3.甘い砂糖菓子の夜

文字数 3,895文字




屋敷(やしき)のほとんどが照明(しょうめい)()とし、漆黒(しっこく)(やみ)(つつ)まれた夜更(よふ)け。


闇夜(やみよ)にぽつんと(ひか)窓辺(まどべ)がひとつ。


その部屋(へや)片隅(かたすみ)で、少年(しょうねん)少女(しょうじょ)(かげ)がひとつに(かさ)なっている。


()きな(ひと)とのキスは、どうしてこんなに(あま)いんだろう……?)


からだ(じゅう)(ねつ)()かされたように()けだしそうになりながらも、少女(しょうじょ)はあまい砂糖菓子(さとうがし)をねだる子供(こども)のようにキスをせがんだ。


「──(きみ)(ぼく)(ころ)()かい?」


もう何度目(なんどめ)かもわからなくなったくちづけのあと、ロジオンは罪深(つみぶか)いものを()るようなそんな()つきで、少女(しょうじょ)耳元(みみもと)(やわ)らかい口調(くちょう)でささやいた。


()まれてこのかた、こんなに物騒(ぶっそう)なことを()われてときめいたことはない。


(あたしのほうこそ、もう何回(なんかい)あなたに(ころ)されかけているのかしら……?)


無条件(むじょうけん)(かれ)降伏(こうふく)しそうになったが、それは自分(じぶん)(むね)のうちだけに(とど)めた。


アナベルはこれ以上彼(いじょうかれ)意識(いしき)がのさばることのないように、とがめるように(かれ)(こば)んだ。


(……そんなこと、ぜったいに(くち)にだして()わない。だって、くやしいもの。あたしがこんなにもあなたに夢中(むちゅう)だって、これ以上知(いじょうし)られたくないから……)


そんな彼女(かのじょ)異変(いへん)()づくと、かえって()えあがったのか。


壁際(かべぎわ)まで()いつめて()げられないようにしてからくちびるを(ふさ)ぐ。


退路(たいろ)()つような強引(ごういん)なキスに、その性急(せいきゅう)さにすこし不安(ふあん)(おそ)われながらも、アナベルはふたたび(かれ)(あつ)(した)()()れた。

        ☆

うとうととまどろみながら、(まぶた)をうすく()けてぼんやり天井(てんじょう)見上(みあ)げる。


(ぬの)のすき()から容赦(ようしゃ)なく(ひかり)()しこんでくるので、どうしても細目(ほそめ)になってしまうが、おぼろげに(もの)輪郭(りんかく)がくっきりと()えはじめる。


そして、ようやく目覚(めざ)めてから(かん)じていた違和感(いわかん)正体(しょうたい)にたどりついた。


ここが(あき)らかに自分(じぶん)客室(きゃくしつ)ではないことに()づくと、(かれ)即座(そくざ)にベットから()()きた。


「……どうなってるんだ……?」


自分(じぶん)()かれている状況(じょうきょう)にしばらくついてゆけず、少年(しょうねん)(おも)わずうめき(ごえ)をもらした。


(かれ)()(よこ)たえていたクイーンサイズの寝台(しんだい)は、豪華(ごうか)天蓋(てんがい)つきで優美(ゆうび)なドレープを何層(なんそう)にも()りなしながら、ベットの周囲(しゅうい)(おお)っている。


(ひか)えめな少女趣味(しょうじょしゅみ)といった部屋(へや)内装(ないそう)は、アナベルの部屋(へや)(つう)じるものがあった。


だが、見慣(みな)れた彼女(かのじょ)部屋(へや)とはだいぶ(こと)なっている。


たとえるなら可愛(かわい)らしい装飾品(そうしょくひん)。いわゆる雑多(ざった)(もの)がいっさい()かれていないのだ。


(おのれ)()てる(ちから)総動員(そうどういん)して、昨夜(さくや)記憶(きおく)必死(ひっし)にたどる。


(たしか(ぼく)は、アナベルに(さそ)われて彼女(かのじょ)部屋(へや)()って、それから……)


(おも)わず(かれ)身震(みぶる)いした。


よりによって(さけ)()んだところで、意識(いしき)がとだえているのだ──


(ゆか)には()()らかした衣類(いるい)とおぼしき布地(ぬのじ)が、なぜかところどころ点在(てんざい)して()ちている。


(ねむ)るときはいつも簡易(かんい)のローブに着替(きが)えるのだが、今日(きょう)はなぜか上半(じょうはん)身裸(しんはだか)だった。


いやな(あせ)背筋(せすじ)をつたって()りてゆく。


わるい予感(よかん)しかしない。


なにもやらかしていないことを(いの)りつつ、椅子(いす)()もたれに()かっていたシャツを(いそ)いで羽織(はお)ると、カフスのボタンを()める。


とつぜんノックの(おと)もしないで、(とびら)(ひら)いた。


「あっ!ごめん。もしかして、着替(きが)(ちゅう)?」


アナベルが戸口(とぐち)から(かお)をのぞかせたものの、()をきかせて廊下(ろうか)(もど)ろうとしたのをあわてて()()める。


強引(ごういん)部屋(へや)(まね)()れるようなかたちになったが、この際気(さいき)にしてはいられない。


彼女(かのじょ)事情(じじょう)()くのが先決(せんけつ)だ。


自分(じぶん)がおそろしくとりかえしのつかないことをしてしまっていないか、確認(かくにん)しなくてはならない。


(かれ)(こころ)奥底(おくそこ)から勇気(ゆうき)をふりしぼってたずねた。


「……ア、アナベル……。昨日(きのう)(よる)(ぼく)は………」


「……べつに、なにもなかったわよ……」


わざと視線(しせん)をそらすと、少女(しょうじょ)はどこか()ねたような(くち)ぶりで()った。


「そ、そう……?なら、()かった……」


あからさまにホッとした表情(ひょうじょう)になったロジオンを、面白(おもしろ)くなさそうな(かお)をして()つめている。


「……どうして、(おこ)ってるの?」


「……べつに……」


「やっぱり、(おこ)ってるじゃないか!」


「──(おぼ)えてないの?昨日(きのう)のこと──」


アナベルはなんともいえない複雑(ふくざつ)表情(ひょうじょう)(かれ)見上(みあ)げると、あきれたように(かた)からため(いき)をついた。

        ☆

くちづけに吐息(といき)()じりはじめたころ。


なぜかこれからというところで、とつぜんロジオンが自分(じぶん)から身体(からだ)()(はな)した。


アナベルが怪訝(けげん)(おも)って()つめると、(かれ)(くる)しそうに胸許(むなもと)()さえてうずくまってしまった。


「……うっ……」


「ちょっと、だいじょうぶ……?」


心配(しんぱい)そうに()()うアナベルをよそに、(かれ)はこともあろうに()のなかのものを、全部(ぜんぶ)()()したのだった……。


(……やっぱり、()ませすぎだったかしら……??)


あっけにとられている()に、ロジオンは(おと)()てて(ゆか)(たお)れこむと、そのまま気持(きも)ちよさそうに(ねむ)りについてしまった。


……まったくいい()なものである。


とり(のこ)されたアナベルはぼうぜんとして、ぬけ(がら)のようになってしまった。


いっきに()いも()めて、これからどうしようかと途方(とほう)()れた。


(たす)けを(もと)めようにも、ラグシードはまだ(かえ)ってきていなかった。


あの護衛(ごえい)はいつも、必要(ひつよう)なときにその()にいたためしがない。


ロジオンはいとも無防備(むぼうび)寝顔(ねがお)をさらしている。


あらぬ(うたが)いをかけられないよう使用人(しようにん)()ぶわけにもいかず、アナベルはたまらず(あね)のキャスリンに()きついた。


夜中(よなか)にたたき()こされて不機嫌(ふきげん)なうえに、とんでもない光景(こうけい)()せられて、さすがの(あね)言葉(ことば)をうしなった。


客人(きゃくじん)嘔吐(おうと)して、()(なが)して(たお)れているし、よく()ると(いもうと)(ほお)()がべったりとついている。


(ゆか)にはなぜか陶器(とうき)欠片(かけら)()らばっている。


一瞬(いっしゅん)暴力(ぼうりょく)でもふるわれたのだろうかと、()(まえ)がまっ(くら)になった。


事情(じじょう)()いてあきれ()てたものの、原因(げんいん)大半(たいはん)(さけ)をすすめたアナベルにあると結論(けつろん)づけた。


(よご)れてしまった(かれ)上着(うわぎ)()がすよう(いもうと)指示(しじ)()し、()のひらに包帯(ほうたい)()いて止血(しけつ)した。


そして(とな)りの部屋(へや)に、二人(ふたり)がかりで(かれ)(はこ)んだ。


(いもうと)恋人(こいびと)とはいえ、昼間(ひるま)とはうってかわってだらしない姿(すがた)にうんざりしたが、(ほう)っておくわけにもいかない。


(ちち)会議(かいぎ)今夜(こんや)屋敷(やしき)にいないことに感謝(かんしゃ)して、すべては秘密裏(ひみつり)のうちに(こと)なきを()た。


(……それにしても、ロジオンさんが酒癖(さけぐせ)がわるかったなんて……)


キャスリンは一人(ひとり)ごちた。欠点(けってん)意外(いがい)なところに(ひそ)んでいるものである。


(たしかにちょっと(すき)があったほうが、(おんな)はほだされるものだけど……)


ふと品行方正(ひんこうほうせい)だった祖父(そふ)が、()かけによらず酒好(さけず)きのうえに、()むと(まわ)りに迷惑(めいわく)をかける(ひと)だったことを(おも)()した。


両親(りょうしん)不在(ふざい)がちなこともあり、なにかと()にかけてくれる祖父(そふ)のことを、アナベルは父親代(ちちおやが)わりのように(した)っていた。


だが、()くも(わる)くも欠点(けってん)()()たりにすることなく祖父(そふ)()くなってしまった。


(いもうと)(おも)()のなかでは、(やさ)しく上品(じょうひん)規律正(きりつただ)しい祖父(そふ)姿(すがた)のままなのである。


無意識(むいしき)のうちに()たような(ひと)()きになっちゃったのかしら……?)


自分(じぶん)祖父(そふ)(べつ)(かお)()っていたため、無駄(むだ)にあこがれずにすんだのだが。


なにはともあれ、すべて穏便(おんびん)にかたはついた。


いずれこの穴埋(あなう)めとして、(いもうと)にめんどうな用事(ようじ)でも()いつけよう。


きっと文句(もんく)もいわず、率先(そっせん)して()()けることだろう。


満足(まんぞく)したとたん(おも)わずあくびがもれる。


(つき)(ひかり)()びて、キャスリンは(すこ)やかな(ねむ)りについた。

        ☆

「……なんか、その……。いろいろと……ごめん……」


アナベルから事情(じじょう)()いたあと、ロジオンは(こうべ)()れてがっくりとうなだれた。


ひどい()ちこみようだ。


無理(むり)もないだろう。(あな)があったら即座(そくざ)(はい)りたいような気分(きぶん)だ。


「……お(ねえ)さんには、ほんとうに(あたま)があがらないね……」


この(さき)、キャスリンと(かお)をあわせるのが、気恥(きは)ずかしくもゆううつなロジオンだった。


「すっごく大変(たいへん)だったんだから……!とうぶん飲酒(いんしゅ)禁止(きんし)ね」


「っていうか、()()にもなれないよ……」


うんざりしたように(あたま)(かか)えると、(かれ)はほとほと自分(じぶん)嫌気(いやけ)がさしたとばかりに、(かた)から(おも)いため(いき)()いた。


「それにしても、どのあたりから記憶(きおく)がないの?」


「ええっと……。子供(こども)のころの(はなし)っていうか、お祖父様(じいさま)(はなし)をしたような()がするんだけど……」


「したけど、それだけ?」


「……うん。その(あと)はさっぱり……」


「そう」


アナベルは内心(ないしん)ほっとしていた。


ロジオンの態度(たいど)急変(きゅうへん)したきっかけにもなった、カプリナ湖畔(こはん)(つた)わるという陶器(とうき)白鳥(はくちょう)


あれにまつわる出来事(できごと)は、できれば(わす)れてほしいと(おも)っていたからだ。


(でも、あんな(ふう)(おも)われてるなんて、意外(いがい)だったな。ロジオンって普段(ふだん)はあんまり言葉(ことば)態度(たいど)にだしてくれないから……。ちょっとは(あい)されてるって、あたしも自信持(じしんも)っていいのかな……?)


ふと(かれ)視線(しせん)をあわせると、なにやら不安(ふあん)そうにこちらをうかがっている。


「アナベル……。昨夜(さくや)のことで(ぼく)軽蔑(けいべつ)した?」


「ちょっと、おどろきはしたけど……べつに許容範囲(きょようはんい)だわ」


するとロジオンのほうから、こらえきれずに(はなし)()りだしてきた。


「べつに(きみ)無理(むり)する必要(ひつよう)はないんだ。正直(しょうじき)()ってくれてかまわない。(ぼく)はどうやら相当(そうとう)酒癖(さけぐせ)がわるいみたいだから……」


そのいかにもばつが(わる)そうなようすを()て、少女(しょうじょ)(おも)わずくすっと(わら)ってしまった。


「あなただから(ゆる)せるのよ?ほかの(おとこ)だったらぜったい我慢(がまん)できない!」


「……そっか。ありがとう……」


そのままぎゅうっと()きしめられ、(はだか)(むね)(かお)()しつけられて、アナベルは赤面(せきめん)した。


開襟(かいきん)したシャツの隙間(すきま)から、しなやかに()()まった異性(いせい)(はだ)(かん)じられたからだ。


(ときどき(みょう)(おとこ)っぽいのは、反則(はんそく)だわ……)


(へん)息苦(いきぐる)しさに見舞(みま)われながらも、少女(しょうじょ)はおずおずと(かれ)背中(せなか)()をまわした。


なんだかんだで、(あま)砂糖菓子(さとうがし)(くち)にふくんでいるような(しあわ)せな一日(いちにち)だった。



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