10.来訪者と黒いドレスの少女

文字数 3,799文字




その(おんな)がいないと()づいたのは、任務(にんむ)遂行(すいこう)()えて一息(ひといき)ついた(ころ)だった。


ぬるい(かぜ)(ほお)にあたって(とお)りすぎてゆく()だるい午後(ごご)──


多少(たしょう)(かえ)()()びても目立(めだ)たない(くろ)装束(しょうぞく)は、(かぜ)()かれて優雅(ゆうが)にたなびいていた。


たった(いま)大量(たいりょう)殺人(さつじん)(おか)したことを微塵(みじん)(かん)じさせない風体(ふうてい)で、ムスタインは表情(ひょうじょう)ひとつ()えず、一人(ひとり)熟考(じゅっこう)するように()をすがめた。


その意識(いしき)(みずか)らの肉体(にくたい)(はな)れ、使(つか)()である(あお)小鳥(ことり)同化(どうか)していた。


(かご)()れられた(とり)視界(しかい)には、一見(いっけん)して絢爛(けんらん)豪華(ごうか)貴族(きぞく)一室(いっしつ)(うつ)()されている。


その部屋(へや)年頃(としごろ)(むすめ)部屋(へや)にしては、(もの)(すく)なく装飾(そうしょく)にとぼしかった。


(まったく、(おんな)部屋(へや)なのにのぞき甲斐(がい)がないっつーか、色気(いろけ)がないことこのうえないぜ)


(しつら)えられた家具(かぐ)調度品(ちょうどひん)。それらがすべて高価(こうか)(もの)であることはうかがえるが、必要(ひつよう)最低限(さいていげん)物以外(ものいがい)()かれていない。


書架(しょか)蔵書量(ぞうしょりょう)突出(とっしゅつ)して豊富(ほうふ)なことを(のぞ)けば、しごく簡素(かんそ)でおよそ少女(しょうじょ)らしさの(かん)じられない部屋(へや)だった。


ほかに違和感(いわかん)(おぼ)えるとすれば、主人(しゅじん)である少女(しょうじょ)姿(すがた)がないということだろうか。


いつもそこにいるはずの人物(じんぶつ)がそこにはいない。


(……レクシーナ……。たしか、そんな名前(なまえ)だ。にしても部屋(へや)にいないのはめずらしいな)


ムスタインが(いぶか)しむのも無理(むり)はなかった。


その(あるじ)が「部屋(へや)にいない」ということがどれだけ(まれ)なことであるか、ここ数日(すうじつ)観察(かんさつ)しているだけで(おも)()らされたのだから、相当(そうとう)なひきこもり気質(きしつ)だといえるだろう。


(なんにもしなくても世話(せわ)してもらえるんだから、まったくいいご身分(みぶん)だぜ)


(うし)()両手(りょうて)()みながら、皮肉(ひにく)たっぷりにムスタインが胸中(きょうちゅう)でつぶやく。


事実(じじつ)少女(しょうじょ)はこの部屋(へや)()なくてもなにも不自由(ふじゆう)はなかった。


食事(しょくじ)三度(さんど)とも召使(めしつか)いが(はこ)んできたし、浴室(よくしつ)などの水場(みずば)隣接(りんせつ)していて、寝室(しんしつ)(とびら)から()()するようになっている。


用事(ようじ)があれば、天井(てんじょう)(ひも)(わた)して使用人(しようにん)部屋(べや)とつながっている(すず)()らし、(すみ)やかに用件(ようけん)()いつけることができる。


もっとも、その使用人(しようにん)すら不得手(ふえて)としているのか、極力人(きょくりょくひと)()わずに日々(ひび)()ごしているらしかった。


そんな極度(きょくど)人見知(ひとみし)りでありながらも、少数(しょうすう)ながら()をゆるす人間(にんげん)にはごく普通(ふつう)に、(とき)として多弁(たべん)(かた)姿(すがた)はなんともいえないアンバランスさを(かん)じさせた。


(──(へん)(おんな)──。きっと屋敷(やしき)のなかだろうが、どこにいるのか見当(けんとう)もつかねぇや……)


さすがに仕事明(しごとあ)けで(つか)れているので、監視(かんし)中断(ちゅうだん)して(やす)もうと(おも)ったそのとき、突然(とつぜん)ノックの(おと)(ひび)いた。


(すこ)()()いて「失礼(しつれい)します」と一言添(ひとことそ)えて(はい)ってきたのは、屋敷(やしき)(つか)える使用人(しようにん)たちであった。


さほど年端(としは)はいっていない新米(しんまい)(おも)われる少女(しょうじょ)と、ベテランといった貫禄(かんろく)をかもしだす召使(めしつか)いの(おんな)たちが、それぞれ(おも)そうな衣装(いしょう)ケースを(うで)(かか)えている。


彼女(かのじょ)らは巨大(きょだい)衣装棚(いしょうだな)(とびら)()けると、淡々(たんたん)()れた()つきで衣類(いるい)()()えはじめた。


すると、そのなかでも一段(いちだん)年若(としわか)召使(めしつか)いの(むすめ)が、(ふく)()にしてうんざりと(なげ)くようにうめいた。


「──ここのお嬢様(じょうさま)って、どうして()たような(ふく)ばかり()っているの──?」


衣装(いしょう)ケースも巨大(きょだい)衣装棚(いしょうだな)のなかも。
(くろ)(くろ)(くろ)……。


おそらくほんの(すこ)細部(さいぶ)装飾(そうしょく)(たけ)がちがうだけの、仕立(した)ての()(くろ)いドレスばかり。


「そんなことも()らないの?」


たちまち(かたわ)らから、あきれたような(こえ)があがる。


「あんたはここに()て、まだ()(あさ)いからわかんないのね。お嬢様(じょうさま)はね、(くろ)(ふく)にしか(そで)(とお)さないの。お父上(ちちうえ)のクレメンス(さま)()かねて、()()めるような(うつく)しいドレスを豊富(ほうふ)にあつらえても見向(みむ)きもしない。(むかし)はそんなんじゃなかったのにね。おかしな(はなし)よ」


「なんでも()(ふく)してるからだって()いたことがあるわ」


(べつ)今度(こんど)(とし)かさの(おんな)(くち)(ひら)いた。


(うわさ)じゃマティルデ(さま)とセルフィン(さま)()くしてから、お嬢様(じょうさま)(くろ)(ふく)しか()()けなくなったんだそうよ」


「──じゃあ、二年前(にねんまえ)からずっとってこと!?」


すっとん(きょう)(こえ)があがるなか、新入(しんい)りの(むすめ)だけがいぶかしげな表情(ひょうじょう)()かべている。


「……(だれ)なの?その(ひと)たち……?」


しばらく我慢(がまん)していたが限界(げんかい)だった。


(おんな)のお(しゃべ)りのほとんどは、(かれ)にとって(くだ)らなく不快(ふかい)なものだった。


(……ったく、かったるいったらありゃしねぇ……)


その()も、どうでもいい会話(かいわ)(つづ)いていたが、(おんな)たちの甲高(かんだか)(こえ)耳障(みみざわ)りに(かん)じはじめて、ムスタインはいったん聴覚(ちょうかく)だけを遮断(しゃだん)した。


これ以上(いじょう)無意味(むいみ)神経(しんけい)疲弊(ひへい)させられるのは御免(ごめん)だ。


(──とはいっても、(ひさ)しぶりに(うご)きがあったんだ。無視(むし)するわけにはいかねぇか……)


召使(めしつか)いたちが()ていくのを見計(みはか)らって、(なが)いため(いき)とともに青年(せいねん)は、瞬時(しゅんじ)空間(くうかん)移動(いどう)していた。

        ☆

部屋(へや)(もど)ってくるなり、(おも)いもよらない来訪者(らいほうしゃ)姿(すがた)()にして、レクシーナは(おどろ)きのあまり()ちすくんだ。


黒装束(くろしょうぞく)()(つつ)んだ長髪(ちょうはつ)青年(せいねん)は、まるで彼女(かのじょ)()るのがわかっていたかのように、部屋(へや)中央(ちゅうおう)何気(なにげ)ないようすで(たたず)んでいた。


そしてレクシーナを視界(しかい)()らえると、エメラルドグリーンの(ひとみ)をわずかに(ほそ)めて、(あや)しくも不敵(ふてき)微笑(ほほえ)んだ。


勝手(かって)(はい)って(わる)かったな。これが(おれ)能力(のうりょく)なもんでね。ま、正門(せいもん)から堂々(どうどう)()れてくれるっていうなら、そうしてやらないこともないけど?」


こともなげにそう()()てると、挑発的(ちょうはつてき)態度(たいど)でムスタインは少女(しょうじょ)寝台(しんだい)(こし)()けた。


寝乱(ねみだ)れていたはずのシーツは、(さき)ほどの召使(めしつか)いたちの()によって皺一(しわひと)つなく(ととの)えられている。


そのことに安堵(あんど)(おぼ)えながら、レクシーナはおずおずと(くち)(ひら)いた。


「あなたが必要(ひつよう)としている『三日月の曲刀(クレッセント・ダガー)』のことなんですけど……」


「やっと手掛(てが)かりでも()つかったのか?」


「それが、屋敷(やしき)宝物庫(ほうもつこ)(さが)してみても()つからないんです……。以前(いぜん)所有者(しょゆうしゃ)である(あに)()くなってから、わたしが()にすることはなくなりました。お父様(とうさま)()けば多分(たぶん)わかると(おも)うんですけど、所用(しょよう)隣国(りんごく)出掛(でか)けたきりまだ(かえ)ってきていません」


「だとすると、いったい(おれ)はいつまで()ちぼうけを()らわなきゃなんねぇの?」


「す、すみません……。わたし一人(ひとり)ではどうにもならなくて……」


レクシーナは小柄(こがら)なからだをさらに(ちい)さくさせると、萎縮(いしゅく)したように(ふか)くうなだれた。


(──ったく……!この調子(ちょうし)じゃいつになったら宝刀(ほうとう)()(はい)るんだか……。こっちは悠長(ゆうちょう)にしてる場合(ばあい)じゃねえってのに、この(おんな)ときたら()がな屋敷(やしき)にこもって優雅(ゆうが)()らしやがって……)


(かる)舌打(したう)ちすると、ムスタインは不機嫌(ふきげん)そうに周囲(しゅうい)()まわした。


任務明(にんむあ)けの疲労(ひろう)をおしてわざわざ(おとず)れたというのに、このままなんの実入(みい)りもなく(かえ)るのでは(わり)()わない。


すると、素早(すばや)(うご)かした視線(しせん)片隅(かたすみ)に、ふと窓際(まどぎわ)()かれたティーテーブルが()(うつ)った。


三段(さんだん)もある優美(ゆうび)陶器(とうき)のケーキスタンドには、(うえ)から()菓子(がし)果物(くだもの)、サンドイッチと、食指(しょくし)をそそる(ゆた)かな食材(しょくざい)(いろど)りよく()られていた。


「お、意外(いがい)豪勢(ごうせい)美味(おい)しそうじゃん」


それを()にしてめずらしく機嫌(きげん)()(こえ)が、とうとつにムスタインの(くち)からこぼれ()た。


普段(ふだん)皮肉(ひにく)げに(ほそ)められていたりするその(ひとみ)が、(いま)純粋(じゅんすい)(かがや)きを(はな)っていた。


()かけによらずというか、こう()えて青年(せいねん)極度(きょくど)甘党(あまとう)らしかった。


(……この(ひと)、お(なか)()いているのかしら……?)


(かれ)のようすを(なが)めていたレクシーナが、たまりかねて(すく)いの()をさしのべた。


「……あの、()()がりたかったら、どうぞ……」


「じゃあ、遠慮(えんりょ)なく」


ティーテーブル(わき)椅子(いす)堂々(どうどう)(こし)かけると、レクシーナが啞然(あぜん)としている(まえ)で、(かれ)一心不乱(いっしんふらん)()(まえ)食物(しょくもつ)(たい)らげていった。


よほど空腹(くうふく)だったのだろう。


だが、無心(むしん)にがっついているようでいて、()(かた)にはどことなく(ひん)がある。


貴族(きぞく)()から()ても不思議(ふしぎ)と、ムスタインは最低限(さいていげん)のマナーは心得(こころえ)ているのだった。


「あんたは()べないの?まったく()をつけてないようだけど」


ふいに(こえ)をかけられて、少女(しょうじょ)はすこし動揺(どうよう)した。


「わたしはあまり……」


(おれ)がいると緊張(きんちょう)する?」


見透(みす)かされたような言動(げんどう)にどきっとする。


「ま、小鳥(ことり)(たす)けたくらいで家宝(かほう)をせびるような(おとこ)は、信用(しんよう)できなくてあたり(まえ)か……」


「そんな!コザリーの(いのち)にくらべたら、曲刀(ダガー)なんて……!あなたに(ゆず)ることでお(れい)ができるなら、わたしはそれで……いっこうにかまいません!」


「あんたがそれで()くても、親父(おやじ)さんが反対(はんたい)するかもよ?」


レクシーナはすこし良心(りょうしん)(いた)むのか、わずかに(くる)しそうな表情(ひょうじょう)をうかべたが、ややしばらくして決意(けつい)(かた)めたようだった。


「……たぶん、(ちち)はそれほど関心(かんしん)がないはずです……。(あに)(ゆず)ったときもそんな(かん)じでしたから。(ちち)二人(ふたり)(あに)とくらべても剣術(けんじゅつ)はたしなみのようなもので、武器(ぶき)そのものに執着(しゅうちゃく)はなさそうですから」


「そう。ならいただいていくけどさ」


ムスタインがいることに()づいたのか、鳥籠(とりかご)のなかの(あお)小鳥(ことり)機嫌(きげん)よくさえずりはじめた。


普段(ふだん)、あまり(ひと)には(なつ)かない()むずかしい(とり)なのだが、不思議(ふしぎ)とこの青年(せいねん)には(なつ)いているようだ。


(やっぱり、(いのち)(すく)われたからかしら……?コザリー、あなたはこの(ひと)のこと、どう(おも)う?)


少女(しょうじょ)鳥籠(とりかご)から()をそらし、そっと(かれ)背中(せなか)()つめた。


(……不思議(ふしぎ)(ひと)……。()(ひと)のようで(わる)(ひと)だったり、ちょっと(こわ)(とき)があったり。でも()にかけてくれたり……。なんていうかつかみどころがない……)


極度(きょくど)人見知(ひとみし)りで、他者(たしゃ)がおなじ部屋(へや)にいると()づまりなことが(おお)いのに。


彼女(かのじょ)戸惑(とまど)いながらもいつの()にか、青年(せいねん)がいることを()()れさせられてしまっているのだった。



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