眠気に
誘われて
知らぬ
間に、
夢の
世界にいざなわれていたようだ。
まだ、
夢の
中にいたかったのに……。
心臓から
血をたえず
流しているような。
そんな
傷だらけの
青年を……。
『
名前も
知らない
彼』を
慰めることができたなら。ああ、どんなにか
自分は
幸福につつまれただろう?
それなのに……!!
想い
人のいる
夢幻の
扉は
容赦なく
閉ざされ。
永久に
隔絶されるようにして、
現実に
舞いもどってきてしまった。
胸の
奥がせつなくて
涙がとまらない。
そんな
苦くて
甘い
余韻に
浸っていたのも、ほんのわずかの
間……。
夢から
醒めると
透き
通った
目をした、
黒髪の
少年が
自分を
見下ろしていた。
エメラルドグリーンの
澄んだ
瞳孔に、おぼろげに
少女の
姿が
映しだされている。
(……
見知らぬ
少年……)
レクシーナは
心の
中でそうつぶやいてから、ソファーからゆっくりと
身を
起こした。
「……
眠り
姫のお
目覚めだね……」
少年はあどけない
顔のわりにはませた
台詞をささやいて、
少女の
双眸をじっと
見つめた。
幼いなりにも
神秘的な
瞳が
放つその
輝きに、
吸いこまれそうになりレクシーナはどぎまぎした。
「あの……あなたは……?」
「お
姉ちゃん、
泣いてたみたいだけど、どうしたの?」
質問に
質問で
返される。
戸惑いながらもあわてて
涙を
手の
甲でぬぐうと、
「わたしならなんでもないの。それよりあなたはどうしてここにいるの?お
父さんやお
母さんは?
誰かと
一緒じゃないの?」
つい
疑問符が
次から
次へとわいてきて、
矢継ぎ
早に
質問してしまったせいだろうか。
少年は
驚いたようすで
押し
黙ってしまった。
「……ごめんなさい。びっくりしたでしょう?でも、あなたみたいな
小さな
子が
部屋にいるのが、なんだかとても
不思議で……」
せいいっぱい
優し
気な
微笑をうかべて、
男の
子の
顔を
見つめる。
見た
目から
推察するにかなり
幼く、
自分の
年齢の
半分にも
満たないだろう。
しかも
独特の
雰囲気を
放っているせいか、かなり
大人っぽく
見える。
本で
埋めつくされた
壁を
背景に、フリルのブラウスにサスペンダー
付きの
半ズボン
姿。という
少女趣味な
出で
立ちで
彼は
言った。
「……えらい
人とおはなしするから、たいくつならお
屋敷のなかを
探検しておいでって……」
大人にそう
言われたと
説明する。
叔父の
客人の
息子……なのかもしれない。とレクシーナは
見当をつけた。
父親が
隣国に
出かけて
不在のため、
政務は
弟である
叔父が
取り
仕切ってくれていた。
彼の
客人ならば、
自分が
知らない
少年が
出入りしていてもなんら
不思議はない。
まだ
無邪気な
年ごろだ。
冒険気分で
歩きまわっているうちに
迷子になって、こんな
屋敷のはずれまで
来てしまったのだろう。
「かってに
入ってごめんなさい。
部屋のなかから
甘い
香りがしたの……だから……」
迷宮のような
広大な
屋敷をさまよって。
なんとなく
心細くなり、おまけにお
腹もすいてきた。
そうして
鍵のかかっていないこの
部屋に、お
菓子のにおいに
誘われるまま
入ってきてしまったのだ。
「……いいのよ。
気にしないで」
レクシーナはくすりと
微笑んで、
少年に
遠慮しないでとお
菓子をすすめようとした。
ところが……。
「もう、
食べちゃってるよ。だがら、ごめんってあやまったんだけど?」
彼は
肩をすくめると、へいぜんとしたようすで
少女の
隣りに
座った。
よく
見るとテーブルの
上には、
小皿に
盛りつけてあったカップケーキが、すでにいくつか
空になっていた。
あたり
一面に
盛大に、お
菓子のくずをぽろぽろとこぼしている。
かなりずうずうしい。というかちゃっかりした
性格のようだ。
さっそくケーキスタンドの
菓子に
目移りしたようで、
小さな
一口サイズの
焼き
菓子に
手をのばした。
木の
実とクリームを
生地の
間にはさんだ、
柔らかくてやみつきになる
触感のクッキーだ。
「ところで、
広いお
屋敷にすんでるけど、お
姉ちゃんは
貴族なの?」
絶え
間なくもぐもぐと
口を
動かしながら、
彼はレクシーナにたずねた。
「えっ、ええ……そうだけど……」
「やっぱりお
姫さまか……。そのわりには、お
姉ちゃん。なんか
地味だね」
一瞬、
凍りついてしまった。
自分でも
自覚しているコンプレックスを
明け
透けに
指摘され、
相手が
子供といえどもショックで
言葉をうしなってしまったのだ。
大人のように
忖度せず、
思ったことをそのまま
発言する。
子供らしい
無邪気な
残酷さだ。
レクシーナがなにも
言えずに
沈黙していると、
「……でも、よぅく
見ると
愛嬌がある。そんなふうに
見えなくもないよ」
さらりと
気障なことを
口にして、
余裕たっぷりに
微笑む。そうして
相手がとまどう
姿を
楽しんでいるのだ。
(……まだ
小さいのに、なんておませな
子なんだろう……)
少女はあっけにとられながら、
少年の
社交術に
早くも
脱帽していた。
自分もこの
子のように
洒脱な
会話をする
術を
知っていればいいのに。そう
我が
身をかえりみてうらやましく
思った。
なんて
自分は
朴訥で
不器用なのだろう。
こんなに
幼いのに、
彼は
洗練されていて
本物の
貴族のように
見えた。
とはいえ、
少年は
両足が
床にとどかないので、たえず
足を
交互にぶらぶらさせながら、
焼き
菓子をほうばっていた。
その
姿が
子供らしくかわいいので、
見ていて
心がなごんだ。
「……
美味しい?」
「まずかったら、
食べてないよ」
皮肉の
効いた
切りかえしで、それまでの
子供らしさがどこかへ
払拭される。
少年はやや
切れ
長の
瞳をわずかに
細めた。
「……お
姉ちゃんはなんで、こんなさびしいところに
閉じこもってるの?」
核心をついたようなその
質問に、レクシーナははっとしたように
身をこわばらせた。
だが
一呼吸置いて、
自然と
唇が
動いていた。
「
普通のひとより
臆病なの。ひとと
接して
傷つくのがこわい……。それでこんな
屋敷の
奥でだれとも
逢わずにひとりでいるの……。だから、
目が
覚めたらあなたがいて、びっくりした」
いままでこんなことを
人前で
口にしたことはない。
魔法のように
目の
前にあらわれた。
不可思議な
少年の
瞳にゆり
動かされたのかもしれない。
誰かを
彷彿とさせる
男の
子の
姿に、おもいがけず
心をひらかされてしまったのだ。
「ぼくもね……あるよ。お
姉ちゃんみたいな
気持ちになること……」
「あなたも……?」
少年はこくりと
首を
一度だけたてにふると、
続けてこう
言った。
「ぼくたちはどこか
似ているのかもね」
遠くのほうへ
視線をなげかけて、やや
翳りのある
横顔で
彼はつぶやいた。
その
声はうつろに
空間に
響いて
消えた。
静寂が
降りてきて、
二人ともしばらく
無言になる。さすがに
気まずくなってレクシーナは、そろそろ
人を
呼ぼうかと
立ちあがった。
この
子の
親も
心配しているかもしれない──
だが、
扉のほうへ
歩きかけて、その
歩みが
急にとまった。
「──いかないで──。ここにいて……!」
スカートの
端をぎゅっとつかんで、ささやくような
声で
引きとめられたのだ。
荒れ
地をさまよう
見捨てられた
子羊のように。
群れからはぐれてしまった
心細い
心情を
瞳に
宿して、
自分をじっと
見上げる。
「さびしいのはイヤなんだ。ぼく……」
少女は
激しく
胸をつかれ、
少年に
言われるままにこの
場に
踏みとどまってしまった。
そして、これでいいのだろうかと
果てしなく
逡巡しつつ、ふたたび
少年のとなりに
座った。すると──
「……ぼくを
置いていかないで。
一人にしないで……!!」
少年がとつぜん
抱きついてきて、
切羽つまった
口調でそれだけつぶやいた。
幼さの
残るあどけない
瞳が
物語るもの。
果てしない
索漠とした
荒野のような。
空虚で
殺伐とした
心象風景のようなものが
見え
隠れして……。
その
鮮烈なイメージが
伝えてくる
恐怖と
混沌。おそろしさのあまり、レクシーナは
狼狽してすくんだように
動けないでいた。
どくんどくんと
心臓の
鼓動が、
早鐘を
連打するようにきこえる。
このまま
少年の
手をふりほどいて、
逃げてしまいたかった。
だが、
一度だけ
腰をうかせて
立ちがあがりかけたものの、やはり
見捨てることはできないと
思いとどまった。
彼を
安心させてあげようと
必死で、でもどうしたら
良いのかわからなかった。
『ぼくたちはどこか似ているのかもね』
ふっと、
記憶の
淵から
飛び
出したように、みずみずしくその
声がよみがえってきた。
少年が
自分にむけてつぶやいた
言葉を、レクシーナは
心のうちで
反芻する。
(この
子も
孤独なのかもしれない……)
そう
思うといても
立ってもいられず、
少女はそっとやさしく
少年を
抱きしめ
返した。
腕のなかでかすかに
反応があった。
少年のはっとしたような
息づかいが
伝わってきた。それと
同様に、やすらぎの
中にいるようなやさしい
心音が。
小さな
子供のにおいがする。あたたかくてやわらかい
感触。その
温もりに
心がじんわりした。
(……
不思議な
子……。こうしていると
落ち
着く……)
それは
人見知りなレクシーナの
心も
溶かすほど、
特別な
出逢いだったのかもしれない。
きっと、
放っておいても
誰かが
探しにくるだろう。それまでこの
子のそばで
寄りそってあげよう。
そうすることで、
彼の
言葉にならないさみしさが
癒されるならば……。
慈しみに
満ちあふれた
表情で、レクシーナは
静かにそう
決意した。
自分が
少年からもらった、
目に
見えないけれどあたたかいもの。その
純真な
想いに
報いたいと。
それが
心根のやさしい
彼女ならではの、いわゆる『
情愛の
証』だともといえた。
番外編4へつづく……