3.心のやすらぎをあなたに……

文字数 3,717文字




眠気(ねむけ)(さそ)われて()らぬ()に、(ゆめ)世界(せかい)にいざなわれていたようだ。


まだ、(ゆめ)(なか)にいたかったのに……。


心臓(しんぞう)から()をたえず(なが)しているような。
そんな(きず)だらけの青年(せいねん)を……。


名前(なまえ)()らない(かれ)』を(なぐさ)めることができたなら。ああ、どんなにか自分(じぶん)幸福(こうふく)につつまれただろう?


それなのに……!!


(おも)(びと)のいる夢幻(むげん)(とびら)容赦(ようしゃ)なく()ざされ。永久(えいきゅう)隔絶(かくぜつ)されるようにして、現実(げんじつ)()いもどってきてしまった。


(むね)(おく)がせつなくて(なみだ)がとまらない。


そんな(にが)くて(あま)余韻(よいん)(ひた)っていたのも、ほんのわずかの(あいだ)……。


(ゆめ)から()めると()(とお)った()をした、黒髪(くろかみ)少年(しょうねん)自分(じぶん)見下(みお)ろしていた。


エメラルドグリーンの()んだ瞳孔(どうこう)に、おぼろげに少女(しょうじょ)姿(すがた)(うつ)しだされている。


(……見知(みし)らぬ少年(しょうねん)……)


レクシーナは(こころ)(なか)でそうつぶやいてから、ソファーからゆっくりと()()こした。


「……(ねむ)(ひめ)のお目覚(めざ)めだね……」


少年(しょうねん)はあどけない(かお)のわりにはませた台詞(せりふ)をささやいて、少女(しょうじょ)双眸(そうぼう)をじっと()つめた。


(おさな)いなりにも神秘的(しんぴてき)(ひとみ)(はな)つその(かがや)きに、()いこまれそうになりレクシーナはどぎまぎした。


「あの……あなたは……?」


「お(ねえ)ちゃん、()いてたみたいだけど、どうしたの?」


質問(しつもん)質問(しつもん)(かえ)される。


戸惑(とまど)いながらもあわてて(なみだ)()(こう)でぬぐうと、


「わたしならなんでもないの。それよりあなたはどうしてここにいるの?お(とう)さんやお(かあ)さんは?(だれ)かと一緒(いっしょ)じゃないの?」


つい疑問符(ぎもんふ)(つぎ)から(つぎ)へとわいてきて、矢継(やつ)(ばや)質問(しつもん)してしまったせいだろうか。(しょう)(ねん)(おどろ)いたようすで()(だま)ってしまった。


「……ごめんなさい。びっくりしたでしょう?でも、あなたみたいな(ちい)さな()部屋(へや)にいるのが、なんだかとても不思議(ふしぎ)で……」


せいいっぱい(やさ)()微笑(びしょう)をうかべて、(おとこ)()(かお)()つめる。


()()から推察(すいさつ)するにかなり(おさな)く、自分(じぶん)年齢(ねんれい)半分(はんぶん)にも()たないだろう。


しかも独特(どくとく)雰囲気(ふんいき)(はな)っているせいか、かなり大人(おとな)っぽく()える。


(ほん)()めつくされた(かべ)背景(はんけい)に、フリルのブラウスにサスペンダー()きの(はん)ズボン姿(すがた)。という少女趣味(しょうじょしゅみ)()()ちで(かれ)()った。


「……えらい(ひと)とおはなしするから、たいくつならお屋敷(やしき)のなかを探検(たんけん)しておいでって……」


大人(おとな)にそう()われたと説明(せつめい)する。


叔父(おじ)客人(きゃくじん)息子(むすこ)……なのかもしれない。とレクシーナは見当(けんとう)をつけた。


父親(ちちおや)隣国(りんごく)()かけて不在(ふざい)のため、政務(せいむ)(おとうと)である叔父(おじ)()仕切(しき)ってくれていた。


(かれ)客人(きゃくじん)ならば、自分(じぶん)()らない少年(しょうねん)出入(でい)りしていてもなんら不思議(ふしぎ)はない。


まだ無邪気(むじゃき)(とし)ごろだ。冒険気分(ぼうけんきぶん)(ある)きまわっているうちに迷子(まいご)になって、こんな屋敷(やしき)のはずれまで()てしまったのだろう。


「かってに(はい)ってごめんなさい。部屋(へや)のなかから(あま)(かお)りがしたの……だから……」


迷宮(めいきゅう)のような広大(こうだい)屋敷(やしき)をさまよって。
なんとなく心細(こころぼそ)くなり、おまけにお(なか)もすいてきた。


そうして(かぎ)のかかっていないこの部屋(へや)に、お菓子(かし)のにおいに(さそ)われるまま(はい)ってきてしまったのだ。


「……いいのよ。()にしないで」


レクシーナはくすりと微笑(ほほえ)んで、少年(しょうねん)遠慮(えんりょ)しないでとお菓子(かし)をすすめようとした。


ところが……。


「もう、()べちゃってるよ。だがら、ごめんってあやまったんだけど?」


(かれ)(かた)をすくめると、へいぜんとしたようすで少女(しょうじょ)(とな)りに(すわ)った。


よく()るとテーブルの(うえ)には、小皿(こざら)()りつけてあったカップケーキが、すでにいくつか(から)になっていた。


あたり一面(いちめん)盛大(せいだい)に、お菓子(かし)のくずをぽろぽろとこぼしている。


かなりずうずうしい。というかちゃっかりした性格(せいかく)のようだ。


さっそくケーキスタンドの菓子(かし)目移(めうつ)りしたようで、(ちい)さな一口(ひとくち)サイズの()菓子(がし)()をのばした。


()()とクリームを生地(きじ)(あいだ)にはさんだ、(やわ)らかくてやみつきになる触感(しょっかん)のクッキーだ。


「ところで、(ひろ)いお屋敷(やしき)にすんでるけど、お(ねえ)ちゃんは貴族(きぞく)なの?」


()()なくもぐもぐと(くち)(うご)かしながら、(かれ)はレクシーナにたずねた。


「えっ、ええ……そうだけど……」


「やっぱりお(ひめ)さまか……。そのわりには、お(ねえ)ちゃん。なんか地味(じみ)だね」


一瞬(しっしゅん)(こお)りついてしまった。


自分(じぶん)でも自覚(じかく)しているコンプレックスを()()けに指摘(してき)され、相手(あいて)子供(こども)といえどもショックで言葉(ことば)をうしなってしまったのだ。


大人(おとな)のように忖度(そんたく)せず、(おも)ったことをそのまま発言(はつげん)する。


子供(こども)らしい無邪気(むじゃき)残酷(ざんこく)さだ。


レクシーナがなにも()えずに沈黙(ちんもく)していると、


「……でも、よぅく()ると愛嬌(あいきょう)がある。そんなふうに()えなくもないよ」


さらりと気障(きざ)なことを(くち)にして、余裕(よゆう)たっぷりに微笑(ほほえ)む。そうして相手(あいて)がとまどう姿(すがた)(たの)しんでいるのだ。


(……まだ(ちい)さいのに、なんておませな()なんだろう……)


少女(しょうじょ)はあっけにとられながら、少年(しょうねん)社交術(しゃこうじゅつ)(はや)くも脱帽(だつぼう)していた。


自分(じぶん)もこの()のように洒脱(しゃだつ)会話(かいわ)をする(すべ)()っていればいいのに。そう()()をかえりみてうらやましく(おも)った。


なんて自分(じぶん)朴訥(ぼくとつ)不器用(ぶきよう)なのだろう。


こんなに(おさな)いのに、(かれ)洗練(せんれん)されていて本物(ほんもの)貴族(きぞく)のように()えた。


とはいえ、少年(しょうねん)両足(りょうあし)(ゆか)にとどかないので、たえず(あし)交互(こうご)にぶらぶらさせながら、()菓子(がし)をほうばっていた。


その姿(すがた)子供(こども)らしくかわいいので、()ていて(こころ)がなごんだ。


「……美味(おい)しい?」


「まずかったら、()べてないよ」


皮肉(ひにく)()いた()りかえしで、それまでの子供(こども)らしさがどこかへ払拭(ふっしょく)される。


少年(しょうねん)はやや()(なが)(ひとみ)をわずかに(ほそ)めた。


「……お(ねえ)ちゃんはなんで、こんなさびしいところに()じこもってるの?」


核心(かくしん)をついたようなその質問(しつもん)に、レクシーナははっとしたように()をこわばらせた。


だが一呼吸置(ひとこきゅうお)いて、自然(しぜん)(くちびる)(うご)いていた。


普通(ふつう)のひとより臆病(おくびょう)なの。ひとと(せっ)して(きず)つくのがこわい……。それでこんな屋敷(やしき)(おく)でだれとも()わずにひとりでいるの……。だから、()()めたらあなたがいて、びっくりした」


いままでこんなことを人前(ひとまえ)(くち)にしたことはない。


魔法(まほう)のように()(まえ)にあらわれた。不可思議(ふかしぎ)少年(しょうねん)(ひとみ)にゆり(うご)かされたのかもしれない。


(だれ)かを彷彿(ほうふつ)とさせる(おとこ)()姿(すがた)に、おもいがけず(こころ)をひらかされてしまったのだ。


「ぼくもね……あるよ。お(ねえ)ちゃんみたいな気持(きも)ちになること……」


「あなたも……?」


少年(しょうねん)はこくりと(くび)一度(いちど)だけたてにふると、(つづ)けてこう()った。


「ぼくたちはどこか()ているのかもね」


(とお)くのほうへ視線(しせん)をなげかけて、やや(かげ)りのある横顔(よこがお)(かれ)はつぶやいた。


その(こえ)はうつろに空間(くうかん)(ひび)いて()えた。


静寂(せいじゃく)()りてきて、二人(ふたり)ともしばらく無言(むごん)になる。さすがに()まずくなってレクシーナは、そろそろ(ひと)()ぼうかと()ちあがった。


この()(おや)心配(しんぱい)しているかもしれない──


だが、(とびら)のほうへ(ある)きかけて、その(あゆ)みが(きゅう)にとまった。


「──いかないで──。ここにいて……!」


スカートの(はし)をぎゅっとつかんで、ささやくような(こえ)()きとめられたのだ。


()()をさまよう見捨(みす)てられた子羊(こひつじ)のように。()れからはぐれてしまった心細(こころぼそ)心情(しんじょう)(ひとみ)宿(やど)して、自分(じぶん)をじっと見上(みあ)げる。


「さびしいのはイヤなんだ。ぼく……」


少女(しょうじょ)(はげ)しく(むね)をつかれ、少年(しょうねん)()われるままにこの()()みとどまってしまった。


そして、これでいいのだろうかと()てしなく逡巡(しゅんじゅん)しつつ、ふたたび少年(しょうねん)のとなりに(すわ)った。すると──


「……ぼくを()いていかないで。一人(ひとり)にしないで……!!」


少年(しょうねん)がとつぜん()きついてきて、切羽(せっぱ)つまった口調(くちょう)でそれだけつぶやいた。


(おさな)さの(のこ)るあどけない(ひとみ)物語(ものがた)るもの。


()てしない索漠(さくばく)とした荒野(こうや)のような。空虚(くうきょ)殺伐(さつばつ)とした心象風景(しんしょうふうけい)のようなものが()(かく)れして……。


その鮮烈(せんれつ)なイメージが(つた)えてくる恐怖(きょうふ)混沌(こんとん)。おそろしさのあまり、レクシーナは狼狽(ろうばい)してすくんだように(うご)けないでいた。


どくんどくんと心臓(しんぞう)鼓動(こどう)が、早鐘(はやがね)連打(れんだ)するようにきこえる。


このまま少年(しょうねん)()をふりほどいて、()げてしまいたかった。


だが、一度(いちど)だけ(こし)をうかせて()ちがあがりかけたものの、やはり見捨(みす)てることはできないと(おも)いとどまった。


(かれ)安心(あんしん)させてあげようと必死(ひっし)で、でもどうしたら()いのかわからなかった。


『ぼくたちはどこか()ているのかもね』


ふっと、記憶(きおく)(ふち)から()()したように、みずみずしくその(こえ)がよみがえってきた。


少年(しょうねん)自分(じぶん)にむけてつぶやいた言葉(ことば)を、レクシーナは(こころ)のうちで反芻(はんすう)する。


(この()孤独(こどく)なのかもしれない……)


そう(おも)うといても()ってもいられず、少女(しょうじょ)はそっとやさしく少年(しょうねん)()きしめ(かえ)した。


(うで)のなかでかすかに反応(はんのう)があった。


少年(しょうねん)のはっとしたような(いき)づかいが(つた)わってきた。それと同様(どうよう)に、やすらぎの(なか)にいるようなやさしい心音(しんおん)が。


(ちい)さな子供(こども)のにおいがする。あたたかくてやわらかい感触(かんしょく)。その(ぬく)もりに(こころ)がじんわりした。


(……不思議(ふしぎ)()……。こうしていると()()く……)


それは人見知(ひとみし)りなレクシーナの(こころ)()かすほど、特別(とくべつ)出逢(であ)いだったのかもしれない。


きっと、(ほう)っておいても(だれ)かが(さが)しにくるだろう。それまでこの()のそばで()りそってあげよう。


そうすることで、(かれ)言葉(ことば)にならないさみしさが(いや)されるならば……。


(いつく)しみに()ちあふれた表情(ひょうじょう)で、レクシーナは(しず)かにそう決意(けつい)した。


自分(じぶん)少年(しょうねん)からもらった、()()えないけれどあたたかいもの。その純真(じゅんしん)(おも)いに(むく)いたいと。


それが心根(こころね)のやさしい彼女(かのじょ)ならではの、いわゆる『情愛(じょうあい)(あかし)』だともといえた。



       番外編(ばんがいへん)4へつづく……

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み