮(えんりょ)しないで()べて!あんまり()べてもらえないから、(あま)っちゃってて……」


「──こんなに美味(おい)しいのに?あの、()かったら(すこ)しもらってもいいですか。(おとうと)たちが(よろこ)ぶと(おも)うので……。(とし)(はな)れた兄弟(きょうだい)がいるんです」


「あたしなんかが(つく)ったので()かったら、たくさん()っていって!あ、そういえばお菓子入(かしい)れにちょうどいい(はこ)箪笥(たんす)のなかに……」


「お嬢様(じょうさま)、どうかお気遣(きづか)いなく。ハンカチに(つつ)みますから」


(こお)りついたように(かた)まったままのロジオンを()()りにして、(した)()二人(ふたり)会話(かいわ)終始目(しゅうしめ)(まえ)でくり(ひろ)げられている。


「それはそうと、あなたが屋敷(やしき)()()されるってことは、お姉様(ねえさま)がまた無駄(むだ)づかいしたんでしょ?あの(ひと)ああ()えて浪費家(ろうひか)だから……。服飾代(ふくしょくだい)()ぶようになくなっていくのよね」


「おかげでうちは繁盛(はんじょう)させてもらってますから、心苦(こころぐる)しいですけど……」


青年(せいねん)恐縮(きょうしゅく)したように(かた)をすくめてみせる。


ティーカップに(そそ)がれたハーブティーを(のど)(なが)しこんでから、(かれ)()(ざら)にカップをもどしかけて()をとめた。


視線(しせん)(かん)じたのだ。


そして壁際(まどぎわ)所在(しょざい)なくしている少年(しょうねん)()づいたのだろう。


青年(せいねん)はふっと()みをこぼした。


「──お嬢様(じょうさま)名残惜(なごりお)しいのですが、配達(はいたつ)途中(とちゅう)なのでそろそろお(いとま)させていただきます」


「そう?まだ(あま)ってるから、もっと()べてってくれればいいのに……。とはいえ仕事中(しごとちゅう)なのに、これ以上(いじょう)ひきとめるわけにはいかないわね」


今度(こんど)またご馳走(ちそう)してください」


青年(せいねん)菓子(かし)(つつ)みを大事(だいじ)そうに(かばん)にしまうと、そう(さわ)やかに()(のこ)して部屋(へや)()()った。

        ☆

完全(かんぜん)初対面(しょたいめん)ではあったが、あの青年(せいねん)見覚(みおぼ)えはあった。


もちろん()こうはそんなこと、(つゆ)とも()らないであろう。


一方的(いっぽうてき)怨恨(えんこん)……いや、そんな大層(たいそう)感情(かんじょう)ではないが。むしろ逆恨(さかうら)みにちかい。


ジェラールとかいう名前(なまえ)の(たまにアナベルの話題(わだい)にのぼることがあるので(おぼ)えた)老舗(しにせ)洋品店(ようひんてん)店員(てんいん)だ。


マインスター()御用達(ごようたし)であることは(うたが)うべくもない。


かつてアナベルと一緒(いっしょ)()(もの)しているところを(まち)()かけて、あろうことか一夜(いちや)をともにするほどの関係(かんけい)だと誤解(ごかい)したことがあるだけだ。


異様(いよう)(した)()だったのが()にかかったが、それだけだ。


たぶん、それだけ……


沈黙(ちんもく)()えられなくなって、ロジオンが()った。


「……お邪魔(じゃま)だったかな……?」


少年(しょうねん)部屋(へや)()てから、(はじ)めて二人(ふたり)()がまともに()わさる。


(きず)ついたような(かお)が、二人同時(ふたりどうじ)にうかんだ。


どうしてアナベルが(きず)ついているのかわからない。


こんなことをされて(きず)つくのは(ぼく)のほうだろ?そう()いかけて、やめた。


()たでしょ?あなたが()べてくれないクッキー、美味(おい)しそうに()べてくれる(ひと)もいるのよ」


少女(しょうじょ)はどこか()(ほこ)ったように()う。


「……それは、(ひと)(この)みはそれぞれだから……」


その発言(はつげん)では、自分(じぶん)(この)みじゃないと(とお)まわしで()っているようなものだ。


あきらかにギクシャクしたような空気(くうき)(なが)れはじめた。


アナベルはくるりと()()けると部屋(へや)()()った。


正確(せいかく)には(つづ)部屋(べや)になっている部屋(へや)移動(いどう)したのだが、すぐになにかを()って()(かえ)してきた。


その見慣(みな)れた(つつ)みを()にして、さすがにうんざりしたように(かれ)()った。


(きみ)はわかってるはずだよね?(ぼく)(あま)(もの)苦手(にがて)だってことくらい……」


(わす)れるわけないでしょ!あたしの手作(てづく)りクッキーを()べて、まっさきに洗面所(せんめんじょ)()けこんだのはあなたくらいだもの……!」


失礼(しつれい)しちゃうわとばかりに、これまでこらえていた気持(きも)ちをぶつけてくる。


その光景(こうけい)がまざまざと(おも)()こされて、ロジオンはうっと言葉(ことば)につまった。


「わるかったと(おも)ってるよ……。でも、気持(きも)ちわるくなるのはどうしようもならなくて……って、アナベル!?」


あろうことかアナベルの(ひとみ)から、ぽろぽろと(なみだ)がこぼれはじめた。


その(とき)になって、はじめて(かれ)()づいた。


アナベルはお菓子作(かしづく)りが()きだ。
(こころ)から()きだ。


(つく)っているところを()かけたことがあるが、なによりも(たの)しそうでイキイキとしていた。


自分(じぶん)がほんとうに()きなことを(だれ)かに(みと)めてほしい。できたらそのことで(ひと)にも(よろこ)んでもらいたい……!


きっかけはそんな(おも)いからはじまったのだろう。


だからこそ、彼女(かのじょ)何度(なんど)何度(なんど)も、お菓子(かし)(つく)っては(かれ)()べさせようとした。


()きなことを否定(ひてい)されるのは、自分(じぶん)否定(ひてい)されるのと()ている──


迷惑(めいわく)だとわかっていても、やめられず、それでもやっぱり(みと)めてほしかったのだ。


ところが自分(じぶん)はその好意(こうい)鬱陶(うっとう)しく(おも)い、(とお)ざけて()げまわっていたのだ。


いくら(あま)(もの)苦手(にがて)とはいえ、露骨(ろこつ)にアナベルを拒絶(きょぜつ)していたのだ──


彼女(かのじょ)はただ純粋(じゅんすい)自分(じぶん)(みと)めてほしかっただけなのに……。


(もうすこし、(やさ)しくするべきだったんだ。()べるにしろ、(ことわ)るにしろ……)


ロジオンは不器用(ぶきよう)すぎる自分(じぶん)(こころ)から反省(はんせい)した。


(おんな)あつかいが下手(へた)なうちは魔法(まほう)(おも)(どお)りにはならない』


という、やや(しん)ぴょう(せい)()ける師匠(ししょう)(おし)えも、(いま)ならば素直(すなお)(みみ)(かたむ)けられると(かれ)(おも)った。


「……()べるよ……」


アナベルがはっとしたように(かお)をあげた。


彼女(かのじょ)()からそれを()けとると、リボンをほどいて(つつ)みを(ひら)く。


いつもとはちがう(ほし)のかたちをした()菓子(がし)が、(なが)(ぼし)のように()のひらにこぼれ()ちてきた。



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