2.嫉妬の傷、消せない血の匂い

文字数 3,268文字

ロジオンはいつもより上機嫌(じょうきげん)なようすで、酒杯(しゅはい)次々(つぎつぎ)()けていた。


()むとやや饒舌(じょうぜつ)になるのか、普段(ふだん)はあまり(はな)さない故郷(こきょう)(はなし)子供(こども)のころのエピソードを(かた)ってくれた。


もう()くなってしまった父方(ちちかた)祖父(そふ)は、(りょう)(しゅ)息子(むすこ)(ゆず)ってからは、詩人(しじん)となり各国(かっこく)(たび)していたそうで、ロジオンはそんな祖父(そふ)にあこがれを(いだ)いていたようだ。


祖父(そふ)大量(たいりょう)荷物(にもつ)(かか)えて(たび)から(かえ)ってくると、プレゼントを手渡(てわた)すのもそうそうに(むね)(おど)るような土産話(みやげばなし)をしてくれる。


旅先(たびさき)仕入(しい)れた人気(にんき)大衆小説(たいしゅうしょうせつ)や、(ふる)くから(つた)わる異国(いこく)伝承(でんしょう)などを、寝物語(ねものがたり)(まご)たちに(かた)って()かせるのだ。


(ぼく)(たび)()ようと(おも)ったのも、お祖父様(じいさま)影響(えいきょう)かもしれないな。屋敷(やしき)図書室(としょしつ)にあるお()()りの冒険小説(ぼうけんしょうせつ)も、何度読(なんどよ)(かえ)したかわからないくらいなんだけど、お祖父様(じいさま)収集(しゅうしゅう)したものだったらしいし」


「そうなんだ。ロジオンに絶大(ぜつだい)影響力(えいきょうりょく)がある(かた)だったのね。でも、詩人(しじん)っていうよりなんだか冒険家(ぼうけんか)みたいね。あたしもそんな素敵(すてき)なお祖父様(じいさま)にお()いしたかったな……」


()きているうちに(きみ)紹介(しょうかい)したかったよ。きっと、お祖父様(じいさま)もアナベルのことを()()ったと(おも)うよ」


(かれ)(ひとみ)()いこまれそうなほどキラキラ(かがや)いていて、その姿(すがた)彼女(かのじょ)にとってこの(うえ)なく微笑(ほほえ)ましいものに(うつ)るのだった。


「……アナベルも(とな)りにきて、もっと()もうよ!」


()いをさまそうと窓辺(まどべ)夜風(よかぜ)にあたっていた少女(しょうじょ)を、(かれ)笑顔(えがお)手招(てまね)きして()びよせる。


(こんなに陽気(ようき)なロジオン、(はじ)めて()る。なんだか可愛(かわい)いかも……)


(もど)るついでに(あたら)しいグラスを()りに()かったアナベルは、つい足元(あしもと)をふらつかせて手近(てぢか)にあった(たな)()りかかった。


その振動(しんどう)(かざ)られていた置物(おきもの)(ゆか)落下(らっか)して、(みみ)をつんざくような(おと)()てる。


「アナベル!大丈夫(だいじょうぶ)……?」


すぐに()()ってきたロジオンが(ゆか)見下(みお)ろすと、(しろ)陶器(とうき)のかけらが(くだ)けて()()りになっていた。


「……(こわ)れちゃった……」


()ちこんだように(かた)()とすと、アナベルは陶器(とうき)のかけらを(いと)しそうに(ひろ)いあげた。


大切(たいせつ)なものだったの?」


心配(しんぱい)そうな表情(ひょうじょう)少女(しょうじょ)()つめると、彼女(かのじょ)はこくんとうなずいた。


そのようすを()て、ロジオンは(ゆか)()らばったほかの陶器(とうき)(ひろ)いあつめようと()をのばした。


「……(むかし)(なか)のよかった(おとこ)()がプレゼントしてくれたものなの」


瞬間(しゅんかん)(ひろ)いあつめていたロジオンの()が、ぴたりと静止(せいし)した。


ほんのわずかな空気(くうき)変化(へんか)


()っていたこともあり、あまり()にせずアナベルは(はなし)(つづ)けた。


二人(ふたり)ともまだ子供(こども)(ちい)さかったんだけど、(わか)(ぎわ)将来結婚(しょうらいけっこん)しようねって手渡(てわた)してくれたんだ……ちょっと、ませてるでしょ?」


「…………………」


ロジオンは沈黙(ちんもく)すると(こうべ)をたれたまま、(ゆか)()らばっている(こわ)れた陶器(とうき)のかけらを無心(むしん)(なが)めた。


うつむき加減(かげん)で、表情(ひょうじょう)はあまり()みとれない。


だが(つぎ)瞬間(しゅんかん)(かれ)()にしていた陶器(とうき)破片(はへん)を、無造作(むぞうさ)(つよ)くにぎり()めた。


「──!?」


瞬間的(しゅんかんてき)(おそ)った(いた)みに、わずかに(かお)をゆがめる。


それと同時(どうじ)皮膚(ひふ)()け、()(しずく)(しろ)陶器(とうき)()りそそいだ。


「ロ、ロジオン。どうしちゃったの……??」


アナベルが動揺(どうよう)のあまりうろたえた(こえ)をかけると、ロジオンは返事(へんじ)もせずに()(あが)った。


(かれ)(くち)()ざしたままどこか(うつ)ろな(かお)で、()()まっている(しろ)陶器(とうき)のかけらを物色(ぶっしょく)しはじめた。


そして大方(おおかた)検討(けんとう)をつけたように、仏頂面(ぶっちょうづら)のまま「やっぱりね……」と(ひく)くつぶやいた。


「……アナベル、(きみ)()らないかもしれないけどね。この置物(おきもの)白鳥(はくちょう)飛来(ひらい)する観光地(かんこうち)有名(ゆうめい)なカプリナ湖畔(こはん)(つた)わる土産物(みやげもの)で、二羽(にわ)白鳥(はくちょう)(つい)になって()られているんだ。片方(かたほう)意中(いちゅう)異性(いせい)にプレゼントすると婚約(こんやく)成立(せいりつ)することになってる……」


「そっ、そんなの初耳(はつみみ)だし。第一結婚(だいいちけっこん)約束(やくそく)っていったって、まだ五歳(ごさい)かそこらの子供(こども)だったのよ?冗談(じょうだん)()まってるじゃない」


(きみ)はそう(おも)ってるかもしれないけど、相手(あいて)はそうじゃないかもしれない……」


「いくらなんでも(かん)ぐりすぎよ……!」


赤面(せきめん)しつつも(こぶし)をにぎりしめて抗議(こうぎ)したアナベルだったが、ロジオンにはなぜか有無(うむ)をいわせぬ迫力(はくりょく)があった。


「それで、(きみ)のかたわれの白鳥(はくちょう)()ってる(やつ)は、いま何処(どこ)にいるの?」


まるで尋問(じんもん)でもするように、容赦(ようしゃ)ない(くち)ぶりで彼女(かのじょ)()いつめる。


「……()らないわ。第一(だいいち)ずっと(むかし)()()しちゃったんだもの」


「ほんとに?まさか(かば)ってないよね」


「そんなわけないでしょ」


「いいや、信用(しんよう)できないね。もしかしてまだこの(まち)にいるんじゃないの?」


(しん)じるどころか彼女(かのじょ)()(ぶん)否定(ひてい)してまで、こちらを(うたが)ってかかるロジオンに(たい)して、ついにアナベルは堪忍袋(かんにんぶくろ)()()れたようだった。


「どうしていつもそんなに(うたぐ)(ぶか)いのよ!陰険(いんけん)でうんざりするわ!」


(きみ)(おとこ)にだらしないからいけないんだろ!」


「あたしがいつだらしなかったって()うのよ!五歳(ごさい)子供(こども)結婚(けっこん)約束(やくそく)したくらいでムキになっちゃってばっかみたい!どれだけ(うつわ)(ちい)さいのよ?そうやって年中(ねんじゅう)浮気(うわき)心配(しんぱい)でもしてたら?」


「……んなっ……!?」


()(かえ)したくても()(かえ)せない。くやしさのあまり(かれ)(ほお)紅潮(こうちょう)させて(くちびる)をかみしめた。


なんとか冷静(れいせい)をたもとうと(こころ)がけるが、(なさ)けなくも彼女(かのじょ)言葉(ことば)(おも)いのほかダメージを()けている自分(じぶん)がいるのだ。


だが、早々(そうそう)にそんな自分(じぶん)見切(みき)りをつけると、ロジオンは懸命(けんめい)(いか)りを()(ころ)しながらアナベルにつめ()った。


「ああ、そうだよ。失望(しつぼう)させてわるかったな……。(ぼく)(きみ)(おも)うような(おとこ)じゃない。女々(めめ)しくて心配性(しんぱいしょう)なみっともない(おとこ)だよ」


ふだんは(けっ)して()わないような、それこそオブラートに(つつ)んですら、うんざりして()ててしまいたくなるような。


そんな弱気(よわき)発言(はつげん)がするりと(くち)からすべり()た。


()くも(わる)くも(さけ)効用(こうよう)なのだろう。


「いくら(きみ)でも愛想(あいそう)がつきた?」


(かれ)自嘲(じちょう)するように鼻先(はなさき)(わら)うと、なにかがふっきれたようにそうささやいた。


「な、なにもそこまで卑屈(ひくつ)になることないじゃない……!」


いつの()にか壁際(かべぎわ)()いつめられて、アナベルはややせっぱつまったようすで反論(はんろん)した。


(だれ)のせいで卑屈(ひくつ)になってると(おも)うんだ?」


すぐさまたたみかけるようにロジオンが()めたてる。アナベルは内心(ないしん)うろたえていた。


うっかり(くち)をすべらせた初恋(はつこい)(はなし)が、それほどまでに(かれ)(おこ)らせるとは想像(そうぞう)していなかったのだ。


せいぜいちょっとヤキモチを()いてくれれば(おん)()くらいの(いきお)いだったのである。


それが(おも)いのほか絶大(ぜつだい)効果(こうか)をもたらしたのは、()たして(こう)不幸(ふこう)か。


「もし、(ぼく)()()こうとして過去(かこ)(はなし)()ちだすんだったら、すぐに()めたほうがいい。どうしてかわかる?」


真顔(まがお)(かお)をのぞかれて、アナベルは気圧(けお)されたように(くち)がきけなかった。


わずかにふるえる(くちびる)をきゅっと()()めたまま、(くび)左右(さゆう)にふって意思表示(いしひょうじ)する。


「……相手(あいて)(おとこ)(ころ)したくなるから。(きみ)(おも)っている以上(いじょう)に、(ぼく)にとっては影響力(えいきょうりょく)(ぜつ)(だい)なんだよ、(きみ)は。ちゃんと自覚(じかく)してる?」


()(にお)いがする。


自分(じぶん)(ほお)をつつむ()のひらが、()()まっているのだと、アナベルは()づく。


意識的(いしきてき)にせよ不本意(ふほんい)にせよ、(かれ)がこれまで幾度(いくど)(ひと)をあやめてきたことは事実(じじつ)なのだとうっすらと(おも)う。


その事実(じじつ)永遠(えいえん)()せないのだと(おも)うと、彼女(かのじょ)(むね)がつまった。


わずかに彼女(かのじょ)(ほお)にふれるかふれないかの、せとぎわで静止(せいし)していた(かれ)(ゆび)


彼女(かのじょ)(おも)()(しな)(きず)つけられたその左手(ひだりて)を、アナベルはそっと(やさ)しい仕草(しぐさ)でふれると、(しず)かに自分(じぶん)(ほお)()しつけた。


「……いいわ、(ころ)して……。でも、その(まえ)にあたしを……」


その気持(きも)ちにおそれはあったが、(いつわ)りはなかった。


少女(しょうじょ)陶器(とうき)のようにすべらかな(ほお)が、()()鮮血(せんけつ)(あか)()められてゆく。


(かれ)()()まるのなら本望(ほんもう)だと、()げているように。


彼女(かのじょ)(しず)かな情熱(じょうねつ)(こころ)をうたれた。


同時(どうじ)(くる)おしいような、(いま)すぐ()きしめたくなるようなせつない気持(きも)ちに(おそ)われた。


「……ずるいな……(きみ)は……ほんとうに」


()けたとでもいうように、(かた)をおとしてかすかに(わら)う。


「どうして?」


「だって、できるわけないじゃないか……」


……こんなに(あい)してるんだから。


言葉(ことば)には()さずにくちづけを()わした。


(はじ)めてのキスもこんな(ふう)にかすかに(さび)(あじ)がした。



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