44.……ごめん。泣かないで……

文字数 2,498文字




(こんなの……ちがう。(あい)()二人(ふたり)のキスじゃない……!)


ロジオンと(くちびる)(かさ)ねながら、少女(しょうじょ)(むね)(はげ)しく葛藤(かっとう)していた。


不安(ふあん)から(のが)れるように彼女(かのじょ)(もと)め、あふれ()情動(じょうどう)のままに彼女(かのじょ)()(かれ)違和感(いわかん)(おぼ)えていた。


しかし、同時(どうじ)(いま)まで(あじ)わったことのない陶酔感(とうすいかん)(つつ)まれ、(むね)(おく)がきゅうっとして(たか)みにのぼるような恍惚(こうこつ)とした感情(かんじょう)歯止(はど)めがかからなくなってきた。


(このままじゃだめ……(なが)されちゃう……)

 
わずかに(のこ)抵抗(ていこう)意志(いし)をしめすように、少年(しょうねん)のからだを(つよ)()しのける。


その感触(かんしょく)にはっとして、ロジオンは反射的(はんしゃてき)にアナベルから()(はな)した。


急速(きゅうそく)()(はな)された(こころ)身体(からだ)


だがその(くちびる)には(はげ)しいキスの余韻(よいん)がまだ(のこ)っていた。


とまどいの表情(ひょうじょう)からロジオンがひどく動揺(どうよう)していることがうかがえる。


猛烈(もうれつ)()だるさに(おそ)われながら、アナベルは(かな)しそうにつぶやいた。


「……どうしてこんなことを?」


(きみ)に……失望(しつぼう)した。理由(りゆう)はそれだけさ」


ロジオンは破滅的(はめつてき)衝動(しょうどう)(うし)(だて)にして、アナベルからすっと視線(しせん)()らした。


「──失望(しつぼう)したのはこっちのほうよ!なのになんであんたなんかに──」


(……(はじ)めてのキスを(ゆる)してしまったのだろう……?)


少女(しょうじょ)剣幕(けんまく)をあしらうように、少年(しょうねん)はおどろくほど()げやりな口調(くちょう)()った。


「……(べつ)に、いいじゃないか、もう……」


()んだことなんだし……と()いかけて、ふり(かえ)ったロジオンは絶句(ぜっく)した。


(なみだ)でぐしゃぐしゃになった(かお)のまま、アナベルが猛然(もうぜん)となぐりかかってきたのだ。


「わっ!?」


すんでのところで回避(かいひ)すると、ふたたび彼女(かのじょ)容赦(ようしゃ)ない(するど)()りをかわし、こぶしを()けそれでせいいっぱいだった。


ロジオンはバランスを(くず)して、ホールの(ゆか)尻餅(しりもち)をつくような格好(かっこう)になった。


一発(いっぱつ)なぐられることを覚悟(かくご)した(かれ)は、衝撃(しょうげき)にそなえ(おも)わずぎゅっと()をつぶっていた。


しかし、予想(よそう)(はん)して、なんの反応(はんのう)()られなかった。


おそるおそるまぶたを()けると、アナベルが()(まえ)()っていた。


ホールの(ゆか)にたたずみ、(なが)(かげ)()としている。


やがて彼女(かのじょ)(ひとみ)からは大粒(おおつぶ)(なみだ)があふれ、とめどなく落下(らっか)した。

        ☆

「……ごめん。()かないで……。本当(ほんとう)はこんなことするつもりじゃなかったんだ……」


想像(そうぞう)もしなかった事態(じたい)のなりゆきに、()(もど)ったロジオンはひどく狼狽(ろうばい)し、ばつが(わる)そうにうつむいたまま謝罪(しゃざい)した。


アナベルはまだ()きじゃくっている。


(いま)さら(きみ)(ゆる)して()しいだなんて、(むし)がよすぎるよね──」


()(つづ)けに心労(しんろう)()みかさなったせいだろうか。


普段(ふだん)(りっ)している感情(かんじょう)すらまともに制御(せいぎょ)できず、可憐(かれん)(はな)のように()いた(くちびる)(さそ)われるまま貪欲(どんよく)につみ()ってしまった。


(われ)(わす)れてかっとなって……。つい(はずかし)めるようなひどい仕打(しう)ちをしてしまった)


ロジオンの(はげ)しい内面(ないめん)動揺(どうよう)をよそに、ひとしきり(さか)んに()いて(すこ)しは()()いたのか、アナベルはくすんっと(はな)をすすると、(かれ)のほうをちらりと一瞥(いちべつ)して()った。


「……なにか……あったんでしょ?」


「……えっ?」


「わかるわよ、それくらい。だって、いつものロジオンじゃないみたいだったから……」


(おも)()たるもなにも完全(かんぜん)自分(じぶん)見失(みうしな)っていたのだ。


彼女(かのじょ)にしたことを(おも)()こすと想像(そうぞう)するだに()ずかしく、いっそのこと記憶(きおく)消去(しょうきょ)したいような衝動(しょうどう)にかられる。


(みず)くさいじゃない。いつもそうやってはぐらかして、肝心(かんじん)なことは(おし)えてくれないんだから。そんなんじゃあたしたち、いつまで()ってもわかりあえないわ」


ロジオンは言葉(ことば)につまったように(くち)()ざすと、(すこ)()まずそうに(した)()いた。


そのようすを()てアナベルは決心(けっしん)したのか、深呼吸(しんこきゅう)してから(はなし)(つづ)けた。


「……(わる)いけど、(はなし)全部(ぜんぶ)ラグシードから()いてるの。『(くろ)(へび)』に(ねら)われてることも、お(にい)さんのことも……」


はっと(いき)をのむ(おと)が、空気(くうき)をふるわせて(つた)わってきた。


「……ひどいな、ラグのやつ。あれだけ口止(くちど)めしといたのに(しゃべ)ったのか……」


「あたしじゃ(ちから)になれないかな?『エレプシアの乙女(おとめ)』が魔法円(まほうえん)完成(かんせい)させる(かぎ)になるんでしょう?だったら──」


「──よしたほうがいい。これ以上僕(いじょうぼく)(かか)わらないほうが、(きみ)はきっと(しあわ)せになれる──」


「そうやって、また(ひと)好意(こうい)無下(むげ)にするつもり!?」


真剣(しんけん)なアナベルの視線(しせん)がまっすぐに(かれ)をつらぬいていた。


本気(ほんき)姿勢(しせい)(つた)わってきて、ロジオンはややたじろぎながらも困惑(こんわく)していた。


(──好意(こうい)だって?恋人(こいびと)がいるくせになにを()ってるんだ?)


(きみ)には()きな(おとこ)がいるんだろ。(ぼく)なんかのために危険(きけん)にさらすわけにはいかないよ」


(おも)いきってそう()げると、彼女(かのじょ)はきょとんとした(かお)でこちらをながめていた。


ロジオンはじれったくなって、(まち)目撃(もくげき)した出来事(できごと)(はな)さずにはいられなかった。


「……偶然見(ぐうぜんみ)かけたんだよ。(きみ)彼氏(かれし)がいっしょに馬車(ばしゃ)()りこむところ……。プレゼントの(はこ)両手(りょうて)いっぱいに(かか)えてた」


()(かく)しのためかそっぽを()いて、()ねた子供(こども)のような口調(くちょう)(かれ)()った。


(もしかして、さっきからずっと様子(ようす)がおかしかったのは……それが原因(げんいん)?)


なあんだとばかりに相好(そうごう)をくずすと、ぷっと()()すのをこらえるような仕草(しぐさ)で、アナベルはこともなく()ってのけた。


「その彼氏(かれし)()きつけの(みせ)のただの店員(てんいん)よ。私服(しふく)だったのは休暇(きゅうか)なのに上司(じょうし)()()されたせい。常連客(じょうれんきゃく)屋敷(やしき)まで()()えという命令(めいれい)でね。部下(ぶか)(さか)らえないのが()(どく)よね」


ロジオンは(きょ)()かれたような表情(ひょうじょう)をさらすと、即座(そくざ)撤回(てっかい)して言葉(ことば)(つづ)けた。


「でもっ!昨日(きのう)(きみ)(かえ)ってこなかったって、お(ねえ)さんが……」


友達(ともだち)(うらな)()(いえ)()めてもらったのよ。なんなら彼女(かのじょ)証言(しょうげん)してもらう?」


「!?」


「ひょっとして、ヤキモチ()いてくれてたとか!?」


夢見(ゆめみ)乙女(おとめ)のように(ひとみ)(かがや)かせ、うれしそうにアナベルがつめ()ると、


「べ、(べつ)に、そんなんじゃ……」


否定(ひてい)しつつも(おも)わず(ほお)紅潮(こうちょう)させるロジオンだった。


それを()満足(まんぞく)そうにアナベルが微笑(ほほえ)む。


誤解(ごかい)()けてみるみる二人(ふたり)緊張(きんちょう)(いと)がほどけてゆくようだった。


(へん)だな……。ほっとしたら……なんだか意識(いしき)(とお)のいてゆくみたいだ………)


全身(ぜんしん)から(ちから)()けていく。
(かれ)()(うしな)ってそのまま昏倒(こんとう)した。


「──ロジオンッ!?」


アナベルの悲鳴(ひめい)最後(さいご)(みみ)(とど)いたような()がした。



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