3.夢見る蝶は突然に

文字数 2,268文字




おそらく白昼夢(はくちゅうむ)でも()ていたのだと(おも)う。


ふんわりとした天蓋(てんがい)のベットに(つつ)まれてうたた()していた少女(しょうじょ)は、さっき()(ゆめ)記憶(きおく)()でるように反芻(はんすう)していた。


少女(しょうじょ)(ゆめ)(なか)で、なぜか(ちょう)姿(すがた)になっていた。


眼下(がんか)(ひろ)がる雄大(ゆうだい)景色(けしき)をながめながら、(ちょう)になった少女(しょうじょ)大空(おおぞら)をたゆたっていた。


そこはまだ氷雪(ひょうせつ)(のこ)山岳(さんがく)におおわれた、人里離(ひとざとはな)れた(おか)(うえ)


(はな)(かお)りに(さそ)われるようにして地上(ちじょう)楽園(らくえん)まで()んでゆくと………


高山植物(こうざんしょくぶつ)()きほこる野原(のはら)(いだ)かれて、少年(しょうねん)一人(ひとり)、まるでこと()れたかのように(しず)かに(ねむ)っている──


だれにも邪魔(じゃま)されない(ねむ)り──
けだるげで(あま)(かお)りの昼下(ひるさ)がり。


しかし、少女(しょうじょ)(おも)昼寝(ひるね)のイメージとはほど(とお)く、夢見(ゆめみ)はあまりおもわしくはなさそうだった。


くるしそうに煩悶(はんもん)したあと、(ひたい)(あせ)をうかべて少年(しょうねん)は、(おも)(まぶた)をかろうじて見開(みひら)いた。


「………(ゆめ)か………」


何億人(なんおくにん)もの人々(ひとびと)がつぶやいたであろう言葉(ことば)をうめいてから、(かれ)はなまなましく(のこ)っている悪夢(あくむ)痕跡(こんせき)(ぬぐ)()るかのように(そら)(あお)いだ。


(てん)をつきぬけるような紺碧(こんぺき)(そら)


その(いろ)()気高(けだか)(ひとみ)はどこかさびしげで、(なが)れる(くも)(うご)きを()いながら、はるか(とお)くを()がれるようなまなざしで()つめている。


(かぜ)(わた)(くも)か………。どこか(とお)くへ(ぼく)(はこ)んでいってくれないかな」


ざらついた悪夢(あくむ)光景(こうけい)が、はるか彼方(かなた)()()んでくれるよう(いの)りながら、少年(しょうねん)(ちゅう)をつかもうとするように大空(おおぞら)()()ばすと、じっと虚空(こくう)()つめた。


その()のひらには、まだ()えない傷痕(しょうこん)がくっきりと(きざ)まれている。


傷跡(しょうこん)()つめる少年(しょうねん)(ひとみ)に、(ふか)記憶(きおく)(ふち)からよみがえった苦悩(くのう)(なみ)が、どっと()しよせた。


──幸福(こうふく)はいつだって(なが)くは(つづ)かなかった。


不幸(ふこう)という()()から(まも)ろうと必死(ひっし)()じた(ゆび)のすきまから、こぼれるようにすべり()ちていってしまったもの。


(あい)する(ひと)(しあわ)せだったころの自分(じぶん)………。


とうの(むかし)(うしな)ってしまった大切(たいせつ)なものを、この旅立(たびだ)ちで自分(じぶん)はとり(もど)すことはできるのだろうか………?


「………(しあわ)せが()げてゆく。(ぼく)はもうそれを()にする資格(しかく)なんてないのかな………」


とりとめのない(おも)いを(むね)()いて、(かれ)虚空(こくう)にむかってそうつぶやいた。


しばらくそうして(よこ)たわっていたが、ふっと(われ)(かえ)って()ちあがると、(かれ)はおもむろに自分(じぶん)墓地(ぼち)へむかう途中(とちゅう)だったことを(おも)()した。


花畑(はなばたけ)をなぶるように(かぜ)がわたっていった。


(はる)とはいえ山岳地帯(さんがくちたい)(かぜ)は、()()るようにつめたい。


「いけない。(はな)(さが)さないといけないな………。綺麗(きれい)(はな)を………」


 (おか)(うえ)墓標(ぼひょう)にたむける(はな)(さが)して、少年(しょうねん)故郷(こきょう)である最果(さいは)ての()(ある)きだした。


そのころ(ちょう)になった少女(しょうじょ)はというと──


丘陵(きゅうりょう)花園(はなぞの)をさすらい()ぶうちに、いつの()にか風に(なが)されてしまったらしい。


(──きゃっ!)


突風(とっぷう)()き、(こころ)(なか)(おも)わずちいさな悲鳴(ひめい)をあげる。


(おも)いがけない強風(きょうふう)におどろき(はね)()ざしていたものの、ふいに少女(しょうじょ)(あたた)かいものに()()められたような()がした。


やがて陽光(ようこう)()し、ゆったりと(はね)(ひろ)げるとそこには………。


吐息(といき)がふれそうなほど(ちか)くに、あの少年(しょうねん)(かお)があった。


「………(ちょう)………?」


少年(しょうねん)()のひらに(つつ)まれたままジッと()つめられ、その(くちびる)からとまどうような(こえ)(はっ)せられると、少女(しょうじょ)心臓(しんぞう)がどきんっと(はげ)しく波打(なみう)った。


「それにしても(みょう)だな。こんな(ちょう)(はね)(いろ)(はじ)めて()る………まるで(にじ)のようだ」


不思議(ふしぎ)なものを(ひとみ)(うつ)して、少年(しょうねん)(おどろ)いた(とき)のくせで数度(すうど)まばたきすると、(くび)をかしげながらつぶやいた。


「おいで………こわがらなくてもいいんだよ?」


()げられないように細心(さいしん)注意(ちゅうい)しながら、少年(しょうねん)()にもめずらしい(ちょう)自分(じぶん)指先(ゆびさき)()まらせた。


その繊細(せんさい)なあつかいに警戒(けいかい)をゆるめたのか、(ちょう)(ゆび)(うえ)七色(なないろ)光彩(こうさい)(はな)ちながら可憐(かれん)()ばたいてみせた。


(ぼく)のいる場所(ばしょ)まで()んできてくれたのかい?」


(ちょう)になった少女(しょうじょ)高原(こうげん)()(はな)のように、生命(せいめい)息吹(いぶき)()ちあふれている。


無性(むしょう)にいとおしくなって少年(しょうねん)はまぶしそうに(あお)()(ほそ)めると、微笑(ほほえ)んでからそっと(やさ)しくキスをした。


瞬間(しゅんかん)魔法(まほう)発動(はつどう)したかのようだった。


「………()えた………?」


ぼうぜんと()ちつくす少年(しょうねん)(のこ)して、七色(なないろ)(ちょう)ははかなく()えていた。


道先案内人(みちさきあんないにん)はいつだって()まぐれで、魔法(まほう)をかけては行路(こうろ)()えなくさせてしまう。


まるで『旅人(たびびと)(まど)わせるのが自分(じぶん)役目(やくめ)』、だとでもいうかのように。


二人(ふたり)()(はな)すように無常(むじょう)(かぜ)()きすぎて、ふわりと少女(しょうじょ)のからだを(はこ)んでゆく。


かすみがかった(しろ)いもやに(つつ)まれ、意識(いしき)(とお)のき(ゆめ)世界(せかい)から(はな)れてゆくのを(かん)じる。


少女(しょうじょ)(ゆめ)現実(げんじつ)のはざまを(ただよ)い、ややおそい(あさ)(ひかり)()びて()()ます………。


          ☆


「──ふうん、想像以上(そうぞういじょう)にロマンチック」


(はなし)()()えて、キャスリンは()をしばたたかせると、ティーカップのお(ちゃ)平然(へいぜん)()みほした。


そして、なにごともなかったかのように店員(てんいん)()()め、淡々(たんたん)(つぎ)(しな)注文(ちゅうもん)している。


そんな(あね)姿(すがた)を、アナベルは(しん)じられない(もの)でも()るような()()つめていた。


「えっと………感想(かんそう)はそれだけ?」


自分(じぶん)のなかにある硝子細工(がらすざいく)のように(きず)つきやすい乙女心(おとめごころ)を、(おも)いきってさし()したというのに………。


まるで理解(りかい)されなかった()がして、アナベルは失意(しつい)とともに(すこ)しだけ(いか)りがこみあげてきた。


(お(ねえ)さまになんか(はな)さなければよかった──)


せっかく秘密(ひみつ)()()けたというのに、その代価(だいか)がたった一言(ひとこと)だけ。


(しかもちょっと小馬鹿(こばか)にしたような(かん)じだったわ。あんまりよ!)


アナベルはそう不満(ふまん)をうったえようとした。


しかし、(つぎ)一言(ひとこと)で、あっという()彼女(かのじょ)(だま)りこんでしまった。


「でも、そんな(ひと)出逢(であ)えたらいいわね」



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