(こんなの……ちがう。
愛し
合う
二人のキスじゃない……!)
ロジオンと
唇を
重ねながら、
少女の
胸は
激しく
葛藤していた。
不安から
逃れるように
彼女を
求め、あふれ
出る
情動のままに
彼女を
抱く
彼に
違和感を
覚えていた。
しかし、
同時に
今まで
味わったことのない
陶酔感に
包まれ、
胸の
奥がきゅうっとして
高みにのぼるような
恍惚とした
感情に
歯止めがかからなくなってきた。
(このままじゃだめ……
流されちゃう……)
わずかに
残る
抵抗の
意志をしめすように、
少年のからだを
強く
押しのける。
その
感触にはっとして、ロジオンは
反射的にアナベルから
身を
離した。
急速に
引き
離された
心と
身体。
だがその
唇には
激しいキスの
余韻がまだ
残っていた。
とまどいの
表情からロジオンがひどく
動揺していることがうかがえる。
猛烈な
気だるさに
襲われながら、アナベルは
悲しそうにつぶやいた。
「……どうしてこんなことを?」
「
君に……
失望した。
理由はそれだけさ」
ロジオンは
破滅的な
衝動を
後ろ
盾にして、アナベルからすっと
視線を
逸らした。
「──
失望したのはこっちのほうよ!なのになんであんたなんかに──」
(……
初めてのキスを
許してしまったのだろう……?)
少女の
剣幕をあしらうように、
少年はおどろくほど
投げやりな
口調で
言った。
「……
別に、いいじゃないか、もう……」
済んだことなんだし……と
言いかけて、ふり
返ったロジオンは
絶句した。
涙でぐしゃぐしゃになった
顔のまま、アナベルが
猛然となぐりかかってきたのだ。
「わっ!?」
すんでのところで
回避すると、ふたたび
彼女の
容赦ない
鋭い
蹴りをかわし、こぶしを
避けそれでせいいっぱいだった。
ロジオンはバランスを
崩して、ホールの
床に
尻餅をつくような
格好になった。
一発なぐられることを
覚悟した
彼は、
衝撃にそなえ
思わずぎゅっと
目をつぶっていた。
しかし、
予想に
反して、なんの
反応も
見られなかった。
おそるおそるまぶたを
開けると、アナベルが
目の
前に
立っていた。
ホールの
床にたたずみ、
長い
影を
落としている。
やがて
彼女の
瞳からは
大粒の
涙があふれ、とめどなく
落下した。
☆
「……ごめん。
泣かないで……。
本当はこんなことするつもりじゃなかったんだ……」
想像もしなかった
事態のなりゆきに、
素に
戻ったロジオンはひどく
狼狽し、ばつが
悪そうにうつむいたまま
謝罪した。
アナベルはまだ
泣きじゃくっている。
「
今さら
君に
許して
欲しいだなんて、
虫がよすぎるよね──」
立て
続けに
心労が
積みかさなったせいだろうか。
普段は
律している
感情すらまともに
制御できず、
可憐な
花のように
咲いた
唇に
誘われるまま
貪欲につみ
採ってしまった。
(
我を
忘れてかっとなって……。つい
辱めるようなひどい
仕打ちをしてしまった)
ロジオンの
激しい
内面の
動揺をよそに、ひとしきり
盛んに
泣いて
少しは
落ち
着いたのか、アナベルはくすんっと
鼻をすすると、
彼のほうをちらりと
一瞥して
言った。
「……なにか……あったんでしょ?」
「……えっ?」
「わかるわよ、それくらい。だって、いつものロジオンじゃないみたいだったから……」
思い
当たるもなにも
完全に
自分を
見失っていたのだ。
彼女にしたことを
思い
起こすと
想像するだに
恥ずかしく、いっそのこと
記憶を
消去したいような
衝動にかられる。
「
水くさいじゃない。いつもそうやってはぐらかして、
肝心なことは
教えてくれないんだから。そんなんじゃあたしたち、いつまで
経ってもわかりあえないわ」
ロジオンは
言葉につまったように
口を
閉ざすと、
少し
気まずそうに
下を
向いた。
そのようすを
見てアナベルは
決心したのか、
深呼吸してから
話を
続けた。
「……
悪いけど、
話は
全部ラグシードから
聞いてるの。『
黒い
蛇』に
狙われてることも、お
兄さんのことも……」
はっと
息をのむ
音が、
空気をふるわせて
伝わってきた。
「……ひどいな、ラグのやつ。あれだけ
口止めしといたのに
喋ったのか……」
「あたしじゃ
力になれないかな?『エレプシアの
乙女』が
魔法円を
完成させる
鍵になるんでしょう?だったら──」
「──よしたほうがいい。これ
以上僕に
関わらないほうが、
君はきっと
幸せになれる──」
「そうやって、また
人の
好意を
無下にするつもり!?」
真剣なアナベルの
視線がまっすぐに
彼をつらぬいていた。
本気な
姿勢が
伝わってきて、ロジオンはややたじろぎながらも
困惑していた。
(──
好意だって?
恋人がいるくせになにを
言ってるんだ?)
「
君には
好きな
男がいるんだろ。
僕なんかのために
危険にさらすわけにはいかないよ」
思いきってそう
告げると、
彼女はきょとんとした
顔でこちらをながめていた。
ロジオンはじれったくなって、
街で
目撃した
出来事を
話さずにはいられなかった。
「……
偶然見かけたんだよ。
君と
彼氏がいっしょに
馬車に
乗りこむところ……。プレゼントの
箱を
両手いっぱいに
抱えてた」
照れ
隠しのためかそっぽを
向いて、
拗ねた
子供のような
口調で
彼は
言った。
(もしかして、さっきからずっと
様子がおかしかったのは……それが
原因?)
なあんだとばかりに
相好をくずすと、ぷっと
吹き
出すのをこらえるような
仕草で、アナベルはこともなく
言ってのけた。
「その
彼氏、
行きつけの
店のただの
店員よ。
私服だったのは
休暇なのに
上司に
呼び
出されたせい。
常連客に
屋敷まで
付き
添えという
命令でね。
部下は
逆らえないのが
気の
毒よね」
ロジオンは
虚を
衝かれたような
表情をさらすと、
即座に
撤回して
言葉を
続けた。
「でもっ!
昨日、
君は
帰ってこなかったって、お
姉さんが……」
「
友達の
占い
師の
家に
泊めてもらったのよ。なんなら
彼女に
証言してもらう?」
「!?」
「ひょっとして、ヤキモチ
妬いてくれてたとか!?」
夢見る
乙女のように
瞳を
輝かせ、うれしそうにアナベルがつめ
寄ると、
「べ、
別に、そんなんじゃ……」
否定しつつも
思わず
頬を
紅潮させるロジオンだった。
それを
見て
満足そうにアナベルが
微笑む。
誤解が
解けてみるみる
二人の
緊張の
糸がほどけてゆくようだった。
(
変だな……。ほっとしたら……なんだか
意識が
遠のいてゆくみたいだ………)
全身から
力が
抜けていく。
彼は
気を
失ってそのまま
昏倒した。
「──ロジオンッ!?」
アナベルの
悲鳴が
最後に
耳に
届いたような
気がした。